« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

エトワールの恋人たち

2009y05m01d_002649718  かつて後藤真希が「モー娘。」を卒業してソロになったとき、初めてのミュージカル企画シナリオが公募され、ぼくは(地元のよしみ/彼女の母親と姉貴が同じ町内会で居酒屋をやっていた関係で)『エトワールの恋人たち』というシナリオを書き上げた。

 ターナー先生、伝説のミュージカル台本である。

 タイトルからすぐに判るように、ジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』のパクリであることは歴然だが(誰かさんのような公然猥褻罪ではない^^)、もちろん剽窃作品でもない。
 “ジャック・ドゥミとミッシェル・ルグランに敬愛をこめて”と副題で愛を捧げた。
 (音楽著作権の問題解決は後回しにして)ルグランの名曲が日本語で原曲とは全く歌詞を変えて随所で唄われるのだ。
 当然ストーリーはドゥミ映画と別物だ。「東京・下町・江戸川のタカラヅカ風純和式ミュージカル」であった。

 (出来損ないの堀江氏みたいなIT関連の)自分の会社を、六本木でなく半蔵門に持っていた時代のこと、)昼休みどきで混雑している郵便局に台本が入ったぶ厚い封筒を持って20mばかり坂をおりて行き、宛先が見えないようにして「書留」発送をお願いした。
 表書きには「後藤真希主演ミュージカル・シナリオ係 御中」とある。窓口の若い娘が一瞬ぼくを見上げ、クククッ・・・と笑いをかみ殺し・・・いや~な気配がぼくの背中のニ番目くらいまで波打って、クククの声が連鎖反応していった。まずい。まずい。^^;×2!
 フランス語では、“もしもし”“お~い(中村くん)”をククーッ!と言う。郭公鳥の鳴き声だ。いまどきの日本語の“モシ・モシ(おいおい)”に相当するか。
 もしもし、おっさん、何よその後藤真希ってのは、ククク、と笑われた気分だった。。。

 このミュージカルは、昭和40年代初頭の東京下町・江戸川区の某「エトワール商店街」で繰り広げられる「宝塚歌劇」のスターを夢見る少女を中心とした人生模様喜悲歌劇で、その後になって映画『Always 三丁目の夕日』が大ヒットしたせいか、わが国に“懐かしい昭和30年代ブーム”が起こる先駆けとなった作品である。2009y05m01d_062556625
 昭和ノスタルジック世界の“流行現象”を予見した驚異の先見的プロデュース才覚。ホントかな?

 「タカラヅカ」に憧れる中3の乙女ゴマキの父親である酒屋の主人・中井浩一は、ミュージカル映画大好き人間で、ちょうど銀座でロードショーが始まった映画『シェルブールの雨傘』を観終えて、アルコールが入りちょっといい気分になって帰って来る。物語はそんな晩春の夕暮れの「エトワール商店街」の通りで始まる。
 彼は家業の酒屋をいやいや継いではみたが、本当はフランスに出掛けて絵描きになりたかった。暗くて地味な酒屋の店先をお洒落なワインショップに模様替えしようと密かに目論んでいる。東京でもそんな店はまだ見当たらない時代だ。いつか見たパリのワイン店の写真に魅せられたのだ。けれど本人にしても商店街の仲間たちだって、ワインといえば「赤玉ポートワイン」くらいしか飲んだことがない。
 通りのはす向かいの、ガキの頃からの無二の親友・写真館の奥さん(奥利道)にも、ワイン屋で儲かるわけがないと鼻でせせら笑われた。
 奥さんは40歳独身。写真館は小さいが腕はいい。なんだか結構有名な写真賞を取っているらしいが、無口な彼は何も語ってくれない。ゴマキの通う中学校から年間行事の撮影をまかされていて、たまに顔を合わせる音楽教師の柳原美子(よしこ)先生・35歳に恋している。
 美子先生も彼に好意を持っているが、たとえば結婚して「奥さんの奥さん(マダム・ダーム)」なんて呼ばれたら・・・奥美子なんて名前になったら・・・と悲しい笑いがこみ上げてきて、真面目に先のことなど考えられない。
 ゴマキはこの美子先生に、放課後、個人指導を受けていた。
 この後藤真希本人に音楽指導していた教師を実際にぼくは知っている。ぼくが保育園の父母会の会長を2年していたとき、会議の効率的すすめ方の手法も知らず井戸端的お喋りに徹する小うるさいオバチャンたちのただ中にあって、完全に孤立していたぼくを強力にサポートしてくれたのが副会長の彼女だった。あっ、彼女もそう言えば「Mさん」だ。偶然にも嘘みたいな事実。2009y05m01d_005202312

 ルグラン音楽のみならず、ゴマキの(不良)兄貴が当時流行のエレキバンドを組んでいることもあって、スプートニクスやアストロノーツ、それにベンチャーズの名曲も劇中で演奏される。こりゃ権利問題が大変だね。
 ぼくとしては「東京オリンピック」の翌年からの、“祭りは終わった!”国民総虚脱状態の中で、そのストレスを日本国民は表層文化的にどのように発散しようとしていたかを問うてみたかったのだ。「エレキブーム」はその代表的表れだったと思う。次なる“お祭り”は「大阪万国博覧会」であった。そして「ビートルズ≦エレキギター=ロック・ミュージック」と「学生運動=全学連」の「流行現象」がきっちりと祭りの間隙をつないでいる。
 そこで起こっていたのは“革命”ではない。血を血で洗う壮絶な“革命ごっこ”だった。文化的にも政治的にもね。

 

続きを読む "エトワールの恋人たち"

| | コメント (2)

2009年4月28日 (火)

“N・AND”の怪人

2009y04m27d_132032812   納戸がぼくの書斎/寝室だと!

 トンデモ大暴挙のわが家のリノヴェーション計画がぼくの同意なく進行中で、一体全体そもそもこのAV専用納戸に収められている膨大な数のビデオ、CD、カセットテープをどこに移せというのだろうか?

 結論はただひとつ、“捨てておしまい!”ということなのだ。

 まったくもって、B型“鬼嫁”らしいストレートな発想だ。痛快すぎてこちらは顔面蒼白痙攣状態だ。“美とは痙攣的なものだ”と言い切ったアンドレ・ブルトンを、恨みに思う。

 先日のこと。腰が重苦しく痛くて足が動かないというのに、というかそれがために仕事を休んでいるというのに、普段は朝の挨拶もなくほとんど口もきいたことのない鬼嫁が突然に「業者が入るので明日までに片付けておいて!」とのたまう。「一日やることなくてヒマなんでしょ?」と、こんな論法でいきなり攻めの口調。こういう女は一見現象学者風に見えても哲学者では断じてない。文学も到底理解できっこない。2009y04m27d_131758671

 ぼくのビデオ・コレクションは、書籍同様に常軌を逸脱した量で、こちらに引っ越して来る以前は、住んでいたのは14階建ての建物だったが、10mにわたって床から天井まで壁面一杯に棚を設けてビデオ/カセットテープを収納しており(ひたすら上へ上へと積み上げていただけか^^;)、ナントカ地震のときに上半分が一挙に崩れてしまった。さながらバベルの塔のごとく。
 フローリングの床だったから落下の大衝撃でプラスチックが飛散・破損した。音楽テープはケースと中身がばらばらになってしまって何が何だかわからない。およそ100本のビデオと500本のカセットテープをそれを機会に泣く泣く廃棄処分したのだった。
 帰宅してリビングのドアを開けたとき、15秒くらい呆然とフリーズしていたのは映画のワンシーンのようだが、まさに本当のことである。立ちすくんでいた(爆)。

2009y04m27d_132601187  ともかくそう簡単には運びきれない量のビデオ。引っ越しの片づけで、泣きの涙で、今度は1000本くらい捨てた。
 廃棄基準は、いわゆる一般的な映画ソフト、に限って。レンタル屋でいつでも借りられるものは優先的に捨てる、と。
 たとえば『ローマの休日』とか『サウンド・オブ・ミュージック』とか『2001年宇宙の旅』とかのたぐい。でも1000本ってレンタル店が開けるほどの量だから(ちょっと大袈裟か^^)、これだけでも半端な数じゃない。ダンボールで数十箱ゴミとして出したら(塵芥集積場は巨大なスペースで毎日自由に捨てられるのでそれが可能だったのだ)、業者なのか物好きな映画ファンなのか、一夜にして箱が全部消えていたのには驚いた。ワゴン車だって二・三回では運べない量だ。トラックで乗りつけて来たのだろうか。
 つまりはそのときを境に、映画評論家という顔は捨てたのだった。記事を書いているときにキャメラが左から右に動くのか否か、あそこのシーンは顔のカットの切り返しか否か、そんな瑣末なことを確認するために、ビデオ・ライブラリーが必要だったのだ。評論家をやめちまえばそんなの必要ない。これで随分と頭の中もすっきりした。PCで毎日のように使っている一時ファイル・クッキー・履歴等の消去ソフト「CCleaner」みたい。
 今日あったいやなことはみんな消去してしまおう。そうだ、それがいい。

 新居に運び込んだのは、ヒッチコック監督・無声時代からの全作品(ぼくは自慢じゃないが全作品を劇場で観ている日本人としては唯一か、ニ・三人に入る男でR。やっぱり自慢してんじゃん^^)とか、小津安二郎ほとんど全作品(マイナス7~9作品 例えば『若人の夢』・『肉体美』・『女房紛失』(28年)、『足に触った幸運』・『お嬢さん』(30年)、『美人と哀愁』(31年)、『春は御婦人から』(32年)とかの初期作品はビデオでは入手できないはず。いまはどうなのか?)、成瀬巳喜男、吉田喜重の主だった作品群とかで、それにキューブリックやダグラス・サークやゴダールやトリュフォーやカサヴェテスやヴェンダースやエリック・ロメールといった大好きな監督の厳選ビデオがずらりと揃っていた。
 レンタル店で見かける有名な作品ももちろんあるにしても、ぼくにとっての貴重な・自慢の「お宝ビデオ」だった。これらはちょっとやそっとの理由じゃ捨てられない。生涯ぼくの近辺についてまわる“聖なる匣”たちだ。2009y04m27d_134345296
 AV納戸にはピッタリサイズの専用棚を造りつけ、ずらりと保存・湿度調整管理されていた(いやしちゃいねぇか。ハハハ^^;)。が、いずれにしても封印された開かずの部屋であることは間違いない。まるでフリッツ・ラングの40年代サスペンス映画(『扉の蔭の秘密』・48年)みたいだ^^。

2009y04m27d_130516703_2  2009y04m27d_131030453  “オタク”、“フェチ”、“萌え”系の作品も相当ある。
 中古・オークション市場でも入手困難な絶版もの、廃盤もの。テレビで放映されることなど期待できないレアな作品群だ。1本1本、撫で撫でしていたいものばかり。〔あ、これって希少価値ビデオの意味で何もエッチな、ロリコンものとかじゃない。だいいちぼくはセーラー服って嫌いなんデス。10代の美少女ごときに心惹かれるわけがない。おしっこちびった老婆趣味なのか???〕

 それらのための神聖な収納スペース〔シネマの神殿〕が普通の部屋にされちまう。俺の部屋。。。
 なんてことだ。冗談じゃないぜ。
 
 理屈はこうだ。つまりは完全にデッド・スペースになっているから。ビデオのためにこんなスペースなど必要ない。もったいない。引っ越して来てから1本たりとも観たことないじゃない? これからだって観るわけがないでしょ? ビデオテープだし再生しても画面は汚い。ボケボケ。そう、まさにゴミの山。それでもゴミがそんなに大好きなら、死ぬまでその中で暮らしてよ!と、鬼嫁はつれなくもこう言い放った。

 あなたの部屋はコンピュータ・ルームにする。メディア・アート科の学生の息子のために。あなたは自分のWinPCごと“聖なる映像の棺”に入っちゃってよ。邪魔くさいから。唖然とするような鬼嫁の言葉はこう続けられた。
 メタボ過ぎて自分が入れないようなら、かわりにビデオを全部捨てて。CDも、絶対に聴かない・聴くすべもない音楽カセットテープもね。2009y04m27d_133032453

 ドラッグストア(一本堂)でバイトしている当事者の息子に頼んで箱をもらいに車を走らせ、車一杯に同一サイズのダンボール箱を20枚くらいもらって帰って来て、それに片っ端からビデオを放り込んでいった。
 感慨に耽っている時間などない。考えている余裕などない。眺めてりゃどれも捨てられなくなる。嗚呼、涙・涙・涙。つらい作業が遅遅として続いた。

 確かにもう観ることのないビデオだ。その通りだ。しかし本も同様だが、そばに“在る”ことが重要だったのだ。一緒に居ることがね。聴きもしないCDもそうだ。音の不明瞭な音楽テープだってみんなそう。
 ボウイのカセットなんか、全部ロンドンで買って来たんだぞ~っ。熱烈なボウイ・ファンだって持っちゃいねえ物もある。でも・・・確かに・・・もう聴くことはない。つまり、これらはゴミってことか・・・・・・。
 東京都指定の半透明のゴミ袋に移した。一袋50本も入らない。
 ゴミの日に門の所に富士山のごとく積み上げておいたら、清掃員は無情にもそっくり残してスルー。あまりの量にびっくりしたのか。ここの家人はアホか、と思われたのか^^;。
見かねたカミさんが別日に回収を頼んだ模様。でもさ、DOMAの隅にその三倍のダンボール箱があることを彼女は知らない。クククッ。あれはすべてゴミなのだよ、明智くん。学校にでも寄贈したい気持ちだが、ビデオじゃねぇ・・・・・・しかたねぇよなぁ。。。
 
 てなわけで、現在机まわりでもCDなら200枚以上積んであるし、DVDもすごい枚数だし、もちろん本の摩天楼が何本も立っていて足の踏み場もない。
 これからこの部屋を片づけねばならないのだ。身体が動かねぇよぉ。

2009y04m27d_135947828  黄金週間中での立ち退きを攻め(=責め?)立てられている。認めよう、つまりぼくは性格的にゴミ屋敷親爺なのだ(笑)。
 “オペラ座の怪人”のような芸術的秘密の空間だったらAlways OK牧場!なのに、これからはなんと納戸の生活だ!
 納戸でペルマナント!! 何度もここで書いていたのがいけなかった。なんとナント行は“N・AND”行に変容したってわけだ。
 
 “N・AND”、聖なる映像の棺、静謐なる冷暗所での新たな人生・・・・・・。鬼嫁は『おくりびと』のモックン気分なのだろうか。。。

〔本のことを考えると・・・この5倍は苦労するわけだから、もうイヤ~ッて感じ。実家の物置にはいまのウチの倍の量の日本文学があるんだし(苦笑)。〕

続きを読む "“N・AND”の怪人"

| | コメント (6)

2009年4月20日 (月)

風の庭に佇(たたず)みながら

2009y04m16d_135734921  またぞろあっという間に一週間が経ち、何も書けていない自分に苛立ちを感じる。2009y04m20d_084942718

 何もできないで、独り、いる。

 周りでは、文字通りご当人の人生自体が大きく変わってしまうような様々な事件が引き起こっているというのに。
 あの人にも、あの方も、ここのこの人にも。。。
 とっても身近なところでは、生死を懸けて病いと戦っている人がいる。
 かつての「あなた」と同じ最も忌まわしき病い・・・・・・。

2009y04m20d_085018421_2   その事実を知りながら、身体が思うにまかせず見舞いにも行けず。
 仕事場からほうほうのていで家に戻れば、今日の新しい出来事や人の不幸などにはまったく素知らぬ顔をして、やけくそになって浴びるようにワインを飲み続けているだけの、なんとも情けないこのぼく。
 家人は夜でもほとんどいない。
 相手をしてくれるのは、一日中ケージの中で声も出さず尻尾を振っているランちゃんだけだ。Photo

 痛みを騙せるのは、いまはアルコールだけ・・・。
 麻酔薬、モルヒネの類いではない。。。

 なんだか足のみならず、痺れが右半身全体に及んできたようだ。

 もちろん部位では足首の痛みがひどい。おまけに右手首が腱鞘炎にでもなったかのごとく動かない。2009y04m20d_080533453

 仕事を長期に休んでいるわけにもいかず、また周囲にこれ以上心配もかけられず、まぁまぁ元気になったよと嘘ばっかりついて、仕事の現場では冗談ばかり言って老人たちを笑わせている。

 “人格を変えること!”。うちの施設に実習にくる「ホームヘルパー2級資格取得講座」の受講生に必ず指導していることだ。
 “役者になったつもりで演じてください。誠意ある、心優しい嘘をつきまくってください”と、朝一番のオリエン&インスタの際にいつも言い添える。
 正直なことが正しいことではない。その人のためになることではない。いいですか、それは善意の嘘なんです。幸せの種まきなんです。決して自分を悪く思わないで。

 満面の笑み。大げさな身振り。声色までも変える。まるで道化の姿だ。
〔ホントはじっと黙って机に座り、眉間に皺寄せて哲学書を読んでいるのが性に合っているのに・・・・・・(そんなことは俺が一番よく分っているさ。誰が好き好んでこんな姿に)〕

 (苗字は仮名で) おっはよーっ、宮本さん!小田切さーん。スミコさ~ん。きょうも綺麗だよねーっ。
 サヴァ? 元気?ってフランス語の発音は「鯖」でいいんだよ~。
 じゃ暑いって何ていうと思う?「鯵!」。うまい、座布団一枚だねー。緒川ちゃ~ん、きょうも冴えてるねぇ、アッハッハ。

 テーブルを廻るように歩いて、明るくテンポよく、駄洒落を一杯つめこんで朝の挨拶言葉を投げかける。
 フレイ(Fray)・フォ・ハリウッド! ロバート・アルトマンはその傑作『ロング・グッドバイ』(73年)で、内容とはほとんど無縁なこの陽気なミュージカル・ナンバーを高らかにラストシーンで流していた。あのマーロウが踊っていた。
2009y04m20d_134455756 そうだ、ぼくだって毎日が『ロシュフォールの恋人たち』だ。パステルカラーにペンキを塗りたくった建物に取り囲まれたあの広場を、横移動を基本に縦横無尽に踊りまくっているのだ。
 できる限り、おおらかに、楽しげに、ジャンプ! テッペイちゃんとずんこのあのステージのように。みんなして、いっせいのせい、『ムーン・ダンサー』!!
 

 天国に行けば、大天使ガブリエルが最初に何て言うか、きみ、知ってる? “あのよぉ~っ”(笑)。
 これはTVドラマ『風のガーデン』の中での麻酔科の医師・中井貴一のセリフ。2009y04m20d_080907859

 ようやく出てきたこの作品が、本日の「お茶濁し」テーマ。
 長くは書けない。
 最後にこれの話をしておこう。

 この物語、正確な日付を打ちながら振り返って語れば、「4月17日(木)」から始まる。しかも「高林医大病院」で。ある「癌」患者の物語だ。〔こういう紹介って、うそだ。未見の方は騙されないで。ターナー氏は嘘つきだからね。もうじき風になる男の物語、そう訂正しておこう。〕

2009y04m20d_080938687  ひょうきんなこの彼は、末期のきわでも駄洒落を言う。
 西日が差し込む窓辺のベッドに横たわる父。まぶしくない?カーテンしめようか?と傍らで気遣う娘・黒木メイサ。
 “ルイ、夕陽が俺の顔にあたってるだろ?”
 “だから、まぶしくないか?って”
 “こういうの何ていうか、知ってるかい?”、“えっ”と怪訝な表情の娘。
 “夕陽のガンマン...”
 

 個人的にはあまりに出来過ぎた設定だ。演出のひとつひとつ、台詞の一言がわが身にぐっさり迫り来る。
 なんだかいろんな要素が象徴的な意味を帯びていて、あるときは美しく煌めき、あるときは碧の淵となって深くよどむ。


 先週から今週(昨晩)と、ぼくはこの作品だけを何度も繰り返して観ては涙を流していた。
 まさにぼくの誕生プレゼントのように、6枚組DVDとして発売されたのだ。

2009y04m20d_085108640  誕生プレゼントにある人からいただいた美味しい紅茶が“しょっぱく”なっちゃうほど、涙の雫を垂らしては観なおしていた。〔辛らつで意地の悪い礼状を書いちゃって、ごめん。どうかしてた。疲れていたことを理由にして、どうぞ忘れて^^; それにしても何てセンスがいいんだろ。ぼくの桜湯の話が彼女の手によれば見る間にパリ色に染まって、ティーカップから馥郁たる花の香りが立ち上がるのだから。参りました!〕2009y04m20d_174114818

 
 実に素晴らしい作品である。中井も黒木メイサも、伊藤蘭も、みんないい。
 伊藤蘭なんて、俺が死に掛けているときにあんな顔して見舞いに来てくれる人妻っているのかなぁと中井を妬んでしまうほど、素敵すぎる女優になってしまった。〔ぼくは高校時代からスーちゃんのファンでランちゃんには何も感じていなかった。その後スーちゃんはりっぱな女優として大成した。そしていまようやくランちゃんが華ひらいた。素晴らしい!〕
 突然音信不通になってしまったと、東京から富良野へはるばる訪ねて来た(不倫の)人妻ランちゃんを、名優・緒形拳(渾身の最期の“無”演技がぼくらを号泣させる!)が無情にも喫茶店で「面会は無理です。本人の強い希望です」と門前払いするあのシーン。どうか想い出してみて。
2009y04m20d_080013000 2009y04m20d_075806984 2009y04m20d_075737343

 

 

 
  “ 分りました。ご家族みなさんで戦っているのですね。
  それが一番いいことです。確かに。
  余計な我が儘を申しました。・・・”

  そうして静かに席をたって緒形に背をむけたままランちゃんは言う。
 “自分が、ご家族のその作業に加われないのが・・・”

2009y04m20d_083332437_2 2009y04m20d_083314781_3  そこではじめて振り返って、
 “・・・くやしいです” (涙をこらえて深く一礼し、テーブルから去ってゆく内山妙子)。

 一連のやりとりをプレイバックしてみると本当に感心する。実にうまい台詞。二人の演技。カット割も絶妙だ。名場面として長く記憶されるだろう。2009y04m20d_084119796_2

 カット割ついでに、キャメラの動きが何かを想わせなかったろうか?
 そう、風だ。
 風のモーション。
 画面はいつもいつだって何かで仕切られている。前後左右に障害物が必ずあって、何かが邪魔をしていて、からっと全景が見渡せない。それは小津映像のメモワールだろう。オマージュと言い換えようか。
2009y04m20d_084334921_2  親しいはずの家族が映っていても、不倫の愛人でも、さらにもっと若い父の恋人、父の幼友達の豊満な床屋のかみさんでも事態は同じだ。

 エリカ役の石田エリが実にいい。シャボンの匂い。上半身をかがめて髭(≧顔)を剃ってくれるときに、仰向けになった自分の胸のあたりに彼女の柔らかいおっぱいがポニョッとくっつく。
 男たちはみんな、その快感をまさぐり求めて、床屋に出掛けるのだ。
 そうじゃないっスか? ぼくは子どものときから(?)床屋の楽しみはこれひとつだった。〔なんとおませな子だったこと!〕 
 シャボンの匂いに仄かに女の肌の香り(甘い体臭)がまじる。目を閉じて懸命に鼻だけで嗅いでて、しかも口からは息が出来ずに我慢していて、たまらなく気持がいいんだよね、これが。へへへ。
 だから床屋の女房は痩身じゃ困る。絶対にね。江戸川でも店が少なくなって、捜すのに苦労している今日この頃・・・なんちゃって^^;。〔これがあるんだよ、王子製紙の近くにね。見つけちゃったのだ。ある雨の日に。お客さん、ご近所ですか?と尋ねられて返答に窮した。いいえ...とは言えない。だって貴女にカミソリをあててもらいたいからなんて、その鋭利な剃刀の刃先で口が裂かれても言えねぇだろうが(笑)。 “床屋の顔そりには常にスリリングなM感覚が忍び込む”のでR。〕

 さえぎられた画面の隙間、あいだを、風が渡っていく。2009y04m20d_084425953_2
 それは手術室でも同じこと。
  マスク越しにくぐもった言葉だ。
 矢継ぎ早に紡いでいくひつようがある。
 優しい、ハイトーンの挨拶が、心をつなぐように画面を舐めていく。だからいつもハンドヘルドのキャメラが、まさに隙間を縫うようにくねくねと動いていく。
 介護の世界でも同じだ。風のように言葉を歌う。
 いいよねぇ、元気?綺麗だよ、きょうも。あらあらお口をこんなに汚しちゃって。待ってて、すぐに戻るからね。すごいねぇ、沢山食べられたネェ。偉い、一人でもできるんだ。たいしたもんだ。お利巧さんですねぇ。etc.
 
 映像にもご注目。画面を仕切る・区切る・遮るさまざまの横断線。その向こうの限られた親密空間。心が解け合うささやかな場所・ほんのつかの間の時間(とき)。。。
 小津を意識しつつも、根本的に違うのはこの構図の決め方でありキャメラの動き方だ。これをしっかりと読み取らねばならない。
 
2009y04m20d_095942078  花は枯れ、犬も人間も、老いては病みやがて死ぬ。必ず死ぬ。その哀しみは同じだ。
 花は血を流さないだけで・・・・・・と確か緒形拳はつぶやいた、かな。

 「花のガーデン」の書字は緒形のものだ。一発で描いたという。
 この人が名書家であることを15年くらい前に知った。当時、大手広告代理店で営業部長を務めていた先輩友人─D通ラグビー部で活躍していたカッコいい人だ─が自慢げに沢山の作品を見せてくれた。CMの仕事を一緒にしていたからだ。いいだろう、実に味があるだろう? まるでプロの書家だよね、と彼は言っていた。2009y04m16d_141053046


 「タカラヅカ」や「智恵子抄」の話は、“昭和モダニズム”と“新しい女”のテーマにつながっている。
 きちんと年代的に整理してみるとよく分るのだが、都市交通の発展の動きと共に新しい芸術が生まれ、“新しい女”という概念が生まれてきた。
 平塚らいてふらが興した《青踏》、つまりは「ブルー・ストッキング」の女性解放運動も、「タカラヅカ」と時期を同じにしている。
 これはあながち偶然ではなく、いや、必然的な政治・芸術運動の一部をなしている。
 
2009y04m20d_104132546  いま読んでいるのは(寂聴になる以前の)瀬戸内晴美の『青踏』(中央公論社・上下巻。もちろん一冊100円本だ!)。
 これの下巻の冒頭「十六章」は、こんな風に第一行目が書き出されている。

 “うぐいす色の地に濃いセピヤで中央にギリシャの女らしい全身立像を立たせ、その顔の左右に「青踏」という雑誌名の二字を、左右に分けて刷り込んだ表紙は、当時としては思いきって斬新なものだったろう。長沼智恵子のデザインは成功している。”

 さてさて、『風のガーデン』にたたずんで。

2009y04m20d_155605865  一枚一枚、花のイラストを替えてデザインしたターナー版DVD『風のガーデン』6枚組セット、なんとも美しいディスク!、を限定制作してみた。先着?抽選で?三名様に差し上げます(だって焼くのにえらく時間がかかるんだから)。ハシタナイ・えげつないなどと躊躇せずに、いますぐ申し込んでみて。間に合うかもよ。
 《ボッサ・KAZZ》シリーズの、これがホントの最終盤は「ステイシー・ケント&ジェーン・モンハイト集成」。これももうじき焼きあがる。ボッサもここまで唄われちゃ本望というものだろう。これまでとは趣向が違った美味しい一枚だよ。
 M&Mさん、きちんと意思表示しないとダイアナも(最高傑作の)小野リサもあげないからね、わかった?

 それにしても「タカラヅカ」、なかなか話が切り出せないなぁ。。。

 

| | コメント (11)

2009年4月13日 (月)

ボッサの薫風、蒼い風

2009y04m13d_065453031_7   足腰が立たぬ(?)と、こうも思考が停滞してしまうものなのかと悲しく思う。
  停滞じゃないんだ。書きたいことは沢山ある。けれど、PCに向かって同じ姿勢(椅子での座位)が続けられないんだ。
 長時間垂直に座って執筆できないつらさ、悲しさ、嗚呼・なさけなさ。
 「お能」と「タカラヅカ」(と今後カタカナ表記にしたいと思う)、これらの話には力が入りそうなので、またもやアトマワシ。
 今回は“お茶濁し”で“ボサノヴァ”だ。
 
 ダイアナ・クラールの待望久しかった新譜『クワイエット・ナイツ』がすこぶるいい。2009y04m06d_184334296
 吹雪のごとく空を舞う桜花をたまに見上げて老人のようにヨタヨタと歩きながら、あるいは春だというのにスーツもバッグもなぜか黒づくめになってしまう(とっても不愉快!)新入女子社員で溢れた電車の中で、このところずっと毎日彼女のこのCDを聴き続けている。

 もしかすると、いや間違いなく、ダイアナ・クラールって一番好きな女性ヴォーカリストじゃないかな。 

 ちあきなおみ、高橋真梨子、竹内まりや、姿月
あさと、畠山美由紀、クミコ、月田秀子、小野リサ、矢野真紀、森山良子、伊藤君子、
中島美嘉、平原綾香、増田いずみ、平賀マリカ、サラ・マクラクラン、ステイシー・ケント、ノラ・ジョーンズ、バルバラ、ジュリエット・グレコ、パトリシア・カース、ジェーン・バーキン、ボニー・レイット、リタ・クーリッジ、ミージア、ホリー・コール、マリアンヌ・フェイスフル、プリシラ・アーン、カサンドラ・ウィルソン、ダイアン・リーヴス、ジェシー・ノーマン、コリーヌ・ベイリー・レイ・・・といった綺羅星のごとくの歌姫たちの中で、たぶん一番好きなのがダイアナ・クラールだろう。

 「タカラヅカ」は「世界にも類いまれな未婚の女性だけの演劇/歌劇集団」というより、そもそもは「学校」であり、「学校」には「校則(コード)」と「成績」と「序列(ランク)/評価」がつきまとう。すべてが一番から順に直線的に並べられる。みんないい!大好きだよ!じゃ困るのだ。AとBとではさまざまな観点から評価の差がつけられ、さらにCを加えて比較され、D、Eと数を増すことで複雑な評価ランキングのチャートを形成する。必ず一番がいてビリがいる。花屋の薔薇にも一番がいてビリがいる。桜並木の1本1本の老樹にしたってその通りなのだ。その混在ぶりを「自然」という。これは「差別」じゃない。金持ちがいて貧乏人がいる。各人そういう生き方を選んでいるのだから。「不平等」でも何でもない。不平不満を言うなら、そりゃあんたが自分で選んだことなんだからね、と言ってあげよう。自分に対して、一番それを言っておきたい(、って、へへへ。マイッタね^^;)。
2009y04m12d_185530328  何の話だ?
 ダイアナ・クラール。
 歌声が好きだ。自分で弾いているピアノが好きだ。そして美貌じゃないがあの太目の容姿が最高に素敵だ。造りのガサツさなど少しも気にならない。いろんなポイントから星を付けていくと、いま現在、彼女の右に出るものは存在しないことになってしまう。まぁ当然の結果だね。

 今回の新譜『クワイエット・ナイツ』では、ダイアナがダイアナ流のボサノヴァを歌っている。これが素晴らしいんだよ。
 不思議と奇妙にもこの春はボサノヴァ続きで、オリジナルCD制作でも、木住野佳子~小野リサと「改訂版」を二枚まとめたのに続いて、平賀マリカ~さらに“癒し”をテーマに小野リサの新版(これの出来は最高と自画自賛している^^) とボサノヴァにどっぷり浸(=漬)かっている。ヌカじゃなくて「間抜け・腑抜け」のごとく。
 そこにもってきての、ダイアナ・クラールのボサノヴァだ、もう究極を超えちまったぜ。

続きを読む "ボッサの薫風、蒼い風"

| | コメント (6)

2009年4月 6日 (月)

ユーレカ!

   2009y04m06d_144102250 リフレインが叫んでる・・・とそのとき実感した。
 またしても湯船の中である。 「さくら湯」か? そんな馬鹿な話・・・って。へへへ^^;。

 それにしても、さくらの精がこの世に遣わしたと思えるぼくの生誕のときを想うと、まさしく満開の桜の樹の下でぼくは生まれたのだと言ってもすこしも過言ではない。
 ぼくと花見は生涯切り離せない。
 生命の誕生を祝うことと桜の花を愛でることは全く一緒の行為・祝典なのである。

 仲間うちでは有名なエピソードだ。当時27歳だった父親は、異例中の異例の大抜擢で某銀行支店長の辞令をもらい、春四月、赴任先の北国の田舎町で40・50のベテラン行員を従えて就任祝いを兼ねた壮大な花見の宴を催していた。
 その祝宴のまっ最中に、ぼくが生まれたという知らせが家人より伝えられた。その後・・・献杯に次ぐ献杯で、祝杯はどんぶり酒で酌み交わすこととあいなり、超大酒のみの親父だったがその日ばかりは完全に前後不覚にされちまったという。。。
 この事件を母親は相当に恨んでいた。すぐに顔を見にも来ず泥酔してリヤカーで家に連れ戻されたという父。毎年、花見の頃になると、お父さんは本当にひどい人なんだからと必ず愚痴っていた。
 ・・・でもいまは、その日の記憶など何ひとつ彼女には残っていない。一片の桜の花びらの思い出さえもないのだ。。。


 ここで、ユーミンの『リフレインが叫んでる』。聴いて欲しい。2009y04m06d_144847156
 http://www.youtube.com/watch?v=8bH6KViy_k4

 (ぼくらの60末~70年世代の人間たちの、それはしかし普遍的なのかも知れないが)人生は、いつも、リフレインが叫んでいる。

 正確に物申せば、この歌は時代的には少しズレる。ちょっとあとの時代の曲だ。
 第一期ユーミンのファンであるぼくらは『あの日にかえりたい』世代だ。ビートルズだ、ツェッペリンだ、ベックだクラプトンだと言ったとしても、やっぱり身近だったのは「ユーミン」であって、当時のパブ(死語か?!)に行けば、ジュークボックスで「ユーミン」を聴いていた。
 『きっと言える』、『やさしさに包まれたなら』、『12月の雨』、『ルージュの伝言』、『翳りゆく部屋』、『ベルベット・イースター』......それらが“ぼくらのユーミン”だった。

 http://www.youtube.com/watch?v=lGK3pVSgRuE&NR=1

2009y04m06d_144417671  これを観ると、あっこれターナーちゃんからDVDに焼いてもらったという方もいるだろう。数年前のNHK・BSの伝説の特番映像。「寺岡呼人」と「ゆず」+「桜井和寿」の四人がプロデュースしたユーミンへのオマージュ番組で、これは値打ちモンだ。ぼくの場合、PCにストックしておいたオリジナル映像はハードディスクのクラッシュと共に散り去り、自分では持っていない(苦笑)。逆に、焼いて!お願いよ^^。〔寺岡と、I LOVE 矢野真紀の関係話に移ってしまうと・・・へへへ、際限ないのでそれは止める。〕


 お湯に浸かっていて、リフレインが叫び出した。

 傍らに座っている、いままで無言だった連れ合いが、突然こう叫んだらどうだろう?
 芸術は交通機関の発明と進化に伴って変容する!と。

 “我、発見せり!新しい文化と芸術は「交通メディア」がもたらすものなのだ”

 ブログで何度も繰り返し書き、飲みながら厭きるほど繰り返して語ってきたことではある。いまさらなにさ、のネタであることは百も承知。
 が、はっきりと言える。いまさらながらに言い直してみたい。2009y04m06d_144609390

 映画(リュミエール)も、近代絵画(ターナー)も、その後のフランス印象派も、近現代の芸術は“汽車”と共に生まれ育った。
 “汽車”と、馬車ならぬ“ハイカラな自動車”から20世紀文学の最高傑作(プルースト)が生まれた。
 そして、ジャック・ドゥミの作品やヌーヴェル・ヴァーグ映画は大衆化した“自動車”によって、自由恋愛世界を疾走する。〔ドゥミの作品のどれもが、『ローラ』のファーストシーンからして車。ほかの作品も車・車。ラストシーンも車・車・車。でしょ?〕

 交通メディア/機関の新たな誕生と進化こそが新しい“芸術”と“文化”をもたらしている。
 これは間違いないことだ。
 
 「さくら湯」につかりながら、アルキメデスが“われ発見せり!(ユーレカ/ユリイカ!)”と興奮のあまり全裸のまま外に飛び出していった映像を想像する。
 ぼくもまた、桜満開のあの土手の道へと全裸で飛び出して行きたい気持ちだ。

続きを読む "ユーレカ!"

| | コメント (2)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »