音楽

2008年9月28日 (日)

美しい人の美しい歌

3_2   “人々は皆、美しい人の美しい歌をききたいのである”!、と、かのジャズ評論家・寺島靖国はきっぱりと断言した。

 ぼくが日頃から口にしている独断的表現に重ね合わせてなぞらえば、“ぼくらは美しい人の美しい文章を読みたいのである”というのと同じだ。
 “だからぼくは小池真理子は認めても、林真理子は大嫌いだ! 川上未映子や川上弘美は好きでも、桜庭一樹(なんて男みたいな名=顔の女流作家)なんて読む気にもなれない”

 とても傲慢な表現であることは判る。「敵」を一杯つくっちゃう。
  もちろんぼくにだって、世間一般に思われている《真理》という概念から甚だしく遠いことも理解できるし、大体「美しい人」とアタマに付けるのは余計だろう。ちっともアフォリズムになっていないし、「けだし名言!」のたぐいでもない(笑)。だけど、バサッと言い切ってしまわないと気持ちが悪いのだ。
 人は文、逆も真なり。文と顔は切り離せない。
 声の美しいデブの歌手なんて・・・ぼくには絶対に許せない、と。〔だからぼくは「オペラ」が嫌いだ^^〕

1  寺島さんの批評言語、それはつまり「ぼくの」とほとんど同じなのだが、それが果たして「批評」のレベルに正当な権利を持って立脚しているものかと問えば、はなはだ問題だろう。自問してみて「これが批評だ!」という自覚はぼくにはない。ぼくはいつも「趣味的暴言」ね。
 どんどん書いちゃえば、槙原敬之/江原啓之って、世界で最も気持ち悪い男の双璧。大っ嫌い。とりわけ槙原はCMで彼の歌が流れてくるだけでTVを叩き壊したくなる^^。
 こうして日々、善良な人々を、一人また一人と敵にまわしているのだ。口にしなきゃいいのに、書かなきゃいいのに、必ず表沙汰にしてしまうワタシです(爆)。

 それにしても、黒白つけるという意味で断定するのが大好きな人種で。判っちゃいるけど審判がやめられない。あれがいいだのこれが悪いだの。
 その鑑定眼には極めて独善的なものを感じるばかり。寺島のジャズ評、ターナーの映画、文学、音楽評、ワイン・アルコール評。。。

 寺島プレゼンツのジャスのアルバムはどれもジャケットからして素敵だ。魅せられる。4 2
 彼は年鑑のごとく(“ジャズ・バー”シリーズ)、隠れた名曲・名演奏を一枚にまとめることもしていて、さぁて今年彼は誰を何を発見したのか!? と興味は尽きない。

 吉祥寺の駅そばにあるジャズ喫茶『MEG』は、黒なのか白なのか(はっきり白系だな^^)どちらかサイドの偏ったジャズファンが貧乏ゆすりして聴いている店で、この寺島靖国がオーナー(マスター)だ。ジャズ愛好家なら、一度は「参拝」に行くべきところ。ぼくもひところは入り浸っていた。
5 6  毎日のように新宿~吉祥寺の中央線のラインに沿って、ジャズ喫茶を転々と「点」で移動しながら、ジャズをBGMに卒論を書いていた時代。いくらでも枚数が書けた。電話帳の厚さの超大作で、きたない字の手書き論文を読むのに苦労してシラケンは白内障に罹り、福永さんは風邪から肺炎をおこしてしまった(肋膜炎の再々発だったのか?)。

 ジャズ喫茶が研究の場だった。図書館というより、あのタバコくさい暗がりの中で自ら紫煙に包まれて教授たちを煙に巻く原稿をひたむきに書いていた(チェーンで吸っていたからね。両切りピースを缶ごとバッグに持ち歩いていたのだ)。4_3 3_4 2_3 1_3
 入店の時間によっては珈琲でなくビールにオーダーを変えて、(スピーカーの)コーンの振動をあからさまに肌に感じつつ時に帯状発疹を誘発されながら、店内でも夕方でも決して黒眼鏡ははずさず、唇の端に垂れてくる長い髪を時折かきあげ、外が小糠雨であれ台風が来ていても関係なく、薄ぼんやりとした暗がりの中でBの鉛筆をせっせと動かしていた。9 11 8 10    

  (別に長く書いている)横浜・野毛の『ちぐさ』ではさすがにあの伝説の人・マスターが怖くて、一曲もリクエスト出来なかった。フン!と馬鹿にされそうで^^;。
 鎌倉・小町通りの『イザ』は長谷に自宅があったMとの待ち合わせの場所だった。
Photo  大体いつもは新宿の『DIG』か『DUG』か歌舞伎町の『木馬』で、とりわけ『木馬』が気に入っていた。
 アテネ・フランセの授業のない日はほとんどあそこでジャジーな一日を過ごしていたのだった。〔あっ、でも午後の演習が終わると、クラスの女の子たちと以前ここに書いた赤坂の『アンミラ』(アンナミラーズ)に出掛けることも多く、ホームメイド・パイを喰いながら缶ピー吸ってたんだワ。それって、今じゃとっても気持ち悪いことだよね。信じられねぇ・・・〕
 

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2008年6月30日 (月)

音楽はひとつ・・・Friends!

 昨年末、なかば意地になったように(?)「蘇州夜曲」をめぐる記事をここに書き、この曲のコンピレーションCDを編集していたとき、主眼は(作詞家の)“西條八十”にあったにせよ、当然ながら(作曲者の)日本が生んだ天才作曲家“服部良一”についても少しだけ論じてみたことがある。1 3

 ちょうど昨年は服部良一生誕100年記念の年で、トリビュート・アルバム『服部良一』(二枚組)が、10月1日の彼の誕生日にあわせて出されている。
 内容は非常に興味深いものがある。
  例えば福山雅治が『東京ブギウギ』、井上陽水が『胸の振り子』、ゴスペラーズが『銀座カンカン娘』、さだまさしが『一杯のコーヒーから』を唄っているのだ。また一青 窈が『東京の屋根の下』、山崎まさよしが『昭和モダン』、布施明&森山良子が『シアワセノカタチ』を、さらには小田和正が極めつけ『蘇州夜曲』を唄っている。
Photo  この秋、渋谷パルコ劇場で“竹内まりやソング・ミュージカル”に主演する松浦亜弥までが『ラッパと娘』で日野皓正とジャジーにデュオしている。同じくジャズ畑の小林桂が『午前二時のブルース』をとり上げ、クラシックの佐藤しのぶが『アデュー上海』をゴージャスな雰囲気で歌いあげている。ここまで書けば残りはもう僅かなのだが・・・好きでもないやつらの紹介は、しないでおく^^;。
 ともかくこれは凄いCDであるのだが、ぼくとしてはいかに服部良一が偉大だったか、現代の《歌書き》に影響を及ぼしているのかをここで言いたかった。

 その服部良一の息子が服部克久であり、孫がクミコに楽曲提供している“若き才能”の服部隆之なのだが(この孫については別に記事が必要だろう)・・・今回は・・・克久さんにだけ、さらに触れてみたい。

 服部克久のプロフィールを見ると、昭和11年11月1日11時、東京都生まれ、とある。こいういうゾロメにこだわる人間には宿命的に問題児が多い。変態的確執というのか、個性的な執着心の強さが外に現れるようだ。うちのカミさんが3のゾロメだ。当然名前もそれを反映している。そこで来るべき「娘」たる人間は母親と符帳を合わせて平成3年3月3日午前3時33分生まれを絶対命題のごとく目論まれたわけだが、途中の検診で「息子」であることが判明してから気が抜け、結局出産も3月7日と遅れた(笑)。4

 克久さんはパリ・コンセルヴァトワール修了。帰国後は作曲活動のかたわら、さまざまなジャンルの音楽監督やプロデューサー、また、音楽祭の理事や審査員として精力的に活動を行ってきた。日本作編曲家協会会長、日本作曲家協会理事、東京音楽祭会長などを歴任、日本の音楽シーンの発展に尽している。
 主な作品に、アルバム『音楽畑』1~20、音楽畑『マインドミュージック』、アルバム『Tokyo Pops』1~8、合唱組曲『ガラスの兎』、『ブーケ』、 『ル・ローヌ』、『自由の大地』、『すごい男の唄』などがある。
 
 ぼくは克久さんの、雰囲気は南フランス風な陽光のもと、という感じでありながら何故か“日本の浪漫”が馨しく漂う彼独特な叙情的旋律が大好きだ。どの曲もとってもお洒落で、極めて知的エレガントに編曲されている。
 中でも毎年1枚ずつ出してきた、全20巻にまで及ぶ『音楽畑』CDシリーズは圧巻!という仕事ぶりだ。が、芸術家の作品というよりは職人的手仕事。その内容は緻密で完成度のレベルが実に高い。“間違いのない”繊細さと精緻さの技が光っている。

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2007年12月22日 (土)

蘇州夜曲異聞 Ⅱ

 し、しまった!!
 服部良一より先に西條八十(やそ)の名前を出しておくんだった。今になるとこの敵の意表を突く作戦(「敵」って誰?)は失敗だったことが判る。3_4

 そもそもことの発端は・・・、
 精悍で強い意志力を持った敬すべき「大公」と人民に慕われたフィリップ善良公の時代のブルゴーニュ大公国で、この公からの最大級の信任を得てシャンスリエ(大書記官)を見事につとめあげた二コラ・ロランだった。

 彼がいなければ、とても服部良一のことになど、思い及ばなかった
 (って、変なの)。

 二コラ・ロランは、中世という特異な時代が顕現化させた一つの叡智のタイプ/体現者である。彼こそは“影大公”、すなわちブルゴーニュ大公国の実質の権力者だったに違いない。
 研究書をひもといていくと、フランス中世きっての年代記作家シャステランは、こんな風に書き残している。
 “このシャンスリエは、ただひとりで、すべてを治めることのできる人であった。平和だろうと、戦争だろうと、財政に関することだろうと、自分ひとりですべてを自在に操り、引き受けることのできる人だった。すべてについて、すべてにわたって、公は、かれに期待をし、かれを主な頼りとして、かれに委ねた。”


 「蘇州夜曲」をめぐる一連の記事、その全容が見えていないというのに、ここで順を追って論述の段階的なレジュメをつけてみよう。
 一体全体、ぼくは何が言いたくてこんな記事を書いているのかを説明づけるために。

 大テーマは《中世の秋~フランスを読む 日仏比較文化芸術論序説》。
 中テーマは《ジャンヌ・ダルクの出現と“焼”失の意味》。
 小テーマは《戦争と芸術行為 「蘇州夜曲」について》。

 1. ジャンヌ・ダルクの時代、中世末期のフランスは、いまのフランスとは国体が大きく違う。
 2. この時代に延々と続いていたイギリスとの「百年戦争」(御家騒動・世継ぎ争いの内乱だ)といっても、そこの間にはブルゴーニュ大公国が怪しく一枚加わっており、フランスが官軍、イギリスが賊軍という戦争では決してない。
 3. 被害者はいつも農民・町民。戦争、飢饉、ペストの猛威等々の、人間が人間らしく死ねないというなんとも絶望的な時代・社会情勢にあって、人々が追い求めた「天国」とはいかなる場所であったのか? という問い。カトリシズムの思想的背景と文化的影響は大きい。宗教と死の問題。例えば、わが国では戦国時代における「浄土宗/浄土真宗」などを比較検討することが望ましい。
  4. 解決の一つの方向を打ち出したのが、農民の娘・乙女ジャンヌだった。しかしそれは「聖戦」として「殉教者」としてジャンヌを理想化すべき事件ではない。これをもって愛国フランス魂の化身/とするのは、(ぼくの大嫌いな表現を用いれば)いかがなものか?
  5. 現在のフランス文化の祖形をなしているブルゴーニュ文化(そもそもの源流はケルト文化・ケルト魂)を精神的に花開かせたのが大書記官二コラ・ロランである。それがボーヌの「施療院」にはっきりと見てとれる。人間の尊厳なる死と対峙する場所でもあった。
 ボーヌに死ぬことは、人間として死ぬことの解答の一つでもあった。
  6.  そこでホイジンガの名著『中世の秋』を読み直してみたい。
  “いつの時代もいっそう美しい世界へと憧れるものである。混乱した現在への絶望と苦痛が深まるほど、ますますその憧れは激しい。中世末期には生活の基調はきびしい憂鬱であった”。
  7. ジャンヌ・ダルクを見殺しにしたのは、ほかならない、この二コラ・ロランその人だが、彼の卓見・対イギリス/王太子への政治的施策がそうさせたのではないか? そしてその大罪をあがなうようにボーヌの「施療院」に彼は残りの人生と私財のすべてを投じたのではあるまいか。
  8. ネットでは二コラ・ロランの“慈善行為”に対してひどく悪意に満ちた暴論も見受けられる。偽善者・ただの権力崇拝者だと。果たして、そうなのか?  ぼくは反対の立場をとろう。
  9. 「戦争」問題に解決をつけるべき策として、100年後を見据えた文化的施策として、この問題(ジャンヌの火刑、施療院の建設)を考えたい。
 同様に、国民の戦意高揚を謳いあげる「軍歌」の作詞・作曲者はすべからく戦争協力者(間接的な戦犯)なのかの問題を重ね合わせる。
10. 優れた為政者・芸術家のとるべき“道”とはいかに? 

  論理の甚だしい飛躍ぶりに自らしっかり目をつぶって(^^;)、
 こうしてようやく、ぼくらはジャンヌ・ダルクからブルターニュの宰相二コラ・ロランを経由して、服部良一と西條八十にたどりつく。フーッ・・・。

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2007年12月21日 (金)

蘇州夜曲異聞 Ⅰ

   数年前までは「ボケ」とか「痴呆」(・・・と、この蔑視するような語感がまずかったんだよね)と称されていた「認知症」。
  現在の介護保険制度では、その症状の度合いを「要介護度(1~5)」で区分けしていて、支給される保険月額も随分と上下の幅がある。
 みなさんの周りで、ちょいと変だぞという程度の方々がいるなら、それはまだ「要支援」の段階。大した給付金はもらえない。
 
 問題行動・徘徊・せん妄等の痴呆症状がひどい場合は、「要介護」の「4」か「5」。むかしでいう「キ印」とほとんど一緒で(「精神(分裂)病」は今は「統合失調症」といわれる。ゴメンなさいよ、表現に差別的な響きがあるようで。悪意はありません)、会話していても“ワケわかんない!”“シュールな”人たちだ。
 言ってること、やっていることが、「フツー」の人間と比較して「支離滅裂」に見える。
 けれど不思議にも、ある種の「決め事」に準じてもいる。二十四時間・数年間も顔をつき合わせているとそれが分かってくる。行動パターンはほぼ決まっている。そこには、言語を学ぼうとする姿勢があれば必ずや通じ合える「言語体系」(のようなもの)がある。
 だから、ぼくは並んで座ってオシャベリができる。相手も真剣な面持ちで語り続ける。終わりなき会話がそこに存立する。でもねぇ・・・やっぱりねぇ・・・。

 考えてみれば、
 こうした方々の、いわば“文法書”のようなものを自分でまとめたくて、この世界にドップリと浸かろうとしたのだった。実際に自分で現場を知らなくては・・・とそのとき思っていた。
 きのうまで「フツー」であった人が、どうしてここまで「シュール」になってしまうのか。
 この人たちは、再びゴメンなさいだが、果たして「人間」なのか?  かつての「●●××子」さんと同一の「(人間)存在」なのか? の疑問。
 その解答は文字で書かれたテクストからは見えてこない。
 どうしてこうなったか?は、一応医学的には回答が出せる。脳の部位の機能障害(損傷や萎縮)を説明づけられる。しかも、この人の場合は、と具体的に個別的に。この時期であれば改善に向けての指導も可能だ〔ぼくらは17年間もこれをテーマにボランティア活動を行ってきた。その成果を、昨年じゃないや今年の2月に、一冊の本として出すことができた。ここでPRはしたくないので書名・版元名は伏せておく〕。
 
 それにしても、現に、こうなってしまった人たちを前にして、ぼくたちはどうした姿勢で接するべきなのか? 
 確かに幼児やペットの動物よりも始末が悪い、何も「学習効果」が期待できない、ただ悪さをリピートするだけ・日々益々それが過激にひどくなるだけのこの人たちを“介護する”とは一体どういう意味のある行為・仕事なのか?  現在の医学では薬もなく(※効かない薬なら一種類あることはアルが)治ることなど見込めない人たちに、こんな行為を続けていく意味は何なのだろう??
1
 ひたすら千日修行の僧侶見習いのごとく、お盆の休みもクリスマスもお正月の三が日もなく、365日“いつもいつだって”・“普通の日”という介護行為を続けてきて、さすがに精神的に疲弊の極に達している(ような気がする^^;)。ひどく疲れた毎日・・・。
 〔幸いなことにコムスン的介護は破綻した。それは善しとしよう。当然だ。介護がエンタメ的利益を生むなど幻想でしかない。さもなくば正真正銘の詐欺行為だ。でもね、昨今の・・・と、憂いはとどまるところを知らない。〕
 ぼくらの職業は、夏もこの暮れも、「ボーナス」などには全く縁が無い。給料は最低賃金制のその最底辺ラインで、M・・やK・・でバイトして「笑顔」を売っていたほうがよほど金になる。せっかく志して介護職に就いたのに日雇いガテン族に戻る若者も多い。生活できないから。それは誰にも分かっている。介護で飯は喰えないと。それにしても何十年も前にもらった初任給の額面よりも低い...という、この現実は、このぼくにしても師走の寒空の下、身体/精神の凍えを倍化させる。Oh, サブ~~ッッ・・・・・・。

 ぼくらの将来、日本の社会は一体どうなっちゃうんだろうね?
  高齢者(は当たり前だから)認知症老人介護の問題を、みんな自分の問題として考えているのか? 誰かがうまくやってくれるというのか?  政府? 労働厚生省? ホントにそう思える?財源の基盤なんてほとんどないんだぜ、ホント。
 財産のすべてを「介護付き有料老人ホーム」に注ぎ込むのだろうか?  親孝行な子どもたちが世話してくれるのだろうか??
2
 ・・・・・・と、長い愚痴になっている。困ったものだ。
 まずいよなぁ、このページに該当する写真が何もないじゃないか(苦笑)。
 で、無理やり、雰囲気の暗い(?)鈴木重子の写真を押し込んだ^^。
  鈴木重子にはそんなところがある。その名の通り重たい黒のムード。憂い顔がよく似合う。

 でも、歌う曲自体がみんなそうじゃないからね。
 二年前に出されたこのアルバム『Silent Stories』は、ぼくが知る限りでは、鈴木重子のベストの一枚だ。
 彼女の(分相応の)持ち味・才能と合致した歌の世界が美しく展開している。

 でもなぜ、突然、鈴木重子か?
 大して好きでもなかったジャズ・シンガーの彼女。歌唱力だってそんなに評価してはいない。
 美人っていっても、そうかぁ? こういう顔立ちを美人っていうのかぁ? って。 東大法学部卒って異色の肩書きだけがいやらしく光っていたのではないか?  それだって、今では大した評価ポイントじゃない。
 一曲、問題の曲を歌っているからだ。それがここに引き出してきた理由。
 このアルバムでは・・・・・・
  彼女は、ほんの短く、アカペラで、「蘇州夜曲」を歌っている。これがとてもヨイのでアリマス^^。
 

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2007年12月 3日 (月)

「文・樂する」といふこと

 おこがましくもジャンヌ・ダルク研究が日課のような素振りで毎日を過ごしている。
 しかもジャンヌを「文学する」という宣言までしている。史学するのではなくて。
Photo_6  この「文学する」とはどういうことなのか? 
 日々ジャンヌ本を読んでいて、一体何が楽しいのか?  それが文学していることなのか?
 以下、酔いどれ阿呆な自問自答の顛末である。

 今回は、古典芸能の「文楽」との混同を避けて、無理やり「文・樂」という造語をあてはめながら、この問題を考えてみたい。いわゆる「文学」の上位概念として「文・樂」の文字を用いる。

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 思えば、パリでは黄金のジャンヌ・ダルク像が立つすぐそばに住んでいた。
 ルーヴル宮の北ウィングが西側で終わるあたり、リヴォリ通りとピラミッド通りの交差点にある小さなスクウェアが「ピラミッド広場」。ここのド真ん中に金色のジャンヌ・ダルクの騎馬像が立っている。
 写真の背後、広場に面しているのが4ツ星のホテル「レジーナ」。アール・ヌーヴォー調のインテリアが素敵なホテルで、パリ観光の拠点として何かと便利な立地。覚えておくといい。
 ブロックすぐ一つ北を走るのがサン=トノレ通り。かつてジャンヌが(敵方に占拠されていた)パリを攻めたとき、太腿に矢を受けて負傷して落とせなかったサン=トノレ門が(比較的)この近くにあった。サン=トノレの住人だったぼくの部屋から歩いて3分もかからぬ距離にジャンヌ像があったわけだ。買い物篭を片手に下駄履き(!)で毎日のように歩いていたのに、シゲシゲと宙を仰いであの光り輝くあの像を眺め入った記憶はない。
 ふーん、そうか、その頃から深いご縁(?)があったんですねぇ、ジャンヌ様とは。


 ずっと以前に、マイク・ニコルズの『キャッチ22(ツーツー)』(70年)を観た。ひどく面白かった。第二次世界大戦中のイタリアのある小島での話。アメリカ空軍爆撃隊の人間たちの“奇妙な狂気じみた日常”を通して“戦争の不条理”が描かれている。22
 《軍規22項》によれば、“狂気に陥ったものは自ら請願すれば除隊できる。ただし、自分の狂気を意識できる程度ではまだ狂っているとは認められない”とされている。ジレンマ、パラドキシカルな状況を、英語圏では、「キャッチ22」的と表現される。
 この映画は、当時絶大な人気を誇っていたS&Gのアート・ガーファンクルが出ていることでも話題になった。
 ユダヤ系の米国作家ジョセフ・へラーの同名小説が原作である。

  He knew everything about literature except how to enjoy it. という、ぼくらにとってドキッとするような一文が出てくる。
  この“How to enjoy it”の部分が大問題だ。 

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2007年11月29日 (木)

プロヴァンスの風を聴く

 先日、この「日乗」の数少ない愛読者の一部の方々にお送りした音楽CD《音で読む「思念魔亭日乗」2007 automne》は、残念ながらよほどの駄作だったと見えて、聴いた後の感想をいただいたのは皆無に近い。なんとまぁワタシとしたことが...歯がゆい失態。口惜しい限りだ。

 にもかかわらず、実は密かに、写真のようなリヴェンジ版を作製してみた。Photo Cd結構時間を要したぞ^^。
 お手元に前回の現物をお持ちの方はジャケ写のデザイン、裏面の曲目を仔細に比較していただきたい。
 今回のは完全にプロヴァンスに特化したかたちでつくっている。
 このブログのプロヴァンスについての文章をもう一度読み直しながら聴いていただければ、狙いとするブログのBGM効果を発揮するに違いない。

 作り急ぐことだけは戒めねばならない。それなりに熟慮し時間をかけねば、納得できる作品づくりはできない。自明のことではあるけれど今回の大きな教訓はそのことに尽きる。

 再版した今回の目玉は、プロヴァンスに関わるテクストのフランス語朗読である。解説カードなど付けられないので、特別にここに大雑把な日本語訳を加えておこう。約二名の方には必要ないと承知しているけれど^^。

1_4  朗読は、今やすっかり女優として有名になった(まだ?)ジュリー・ドレフュス。
 彼女は、本当に、ため息が出るほど綺麗な人だよねぇ。
 彼女がNHKフランス語講座でデビューしたとき、この見知らぬ美女に一体この人は誰・何者?と驚いたものだ。並大抵の美人じゃない。ほぼ完璧に近い美しさだ(とぼくは感じた)。
 あとで分かったことだが、彼女はフランス女優パスカル・オードレの娘だった。バスカルには、ほのぼのと可憐な美しさがあった。純真な田舎娘の役なんかが最高だった。印象深いのは『河は呼んでいる』(57年)だろう。ほかに『眼には眼を』(57年)、『危険な遊び』(58年)、『(ゴダールの)カラビニエ』(63年)、『カトマンズの恋人』(69年)等がある。
 ジュリーは母親にかなり似ている。が、美的造作の完成度では母親よりずっと高い。いわく言い知れぬ気品が漂っている。
 ところがどっこい(?)、女優ジュリーの出演作品は数少なく(これからの人なのか?)、ご覧になられた方々も多いと思うが、タラちゃんの『キル・ビル Vol.1』ではああいう役を演じてしまったわけで・・・。ひどい監督だねぇ、タランティーノってやつは^^。まぁしかしタラちゃんのお蔭で世界的にも陽の目を見たわけだ。
 ちなみに父親はフランシス・ドレフュス。フランスにおけるジャズの仕掛け人(プロデューサー)である。フランスでは彼の世界は《ドレフュス・ジャズ》と呼ばれている。この親爺にもよ~く似ている。

 

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2007年11月11日 (日)

(ユング的)Chain Reaction

 これも「バタフライ効果」のひとつなのか、いや単なるオオボケ親爺の言葉の連想ゲームにすぎないのだろうか、突然ながら猛烈に、笠井紀美子が聴きたくなった。思い立ったが・・・と、ヘッドフォーンでガンガンとヴォリューム一杯に聴きながら、これを書き出した。

 『LOVE TALK』、『AND IT GOES 'ROUND AND 'ROUND』、『TOKYO SPECIAL』、
 『I THOUGHT IT WAS YOU』(これが彼女の中で一番好きかも^^。ノリノリ)・・・・・・そうだ、『Chain Reaction』もあるぜ^^。
 思わずエッと笑っちゃう御仁もおられよう。そうなのだ、あの笠井紀美子だ。5_2
 ターナーさん、やだぁ彼女が好きだったの? なんてHAHAHA^^; 言わないで。
  ネット記事ではこれまで不思議と一度も話題にしたことがなかったが、ぼくは笠井紀美子の大・大ファンで、70年代までに出されたレコードはすべて集めていた。どれもジャケ写が綺麗だったよなぁ。コンサートには毎年のように〔数えてみれば三回くらいは・新宿厚生年金ホールとか芝郵便貯金ホールとかに(笑)〕行ったかな。
 シャンソン界の大姉御バルバラ、フレンチ・ポップス系の新星ヴェロニク・サンソンも、アマリア・ロドリゲスの歌うファドも共に大好きだったにしても、あの頃はそれ以上に、笠井紀美子を毎日のように(76~79年は三年連続してずっと)聴いていたのでR(あ~る)。1_5 2_5 Jpg
 笠井紀美子は、70年代の、ぼくらの“何事にも遅れて来た時代”を逆説的に象徴するDIVAだった。
 お洒落なシティ・ミュージック。
 ジャズをその源流にしていても、民俗/族の匂いも臭みももちろん政治・思想の翳りなど微塵も感じさせない。ロック特有の激情の爆発と社会的憤りや、フォークやニューミュージックの人生をすねたように嘆く素振りや悲痛な愛を懐かしむこともなく、演歌のあの貧乏臭くて西日さす四畳半の世界が舞台になっているわけでもない。白砂の海辺に足跡をたどる恋物語でも、大自然の美しさとそこで生きる歓びを謳いあげるものでもない。都会に生きる男と女・・・がお洒落に出てくるだけ。その意味での「シティ」だ。
 どれでもいい、上手に書かれた片岡義男の短編小説集を手にとって、氷の入ったグラス片手に午後のときを一人で過ごしているみたいな感じ。そんな「シティ」の感覚があった。
  あの当時、ぼくらは片岡義男(ボソボソ声)と安田南(彼女は一体どこへ消えてしまったの?)がパーソナリティだったFM東京『気まぐれ飛行船』2 1 を深夜に聴きながら、ラム・トニックのグラスを重ねていた。市川秀男が弾くジャズ・ピアノがたまらなくリリカルに耳元に響いていた。大洪水のあとの、まだ泥がかたまっていないぶよぶよの大地に、銀のディナーナイフでスリットを入れていく笠井紀美子のほそく小粋なセクシーな歌声にぼくらは心酔しきっていたのだった。
 時代の先端より、もっと先のほうを踊りながらハイヒールで走っているような、笠井紀美子。
 かっこよかったよなぁ、彼女・・・・・・このつぶやきがぼくらの想いの全てを物語っているはずだ。

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2007年11月 8日 (木)

バタフライ・エフェクト

 ちょうど一年前のことだった。あなたのmixi日記に、ユニークな記事が書かれていたのは。その事件をあなたは“中村中(あたる) 出現以来の衝撃!”と書いていた。なるほどね、と、いま感動と共に読み返してみて・・・しみじみと、秋の夜は更けてゆく・・・。

 ぼくはすでに、あなたのmixi日記の記事(というかそれは顔文字ばっかりの井戸端的駄弁でなくきちんとした小論文だ!)をことあるごとに採録してみたいとこのブログで書いている。いつものように今回も、以下、《あなたに生り変わって》書き出してみたいと思う。

                           2

 “ ちょうちょう ちょうちょう 
  菜の葉に とまれ
  菜の葉に あいたら
  桜にとまれ 桜の花の
  花から 花へ
  とまれよ 遊べ
  遊べよ とまれ

  季節はずれの話題で申し訳ございません。”

 とあなたは書き出す。あなたは子どものときから疑問で仕方なかったという。
“どうして蝶々は菜の花でなく菜の葉に止まるように誘われるのだろうか?”と。さらに“どうして菜の葉の次は桜なのか。だって、桜の花に止まった蝶々って見たことないじゃないですか。可能性としてあるかも知れません。が、歌になるまで一般的な光景ではない。 実に不思議な歌詞だと思いませんか? ”と。
 
 この永年の疑問を解く手掛かりは「とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ」のフレーズにあった。 無限に、定着することのない反復される運動行為。
 これが蝶々の“生と性の実態”だと気づいてしまえば答えは簡単です(...そうでもなかったけど・笑)、とあなたは微笑む。蜜を求めること。そして生殖産卵。

 さてこれから、いかにもあなたらしい推理的記述が展開していく。そして話題は予想もつかないとんでもない方向に飛翔していったのだった。

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2007年11月 5日 (月)

『愛の讃歌』を、もう一度

  もうそろそろ、ぼくの「ピアフ/愛の讃歌」ブログ記事に何がしかの反応があってもいい頃だと思っていたら、無視されるように(^^;)、はや一ヶ月が経ってしまった。2
 だめですかねぇ? ああいう文章は。面白くないかなぁ?  
  映画や曲のことに限らず、ピアフの恋人の余談(ボクシングの話)、アンヌ・ヴァゼムスキーの小説のことなんて、ほかの誰も触れていないんだけどなぁ・・・がっくりきちゃうよね。8
 皆さんの中で、誰かこの記事にそそられて、映画をご覧になられた方、いらっしゃいませんか?  エディット・ピアフの歌う『愛の讃歌』、クミコや越路吹雪のでもいいから、この曲を最近聴き直したなんて奇特な方おりませんか? 
 誰もいない・・・・・・この無反応は、一体なんだろう??

 ぼくには布教・伝道の義務があるのだ。そう、ピアフへの愛の伝道師なのだよ。
 一人でも多くの方に、「あなた」のあの熱い気持ち・思い入れを理解してもらえるよう、ピアフその人と歌の素晴らしさを伝えることを約束した男だ。
 嫌われたって平気だ。くどいと言われようが、もう一度、『愛の讃歌』の話を書くことにする。この沈黙・無反応の世界に少しでも波風を立てるためにね^^。12

 今さらながらですが、映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』の予告編をご覧いただきたい。
 記事にただ写真をのっけただけではダメなんだね、たぶん。当世風には動画情報を加えておかねばならないんだね。はい、どうぞ。・・・この女優マリオン・コティヤールの姿を垣間見るだけで・・・涙が溢れてくる(こう書いてしまうのが、“嫌味(イヤミ)”に感じられるんだろうな^^)。
http://www.youtube.com/watch?v=V5OXONk9qS8

 どやどや?  でも、感じませんか、感動の予兆。すぐにでも本編が観たくなりませんか?

4   そしてピアフの歌声。絶唱『愛の讃歌』。晩年のお姿ではある。しかしこの熱さはどうだ! 
http://jp.youtube.com/watch?v=hwz8VvOgTHU

7  ついでに、絶頂期のコーちゃんの『愛の讃歌』。さすがです。圧倒的です。これにはクミコも負ける。泣けてきますよね。うまい。絶品です。
http://www.youtube.com/watch?v=cbxGHJn4JH4

さらにオマケで山口百恵の『愛の讃歌』。これはお宝映像ですね^^。
 http://www.youtube.com/watch?v=lAXeKX-1spE

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2007年10月25日 (木)

友達の詩、だけでいい・・・

Photo_13  松竹梅、上中下でいうと、今回の話題のレベル、これは竹といっても...うーん若い...「青竹」の「中」くらいかなぁ、またしてもNHK《SONGS》。
 人知れずプロヴァンス/仏文学系の重たい課題を抱えこんでしまったので、いま余計なおしゃべりをしている時間がない。軽く流します。

 突然の課題解決のために、図書館・古本屋を廻って参考文献を漁りまくっている。
 こういうとき「B...OFF」の100円均一棚は結構重宝する。人とあまりに興味がずれているので、ぼくには“お宝”に思える本が可哀相にも棚に溢れていたりするのだ。古本屋もそう。一昨日は勤務先がある●●駅前の古本屋の店頭ワゴンに、“お宝”が一冊埋もれていた(ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』もここで100円で買った)。Photo_14
 この十年くらい、ずっと探し続けていた(ホントにそうか?)小林康夫さんの『青の美術史』(ポーラ文化研究所)の真ッサラなやつ。折り目も指脂のあともない(^^)。これがなんと100円なり!!小林先輩、すみませんねぇ。定価(\1600)で買わずに。
 〔ネットの紹介文をコピペ; 人類は「青」という色に何を感じ、思い、また表現してきたのだろうか。聖なる色であり、天空・宇宙をあらわす「青」。オリエントの青から、聖母マリア、ジョット、セザンヌ、ピカソ、IKB、そしてアナザー・ワールドまで、画家が描き、表現した「青」の世界の旅を試みる。それは、存在からの自由と超越の「青」を発見する旅。
 小林さんとは、シラケンの《お別れ会》のときに、黒装束に身を包んで記念会館の正堂で一緒に恭しくオード(頌歌)を捧げた想い出がある。あのときは男女4人混声で、ぼくらヒゲの男二人は、さながらドミンゴとパバロッティみたいな顔してバリトンとテノールの声を張り上げて“我等がシラケン”を讃えたのだった。豊崎さんの13回忌のときもご一緒させていただいた。デリダと一緒に写った故人の写真を眺めて、赤ワインを飲みながらお話しした。“弟子みたいに思われているけど、豊崎先生に実際に習ったことはないんですよ。怖くて近づけない人だったなぁ。笑った顔など見たことない(笑)。あの人は正真正銘の「天才」でしたねぇ”と、わが国を代表する“天才的知の巨人”小林康夫さんはしみじみと語っていた。

 それにしても、これは凄い本だ。こちらも息子に「青(JOE)」という名前を付けている手前、ともかく「青」の色には並々ならぬ関心がある。『青の美術史』、なんという美しいタイトルだろう。深い深い紺碧のウルトラ・マリンブルーな瑠璃色に染め上げられた美しい文章に圧倒される。

 じょう→ちゅう→げ(笑)。
 中は、「あたる」とか「あたり」と読む。中(あたり)孝介という奄美大島出身のユニークな歌手もいるが、きょうの主役は、中村中(あたる)。

 スカを引かされたような気持ちで観終えたNHK《SONGS》「特集・中村中」。Photo Photo_9

 玉置浩二のときといい、この中村中といい、心待ちにしていた肝心の人物のときに、全くもって納得がいかない内容なのはどうしたわけだ(高橋真梨子の二回だって決して満足などしていない。マトモだったのは、竹内まりや、佐野元春、矢沢永吉、あみんのときだけだったのでないか? チューリップも、まぁ、よかったか。ウッと涙がこみ上げてくる瞬間があったからね。
Photo_5  「沢の鶴・生貯蔵酒」270ml〈たっぷりcup〉という不思議な分量の一瓶(200円もしない)を片手にして、『友達の詩』から気持ちよく聴き出したはずだったのに、すぐにヤケ酒に変わってしまったのは残念至極だった。
 ひどい出来だった・・・「特集・中村中」(苦笑)。

 中村中については、一年前の初代発見者の基層に位置づけられる超熱烈ファンの李氏が多分これを読んでいるはずだから、天然水100%仕込みのストレートな批判は書けない。ライヴを一度も聴いたことがないという後ろめたさもPhoto_6ぼくにはある。けれどぼくにしたって、愛しているんだよ、中村中。一発目の出逢いの衝撃力があまりに大きくて、一瞬で中村中に惚れ込んでしまったのがこのぼくだ。もう一年も前から携帯の着歌には、まりや様でも真梨子姫でもなくずっと『友達の詩』を使いつづけて、満員電車でもサビの部分の彼女の声を大きく車内に響き渡らせているというのに(李氏はそこまでやってはいないはずだ)、ちょこっとくらい苦言を呈してもバチはアタルまい。アタルかなぁ?

 

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2007年10月18日 (木)

真梨子Part2を観て

12  先週「真梨子Part1を観て」を書いているのだから、今日「2」を書かないで済ませるわけにはいかないだろう(笑)。
  NHK《SONGS》「高橋真利子Part2」。

 昨夜、勤務中(夜勤)にもかかわらず、ええいっ呑まずにシラフで観ていられるか!と、不謹慎を百も承知・勤務ルールを無視して、夕方密かに買い込んできた韓国焼酎の瓶をラッパ飲みしながら、テレビ画面の前で釘づけになっていた。彼女をボルドーワインに喩えておきながら(それが相当に不自然であることを自覚しつつも)、どうしても高橋真梨子から韓国のイメージが拭えないのは何故だろう。

 Part2は予想通りの展開だった。“人の想い”をめぐっての歌と人生。11 とりわけ阿久悠と自分の旦那のこと。
 でも、どうもいつもの《SONGS》と勝手が違うと思っていませんでしたか? 先週のPart1を観始めたときから、ぼくは彼女の旦那ヘンリー広瀬の存在が(少しうるさく)気になって仕方がなかった。あまりに画面にチラチラしすぎる。そう意図的に撮影している。
  禁断の右からのショットが多すぎる。もちろんそこには必ず彼が映っていた。
 これは何かあると思っていたら、案の定、Part2の半分は彼の番組と化していたのだった。つまり「第二部; 高橋真梨子&ヘンリー広瀬」というタイトルがふさわしい番組に演出構成されていたわけだ〔背後には・・・“愛”があったんだ、ね。玉置浩二的にいえば「愛だったんだよ」^^〕。

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2007年10月11日 (木)

真梨子Part1を観て

 カッコつけるのはよそう。
 これは文学作品なんかじゃない。気取る必要なんてサラサラないんだから。
 このブログ、ぼくにしてみりゃ、赤裸々な心情を吐露する日記じゃないか。いま、ぼくが一番書きたいことだけを書くことにする。画像をふんだんに用いながらね(これがいいんだよ。文章ばっかりじゃウンザリするし、画像があって初めて“見えて来る”世界がある)。
 
1111  そうなると、当然、高橋真梨子のことだ。昨夜放映されたNHK《SONGS》。高橋真梨子Part1。
 これをずっと春から待っていたんだからね。
 あなたに、あなたにだけは観せたかった。一緒に観たかった・・・・・・。

 あなたが大好きだった高梁真梨子。
 いつも歌っていた、高橋真梨子。

 このブログでも、そんなことをやたら書きまくっていたら、最近のぼくは熱烈な真梨子教信者になってしまったみたいだ。はじめはそうでもなかったんだよ、実はね。そこそこ位のファンでしかなかった。でも、あなたに影響されて、ぼくなりに彼女の曲を集め始めて(CDなら15枚ある)一生懸命聴いたり、独自にCDを編集したりしていたら、彼女(の歌の魔力)にぞっこん魅せられ・とり憑かれ・すっかり虜になってしまった。

55  今回、番組の冒頭で、彼女を(初めて真面目に)聴こうと真剣に画面を見つめていた人は、彼女の生声がなんとも若いので驚いたと思う。可愛い!!と言いたいほどの、チャーミングにして華やかな声だ。
 これが高橋真梨子の声の魅力だ。
 エヴァーグリーンにも新鮮な艶と輝きがある。

 彼女の日々の涙ぐましい鍛錬と摂生の成果がすべてあの声に顕われているのだ。
 彼女は、声の状態(特に高音部の発声・伸び)を維持するために、酒も煙草もやめて久しい。そう聞いている。少々の酒はともかく、もう決して、煙草はすわないだろう。長く長く歌い続けること、これが彼女の歌手人生の目的になっているのだ。88_2 99

 毎年どしの全国縦断コンサート活動。コンサートを重ねるたびに、リピート客ではなく、新たなファンがどんどん生まれている(らしい)。今ごろ? なんで?  遅いわよとも彼女は言った(笑)。 理由は定かでないにせよ、いまファンが増えるということは長く歌い続けてきたことの賜物なのだと彼女はしみじみと感謝の気持ちを述べる。やめないでずっと30年も歌い続けてきたから。だからこれからもずっと歌い続けること。そのためには、しっかり声が出るように、身体を管理すること。酒・煙草は厳禁、これが高橋真梨子のまっとうなロジックなのだ。なんと潔いことか。当たり前のことが全く出来ない芸能人にあって、彼女は、歌手の鑑だ。
 ほかの50代女性歌手なんて、ほとんどみんな、酒と煙草でやられたガラガラ声・ハスキーヴォイスだぜ。逆にそれを得意になって、いかにもスターはかくあるべしとしているムキもある。なんてこったい。
 おい、クミコ!!やばいぜ、あんたの地声は(笑)。

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2007年10月 4日 (木)

真梨子への伝言

 前回の記事を読み返せば、おおっ! のっけから、“高橋真梨子”、なんとも神聖なる五文字をこの指先で軽はずみにも叩き出してしまうとは・・・。
 なんという不遜さ、神聖なる存在へのかくも不敬なる冒涜行為!!
  これもまた酔いどれ親爺の不躾なる指の悪戯。しかも“真梨子”だなんて呼び捨てで。
 たとえそれが“あなた”を想ってのことだとしても、実に、無粋で、はしたない。Mrriko6

 最後に書いた彼女が唄う番組の「広告宣伝記事」が気になって、NHK《SONGS》の専用サイトを覗いてみた。曲目、番組の内容予告を確認するために。

 そこには右の写真があった。
 これはいい。美人に撮れてる。彼女の中でも大好きな一枚。

 彼女の場合、マライア・キャリーとは逆で、左からの丁度このアングルからの肖像写真が圧倒的に多い。ん? マライアの場合? PVの動画映像でも右を向きっぱなしなのには笑っちゃいます。その徹底ぶりには呆れるほど感心した(もう10年以上前の、フォトジェニック性が問題だった時代の話。デブのマライアに、もうアングルなんて“そんなの関係ない!”笑)。 1_4

   囲み記事の文中に出てくる「西田敏行」は虫唾が走るほど大嫌いな男。ここのところには相当ひっかかる。観る気が損なわれる。星野は仕方あるまい。真梨子さんは野球が大好きなのだから。

2_2
 ついでに、前回貼り付けていない私家版ディスク本体の写真(真梨子Ⅱ)を紹介すればこんなもので。
“よかもんはよか”の理屈、誰の目にもトップに置きたくなるほどのいい出来、ということが証明されているわけだ。
 そして曲のほうも、『for you・・・』『ごめんね・・・』の、二大“・・・(余韻)”の名曲が必ずやトップにくる掟通りなのには変わりない。

 呼び捨てで、ごめんね・・・高橋真梨子。
 for you・・・Mariko TAKAHASHI、再び、“あなた”に・・・。あなたへの想いを綴る。

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2007年10月 1日 (月)

ダイアナと真梨子

 あなたから最後に頼まれていた仕事をようやく済ますことができた。
 時間がかかりすぎて、ほんとうに御免なさい。

 まずは杉並と熊本、そして大阪と白鳥町(郡上八幡~今月末に初めて弔問に訪れる予定)と福岡への私家版CDの発送。
 新しく民営化された郵便局の窓口に─とはいえ《JP》マークの表示/看板以外何も変わっていなかったけれど─ようやく持って行けた。とても綺麗な記念切手があったので、各々の封筒にべたべた何枚も貼り付けて出した。

 これはメールを兼ねている。心当たりのある読者は自分に書いていると思って読んで欲しい。

 あなたがこよなく愛していたボーカリスト。
 一人はダイアナ・クラール。もう一人は高橋真梨子。
 この二人のThe Very Best版のCD。

 話は高橋真梨子のほうからしてみようか。 
12_5 1_7

      
 

 

  

 

   

 

  あなたに以前差し上げたベスト盤はこれだった。あなたはクラブではいつも高橋真梨子の曲をピアノで弾き語っていた。あなたが一番好きそうな曲ばかりを選んだつもりだった。もちろんあなたが真梨子の全部のCDを持っていることは知っていた。でも、ベスト曲を一枚にまとめたものは無かったはずだ。PCにつないだヘッドフォーンからでなく、スピーカーを充分に鳴らして聴くのが好きだったあなた。仕事から戻った深夜あるいは明け方に、ピアノの脇に置いてあるイタリア製の深紅のソファに濡れた髪のまま寝そべるように座って、シャンパングラスを傾けながら、ぼくの作ったこのベスト盤を聴き入ってくれたはずだ。いや、それはあくまで以前のあなたの姿であって、この夏の大半は力なくベッドにふせっていたに違いない。お酒などご法度だったのだろう。さぞかし口惜しかったはずだ。

 曲目の内容に満足してもらえたかと思っていたある日、mixiの日記にこう書き込まれてしまった。“私の大好きな一曲が入っていない”と。
 これはしまった。ぼくとしたことが......。そこですぐに「Ⅱ」の制作を心に決めた、が、もう時間はほとんど無い。あなたの容態は日に日に、一気にとも言っていいほどの勢いで、悪化の一途を辿っていたのだった。

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2007年9月30日 (日)

ピアフ  Moi pour Toi

 あなたが遺していった数々の想い出・・・・・・。

 それは、しかし、あくまで“共有した時間(とき)の記憶”であって事物(もの)ではない。
 ぼくの手元には、ほかの知人・友人、あるいは生前に親友と呼んでいた男であっても、“形見”という事物は......たった一本の万年筆を除いて、何もない。

 この態度を貫いていて果たして良いのかどうかは判らない。
 あなたの“形見”は、この手のひらの感触がかろうじて憶えている、あなたの頬のぬくもり、それでしかない・・・・・・。

 ・・・・・・あなたが霞町を離れるときに─それは正規の引越しのための荷造りだったのだが─二人で箱詰めしていた机周りの小物たちは今は海を渡ってしまって、もう二度と手にすることはできない。あなたは、コレあげる!とは決して言わなかったし、ぼくも自分からコレくれる?と、いかにも“形見”を欲しがるようには言えなかった。言えるわけがないじゃないか。
 それでも欲しいものは沢山あった。欲しいものだらけだった。全部のダンボールをぼくの部屋に運び込みたいくらいだった。
 中でも目についたのは、シャンソン関係のCDや書籍、パンフレットの類だった。2 1 Cd1

 

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