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« 新しき土地へ 急 ~妃(きさき)の手~ | トップページ | ひとつの出来事(として)の哲学 »

2010年10月 1日 (金)

夢のような人 

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 《加筆・写真さしかえ(10.4)版》

 今回のは、月はじめの手抜き記事。
 新企画? を始める前に、しばし骨休めだ。引用できなかったテクストを、みっつばかり、ペーストしてすぐに止める。


 まずひとつ目は・・・・・・
 
 ドラミさんから非常に高い評価をいただいた福山雅治・ターナーオリジナル「The Very Best of Masaharu Fukuyama 2010」。彼女曰く、“震えてしまう”一枚だそうです、有難う。
 その最初の曲は『最愛』。締めくくりは『蛍』ね、2010版としては当然でしょうね。
 ただいま限定盤増産中です。でも売り物じゃないよ。
2010y10m04d_055747875_3
※ その後、曲の入れ替えがあり、現在のターナー・ファイナル版では、楽曲「Sakura-zaka」にはじまり「蛍」でおわる。
 スタジオ録音でなく、生ギター、ライヴ収録曲が多いのも特徴的。(10.4 記)

 この『最愛』の歌詞は、このところのブログのテーマを象徴的に物語っている。
 復習する意味で、先日貼りつけているYouTubeのPVをもう一度。
 福山ファンなら、たまんないね。とっても上出来のPVだ。サン=テックスの『Le Petit Prince』を想わせる映像で。
 ●http://www.youtube.com/watch?v=n6Wk9VhGVIY&feature=related

 もう二曲だけ、俺に生ギターを抱かせてくれ。
 秋の夜に、しみじみと、こんな曲の弾きがたりがしたいなぁ。。。
 ●http://www.youtube.com/watch?v=X7xHy6IcCdI
 ●http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_366978&feature=iv&v=pb4ay9SVQeo                       

 
 夢のような人だから        
 夢のように消えるのです

 その定めを知りながら
 捲られてきた季節のページ

 落ちては溶ける粉雪みたい
 止まらない想い


 おなじ月の下で
 おなじ涙流した
 ダメなんだよって
 離れたくないって
 ただひとこと ただ言えなくて

 いつか生命の旅
 終わるその時も
 祈るでしょう

 あなたが憧れた
 「あなた」であることを
 その笑顔を 幸せを

 愛さなくていいから
 遠くで見守っててて
 強がってるんだよ
 でも繋がっていたいんだよ
 あなたが まだ好きだから

 もっと泣けばよかった
 もっと笑えばよかったのかな
 バカだなって言ってよ
 気にするなって言ってよ
 あなたにただ逢いたくて

   ─ 『最愛』 福山雅治 作詞/作曲 より─

 
 

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ふたつ目・・・・・・原口統三『二十歳のエチュード』。

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 原口統三。

 きみが非常に海が好きだったことは、ずっと前から変わっていないが、それにあたえた意味は、なんと大きく変わったことだろう。
 きみは二年半ほど前に、「海に眠る日」という詩で海辺をうたったが、そこでは芽生えようとする異性との愛への期待に、おそらく無意識的な死への願望の影が戯れていた。そして、それよりさらに数年前のたぶん中学三、四年生の頃には、海は植民地の子に対して、強烈に生きることを夢みさせるふしぎな眺望であった。きみはその頃のことを想い起こして、こんなふうに書いている。

 植民地の野心の子を作る。

 彼はアカシヤの花にノスタルヂアの匂ひを嗅ぎ、清澄な空の高さを仰いでは、希望の欣びを知り、桟橋の人混みにまぎれて異国趣味に睦み、山の上から眼下に横はる街々を眺めては平和を愛し、支那人の顔を見つめて首をかしげ、綺麗な道路と赤瓦の住宅とに於て、知識人(インテリ)の表情と小市民気質とを理解した。そして、これ等のものが集つて、彼を不安に、気紛れににし、彼を海辺に追ひ立てた。海に来て、彼は力を与へられ、英雄の生涯に憧れた。

 (中略)

 そのようなきみが、あと三箇月ほどで二十歳になるというとき、同じように海辺に追い立てられながら、今度は英雄の生涯でなく、死者の沈黙に憧れたのだ。

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 (さらにずっと先の、最終段落まで飛ばす)

 きみはいつから、黎明に現われる世界の破局、あるいは自己の消滅という怖るべき夢を、そっとはぐくんでいたのだろう?

 最後は、こうだ。

 それはたぶん、十月二十五日の午後十二時をかなり過ぎた頃であったろう。
 秋の夜の寒い風に吹かれながら、きみは海辺のあの親しい場所に立っていた。

 きみは動きはじめた。近くにある杭に、「死人覚え書」の入ってる風呂敷包と、古び果てた一高の制帽を掛け、しゃがみこんで、上衣の二つのポケットに、砂利と小石をいっぱいつめ込んだ。

 そして、きみは遠浅の逗子の海の中へ、静かに入って行った。きっと、海の水のたまらないほどの冷たさが、一瞬、きみの全身にしみわたったことだろう。

 きみは海の底を、沖に向かって歩いて行くにつれ、まわりの波がしだいに静かになってくるのを見たことだろう。ざわめく海の沈黙。そしてそのとき、きみは闇の中で、それまで覚えたことがなかったような完璧な孤独を、ひしひしと感じたにちがいない。
 海の水の深さは、はじめしばらくは膝のあたりまでであったが、やがて腰のへんまでとなり、いつのまにか、胸のところにまで達していた。

 きみは、夜の見えない水平線に向かって、どこまでも進んで行った。

     ─ 清岡卓行『海の瞳 (原口統三を求めて)』 より─

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 みっつ目。

 (・・・)すると黒革の手帳に記された黄真伊の詩の一節が浮かんできた。

 人のながれもまた水のごとし
 去りては帰り来ることもなし

 黄真伊がその詩の中で本当に言おうとしているのは、世の中や時間の流れのむなしさではないように思えた。“去りては帰り来ることもなし”と違って、水のように人間は何度も何度も輪廻を繰り返していることを歌っているのではないだろうか。妃手子は父をさまよわせているのは母の女としての逞しさのようなものではないかと思った。(・・・)

 
 「さあ、それはよくわからないけど、私が時々夢の中で出逢う男の人がいて、その人は小川のそばにじっと立っているの。たぶんあの人は私と何か深い関わりがある気がするの」
 「夢の中で見た人なの? それって、私の祖母が言ってた“お告げ”と同じだわ。きっとその人は妃手子さんのお父さんよ」
 「夢の中に出てくる場所を探すのかい?」
 若菜が呆れたように言った。
 「だってこれだけ探して手がかりがないんだったら、妃手子さんの直感に従うことはいいことだと思うわ。血が繋がった人たちにはその人たちだけが感じるテレパシーのようなものがあると言うでしょう」
 「そうだね。で、どんな場所なんだい? その夢の中の場所は」
 若菜が妃手子を見た。

    ─ 伊集院静『水の手帳』 より ─

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  〔※集英社文庫版; 急逝した母が遺した1冊の手帳と謎めいた3葉の写真。秘められた過去を求めて妃手子は旅立つ。セーヌの河岸、アフリカの湖、釜山の海峡へ。いま妃手子の新しい人生が始まる。(解説・村山由佳)〕

  さて、いよいよ更けゆく秋の夜。
  ボッサ・ジャズの季節である。

  水は、ふたたび、ブルー・イン・グリーンの沼地に流れこんでゆく・・・・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=t4hVmTz9zhE&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=_mHMAkB6U2c&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=ehdxuhENlig&feature=related

 最後に、これは資料価値のある映像として。
 あのフローラ・プリム(高校時代に鮮烈な出逢いがあった! これだけで分っちゃう人いますか?)が、イリアスと夢の競演している貴重な動画。しかもデイヴィッド・サンボーンまでいる。それに、リー・リトナー! ホントに稀なステージ・シーンだ。
http://www.youtube.com/watch?v=8BzZT5liAfY&feature=related

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ターナー先生

 こわいお姐さんが復活してくるとこの世の中もかまびすしくなるようです(笑)。
 ひみこ姐さん! おめでとう。お誕生日ですね!!!
あらたな再生のとき、出発のとき、ですよ。

 おめでとうございます。お元気で、長生きしてくださいね。
 ドラミさん共々(笑)
ターナー先生の不肖の弟子に、ますますの“叱咤”と“激励”をお願いいたします。

 水の如く流れて行くターナー先生のご講義。
 そうですか、これが幻の名盤なんですね。
 週末届くのは無理なのかな?? 楽しみに待つことにします。

 追加なされた《みっつ目》。
 週刊現代のあの記事は、いつでもいいですからコピーをいただけませんか? 
 『水の手帳』は文庫本が出ていたのですね。わたし知らないから単行本で買っ
ちゃった。先生、村山由佳の名前をさりげなく示したかったんでしょ? 
結構どころか大変にお好きなようですから^^。

 この《骨休め》は、幕間という意味?
 予告篇でもあるのかしら? 
 ますます楽しみです。

 『原節子 あるがままに生きて』(文庫版)を買いました。原節子を本で勉強中。
もう少し「つづき」を講義していただけると嬉しいのですが。

ターナーさま
みなさまーしゃ!!!

みなさん、福山さんのターナー版オリジナル編集BEST盤、申し込みましたか?
ドモホ・・・と同じで、このサンプル(本番盤?)は濃縮ヴァージョンでみなさまに送られますから、1回で強烈に効きます。マシャの狂おしい大ファンになってしまうこと間違いないです。
 こういうツボの押さえ方は天下無敵・国士無双のターナー先生ですから。そして私ドラミが、太鼓判を押しているのですから信用してね。

 ひみこ姐さんからは携帯でお元気な罵声をいただきました(爆)。
 “あんなコメント、深読みとは言えないのよ、あたしはまだ死なないんだから。遺言のつもりじゃ決してナイ!!”って。大変に申し訳ございません(笑)。もうダメかと思ってたのに・・・残念!お元気でなにより。でもさ、マー姐さんは本名「マサコ」じゃないでしょう?だって「マサコ」って名前は・・・・・・。ターナーさんと二人でなに遊んでんのよ、もう。また博多から罵声かな?? 

 生成変化し続けるベスト盤、私が今回いただいたのは更に曲が若干変わってまして、写真のものとは少し違います。グレードがアップしています。どうやらターナー先生、バックバンドのギターを“肝”にしてさらに精選したようですよ。
 聴いてみるとさすがにこれが一番いい構成です。まさにベストですね。泣いてしまいました(「にぎり福(山マーシャ)」さんに負けないくらい私もマシャ狂信者ですので^^)。
2010年現在での、国内最高グレードのベスト盤ですね、これは。ウン・ウン。
 

尊敬する ターナー先生
尊敬する ひみこ様

3つの話は連鎖していますね。

『夢のような人だから
 夢のように消えるのです』

『きみは、夜の見えない水平線に向かって、 どこまでも進んで行った。』

『水のように人間は何度も何度も
 輪廻を繰り返している』

”愛と死” と ”永遠の輪廻”
のイメージの連鎖。
これは、「あなた」への 聖歌。
そして、ドゥルーズ哲学 を引かれた、
「ひみこ」さんへの 返歌。

 ドゥルーズ『差異と反復』、
回帰永劫、同じ回廊をグルグルではなく、決して交わらない、スパイラルの道のような回帰、、、、、、くりかえす、くりかえす。

 ここ2~3ヶ月の先生のお話が、全部連鎖して、繋がって見え始めました。
 先生、お願いです。”差異”を創造ください。いきなり、砂漠の商人 になるのは禁じ手です。ランボーも作品を残してから、砂漠の商人になったでしょう。順番が必要です。
 ひみこさんも 同じ 願い だと思います。

《70年代の
タイガー・ジェット・シンの
場外乱闘シーンの再現》

皆様、
特に(シャトー・オー・ブリオンに気づいた^^)Y氏へ

 ぼくのテクストをいかに読み解くべきか?

 ここで手の裡を見せるつもりはありませんが、かつて松尾芭蕉という人はぼくのようなやりかたで『奥の細道』を仕上げています。
 専門の仏文学/哲学の世界では、「アンテルテクチュアリテ(テクスト相互間作用)」という呼ばれかたのエクリチュール(書字辞法=書き方)でして^^、本来ならば時空を越えて「テクスト」を飛ばし合う、ないし織り込むことに徹さねばなりません。
 それらの文脈がまさに蜘蛛の巣の糸のように絡み合い連鎖している・・・それが一つの理想形です。まさにバルザックでいう《人間喜劇》のテクスト版。
 実は優れた映画は無意識的に、それ以上に恣意的に、先行する映像のテクストが自らの身体にタトゥのごとく彫りこまれています。雲母のごとく幾重にも重なり合わされているのです。
 本来、テクストとは引用の織物であるというのが、わが師・豊崎光一から引き継いでいる文学理論の要であって、そこには作家の創作力なぞ少しも上位概念とはされておりません。あえていうなら、剽窃力こそが作家の想像力か。だってすべての文章、詩句、音楽は“すべてすでに造られ/書かれている”ものに他ならないからです。
 絵でもそう。独創なんてありえない。
 
 ぼくらは巧妙に重ね合わせ、戦略的にすこしズラす、そしてしたたかに反復する。模倣する。擬態する。ランボーになること。原口統三になること。福山雅治になること。
 最近の「カバー」CDってのがそうですよね。面白さとその行為の意味は「差異と反復」にあります。Y氏には「スパイラル・サークル」と言っておきたい。でもさ、彼(=ヘルゲ・リエン)って・・・アタマが勝ちすぎて・・・寺島靖国さんなら絶対に彼をひっぱたくはず(笑)。(ブラッド・メルドーもそういう気質のあるジャズを演ります。すんません^^;。ヘルゲでは、寺島さんも誉めているけど『Curling Legs 2000』の「これからの人生」が最高!!ですね。やつぱシ、こういうスタンダード曲が無理してなくて素直にイイです。素敵。)


 今回の、福山オリジナルCDは、ドラミさんの言うようにこの世でぼくの手元でしか創りえないものです。
 マルセル・デュシャンが、陶製男性用便器にそのままサインして自分の作品にしたように、ぼくはこの福山CDを世界最強のベスト盤だと勝手に決めつけています。ぼくの作品として。
 そりゃドラミさんじゃなくても泣きますよ。自分でつくっていて泣きじゃくっていたもん。こんな凄い一枚があっていいのか!と。
 
 そして種明かし。この最高の一枚は、比較してみると、今回の一枚目とほとんど同じなんです。曲目としては。並べかたは違うけど。そんなもんです。ひっちゃきに死に物狂いになって長時間やってみて、偶然の閃きとほぼ同じ世界に帰結するって、これ、なんだか人生の真理ですよね。

 この二ヶ月、満洲の問題をずっと考えてきていろんな研究書を読んで、この旧日本陸軍の中国侵略・植民地化を、角度を変えながらいろいろ考えてきました。映画という手段も大衆の意識操作・侵略の正当化には非常に有効です。
 女優・原節子とは誰だったのか?なんのための女優生活だったのか? 
 黒子は誰だったのか?

 「ダーク・マター」って知ってますか?
 いま最大の関心事はコレです。
 科学の常識が、すべて根底から覆ってしまう事件です。もしかするとそれが宇宙の「真理」?
 北京での“一頭”の蝶の羽ばたきが、世界の歴史とこれまでの普遍的と思える科学的概念を変えてしまう、《複雑系》の考えかたですよね。そんな馬鹿な^^とみんな笑っていた。
 けれどね、そうして歴史は変わってきている。原節子という17歳の少女が満洲で羽ばたいたために、原口は『二十歳のエチュード』を遺して「鎌倉(≦逗子)」で死ぬことになるわけ。小津の原=紀子三部作は、北鎌倉もの、というイメージでもある。それを受けて伊集院静=雅子は偶然を装って「なぎさホテル」に住まい、芭蕉を(無意識的/意図的に)なぞる。西行にまで続く道です。コブクロ。

 中世人の生まれ変わりであるぼくは、輪廻という考えを、ま、信じています。
 水の無常のめぐりはそれ以上に実感してる。
 福山の歌に中世人の魂を感じるんですね。

 この前、ぼくが韓国の「少女時代」が好きだみたいに書いたから、メッチャ怒ってる人がいます。先生には幻滅したってメールがあった。
 そうかい? いいさ、それなら。
 自殺願望があるんですか?という人もいる。なにを今さらですね。。。ない、ない。 ぼくは親友が二人も自殺しちゃった男です。真っ白になった。一人は飛び降り、一人は縊死した。
 バカと言われようが、ぼくは彼らの分も人生を楽しもうと思ってる。しぶとく生きたい。「あなた」の分までも。
 とっても辛かったことは分る(分ってないか?)。だからって、逃げちゃオシマイ。自分を殺しちゃオシマイだ。大馬鹿だ。
 でもずっと夭折したかった。20で死にたかったのも事実だ。

 いろんなことが9月の「あなた」の命日めがけて降って来た。両親はもう瀕死の状態にまでなってしまい、家に居ても一人孤独だった。
 思いっきり、アタマに浮かぶことをそのまま書き綴っていた自分。深謀遠慮なんて全くしちゃいない(結構、いつもは計算高いんだけどね^^)。

 福山は天才である。確信してる。

 それを俺のこのCDは証明している、と思っている。ドラミさん以上に、制作者自身が自信に満ちているんです。ハハハ。
 80分CDで、残りはたった1秒という構成内容。これは凄すぎる。神がかり。

 てなことを、酔っ払いついでに書いておこう。今夜はすでにワインを二ℓ以上飲んでるけど、ちっとも酔えないなあ^^;。

 それでもかなりの部分、内幕暴露になったか。
 たまには、こういうのも、いいっショ(笑)。

PS ; 確かにドラミさんのご指摘通り、マー姐さんは「あなた」であるけど、「マサコ」ではありません。ひみちゃんと遊んでしまいました。ごめんなさい。でも俺、そうストレートに書いたっけ?そう解釈できるように仄めかしはしたけどね。あくまでレトリック。

ターナー先生

先生は30年程前、映画「ある日どこかで」をパリで観られた時、ご自分の実体験だと感じられたそうですね。

不思議な夢・・・先生は子供の頃から何回も印象的な夢を、見てらした。
魔法でモリアオガエルにされたお姫様の手を優しく握ってあげる。KISSじゃない。それから蛙がどうなるかサッパリ見えてこなかった。その夢の中の映像のサントラ版が、昨年11月に戴いたCD「かげらふ」でしたね。(CDジャケットは、先生の小学生の時に、超可愛いとファンになった岡田マリコさん主演「芸者小夏」で、モー、色っぽくて、ドギマギしちゃいましたョ。)
夢の中では、先生は室町か、戦国時代の若武者で、CD一曲目の「かげろう」が沼の畔に立ちつくす若者のテーマ曲で、2曲目の「ブルー・イン・グリーン」は蛙姫のテーマ曲だと伺いましたね。
なんだか先生の人生が小説、映画になりそうですね。

ドラミさん、「あなた」が「雅子」さんじゃない・・・先生は誰も、「あなた」の名前を尋ねてないのに、なぜ教えてくださるのか? 疑問、不思議でした。
私には、「あなた」「マユさん」「マーさん」で、十分スッキリ、ですが。。。

ヒミコさん、順調に回復してらっしゃるご様子、本当に良かったです。もっと、もっと、元気になって下さいませ。

先生、ドラミさん激賞・福山さんのベストCD、私も、首を長~くして、楽しみに待っておりますから。

ターナー先生

 ものすごいお話、ありがとうございます。やっとすこし本音が聞けた、と私を含め、読者は相当に喜んでいるはずです。
 ターナー先生版の、「奥の細道」は、すでに綴られている。それは、このブログである、とも言えるのですね。

 先生が引用されたマルセル・デュシャンも、他にも、、、ピカソも、剽窃で作品を構成したですよね。絵や美術は、美術館に並べられることで、これが美術です、と主張できる。どんなとんでもない「差異」を創造しようとも、たとえば、絵画はその四角い空間の中が私の作品ですと、主張している。存在が、明示されている。
 このブログの場合、熱心な一部の読者を除いては、作品の存在に気がつかない。なかなか気がつかないように、してある、ともいえる。
 問題は、いや、先生ご自身は問題ではないと言われるでしょうが、先生のこの作品は、このままでは埋もれてしまうということなのです。このブログを再編集すれば、出版もできると思えます。優れたコラージュ作品となります。本当は。


ターナーちゃん
Yさま

 「尊敬するひみこ様」なんて書かれてしまうと。。。
 コメつけにくくなりますので、敬語・敬称は今後差し控えてくださいね。
 『夏の夜~』を見て、あのワインに気づく人はざらにはいません。あたし、これ見よがしにって意地悪く書いたけど実はエチケット=ラベルが映るのは一瞬のこと。映画館で初見なら絶対に見落とします。ビデオで静止画にしないとね。ただし、その後の人物たちのリアクションで、すべてが分るのです。
 あれほどのワインシーンは世界映画史上ほかに存在しないはず。私見だけどあのワインが固まっていた作品の馥郁たる芳香を“開かせる”、と思いませんか? 『凱旋門』のカルヴァドスしかり、『カサブランカ』のシャンパンしかり。見事としか言いようがございません。だって、あの映画からでしょ、G.H.マム・コルドン・ルージュが全世界的に恋人たちに飲まれるようになったのは。“君の瞳に乾杯!”って。(ターナーちゃんは、いつも、“冷たいワインとあたたかい心!”と言ってグラスをチンさせる。もう30年!も前の学生時代からね^^。)
 あたしが思うに、あの作品をマーがマシャ好き、もとい、めっちゃ好きだったのも(笑)、彼女が強烈なボルドー好きだったからだと、そう解釈しています。あたしがそうなのか^^。

 ね、Yさまもそう思うでしょ、ターナーちゃんそろそろ真面目に本の企画考えて!っていつも言ってるの。
 テーマを与えりゃなんでも書ける人なのに。のらりくらりとして。みんなしておだてて木に登らせましょう!(あいつはいつもそんなときに言うの。木になるのは嫌いだ。俺は地べたを這いつくばってリゾーム・根茎になるんだって。バーカ^^)
 

 
ターナーさま
 
カチャカチャとキーボードを忙しく叩くターナーさんの姿と、どんどんと目まぐるしく様々なシーン、言葉が表示される大脳とがまるで見えてきそうな最近のターナーさん。
BEST5(+1)枚のCDを持っている私が、もう一枚、おねだりしてもいいかしら。
一枚のCDの中にこだわりをもって焼きつけられているのを知ってからは、たとえ、ipodに入れたとしても、アルバムごとにターナーさんの構成した順番で聴いている私にとって、この構成のVEST版がやっぱり欲しいのです。どこまでも強欲だと叱られてしまいそうですが。
やっと、『水の手帳』を読み始めました。スローなスローなペースですが、ワクワクしています。 

 
 
 


ターナーさま
 
まだひとり、こんなところでふらふらしている者がいますが、お許しください。
『水の手帳』を読み終えて、どうしても私には妃手子さんは「水のイメージ」には重ならないのです。確かに、妃手子さんの儀式は「水」なるものなのですが、彼女には「風」を感じてしまいます。妃手子さんのおかあさまは確かに「水の人」という感じですが、妃手子さんは、さまざまな地を吹き流れる風。水のような重さや図太さや音を感じられないのです。なんだか変なところで思考が固まってしまっていたからでしょうか、ターナーさんのブログの中で描いていたイメージとは違う作品でした。
BEST版のCD、ありがとうございました。いいですね。やはり、いただいて本当に良かった。初めにいただいたCDはメッセージ性が強く、私の心に、精神にどんどんと語りかけてきました。機関銃のような時もありました。歌詞を噛みしめ噛みしめ聴いてしまいます。BEST版はメッセージ性よりも、すぐ近くにいて弦を抑える指の滑る音がすぐそばでするような感じです。同じ空気を吸っている感じがするのです。本当にありがとうございました。『龍馬伝』もクランクアップし、またさらに活動的になるであろう福山さんの魅力がこれでもか!というほどに表現されていてメロメロになっちゃいますね。
ブログのほうでは、私は取り残されていますが、「新しい女」論。楽しみです。
 
 

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