《サティ異聞》 かつて春の日に堕天使、降りて
自戒の念を、たくさん・たくさん、こめて・・・・・・
思えば十歳のころから人をおちょくってばかりいるような生き方をしていたぼくだが、もっとも生意気盛りだった大学生の頃の、ちょうど「哲学科」から「仏文科」に転科して豊崎(光一)組の一員に晴れて加わった年の春、渋谷の前衛小劇場ジャンジャンでは『異端の作曲家エリック・サティ連続演奏会』が始まった。
渋谷パルコの下、公園通り沿いの山手教会地下にあったこの有名な小劇場は、二百人も入れば満員札止のとっても狭いホールで、内部の壁全体が真っ黒に塗られている見るからに異様な藝術空間だった。
秋山邦晴プロデュース、ビアニストはその妻の高橋アキ。朗読には岸田今日子が参加し、編曲は武満徹、パントマイムはヨネヤマ・ママコ、連弾の相手は、アキの兄・悠治が務めた。
いま考えてみればなんと層々たる顔ぶれだったことか。もっとも
二人が夫婦の関係だったなんて知らなかったけど^^;。そんなのカンケーない。
そのとき直接には聴けなかったサティの曲に、52拍からなる1分程度の旋律を840回もただひたすら繰り返す『ヴェクサシオン』(「嫌がらせ」という意味)というのがある。これのピアノ演奏にあたっては、黛敏郎、三宅榛名、近藤譲といった名の知れた面々のほかに、当時芸大の大学院生だった坂本龍一も参加していたらしい。プロの演奏家、音大生ら総勢40名を集めての一大パフォーマンス。終えるまでに約13時間を要したという。
このサティの連続演奏会は隔月の企画公演だった。
ジャンジャンは毎回超満員で、雨降りの日だってぼくらは二時間近くも前から、列の真ん中や、先頭だったら階段の途中に立って、ずっと待っていた。
♪若かった、あの頃~っ、なにも怖くなかった~っ♪
ここで、高橋アキの弾く「ジムノぺディ」を聴いてみよう。
ぼくはこの人の弾くサティが一番好きだ。
●http://www.youtube.com/watch?v=Il-jjpFpniA
ぼくらは長蛇の列なんて慣れっこだった。京橋フィルムセンターでも、ATG映画フェスでも、二時間待ちは当たり前だったから。ぼくらはそうやって、映画や芝居やロックコンサート、キース・ジャレット日本ソロ公演、土方巽・大駱駝艦・山海塾・ギリヤーク尼ヶ崎らの前衛(=暗黒)舞踏を観たりして、青春の日々を過ごしていたのだった。『ノルウェイの森』のワタナベ君の生活とはチト違う。
このイヴェントと同じ頃、日本初の小津安二郎全作品回顧上映会のときなどは、午後1時の開始なのに始発電車で出掛けて行った記憶がある。いまでこそDVDでいつでも観られる小津作品ではあれ、ホームビデオなど考えられなかった時代では、一発勝負 この機会を逃すと多分一生観られない!という悲愴な覚悟と決意がぼくらにはあった。何事でも観るという行為は必死だった。
煙草ふた箱を目安として列に並び、鎖状喫煙を続け、文学・芸術談義を喧嘩腰でとり交わしていた“若すぎた”ぼくら。。。
どこかちょっと誰かに似てないだろうか?
ぼくは直観していた。自分とサティの性格がとっても似ていると。
仲間のニ・三人は、確かに、映画『ノルウェイの森』の松山ケンイチのようなファッションだった。ぼくはと言えば、肩までの長髪に黒眼鏡に顎~頬髯にデニムのシャツ&ジーンズ姿で(Oh!モーレツ!!)、当時かなりの人気教授で賢治文学の専門家でもある明学・仏文科の先生、詩人の天澤退二郎(愛称;アマタイ)を気取っていたフシがある(笑)。
大学~大学院と、ぼくは授業中でもずっと、黒眼鏡で通していた^^。〔極度の視覚障害者だと自らふれこんで。それは嘘^^。クラスの女の子たちはぼくがサルトルのようなひどい斜視なんだ、それを恥ずかしがっているんだワと小声で噂していた。でもそうじゃない。単にアマタイないし澁澤龍彦を気取っていただけのこと。若気の至り。恥ずかしいネ^^;〕
われらが“豊崎を気取る”にはあまりに彼氏がハンサムすぎた。豊崎光一、このフランス帰りの新進気鋭の仏文学者は、パリジェンヌ達からも絶賛されたほどの美貌の持ち主だった。若い頃の写真? 60年代末の詩誌『ユリイカ』の「現代フランス詩」鼎談記事に確か2カット載っていたなぁ(笑)。怖いくらい美しい男だった!高校生のぼくは、この写真に真っ先に惚れてしまったわけだからね。
だから、この前のコメントで、誰かが(エリカちゃんだ!)パリの「ゴスロリ(ゴシック&ロリータ)」人気について触れていたけど、ぼく自身なんだか意味不明ながら(って、ホントはちゃんと知っている)、「ゴスロリ」の美しさに共鳴するところが、十二分に気質としてある・・・と正直そう感じている。
「ゴスロリ」の分類には「澁澤乙女」系というのがある。このタイプの人間は、作家として《澁澤龍彦、三島由紀夫、谷崎潤一郎、寺山修司、江戸川乱歩、荒俣宏》あたりが大好きだという。ふ~ん。なるほど。
あるいは、「澁澤乙女」系は球体関節人形嗜好~というから、ハンス・ベルメールや四谷シモンの創る人形だろう・・・・・・ふ~ん。なるほどね。
それに、クラシック音楽、古典美術、お針子見習い等だとか^^。ふ~ん。ふ~ん。
そう言えば、ぼくは男だてら(?)に少年のときから裁縫が得意中の得意だった。刺繍なんかプロ級だよ(笑)。夏休みの自主制作でそれを提出しては“ダメよ、お母さんの作品持ってきちゃ!”と担任の先生に叱られていた。まいったなぁ。
してみればぼくの宝塚嗜好も「ゴスロリ」の兆候・表徴か!?
「ゴスロリ」の世界には「お茶会」という特別な儀式がある。宝塚にも当然ソレがある。そうか、そうだったのか、池上彰!ホントまいったタヌキ。。。
ところで、
教育評論家に、表向きとっても怖い感じの顔つきをした尾木直樹って男がいて、彼は200冊くらいの夥しい教育論の本を書いているし、テレビでもコメンテーターとしてよく顔を出している偉い先生なのだが、な~んか変な男だなぁ・・・と思っていたら、いつの間にか「尾木ママ」と呼ばれちゃってる。最近ではすっかりオネエ言葉でファッションも美川憲一的に、なってもうた^^。還暦もとっくに過ぎて、もう隠していても仕方ないというわけか。
この頃、テレビ芸能界が変でしょ? この類いの“女男”ばかり。なんとかってクソ坊主までがオネエ言葉でテレビで喋っているし。嗚呼、20011年、デカダン的末法の世であります。
オネエ芸能人たちも綺麗なら許せるんだけど、揃いも揃ってみんな顔が汚いでしょ?これが嫌なのだよ。
お猿さんみたいな顔してシナつくって・・・オネエ言葉で喋くりまくっている・・・気色悪いったらありゃしない。しかもみんな顔つきが似ている。アレ系ってすぐ分る共通の造作をしているんだね。あ、こいつも多分・・・だなって。みんなお猿顔だ。
学生の頃から新宿二丁目文化には理解と包容力を持って接してきた。が、近頃は汚い奴らが汚いままの平気な顔/姿でのさばっているので、すっかり距離が出来てしまった。
ぼくは昔からゲイもオカマもオコゲも認めていた。本当に美しいのは女じゃなくて男だってことも知っている男だ。そのぼくが、最近とことん嫌になっちゃっている。
二丁目に飲みに行く気もすっかり失せた。ある意味、いまでは痛烈に批判的な立場でもある。
ここで、最高の美人!「青江のママ」の写真でも見せてやろうと思ってググってみたら、この自分のブログの画像が引っかかってきた。
今回の冒頭の“思えば十歳のころから”、ぼくはこの「青江のママ」が大好きだったことはターナーファンなら周知の事実だ。ぼくは一切隠し立てはしていない。佐久間良子や岡田茉莉子以上に魅力的な女性だと思っていたことはご存知のはずだ。写真はここで確認してほしい。長大なブログのなかほどに「青江のママ」が出てくる。
●http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-a565.html
ついでにこのブログ記事の中に出てくる、ま、メイン・ディッシュたる小海智子さんを偲んで「さくらんぼの実る頃」秘話をターナーの語りで聴き(=読み)直していただきたい。
季節はちょうどいまごろの、サティも生きていたパリの街での哀しい出来事だった・・・のだから。合掌。
●http://www.youtube.com/watch?v=RwGrz6to1Rk
●http://www.youtube.com/watch?v=OYpeAnSxI5s&feature=related
そんなわけで・・・・・・と言っても、すこしも文脈がつながらないが^^、
サティの画期的な連続イヴェントからほんの数年後、70年代のギリギリ後半になって・・・・・・
わが国でもこうしたサティ・ルネッサンスの下地づくりの成果が一挙に表層化してくるときがきた。1980年。
ぼくらの時代は、エリック・サティ(の音楽)と共に、80年代に入って大きく変貌してゆく。
そのきっかけは、すでにお判りだろう、一本の映画だった。
ひっそりと東京の片隅で公開されただけのマイナーな作品。しかしそれが、ぼくらの時代の人間たちの常識にかなった音楽的惰眠を激しく揺さぶり、無反省的文化意識をすっかり冷たくも覚醒させたのである。
ルイ・マルの『鬼火 le Feu Follet』(パリ公開は63年)。
この映画が78年に本邦初公開となったのである。待望久しいことだった。「椿事」・・・という日本語を、三島が生きていたら使うことになったろう。
“わたしは夕な夕な 窓に立ち椿事を待った、
凶変のどう悪な砂塵が夜の虹のように町並の
むこうからおしよせてくるのを。” ─ 三島由紀夫『凶ごと』より ─
知る人は熱狂的に愛してやまない、知らない人は冷たい氷河の中のマンモスのように何も感じていない、そんな90年近くも前のエリック・サティの音楽が、銀座にも浅草にも新宿二丁目にも、平気な顔して流れる時代が遂に到来したのだった。
この映画をきっかけにして、サティの音楽はあらゆるメディアを通して日本国内でも劇的に大衆化してゆく。
まるで洪水のように・・・。津波のように・・・怖ろしい勢いで人の心を飲み込んでいったのだった。
特に時の若者たち=ぼくら世代の人間は、サティ音楽に完全に魅了された。完全無欠のロッケンロールとは、ビートルズでもストーンズでもレッドツェッペリンでもなくて、実はサティの音楽のことだったのだ!
嗚呼、団塊世代の兄貴よ姉さんたちよ、あなたがたには関係ないことだ。
エリック・サティはまさに、ぼくらの世代のコンテンポラリー・ミュージックにほかならない。あなたたちの音楽ではない。
具体的な音(=音楽)を例示してみよう。
だって、あなたがたは残念ながらデヴィッド・ボウイもブライアン・イーノも理解できてはいないだろうから。ちゃんと聴いていないだろうからね。
ボウイそしてイーノの音楽、それはぼくらのものだ。彼ら二人は、生粋の英国人であっても、サティの直系の孫たちであることに変わりはない。
まず先に、Youtube動画をブライアン・イーノのほうから3連発。
イーノの作品として最も身近な代表作は、マイクロソフト社のWindowsソフトの起動音だろうか。
体制的なロッケンロールの波に乗っていた風のイーノの音楽は、やがて水際の波のさざめきとなり、葉叢を渡る風の囁きとなり、空港のターミナルに静かに波打つ無機質な響きとなっていった。
もちろんイーノ自身にとって、それはほんの一例にすぎない。ごくごく僅かの。しかし、きわめてサティ的!な音楽をイーノは少しずつ創り出している(現在進行形)。
順番に聴いて欲しい。そのはじめの部分だけでも。
●http://www.youtube.com/watch?v=w2WURHY3D4A
●http://www.youtube.com/watch?v=7E76Oatpjn4&feature=related
●http://www.youtube.com/watch?v=B9kPIp4MtX0&feature=related
そしてボウイにしても、
(何度も書いていることで恐縮しますが^^)
サティ的!な純粋な“ダダイズム”をロックの世界で体現し続け、変容の王子として永らく君臨し、70年代後半にはついにこんなステージに到達する。
それが「ベルリン三部作」と呼ばれる、ブライアン・イーノと組んで作った三枚連続のスマッシュ・ヒットsアルバムだった。
ちなみにこの三枚のアルバムとは、
1.『ロウ Low』77年
2.『英雄夢語り Heroes』77年
3.『ロジャー(間借人) Loger』79年
である。
この時期、ボウイを撮りまくっていた日本人写真家・鋤田正義は知る人ぞ知る伝説的なカメラマンであり、Sukitaのボウイ像が神聖ボウイのイメージ(=イコン)を決定づけたと言って過言でない。
中でも代表作が『ヒーローズ』だ。
氷の炎のような単純な反復。繰り返される情念の波動。しかしボウイの顔/声は深く清く絶えまなく美しい。まさしくサティの目指していた方向にこの曲は向っている。熟している。
もうここにはお猿の叫びのような音楽はない。お猿顔のダーティな雄叫びミュージックなどサヨウナラだ。
ロッケンロールはここまで成長・成熟した、ボウイによって随分と大人になった。
いやそれよりなによりも、美しくなった。
汚い顔で汚いナリして汚い声で歌うのはロックじゃない。美しくなければ音楽じゃない。
どうだ見てくれ、これほどまでに美しい音楽を、きみは他に知ってるかい?
永遠不滅のロックの名曲である。人類が生み出した=到達した(クラシック)音楽の傑作、それがこの『ヒーローズ』なのである。
●http://www.youtube.com/watch?v=YYjBQKIOb-w&feature=fvsr
さて、話を『鬼火』に戻す。
『鬼火』・・・タイトルがいいじゃないか。
この日本語は好きだナァ。
人生に絶望した男の自殺までの最後の48時間を描くこの作品は、前にも書いたように、あまりに話の内容が暗すぎて、単調すぎて、日本人には全く受けないはずだと一般公開が見合わされていたものだった。「お蔵入り」の幻の作品とも言われていた。
そりゃ誰だって、人は幸せな気持ちになるために映画を観るはずだ。自殺を考えるほどまで追い詰められた、暗く落ち込んだ男の物語など誰が好んで見るか、そうだろう?
当然のことながら、『鬼火』を観終えた者のほとんどすべてが、映画館を出れば独り鬱々と、呆然として舗道を歩くことになる。
連れの女性が懸命に話しかけるはずだ、デートだったらね。
どっかでお茶する? いいや。 食事は? いいや。 ちょっと飲もうか? いいや。 どうするの? ウチに帰って寝るよ。 そう、それがいいわよね、私も・・・・・・って具合に。
原作は、正確に長ったらしく表記すれば、ピエール・ウジェーヌ・ドリュー=ラ=ロシェルの小説、邦題は『ゆらめく炎 le Feu Follet』。・・・「鬼火」のほうが感じ出てるよね。
作者自身の最後も、結論だけ書けば、自殺して果てた男だ。
主演はフランス映画界きっての二枚目男優だったモーリス・ロネ。
ロネっていい男だったよねぇ。
トランティニャンの次くらいに好きだった。
昨年日本でリメイク版が撮られた『死刑台のエレベーター』(58年)〔日本版は、『いつか読書する日』の緒方明監督(!)、キャストは吉瀬美智子(!)、阿倍寛、玉山鉄二(!)、北川景子(!!)らデス。〕やアラン・ドロンと共演した『太陽がいっぱい Plein Soleil』(60年)あたりは誰しも観たおぼえがあるだろう。←なんという書き方か! 文節の繋ぎかたがぐっちゃぐちゃで、自分でも意味がワカンネ^^;。
突然ながら、日本版の『死刑台のエレベーター』の予告篇を眺めてみようか。
●http://www.remusicas.org/videos/-;36WdpZi_NTg.html
そもそもルイ・マル監督25歳のときの傑作処女作が『死刑台のエレベーター』だ。
あれはいい。特に音楽のマイルス・デイヴィスの即興演奏が素晴らしい。
マイルスは、ラッシュを見ながらホントに即興で音楽を入れたらしい。アンリ・ドカエのキャメラも冴えている!ジャンヌ・モローは雰囲気たっぷりだし、パリの街自体がやたら冷たく非情で美しい! ルイ・マルがいかに天才か!ってことを思い知らされた作品だった。
これも予告篇を見てみよう。
●http://www.youtube.com/watch?v=3Ntz_5BDNBk
『鬼火』のほうに再び話を戻して(笑)・・・・・・
この映画の主人公アランは、アルコール中毒で入院療養中に「死」にとり憑かれてしまった。
壁の鏡には「7月23日」と書かれた紙片が貼られている。それが彼の人生最期の日だ。自殺決行の予定日。
鏡のそばには、彼を愛さなかった妻の写真がある。マリリン・モンローの自殺記事の切り抜きもある。それらを眺めて、アランは拳銃の弾丸を点検する。時間がない。。。
エリック・サティの音楽がゆっくりと流れる。
翌日、アランはパリに出てゆく。旧友に会うためだ。
サンジェルマン・デ・プレの『カフェ・ド・フロール』で、通りを行き過ぎる人々を眺めている。
サティの音楽・・・・・・。
いいんだなぁ、サティの『ジムノペディ』、『グノシエンヌ』が、要所・要所で、まさにぴったりと、画面(人物映像)の息づかいそのものののごとく、流れ始めてくるのだ。
『カフェ・ド・フロール』のシーン・・・・・・やっぱりYoutubeにありましたね。
少しだけ観てみよう。
いつ観てもドキドキしちゃうし、またうんざりでもある^^。暗い・暗い・CRY。明日死んじゃう男の気持ち、画面からヒシヒシと伝わってくるじゃないか。
Youtubeにはこのほか沢山の『鬼火』動画がある。
つまみ観を続けりゃ、丸ごと一本“観た気”になれるはず。そのくらい数多い。
〔お暇なら観てよね、わたし淋しいの~っ、ってか(笑)〕
● http://www.youtube.com/watch?v=Gyo67kdFr98&feature=related
『カフェ・ド・フロール』情報については、下の過去記事をご参照ください。(前にも一度貼り付けた記憶がありますが^^、ま、いいじゃない。再度の復習です。繰り返しの学習で、情報は知識として、さらに智恵として記憶/脳に定着していくのである)
●http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/tv_9881.html
先日のBS朝日の『癒しのメロディ エリック・サティの世界』、ぼくの「恫喝」とも思える強制的発言によって渋々とお義理で観られた方も多いかと思う。仲間外れにされないようにとね。
でも、感想を一言で述べれば、よく出来た番組だった。
ぼくの思惑通りの筋書きで話が進んだ。サティの生涯の二極点・創造の磁場たる《オンフルール》と《パリ》がまず示され、《パリ》はさらに、「モンマルトルの方」、「モンパルナスの方」、そして「アルクイユの方」に時代を追って切り分けられた・・・・・・っていうのはぼくのぼくのアプローチ手法か^^、違う違うわナ(笑)。
サティは女性(の想い出/記憶の痕跡)から逃れるようにして街を離れた。
最初は、オンフルール・オート通りを。亡き実母の想い出。→パリへ。
次には、パリ・●●●通りを。継母の想い出。→コルトー通り(モンマルトル)へ。
さらには、パリ・コルトー通りを。シュザンヌ・ヴァラドンの想い出。→アルクイユへ。
サティ生成変化の触媒は、つねに「女性」にあった。「女性」=「母/グレイト・マザー」の。この問題をどう解析してゆけばよいのか?
さらに・・・・・・
番組ではパリの中でのサティの感性/反体制/音楽性と「パリ万国博覧会」を契機として一大ブームとなった“日本なるもの”との奇妙な符合性/類縁性が分析されていた。
これは面白いやりかたである。
が、サティの場合は、東方の意味はイコール日本ではないだろう。
同時代の画家たち=印象派の画家たちの日本嗜好とサティの音楽を一緒くたにするのは間違いではなかろうか、という疑問。
「東方的」とは、東洋的あるいは日本的な「地理/方位」を指すものではない。
「異教的」世界観が色濃く感じられるのだ。
サティの東方志向=ビザンチン、オリエンタリズムは、ルーマニア的東欧世界観の影響が大きい、とぼくは個人的に考えている。
それは一体何を意味するのだろうか? オンフルールを「母なる/聖なる場所」とするボードレールの場合と比較考察してみると面白いように思われる。ボードレールの藝術世界にも「東方」への憧れが強くあった。そこはどこだったのか? 東洋=アジアか支那か日本か? そうではあるまい。。。
もう一つは「ダダイズム」の問題。
サティ藝術/音楽の前衛・先見性とは、本質的には“ダダ”的なものであって“シュール”的(アンドレ・ブルトンらのいうシュールレアリスム)ではない。
20世紀初頭に激しく起爆したダダイズム運動を、徹底的にサティという光から明るみに出す必要があるだろう。
そのとき、一人の詩人の名前が浮上してくる。トリスタン・ツァラ。巴里のルーマニア人。
もう一人、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ。巴里のルーマニア人。
共に東方から光をかかえて巴里に現れた/辿り着いた男たちである。
さらにもう一つ、愛の問題。
エリック・サティにとって、ドビュッシーとの厚い/熱い友情をはじめとして、20世紀という時代を創っていた芸術家たちとの喧嘩っぱやい交友関係は、実は「友情」でなく「男への愛」のサティ的!変奏曲だったような気がしているのだ。これをもう一度丹念に年譜から辿り直し、“サティと彼に影響を及ぼした男たち”というマトリクスで整理し直す必要があるだろう。
番組を観終えて、ぼくなりの解釈では課題が三つ残されたように思われる。
課題というか、イコールぼくなりの「結論」の検証作業だ。
1. サティの「間」の音楽とは、現在のユーロ統合思想につながる、西のマリアと東のソフィアとの結びつき、二つの愛の「間」に響き渡る一種の教会音楽ではないかということ。
2. サティにとって真に重要な藝術活動とは、「ダダイズム」の創出とプロデュースだったのではないかということ。
3. サティとは、無意識潜在的なホモセクシュアリストではなかったのかということ。
もっと言っちまえば^^、偉大なる藝術はすべからく女男≦男男が創り出すものではないのだろうか? という大胆なる仮説。
これらの課題は、時間と機会をあらためてかけて、ゆっくりと紐解いていきたいと思っている(笑)。
最後に、地震前に流れていた番組の「予告篇」を貼り付けておく。
馬鹿は馬鹿なりに可愛いもので^^、「おいしい!」以外の言葉をついぞ発することなく終わってしまった、グルメ・リポーターの役どころすら不完全燃焼のまま果たし得なかった成海璃子に合掌はするものの、あの天然ボケぶりが、今のぼくにはとっても好感が持てた・・・と衝撃の告白をしておく(爆)。
本来なら檀れいが務めるべきだった!
そう願いたかった! 誰の目にも明らかなことだろう。
美術紀行のリーポーターは美人さんであらねばならない。格調高い映像で旅したいと誰もが思うだろう。
けれど檀ちゃんがやってしまえば・・・彼女が綺麗すぎて、対象/テーマのピンが甘くなる。北斎やモネあたりの巨匠じゃないと番組が負けちゃう。
まぁ“癒しの旅”にはならんだろうなぁ。
ボーッととぼけたような璃子ちゃんで、結果、丁度良かった!のだ。
へ~っ、ふ~ん、あ、美味しいです、・・・・・これしか台詞のないリポーターでピッタリ良かったのである。
あのいつも怪訝そう・不満そうな、ある角度からは不貞腐れているようにも見える、少しも美人さんでない成海璃子が案内人で、本当に良かった。適役だった、と、心からそう思っている。〔外野は文句言うんじゃないの! あんたらナンもわかっちゃいなんだからもう!! こういうときにオネエ言葉はピッタリはまる。だからなんだろうな、お猿顔の連中がテレビでのさばっているのは^^〕
●http://www.youtube.com/watch?v=gsDQ_NsD3lw
《特別付録》
3/25日付のY氏のコメントに敬意を表して・・・・・・軽い目配せをば。
Yさん、解説を加えてくださいな^^。
いいホテルですねぇ。
シャルル・ボードレール
「朝の薄明」最終詩節 (『悪の華』より)
“ 薔薇色と緑色ノ装いをした 身顫い寒い暁が、
ゆるやかに、人けないセーヌの岸辺に歩を進め、
陰気なパリは、この働き者の年寄は、
睡たい眼をこすりこすり、
今し仕事道具を取り上げた。 ”
─ 福永武彦 譯 ─
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ターナー先生
先生、読み方をあやまれば(^^)、なにが先生をその気にさせたのか、
壮絶なカミングアウトの記とも読み取れる今回の記事の展開には目を
白黒させてしまいました。
先生いいの、こんなこと書いちゃって?!と思って読んでいると、当然
ながら「イーノ」が出てきてさらにビックリ。
ただですね、先生は真面目で深刻な顔して平気で冗談言って人をおちょ
くる人だから、このカミングアウトは信用できません。
かなりオフザケしている気がします。
本気で悩んじゃうと馬鹿を見るのはわたしたちですから。
皆さん、この資料は慎重に扱いましょうね^^。
でもでも、ボウイって美しい!
先生とマー姐さんは、80年代のあの時期に、ロンドン郊外にボウイ
の生家を訪ねているのですよね。
有名なエピソードですから先生ファンはみんな知ってる。
そのむかし、クリッシー・ハインド(その後、「プリテンダーズ」の女性
リードヴォーカルになった人)が英国で有名な音楽誌「NME」(ニュー・
ミュージカル・エクスプレス)で記者をしていたとき、彼女が行った
ブライアン・イーノのインタヴュー記事を日本の雑誌で最初に訳したの
が先生でしたね。70年代末の『ミュージック・マガジン』でしたっけ?
先生はその頃、東スポでプロレス担当記者、三省堂で新しい仏和辞典
の編纂の仕事、ロック誌で英文翻訳というハチャメチャなバイトをして
いた。某有名人のゴーストライターだったし、あと、そうだ、ほらニーチェ
とボードレールの裏話を世界で初めて暴いたA先生の論文の黒子とし
て暗躍していたんでしょ、なんともお茶目な人です^^。呆れちゃいますね。
それで、クリッシーとはパリで会って、「ブリテンダーズ」のライヴにも
ちゃっかり招待されちゃう。
先生に教えられて聴いたけど、いいですよねぇ、ブリテンダーズって。
わたし好き!
彼女のイーノへのロング・インタヴューを訳したってことが、先生を
ますます英国ロックの世紀末の闇の解明に向わせたってことは想像に
難くないですね。ロキシー・ミュージック、ボウイ、トーキング・へッズ、
U2・・・・・・みんなイーノが関係してる。で、ミニマル・ミュージックに向っ
て走ってゆく、こんな図式でしょうか?
わたしは、「お猿顔」系のすべての話は先生一流のジョークだと解釈
しています。けれど、「美しい男」系の話は本音だと思います。
これはホモセクシャルの問題でなくダンディズムの問題です。
ボードレールがそうだったでしょ? オスカー・ワイルドも。ボウイも、
ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーとか。
先生はホモじゃないと思うけど(笑)─ だってこんなに女性が大好き
なホモの男性なんているわけがないじゃないですか!(爆) ─でもとっ
ても危ない人ですよね。微妙に中途半端に「あいだ」に居る人だとわたし
は思っています。
エリック・サティってもしかして、このタイプ?
先生と似てるんですね、とっても。
ルーマニア・・・これが相当にひっかかります。キーワード?
サティを考えると、泥沼に堕ちて行くって感じですね。
特異な音楽家でした。でも今回のような顔ぶれが同一ブログ上に
顔を揃えるなんて、こっちのほうがわたしには、驚異!で神秘的!で
す。つまりいかにも、“ターナー的!” 楽しいわ!
投稿: エリカ | 2011年3月26日 (土) 01時06分
ターナー先生
ブライアン・イーノの「Windows 95」の起動音は気に入っておりまして、Windowsのバージョンがいくら新しくなろうとも、自分で小細工して、起動音をこれに差し替えていました。
ボウイの『ヒーローズ』、今見ても、美しいです。かっこいいです。
しかし、昔は、ロキシー・ミュージックのほうが好きでした。 若い頃は、残念ながら、ボウイとのコラボのほうは横目で眺めていました。好きな曲もあったのですが、当時の自分にはすこし重かったのです。
近年、イーノといえば、COLD PLAY というバンドの編曲をやっていて、それが気に入って、一時期聞いていました。
今回のブログのボウイの写真の横に文字がよめたので思い出しましたが、小学生の頃は、なぜか T-REX を聞いていました。
目配せ、ありがとうございます。ボードレールのこの比喩をどう解釈すれば良いか、、、、”暁” は新しい時代〜革命? ”陰鬱なパリ” は、不条理な労働を強いる古い体制?、、、わかりません。先生、いつかご教授ください。
いつもは、3000円のホテルにも泊まる私ですが、今回だけは、ホテルを贅沢にはしごしました。今回は、窓からの風景が重要だったのです。ボードレールのホテルということも重要でしたが、ここの風景は、穴場なのです。セーヌが目の前です。
サンミッシェル河岸の、マチスのアトリエからの構図とおなじ眺めのホテルにも泊まりました。予約のときに、「マチスと同じ構図の絵を描きたいから、良い部屋を頼む」と言っておいたもので、チェックアウトのときに、「マチスと同じ絵は描けたか?」とチェックされてしまいました。水彩は1枚書きましたので、「YES」と一応答えました。
追記:もちろんシャルティエにも行きました。雰囲気ありました。羊とエスカルゴをいただきました。それなりにうまい! 値段から言えば、すばらしい!
でも、あんなにてきぱき働くフランス人を初めて見ました。やればできるじゃん!って。
投稿: YASUHIRO | 2011年3月26日 (土) 01時57分
ターナーさん
ほとんど話には参加できないという今回の内容でした。
ボウイは聴いてないし、ルイ・マルの作品も観ていません。ボードレールなど名前くらいは知っている詩人でも読んだ記憶がありません^^;。
エリカさんて、スゴイのネェ。すっかり見直しました。
さすが一番弟子! よく勉強してるね。私の出る幕は今回ちっともありません。
ターナーさん、嬉しそう。嬉々として書いてる。
私はターナーさんに年齢的には一番近い“親衛隊”の一人だから、かろうじて「青江のママ」だけは、テレビで見たような記憶があります。いつもキモノ姿でしたよね。和装の三輪さんみたいな印象だった・・・とおぼろげながら覚えています。
ターナーさん、10歳のときからファンだったなんて!なんてオマセな「ガキ」だったんでしょう。さすがだとは思うけどやっぱり可愛くないなぁ^^。その頃から、筋金入りの変態少年だったんですね。理解できました(笑)。
ターナーさん、サティについて書き足りてないんですよね。
これからそれを思う存分やっていただきたいのと共に、Yさんの今回のフランス紀行、ここのブログで読めればいいなと思います。すごく興味があるわ。かつてひみこ姐さんやエリカちゃんがやったように。このブログを画廊みたいに借り切って、特別展をやっていただきたいと思います。
ぜひともコラボしてみてください^^。期待してます!
投稿: ドラミ | 2011年3月27日 (日) 20時40分
ドラミさん
身に余る、お話です。でも、、、フランス紀行は、自分のホームページで、つたなく、とつとつと、やることにします。
だって、ターナー先生のように書けませんし、ここのブログの読者にも先生にも失礼ですからね。
準備できたら、ここで案内します。辛抱強くお待ちくださいね。筆がとてもとても遅いのです。
投稿: YASUHIRO | 2011年3月28日 (月) 01時27分