ターナーはターナーにあらず。ン?
ぼくのこのブログでは、しょっちゅう美術のことが話題に上る。
大好きなテレビ番組にテレビ東京『美の巨人たち』があるからだ。毎週土曜日、夜10時から。これを観るとすぐに猛烈に美術の話をしたくなる。ほとんどビョーキ。
テレビ東京で放映のこの類いの美術番組には長い歴史がある。
一番有名なのが『美の美』。内容的にはこれが頂点を極めているだろう。本当に毎週楽しみで(でも毎週やっていたか?)、食い入るように興奮して観ていた。
案内役は映画監督・吉田喜重で、例のごとくのボソボソ口調で作品を語っていく。これがいいんだなぁ。味があって。才能ある裏方たちのサポートがあったにしても、彼独自な映画目線での作品描写、カメラの動き、訥々とした語り(内的モノローグ)は、まるで吉田映画の世界で。彼の作品としても傑作のくくりで評価したい。
その前のも良かった。何てタイトルだったかな? 芸能人のリポーターがやはり「芸術家」・「作品」を訪ねて、その舞台となった「土地」を旅する内容だった。ライトな美術番組ね。世界名画の旅、って感じの。
偶然というかまぁ当然なのだが、番組はすべて「日経映像」が下請制作している。以前の仕事の関係で、その制作スタッフの中心人物と知り合いだったことを思い出す。美大教授、美術館学芸員のように博識で、番組コンテンツを企画するわけだから感性も鋭い。ユニークでもある。人間だもの、好みには癖がある。嫌いな画家は一度たりとも出てこない。好きなのは何度も別の切り口から企画にのぼる^^;
ぼくらは会えば、肝心の仕事の打ち合わせ以上に、制作「秘話」「裏話」で盛り上がっていた。
映画も文学も音楽もそうだが、美術の話は本当に楽しい。精神が昂揚してくる。
そこで今日のテーマ。“美は・・・歓喜の極みのうちに見出されるものなのか?”
しかしすでにして予告しておけば、答えは次回持ち越しとなる。時間がないんだ(笑)。
ゴメンナサイ。
週末放映された『美の巨人たち』はターナー特集だった。
二年前の五月末にも、ターナーは特集されている。
そのときの「mixi」記事がある。お詫びついでに(?)、自分の文章なのでいきなり引用して“お茶濁し”してみたい。二度目のゴメンナサイ。ほんとに時間がなくて。結構、身体疲労がしんどくて。でも書かないわけにもいかない追い込まれた情況なので(苦笑)。
以下、一時間以内で仕上げます!
今夜の『美の巨人たち』は、ぼくの大・大・大好きターナーの特集だった。
ぼくのハンドルネームは、ひとつに、彼のこの名前に由来する。
Joseph Mallord William Turner(1775-1851)。英国美術史で最も偉大な画家。ぼくが死ぬほど好きな画家だ。
彼は、もちろん、フランスの印象派の画家たちの“父”(いいかい、しっかりとこの点をおさえておくように!)としても知られており、ある書簡ではドガ、モネ、ルノアール、ピサロが連名で署名して彼の業績を絶賛しているほどだ。
彼の後期作品群が無かったら印象派は生まれていなかった。
その決定的な作品が『ノラム城 日の出』(1845頃?)だ。
26歳のときだった。ぼくはマユさんと一緒にテート・ギャラリーを訪れてこの絵を観ている。
ターナーとブレイクと『オフィーリア』で有名なジョン・エヴァレット・ミレイの絵が見たくてテートに出掛けたわけで。テート詣(もうで)は永遠の憧れ・聖地巡礼だった。
と、一度話を振っておけば専門家のマユさんなら、さらに詳しく日記に書いてくれることだろう。
今日のブログの後半は「あなた」のmixi日記を長文引用させていただいて、「お茶を濁す」(笑)。でもそれでいいよね、マーちゃん?
このターナー、人生の途中までは英国一の、誉れ高き写実主義・ドラマチックな迫力のある歴史絵画の世界でアカデミーの頂点に君臨していた風景画家だったが、どの時期だろうか、ヴェネチアへのスケッチ旅行あたりか? 絵の様子が大きく変わっていった。
輪郭線はほとんど消失し、タブロー全体がぼやけた大気に包まれたようになり、光と風と立ち上る蒸気と煙とが・・・渾然一体となった摩訶不思議な曖昧模糊とした幻想的な色彩世界でキャンバスが塗りこめられるようになっていく。
ターナー自身が意図的に、色彩の曖昧さを強調するために絵の具にビールを混入したと語る学者もいる。筆先でなく指を使ってボカしたり、筆の柄の部分をキャンバスに擦りつけるようにして絵の具をのせてみたりもしている。
この画壇の超売れっ子画家は、そのとき以来、批評家たちも含めて一般の人々から“気がふれた”“愚行”“理解不可能”と散々に酷評され、無視され、時の話題から遠く外れ、本当に行方不明となってしまう。
アガサ・クリスティーにも「失踪事件」がある。実にミステリアスな事件だった。その真実を解明すべく(?)映画もつくられている。一体、この空白の日々、彼女に何が起こっていたのか? そこには“ある愛”が絡んでいるのではないか? ぼくが想うに、誰だって、だいたいこうなる^^; しかしターナーは違っていたね。
ターナー失踪事件。
しばらくして、ロンドン・南西部の街チェルシーのテムズ河畔に一人の退役軍人と称する老人が住みつく。近所付きあいもなく、階上のテラスで朝な夕なテムズ河の風景を描いて日々を過ごしていたそうな。
彼の死後、その部屋に残されていたのが『ノラム城 日の出』だった。
今夜の番組はよく作られていた。根っからのターナー・ファンのこのぼくも驚く新情報が盛り込まれていた。 (・・・省略・・・)
六本木の新国立美術館では『大回顧展 モネ』が開催中。
印象派の輝かしい始まりの一枚とされるモネの『印象・日の出』を思い出してほしい。
いかにターナーの世界に影響されてあれが描かれたか、いかに強烈な“印象”をモネに与えたか、あるいはその類縁性・近親性の絆。そうしたことがよく理解できる。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーはそれほど偉大な画家なのであります。
※1. 『ノラム城 日の出』は、よほどこの構図が気に入っているのか、ターナーは何枚かの同一の絵を残している。はじめのうちは中央に見える廃墟ノラム城をリアルに描いているし、河畔の風景も牛もリアルだ。しかし次第に輪郭が溶けていくように、光と靄の世界と化していく。多分、普通じゃ、訳わかんネーッって絵だろうな。
2. 映画『アガサ 愛の失踪事件』(マイケル・アプテッド監督・79年/ヴァネッサ・レッドグレイヴが主演。共演はダスティン・ホフマン。撮影のヴットリオ・ストラーロの芸術的映像が素晴らしい! 作品全体としては68点だが^^)
























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