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2009年5月

2009年5月30日 (土)

火刑台の殉教者

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 一四三一年五月三十日、ドラマは最後を迎えようとしている。
 午前八時、ルーアンのあらゆる鐘が陰鬱な音を立て始めた。死者のための弔鐘である。ジャンヌに対し、最期の時が来たことが告げられた。

 ・・・・・・

 拷問吏が薪に火をつけた。煙が空中に立ち昇った。炎が低く、柱をなめ始めた。ボーヴェの司教が足元に近づき、ジャンヌに向かって叫んだ。
 「異端を放棄せよ!」
 すでに炎に包まれていたジャンヌが答えた。
 「私はこうしてあなたのせいで死にますが、あなたの裁きは神様にしていただきます!」
 紅蓮の炎が上がり、ジャンヌの汚れなき処女の体に達した。衣装がくすぶり始める。響きわたる鋭い声で、ジャンヌが会衆に向かって叫んだ。
 「<声>はいと高き天からのものでした。<声>は決して私を欺きませんでした。啓示はすべて神からのものであったのです。私は、あらゆることを神様の命令のもとに行ったのです!」
 衣装に火がつき、勢いよく燃え始めた。その時、広場を切り裂くような叫び声が上がった。それは、ゴルゴダの丘で同じく刑死した者への、ルーアンの殉教者からの最後の呼びかけだった。
 「イエス様!」
 その後は、薪の燃える激しい音だけがしていた。
              
          レオン・ドゥニ『ジャンヌ・ダルク  失われた真実』



2009y05m30d_060933140  高村光太郎は、大正15年3月5日から14日まで築地小劇場で上演された、バーナード・ショー原作の『聖ジヨオン』を観劇している。
 光太郎がジャンヌ・ダルクに強い関心を持っていたことは、『不同調』(大正15年5月発行)に発表した『ルイ16世所(処)刑の図』で明らかだ。彼はこんな風に書いている。

 「今日は築地小劇場の『聖ジヨオン』の初日だ。ジヨオンに自分は惚れてゐるやうだ。今日はその声をききにゆかう」

 光太郎は3月11日に「夜の二人」、翌日に「聖ジアンヌ」という詩を書いている。

  
   聖ジアンヌ

 神さまから言ひつかつた事をするのは当りまへだ
 ほんとにさうだ、田舎の処女(ピユセル)よ
 それは人間同志で作り上げた此の世にとつて
 すこし生真面目すぎて不都合になるのだけれど
 それはちつとも利口な事ではないのだけれど
 君の不馴れな眼は何と私の胸をせいせいさせるよ
 結局少しでもあの声をきく者は
 一人ぼつちになるのだね
 此の世の邪魔になるのだね
 火あぶりか
 うゑ死にか
 ああ、だが何とうつとりさせる声だらう

         高村光太郎(大正十五年三月十二日作)


 
 興味深い事実が書誌学的リサーチで明らかになる。

 大正2年1月28日、智恵子宛の光太郎の手紙の中には、火炙りの刑に処せられる智恵子の姿が夢の中に出てきたことが記されている。

 ゆふべは それはそれは大変な夢をみました。
 書いてもいいでせうか。いいとしませう。それは あなたが殺人犯になつたんですよ。そしてあなたを多くの人が高い台の上へ載せて 青空の下で焼き殺さうとしているんですけど 火がないので水で殺すといつて あなたを其の台の上へのせたまま あなたの衣服を残らず取つちまつたんですよ 其でもあなたは 何だか少し笑つてゐた様です。


 体調不調につき、中断

 
参考までに、
 1. このブログでの「ジャンヌ・ダルク」関係過去記事にはこんなものがある。
    http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/jai_nom_jeanne_.html#more
    http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_feb7.html#comments
    http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_5789.html#more

 2. 今夜(5月30日)放映予定のテレビ東京『美の巨人たち』(22:00~)、アンドリュー・ワイエス特集は、わたくしターナーがこよなく愛する画家であり今後の酒飲み話のネタになり続けますので、必ず観るように。2009y01m19d_013203245_3

 こんな記事も書いている。
 お暇なら読んでね、ってか(笑)。

http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-bb67.html

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2009年5月27日 (水)

かまくら日和、あらため・・・

2009y05m24d_224433718_2 《“逃走原論/「新しい女たち」をめぐって”  新・心的現象論序説のために》

 “罰として廊下に立ってなさい!”という経験はぼくにはない。
 けれど、たぶんそんな気持ちに近くなったのが昨夜のことだった。
 昨夜、といっても深夜、ぼくは両手にバケツを下げて廊下に立たされた。怖い担任の女先生。へへへ、なのだ。
 でもよく言うよ、決してさぼっちゃいないのにさ。

 No Bossa, No Kamakura か。
 2009y05m21d_133002933 うまいことを言うね。ってこれ、自分でブログ本文に書いた言葉なんだけど。
 ボサノヴァ音楽を抜きにして鎌倉は語れないって。

 数日前にパイロット版をつくっていた。
 ボサノヴァの吉田慶子とピアノの中村由利子のペア、それにヴォーカリストの畠山美由紀と平賀マリカを連れて来て、そこにヴァイオリンの川井郁子を一緒にすると、一体どういう化学変化が起きるのか? そんな実験をしてみたのだ。

 この試作・実験CDを早速ある人に送って聴いてもらった。
 黙っていてもあの世が近い人でもある。さらにこの世とあの世の境が近づいちまったらしい。
 結果は上々。反応は良好だ。

 そこでタイトルと編集内容を見直していたのが昨晩のこと。
 『鎌倉日和』、いいタイトルじゃないか。
 バイロット版を送ったその人には“ニ、三曲入れ替えて、一般公開する予定です”とメールしてみたものの、出来上がったのは“ニ、三曲しかダブっていなくてほかは別物”となってしまった。
 商売人なのだな、ぼくの感覚って。
 いやいや、商売人ならこうはしないはず。何度も同じネタで、手をかえ品をかえて儲けようとするのが商売人だから。2009y05m24d_233057187 2009y05m24d_230601140
 それぞれに複数枚数のCDをすでに制作している。
 中村由利子さんなんて、二枚組の集成までつくっている。畠山さんのは四枚もあるのだから、もう選べる新曲などないはずなのに秘蔵の曲を加えて、結局、ほとんどダブっていない新しい一枚を完成させてしまった。こりゃ神業だわい。^^;

 はい、先生! 宿題、徹夜してやりました。
 見てください!!ってか(激爆)。
2009y05m24d_232249015  こちらのほうで、よろしかったでしょうか?(と、このまえの介護研修会で、「接遇」時の言葉遣いの誤用の例としてこんな表現が紹介されていた。最近蔓延している変な日本語のひとつだね^^)

 早朝、出勤前にここまで作業してみました。
 つづきの本編は今夜戻ってきたら仕上げます。
 

 こちらのCDは、まず女先生に、本日昼休みのあいだに郵便局から発送いたします。お楽しみに。
 「鎌倉」にジャスト・フィットした音楽ばかりです。

 川井郁子、そうなんだ、隠れファンなんだよねぇ。人には言えねえんだケドンドー・コバヤシ。あの半開きの唇が妙に・・・でさ。先生のおっしゃる通りでごぜぇますだ。オカダ。

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2009年5月23日 (土)

五月の薔薇、Vento de Maio

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 “幸福な薔薇よ、おまえのすがすがしさが
 ともすればわたしたちをこんなに驚かすのは、
 おまえがおまえ自身のうちで、うちがわで、
 花びらに花びらを押しあてて、やすんでいるからなのだ”

 リルケは謳う、五月の薔薇の美しさとその神秘を。そしてその優しさを。2009y05m22d_060040359

 “気ままさが気ままさにつつまれ、
 やさしさにやさしさがふれて……
 それはまるでおまえの内部がたえず
 みずからを愛撫してでもいるかのようだ”
 
 薔薇、五月の白い薔薇・・・・・・

 リルケは、1926年、51歳の若さで亡くなった。その死因は、前の年に指に刺さった薔薇の棘が原因で急性白血病になったからだという。
 墓碑にはこんな詩句が刻まれている。

 Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
 Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
 Lidern.
  薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
  それだけ多くのまぶたの下に、
  誰の眠りも宿さぬことの喜びよ

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 ぼくたちは、吉田慶子、彼女が歌うボサノヴァの美しさをなにに喩えようか?
 
  ぼくのこのブログの熱烈愛読者のうち、正確には「7名」の方々は、ありがたいことに吉田慶子のボサノヴァに夢中になっている。
 これを読んでいるいまも部屋には吉田慶子のあの優しく甘い声が流れているかも知れない。
 “正直、いまだかつてこんな素敵な音楽体験はありませんでした。お世辞でもお義理でもなく、吉田慶子さんの唄を聴いていると、からだの“芯”の部分、精神の深いよどみの奥底からゆっくりと癒されくるのを感じます、とある人は熱いメールをくださった。まるで温泉気分だとちょっぴり舌を出して微笑むその人。2009y05m01d_224948677_2

 小野リサもいい。どの曲を聴いても心地よいボッサの“あった快感”が得られる。
 が、吉田慶子のはその三倍濃厚というか、ぐったりだらりと甘美な気持ちよさに酔い痴れられる。
 
 かつて矢野真紀を見出した時の喝采感というか、
 畠山美由紀のときの重たい手ごたえというか、
 クミコのときのエグさまではなく^^;、
 吉田慶子の場合は爽やかで仄かに薄紫色のハーブの香りに満ちていてまるで“風のガーデン”に佇んでいるようだ。

 彼女の歌声にそっと寄り添うような中村由利子のピアノの音色がまた素晴らしい。
2009y04m30d_141127504  小指の先の先まで打鍵のしっかりしていること!一音一音が真珠の光の粒のごとくはっきりと玉なして鍵盤からこぼれ落ちる。
 同じ世界に生きていて、韓国では大人気だというK氏のピアノにはぼくは点が辛い。はっきり言って残念ながらピアノは下手くそだと思う。一本調子でパサパサしていて、ボルドーワインのような深み・余韻、とりわけアタック感がちっともしない。
 由利子さんのは違う。音大の学生ならざらに弾けそうなスコアでいて、素人レベルのタッチでは先のK氏と同じになってしまう。素人さんのヤワな指では実は歯が立たないのだ。ゲル状のねっとりとした厚みが広がっている。エッジが立てられない。
 
真似しやすそうで最も真似しがたい音色だろう。「小犬のワルツ」が上手に弾けたって中村由利子は簡単には弾けないって。そういうピアノだ。

 ここでコクっておこうか。
 吉田慶子を知ったのは鎌倉だった。


 鎌倉に人気のカフェがある。小町通りから路地をすこし入ったところにあるお気に入りのカフェ。『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』。
 仏語の発音に合わせて表記すればこうなる。映画好きのオーナーは、ぼくも大好きなフランソワ・トリュフォー監督の『日曜日がまち遠しい』のタイトルからこの店名をつけたという。
2009y05m21d_134306262  いま、この一か月のあいだに、ぼくが知る限り四冊の雑誌で《鎌倉》が特集されている。
 それぞれ工夫がほどこされていて読んでいて楽しい。
 なかでも充実の一冊は『Hanako』の「鎌倉案内」だが、主旨が違う、これには触れないでおこう^^。
 もう一冊、『OZ magazine』で「だから好き 鎌倉」ってのが出ていて、その冒頭にこの店が大きく紹介されていたのには驚いた。2009y05m21d_132949121
 ここは“Bossa鎌倉”、日本のカフェにおけるボサノヴァ流行の震源地=情報発信基地なのだ。
 “おしゃれなカフェは東京にもたくさんあるけど、鎌倉にはそれ以上のなにかがあるみたい。”というキャッチは当然。しかもなんと写真満載で6ページにわたるお店の大特集。
 ここを語らずして、いま鎌倉を語ることにはならない。
 まさに鎌倉気分とはカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのことだ。
 ボサノヴァしかり。吉田慶子(+中村由利子のピアノ)しかり。
 
 福島に住む吉田慶子がボッサを歌う聖地=ステージ=リング=ボッサの環、それがこの店なのである。

 今回、エンエンと縁があって“リゾーム”の連鎖の流れの中で、「千里眼」問題をテーマ(話のタネだね^^;)にして書きつないでいる。しかしながらこんなにも時間を喰うとは・・・思ってもみなかった。
 吉田慶子が鎌倉ライヴする情報ってのがずっと以前からネットにあって、それをなんとか紹介しようと思っていたら、ズルズルといまになってしまったという次第。途中で事件がいくつかあったから。ははは。

 この雑誌の、この店の記事は、まったくの、予想外・予定外で。。。
 ぼくこそが「透視」能力があるのでは・・・と思えてきてしまうじゃないか。

2009y05m22d_064317703  
 「リング」は「念波」で伝わる。

 現代のディジタルなウィルスだ。
 新型インフルも次第に東にまで蔓延して来た。これもひとつ、時期的なリゾーム話題となってしまったよね、やっぱり「透視家」ターナーなのか!?

 ぎりぎりで間に合いそうだ。紹介しておこう、左の内容で吉田慶子の鎌倉Bossaライヴがある。ぜひとも、生で、聴いてみていただきたい。
 

  ここまでがイントロ。

 

 思えば、ぼくがある種の脅迫観念にかられて、夜な夜な一枚また一枚と“お気に入り音楽”CDを焼いている理由には、無意識的に『リング』的な世界観があってのことかも知れない。〔なんて大げさな、なんという曲解か!笑〕

 鈴木光司『リング』の怖さの核心が、“相手を死に至らしむる貞子の怨念”にあったことは周知のことだろう。
 断片的で脈絡のない奇妙な映像が映ったビデオテープがある。呪いのビデオだ。
 このビデオを観てしまったものは、ちょうど一週間後の同時間に、死ぬ。〔あるいは、テレビ画面から這い出て来た何者かによって、殺される。〕
 その何者が「貞子」だ。

 「貞子」は、繰り返すまでもなく、その母のモデルが「御船千鶴子」である。
 鈴木光司はすべてを知っていて、調べあげていて、事実を下敷きにして基本ストーリーを設定した。
 しかも千里眼・御船千鶴子と“変態心理学者”福来友吉との関係に《博士の異常な愛情》すら捏造している。まるで楽園追放されたアダムとイヴのように。

 文化情報伝播の先端メディアであったビデオテープに、かつて伊豆山中に隠れるようにしてあったサナトリウム施設の古井戸の底から「怨念・憤怒の情」が「念写」される!なとどいう発想、これはいかにも鈴木光司らしい卓抜なアイディアだった。
 しかも“それを観た者は必ず死ぬ”のだから、新型ウィルスどころの怖さじゃない。

 感染したら最後、と思いきやそうでもなくて、一週間経っても生き残ってしまう者が現れる。なぜだ!? 
 呪いの伝播に手をかしてやるとどうも死を免れるらしい。
 どうすればいいのか? コピーすること。情報を複製して他人に伝えること。ビデオでいえばダビングして人に勧めることをすればいいのだ。
2009y05m23d_062955718  このとき、文学・芸術をやっている者なら、ウォルター・ベンヤミンの世界的名著が頭に浮かぶだろう。戦前のドイツで活躍したユダヤ人の文化社会学者、文芸評論家、思想家である。彼の代表作『複製技術時代の芸術作品』(36年)。ナチスに迫害されついにはピレネー山中で自殺してしまったベンヤミンだったが、彼の遺した仕事の数々がその後のわれわれの《芸術》世界観を一変させていることは言うまでもない。
 ベンヤミンを知らずして芸術論は語れない。
 ボサノヴァを抜いて鎌倉が語れないようにね。笑

 鈴木は“コピーする(複製する)”ことの芸術論的意義をホラーに「念写した」唯一の作家だ。
 「リング」ウィルスは「文学」し、「芸術」するのだ。
 作家、画家、ピアニスト、歌い手にしてもしかり、すぐれた「芸術家」は「予見する」。未来を「透視する」。
 あえてぼくが書くことじゃあるまい。歴史がすべてを証明しているではないか。
 ときの大衆は、知識人でさえも、ただ純白なマスクをしているだけだ。口にはマスク、眼にもアイ・マスクを。
 才能が豊かであればあるほど、大衆は「芸術家」に近づいて来てはマスクを外し唾吐きかける。そんな人類の陰惨で残忍な非文化的行為が何世紀にもわたって続けられている。〔と、オーバーに書いておこう^^;〕2009y05m23d_063556500

 映画『感染列島』を思い出そう。あのわれらが檀ちゃん(檀れい)の主演していた今年あたまに公開の作品だ。どこへ行ってしまったのか? TSUTAYAに行っても新作・準新作の棚にすら並んでいないぜ。
 これが日本人の哀しい芸術・文化観だ。「一本堂」に出かければ《マスク入荷! ただしお一人様10枚に限らせていただきます》だと。

 天才心理学者・福来友吉は“マッドサイエンティスト”の烙印を押されてアカデミックな場から追放され、不知火の千里眼女・御船千鶴子は重クロム酸を飲んで自殺した。

 
 イントロのあと、ここまで駆け足で一気にスクリプトの梗概をまとめてみたが、こんなことをぼくは語ってみたかったのだ。
 とくに福来“変態”心理学については、ベルグソン哲学と小乗仏教学の見地からもアプローチしてみたいと思って、いま文献をいろいろと読み進めているのだが・・・ははは、それで長いの書いたって、誰も読みやしないわね。

 「リング」最終章・・・・・・次回ですべてを完結としたい。〔ほかに一杯書きたいことあるんだしさ^^。新型ウィルスまででリゾームをぶち切ることにしようぜ!〕
 

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2009年5月16日 (土)

龍ちゃんと亜美ちゃん

2009y05m18d_085429281  “芥川龍之介の文学の真髄は「書簡」にあり”とみているぼくは、明治39年からはじまる彼の膨大な書簡集を、つれづれなるままにひもといては愉しんでいる。

 芥川作品研究/文献資料整理がかくも進んでいる昨今、彼の遺した夥しい数のすべての書簡・葉書にはケッヘル番号のように?通し番号が付せられており、ちなみにその記念すべき第1番は、夏のあいだのリゾート地(避暑地ではない。目的が泳ぎだから^^)、外房・勝浦から出された明治39年8月7日の絵葉書で、この「●●番」の検索が可能なところが芥川(研究)読者としては大変に助かっている。

 
 ついに下の息子に、書物とCDに埋もれていたわが書斎を明け渡し、かわりにガランと何もなくなった8帖部屋には、先の連休中に新発売になったばかりのソニーVAIOがガラス天板のスタイリッシュなデスク(俺のだった!)に置かれているだけだ。2009y05m18d_081454000
 最新型のVAIO、息子のは右の写真のとは違ってホワイト仕様。画面と一体型PCだから余計な箱など脇や足元にはない。当然キーボードもマウスにもコードレス。
 かなり兄貴のiMacを意識・対抗している。これを昨年末からの一本堂でのバイトで買ったのだから褒めてやろう。
 (マック党のぼくの目からしても)エッジの際立ったその意匠をiMacと比較するに、こっちのほうがデザイン的には鋭く勝っているかもね。カッコいいのだ、素敵!とは違って。24インチの大画面。HDD容量はすでにテラの単位に達している! これがメタリックな大型トレーラーだとすると、ぼくの(DELL)は畦道をよたよた走る耕運機だ。

 ぼくはほの暗い書庫(納戸)のネズミと化して、今度こそ正真正銘棚と棚の隙間の光のない空間で、分厚い芥川全集の一冊を膝小僧の上に開きながらキーをポタポタ叩いている。トホホのオヤジ。息子がブラインドで高速でシャカシャカ指先ダンスしている姿を見ていると、着ぐるみの豚か牛とフレッド・アステアほどの違いを感じてしまう。いやはや。〔ここで、オードリーの二人のように顔を見合せてへへへと笑う。^^;〕

 何が書きたいのか。嘆き節か。いやいや^^。そんな卑屈にはなってない(笑)。

 芥川書簡「98」番にはこんな一節がある。一高時代の手紙の一部だからね、しかしこの文章あたりに後年の文豪の文学・思想的「秘密」が、すでにして滲み出ているような気がするではないか。
 〔後日記事にしてみたいのだが、芥川の“愛する女性たち”に宛てた書簡というテーマ、けっこう面白いよ。〕

“(・・・)僕はいつかも日記にかいた事がある。「我、我と同じくつくられたる人を求む。かかる人ありやなしや。われは之をしらず。されど何となく世界のいづくかにかかる人ありてわれをまてるが如き心ちするなり。これ亦夢なるやも知らざれどかかる人なくしては、われ、生くるに堪へず」 一人でもいい。一人でもいいと思ふ。年上でも年下でもいい、男でも女でもいいと思ふ。かぎりなくさびしい。僕は何時でもかぎりなくさびしい。
 そのうちに君にあひたい。事によつたら東京へかへる時に鵠沼へ二三時間よるか藤澤迄君に来てもらふかもしれない。  十一日朝 蜜柑の木の下にて  龍 ”
   (大正2年8月11日 山本喜誉司宛 )

 
 思わせぶりな予告編ばかりを出し続けていると、ただいたずらに期待感ぱかり高めているようで^^;(ごめんなさい)、個人情報公開メールが届くたび“それで、いつ千鶴子の最終回がアップされるんですか?”と問い合わせを受けてしまう。

 新都市伝説の誕生?  ターナーの新感覚ホラー小説『新リング』か? 今度のは貞子でなくて千鶴子の“怨念”(笑)。 それじゃ鈴木君に叱られちゃうよね。

 これから日勤~夜勤で、翌日、明けてはすぐに青梅での(デイ施設職員の)BBQ大会に直行する。
 残念ながらこのブログを書いている時間が当分ない。2009y05m18d_100735171

 御船千鶴子の「透視」、ないしこれから余力があれば触れるであろう長尾郁子の「念写」、あるいは高橋貞子や三田光一といったところの不可思議な霊能力、これらをひっくるめて《千里眼》というなら、明治末期の日本の社会にあって、この《千里眼》問題は「新しい科学」としてアカデミックな領域で論じられていたことは事実である。その当時の、かなりの知識人、文化人がこれにまじめに関心を寄せていた。誰もトリックだの詐欺だのといったマイナーな解釈はしていなかった。夏目漱石の名前すら挙げられる。文献学的に実証できる。
 そもそもこの「千里眼」に対する学術的実験は、東京帝国大学心理学科准(助)教授・福来友吉(ふくらいともきち)が研究解明を依頼されたことから始まった。
 熊本・不知火の女、御船千鶴子、四国丸亀の千里眼・長尾郁子、東京の千里眼女・高橋貞子らを被験者として。
 
 「千里眼事件」とググッてみればその全容が簡明に伝わってくる。
 だからここではあらためてそのことは繰り返さない。
 「御船千鶴子」と、あるいは「福来友吉」と調べてみても、同様の内容の事実が読めてくる。これがネット情報の力だ。海外に居てもだからね。図書館で調べようとしたら何年かかってしまうか・・・むかしの「勉強」ってそれでしかなかったのだからなぁ。。。
 だがしかし、ぼくはググル族に対しては猛烈に反旗をひるがえす。そんなの「知識」じゃねえ!と。
 「知識」ってぇもんは、日々の生身の生活からつかまえるもんだと。その知の空間を泳ぐことこそが「知を愉しむ」ってことだと。
 「千里眼事件」については分りました。で、いったいそれが何なのだ??

2008y11m23d_214431709_2  ここに“牽強付会”の「リゾーム」パワーが生まれてくる。ははは。
 生活の中の「千里眼」を体験しなくっちゃ。自分の問題として怖れおののき、恐怖を探究心に変えていかなくっちゃ。生きることとは生々しく怖れること、と言いきってしまおう、ぜ。

  話をとばしパスする。
 ラグビーの面白さ・凄さは、その本質がリゾーム的力の構造にあるからだ。点と線のゲーム。2009y05m18d_092325640
 ボールをかかえてひたすら走るばかりがラグビーではない。2mのプロレスラーが100m10秒代で爆走するスポーツでもある。しかし力まかせに疾走してゴールするのがこのスポーツの目的でも美学でもさらさらないのだ。
 走りにはステップが伴う。舞踏的な走り。かつてワラビーズのキャプテンだったデイヴィッド・キャンピージーのような走り!! 疾走しているのに止まって見える走り。真っすぐに走っているのに右に左にいる走り。リゾームのような走り。

 満点大笑いしてしまった。
2008y11m16d_152816047  キャンピージーの画像を探してみたら、「竹内まりや」の写真が1ページ目にドーンとある。
  あれれっと思ってクリックしたらターナーさん・俺のブログやんけ。なんじゃこりゃ??

 キャンピージーとまりやの不可解で怪しい関係は、神のみぞ知る!か。(爆)
 これすらも、ひみちゃんだったら「透視」できちゃうのかなぁ??

 リゾームとして“変態的”に走っては、一瞬、ラックやモールをつくり、ガツンと組んだスクラムの中から再び別の方向に新たな逃走の線を走らせるラグビー状の建築空間/人の動線のありかた、そんな空間を提示・体感させてくれる現代建築家に・・・・・・おっとこれは全く別の話になちまう。別の機会にしよう。

 話をさらにパスして、もとに戻す。

 のちに東大を石もて追われたマッド・サイエンティスト福来友吉が仙台の蟄居で死の直前まで深く交友関係にあったのが、一人が赤痢菌の発見者として知られる志賀潔であり一人が詩人の土井晩翠だった。
 福来友吉は決して狂人ではなかった。が、アカデミックな世界ではどうしても生きていけなかった人種であったことも確かだろう。
 彼はいきいきとアチラの世界に没入して、死の直前に懸案だった論文『Study on Nengraphy』を上梓して逝った。「仕事を残したままの死ぬのは残念だ」、これがいまわのきわの彼の最期の言葉だった。

 明治末期から大正初年にかけて、“文学青年”のピークを生々しく生きていた府立三中(現・両国高校)から第一高等学校時代の芥川龍之介は、ながい夏休みに静岡にいて、こんな手紙を書いている。
 彼は九月から東京帝国大学英文科への入学が決まっていた。当時の東大英文科は合格者若干名(ほんとに数名)で、難関中の難関だった。いかに芥川が秀才であったかが判るし、この「余裕」っていったい何だろう。

 芥川はリゾートの禅寺で読書三昧・水泳三昧の優雅な日々を過ごしていた。
 秋になれば福来さんの“変態心理学”の講義が受けられると心待ちにしていたのだった。
 これは実に興味深いエピソードだ。芥川研究の国文科の人間でもほとんど気がついていないだろう。

 
 若き日の芥川龍之介は、夏の盛りを静岡の清水に近い不ニ見村の新定院に逗留していて、福来博士の新著の新聞広告を目にし、こんな風に友人に手紙している。
 それが「99」番の書簡。先ほどの手紙のすぐあとのね。日付は、翌12日になっている。

“(・・・)今月末迄止るつもりなれど気が変わればもっと早くかへるかもしれず候。毎日漫然と泳ぐのにも飽きそうなればに候。新聞によれば千里眼問題再燃の由、本屋にたのみやりし福来博士の新著も待遠しく田舎の新聞が同問題の記事を少ししか出さぬが歯がゆく候。”
    (大正2年8月12日 浅野三千三宛)

 上記の書簡は『芥川龍之介全集 第十巻』(岩波書店)に収められている。
 本の山はゴミの山ではない。学生時代に小遣いの大半をあてて買っていたものだ。好きな作家のは全集で持っていて至近距離に置いておく、これが鉄則だった。決して無駄なことではない。むしろ必要なことだ。思いついたら、それが三十年ぶりだとしても、埃を払って開ける読書環境をぼくは死ぬまで保全していたい。たとえその書物と書物たちとのわずかな隙間に日々斜めに横になることが続くとしても(笑)。


 時間がない。
 以下、余談です(爆)。

   (施設職員の)彩子ちゃん、由美子さん、まずはこれを観てもらいたい。
  http://www.youtube.com/watch?v=xRymNBvf7VA
 どう?  言った通りでしょ?  ドラミにそっくりだ。尾崎亜美だよ。

2009y05m15d_204148515  数日前のNHK『SONGS』の特集が「尾崎亜美」だった。目を疑ったねぇ、こりゃどう見たってドラミ本人じゃねぇか???
  ピアノを弾きながら自作の往年の大ヒット曲を歌いまくる。杏里の「オリビアを聴きながら」、聖子の「天使のウィンク」、真梨子の「あなたの空を翔びたい」もあった。
 そっくりにしても度が過ぎている。
 彩子ちゃんは覚えていたよね、“そうそう、前にTさんしきりに言ってましたよね、ドラミって芸能人の誰がに似ている、思い出せないんだけど、誰かと双子みたいだって、それが尾崎亜美だったんですねぇ。ふーん、なるほどぉ”と頷いてくれた。
 体つきはドラミのほうがずっとグラマーで上背もあるし、しかも若づくりだ(笑)。でも尾崎亜美だって、35のときは、今のドラミっぽかったんだろうな。想像することはたやすい。

 整理してみる。ここではちょうどドラミのことを話題にしていた。そした偶然にも『SONGS』に尾崎亜美が出て来て、ド・アップで自作の名曲を歌う姿を目の当たりにする。彼女は友人であるソムリエ田崎真也を自宅に招いて、手料理(フレンチ的中華系)をふるまい赤ワインを美味しそうに飲む姿が画面に映り出す。歌よりも飲み食いしながらオシャベリしているシーンの方が、よりリアルに「ドラミしていた」ように思われる。

 尾崎亜美は今年52才。まぁ、ドラミといい勝負だ。でもドラミは外見35だからね。この見た目の若さは圧倒的!!だ。しかもスノボーはプロ級ときている。あの体形だもん、ゆるゆるのウェアって彼女に似合っている(失礼!かしらん?)。
 ドラミをハリウッド女優のジェーン・マンスフィールドに喩えたばかりだ。でもこれって、おっぱいが大きくてアタマがいいことを端的に表現するために思いついたいかにもターナーっぽい比喩であって、顔が似ているとは少しも言っていない、意味していない。

 そうなのだ、ドラミは尾崎亜美似。顔は瓜二つだ。
 さて、そのドラミは・・・こう歌うのだった。。。。。。

 いいとこなんだがなぁ・・・。
 ひみちゃんの出番はこのあとだよん。

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2009年5月12日 (火)

携帯を炊く!?

2009y05m11d_071117625  気を取り直して。
 三度目のチャレンジ。そっとキーを叩き始めよう。今度は一体どのように話を始めようか?
  注意して数行づつ保存していかなくっちゃ、な。
 

 むかし『雛を焚く』というタイトルのお涙頂戴的な記事を書いたことがある。はっきり覚えている。四年前の「ひな祭り」、3月3日のことだった。2009y05m10d_210958281

 
 要約してみよう。

 東京大空襲があった春三月、昭和20年のひな祭りの夜のエピソード。
 ホームヘルパー講座課程最後の施設実習で、新大塚にある特養施設に行ったときに、小柄で上品な銀髪の老婆から伺った話がもとになっている。

 小石川あたりに住んでいた美人三姉妹。その末娘。当時なんとか小町で有名だったらしい。彼女は女学生だった。上の二人も結婚はしていなかったという。
 戦局は緊迫しており、めったにお風呂になど入れない。家には焚く薪もほとんどない。
 先祖伝来の立派な段飾り(たぶん享保雛)を片づけながら、お母さんが言った。2009y05m10d_213405375

  噂ではもうじき大規模な空襲があるらしい。そのとき東京は一面焼け野原になるでしょう。私たちはおそらく何も持ち出せません。それどころか家族がばらばらになってしまうかも知れません。死に別れるかも知れない。どうかしら、その前に身体のお清めをしては。代々の家宝であるこの雛人形だけど、しまわないで今夜燃やしてしまおうとお母さんは考えています。お人形様には大変申し訳ないけれど、これで最後のお風呂をわかさせていただきましょう。いいですよね。みんなで一緒に入るの。小さい頃を思い出して。分かってもらえるわよね?

 わたしたちは涙ながらにうなづいた。
 最期のお風呂。覚悟のお風呂でした。。。

 東京大空襲は・・・たしか、その一週間あとの、3月10日だったかしら・・・・・・。

2009y05m10d_213813078  話を聞いていたぼくの脳裏には、沖縄戦で断崖から飛び降りてゆく女たちの実写映像がなぜかよみがえってきた。

 雛人形が一体また一体と風呂釜の鮮やかな緋色の炎の中に消えてゆく。
 家じゅうのありったけの木材、大きく立派な桐の収納箱も、細かく割られて放り込まれた。
 その晩の、雛人形に手を合わせて詫びている母の背中が、とっても哀れで、いじらしくて、しかもなぜか神々しくて、3月3日になると私はいまでも忘れられないのです、母の姿を思い出すのです・・・・・・と、彼女は語ってくれた。

 天皇皇后両陛下の結婚50周年を祝う特別番組がこの前放映された。
 何気に二時間も眺めていたが、お気づきになられた方がいらっしゃるだろうか、番組中で何度も何度も、10回は流れていたBGMが、MMさんがコメしていた例の「IN MY LIFE」だったのだ。驚いちゃったね、あまりのタイミングの良さに。たぶん局への問い合わせもかなりの数あったのでは。誰が歌ってる何て曲だ?って。リタ・リーは英語でも歌っている。
 番組担当者は答えただろう、ターナー氏の『BOSSA KAZZ 20 〔Femmes Ⅲ〕』を聴けと(これはいかにも嘘っぱちだなぁ^^)。しかも希望すればタダでもらえるってさ。
 ははは(笑)、ぼくにも「千里眼」の能力があるんだろうか?2009y04m30d_140954551_2

 いま、ちょうど中村由利子のピアノが流れている。
 ぼくの「中村由利子作品集成」では「Ⅱ」のディスク、第三曲目の「母のピアノ・CBSドラマ『春の日』のテーマ」だ。
 大変に美しい旋律である。タッチがこのうえなく優しい。しかも一音一音が真珠の銀白色に輝いている(とエリカさんのパクリ^^;)。
 Panさんならば必ずやあの大きなおメメから大粒の涙をとめどなく落とし続けるだろう。
 ぼくにとって、たぶん、中村由利子のベスト3の一曲だ。
 とっても哀しくて・幸せな気持ちになってくる。。。

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2009年5月10日 (日)

お詫びとお知らせ

 午後からひたすら書いていて、最後の写真を貼りつけ、23時には完全原稿をアップと思いきや、これが何度目でしょうか情けなや、画面がフリーズしてしまいました。

 呪われているみたい。もうやめたほうがいいのかな、エリカちゃんの言うように。
 そんなわけで、当分、新記事は読めません。一番ショックなのはぼくなんだけど。。。
 ごめんなさい。

 それと、手違いから今朝がた携帯を「炊いて」しまって^^;、昨夜零時過ぎからかりに「メール」をいただいているにしても読めない状態になっています。当然、返信もできません。
 昨年夏からの全データを失いました。
 手帳とかほかに残していないので、とりわけ携帯番号・メールアドレス・(MMからはもらったばかりの)住所といった個人情報がすべて消えています。
 皆さんからまず一方的に情報をいただかないと、連絡できません。

 新しい携帯は週末までに購入したいと一応考えていますが、この際、携帯なしってのもいいかと、もう誰とも直接連絡はしないと、それが精神的に一番の癒しになると、ふてくされてそんなことも考えています。ちょっと淋しいかね?
 お心優しい方であるなら、週末ごろに元ぼくの携帯に、郵便番号・住所・氏名・メールアドレスを入れてみてください。そこから新しいぼくらの関係が始まるかも知れません(笑)。

 そんな情況です。よろしく。

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2009年5月 8日 (金)

「リング」外への逃走

2009y05m09d_065449548  リゾームとは、かりに「根茎」と訳してはいるが(いわゆる樹木を支え養分を吸収するための)「根」ではない。それ自体が力=生命のラインなのだ。
 前回、そこのところの説明が充分ではなかった。というか、何も論じてはいない。
 ま、気にせんといて。
 (さっきまでサ行変格活用の誤りに気づかなかった^^; お詫びして訂正いたします。へへへ。)2009y05m08d_234410953

 
30年も前に、豊崎光一はこう訳している。

 “リゾームになり、根にはなるな、決して種を植えるな! 蒔くな、突き刺せ! 一にも多にもなるな、多様体であれ! 線を作れ、決して点を作るな! スピードは点を線に変容させる! 速くあれ、たとえ場を動かぬときでも! 幸運の線、ヒップの線逃走線。あなたのうちに将軍を目覚めさせるな! 正しい観念ではなく、ただ一つでも観念があればいい。短い観念を持て、地図を作れ、そして写真も素描も作るな! ピンクパンサーであれ、そしてあなたの愛もまた雀蜂、猫と狒狒のごとくであるように。”
 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『リゾーム』

 あえて一度「リング」から逃走する

 昨夜、ちょっとながめの“
ドラミのおしゃべり”をここに(疑似)採録してみたのだが、書いているうちになんだか震えが走ってきて、発汗発熱しだし、豚インフルエンザにでも感染した妙な気分になってしまった。自分で怖くなってきたと書いたほうが正直だろう。
 そこで・・・中断。
 アップするのは、昨夜は、断念した。


 しかしいまだって、誰かさんの「
」を、「視線」を、頭上に感じる。逃げられない。

 言い出した以上、責任はとらせていただきます。
 ただし少し時間と心の余裕をください(笑)。
 心の平静を保ってからね^^。(書くことって命がけなのだよ、明智くん!)

  いま、『催眠心理学 全』(成美堂書店)なる大冊を読んでいる。
  明治末期、気鋭の「変態心理学者」(変態というのは異常の意で今風のオカシイ・悪い意味はない)で東大助教授だった某氏の博士論文まるごと一冊だ。
 世界的にも有名な論文であり、日本人の学者でこの分野で論文を書いたのは彼が初めてのことだった。いやあとにもさきにも、唯一これだけだ。
 旧カナづかいで実に読みにくく、なんと800頁もある。辞書みたいに厚い。明治39年に初版が出され、いま手にしているのは明治43年の第6版。
 まぁ、ぼくの執念深さも相当なものなんだろう。病的ですらある。しかし、学者なら当然のこと。
 「智恵子抄」しかり「青鞜派」の運動しかり、「宝塚(歌劇団)」しかりである。
 
とことん、追求しちゃってる。アハハ。追究と書くべきなのかな。
 そして、これらのすべてがひとつの流れになる。

 智恵子~青鞜派の女性解放運動~タカラヅカ~熊本・不知火~マッド・サイエンティストへの「リゾーム」。逃走のライン。
 


 それまでのあいだ、まぁ、せっかくですから、
 
香ばしい焼きたてのCDを味わっていてください。美味しい紅茶とともに。へへへ。ママからの宅急便を模したあの小箱に入っていた、あの品々・・・。
 それは心癒される品々に満ちていたはずだ。開けてみなければ分らない“真心”だった・・・・・・。

 中村由利子のピアノには本当に心癒される。
 逃走=闘争の魂がオブラートで包まれる。優しさに包まれたなら、きっと・・・。
 吉田慶子のあの甘く囁くような歌声は母の声か。
 ボサノヴァが「子守唄」の別称に思えるのは不思議でも何でもない。母の唄なのだ。


 まだの人には、CDはすぐに単品でお届けいたします。待っててね。ブログのアップよりは早く着くかな? いずれにしても、いまとなれば月曜発送デス。悪しからず。

2009y05m08d_060811277 2009y05m08d_064442637 2009y05m07d_174303796_2 2009y05m07d_174310750 2009y05m08d_064413012 2009y05m08d_060710199



 

 すでにパイロット版が渡ってしまった方は、後日、お手数でもファイナル版と取り替えさせていただきます。曲が若干違っていますので。よろしくお願いいたします。

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2009年5月 4日 (月)

名前の出てこない女優たち

 ぼくのこのブログはいわば“連想ゲーム”的思考で書かれている。2009y05m04d_092424031
 “泥縄式”でもあって、テーマ、ネタが全部つながっている。
 かつてある人から「牽強付会」だと言われたことがある。本来の意味的には決して褒め言葉ではない。「けんきょう」とは「こじつけ」の意で、「けんきょうふかい」とは「道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること」なのだから。
 ま、有能な経済学者であるその人のメールには、直前の文節に「博覧強記」の文字もあったから、“驚異の雑学的ネタを縦横無尽に絡み合わせて一本の泥縄状の思念として文言化提示している”のがこのブログだと、不遜ながら定義づけておこうか(ニヤニヤ)。
 そうなんだよ。わが師ジル・ドゥルーズの哲学ではそれを「リゾーム(根茎)」的思考とよぶのだ。
太く垂直に天を目指す幹本体ではない。地べた、あるい地中をジグザグにあるいはクモの巣状にあるいはルールなく横に延び拡がる根・茎。
2009y05m04d_092250281  しかも根っこをおろしちゃいけねぇよ、と。どんどんと動き回り、スタイルを変容させること。同じかたちをしていちゃいけないのだ。
 腐っても鯛、わたしは一本の樹よ!という主張は認められない。
 あるときは蘭の花になり、あるときは蜜蜂に。アンナ・カリーナのお尻のラインにもなる。
 変幻自在なピンク・パンサーであれ、それがわが師の尊い教えだった。

 大半の勤労者が、すくなくとも最低カレンダー通りの連休を取っている中で、赤文字など365日どこにもないカレンダー・ボーイのこのぼくは、唯一このブログで憂さを晴らしている始末。嗚呼なんとも情けなや。2009y05m04d_092346953

 話を「とばしパス」する。(「ぶん投げる」という場合もままあるけどね^^)
 この前の写真の女性。
 たぶん誰もわからなかったと思う。
 ブログも一種のミステリー感覚のぼくは、しかもゲームの法則には正攻法で文を綴っているわけだから、ぼくの性格(思考の流れ)を理解していれば簡単に「正解」を出せたはずだ。あのときぼくが書いている文章の前後・どこかに彼女の名前が出てきている。アハハ。
 まっ、そこまで熱心な「ぼくの愛読者」、眼光紙背に徹す読者など、いるわけないか(笑)。
〔逆にぼくに出すメールでは言葉=語・文字に気をつけてよ。百も千も裏を返したり透かしたりして深読みするから^^。文法に外れた下手くそな文章だと大誤解される危険性が高い(笑)。大切な用件は声できちんと伝えなくちゃね。〕

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