エトワールの恋人たち
かつて後藤真希が「モー娘。」を卒業してソロになったとき、初めてのミュージカル企画シナリオが公募され、ぼくは(地元のよしみ/彼女の母親と姉貴が同じ町内会で居酒屋をやっていた関係で)『エトワールの恋人たち』というシナリオを書き上げた。
ターナー先生、伝説のミュージカル台本である。
タイトルからすぐに判るように、ジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』のパクリであることは歴然だが(誰かさんのような公然猥褻罪ではない^^)、もちろん剽窃作品でもない。
“ジャック・ドゥミとミッシェル・ルグランに敬愛をこめて”と副題で愛を捧げた。
(音楽著作権の問題解決は後回しにして)ルグランの名曲が日本語で原曲とは全く歌詞を変えて随所で唄われるのだ。
当然ストーリーはドゥミ映画と別物だ。「東京・下町・江戸川のタカラヅカ風純和式ミュージカル」であった。
(出来損ないの堀江氏みたいなIT関連の)自分の会社を、六本木でなく半蔵門に持っていた時代のこと、)昼休みどきで混雑している郵便局に台本が入ったぶ厚い封筒を持って20mばかり坂をおりて行き、宛先が見えないようにして「書留」発送をお願いした。
表書きには「後藤真希主演ミュージカル・シナリオ係 御中」とある。窓口の若い娘が一瞬ぼくを見上げ、クククッ・・・と笑いをかみ殺し・・・いや~な気配がぼくの背中のニ番目くらいまで波打って、クククの声が連鎖反応していった。まずい。まずい。^^;×2!
フランス語では、“もしもし”“お~い(中村くん)”をククーッ!と言う。郭公鳥の鳴き声だ。いまどきの日本語の“モシ・モシ(おいおい)”に相当するか。
もしもし、おっさん、何よその後藤真希ってのは、ククク、と笑われた気分だった。。。
このミュージカルは、昭和40年代初頭の東京下町・江戸川区の某「エトワール商店街」で繰り広げられる「宝塚歌劇」のスターを夢見る少女を中心とした人生模様喜悲歌劇で、その後になって映画『Always 三丁目の夕日』が大ヒットしたせいか、わが国に“懐かしい昭和30年代ブーム”が起こる先駆けとなった作品である。
昭和ノスタルジック世界の“流行現象”を予見した驚異の先見的プロデュース才覚。ホントかな?
「タカラヅカ」に憧れる中3の乙女ゴマキの父親である酒屋の主人・中井浩一は、ミュージカル映画大好き人間で、ちょうど銀座でロードショーが始まった映画『シェルブールの雨傘』を観終えて、アルコールが入りちょっといい気分になって帰って来る。物語はそんな晩春の夕暮れの「エトワール商店街」の通りで始まる。
彼は家業の酒屋をいやいや継いではみたが、本当はフランスに出掛けて絵描きになりたかった。暗くて地味な酒屋の店先をお洒落なワインショップに模様替えしようと密かに目論んでいる。東京でもそんな店はまだ見当たらない時代だ。いつか見たパリのワイン店の写真に魅せられたのだ。けれど本人にしても商店街の仲間たちだって、ワインといえば「赤玉ポートワイン」くらいしか飲んだことがない。
通りのはす向かいの、ガキの頃からの無二の親友・写真館の奥さん(奥利道)にも、ワイン屋で儲かるわけがないと鼻でせせら笑われた。
奥さんは40歳独身。写真館は小さいが腕はいい。なんだか結構有名な写真賞を取っているらしいが、無口な彼は何も語ってくれない。ゴマキの通う中学校から年間行事の撮影をまかされていて、たまに顔を合わせる音楽教師の柳原美子(よしこ)先生・35歳に恋している。
美子先生も彼に好意を持っているが、たとえば結婚して「奥さんの奥さん(マダム・ダーム)」なんて呼ばれたら・・・奥美子なんて名前になったら・・・と悲しい笑いがこみ上げてきて、真面目に先のことなど考えられない。
ゴマキはこの美子先生に、放課後、個人指導を受けていた。
この後藤真希本人に音楽指導していた教師を実際にぼくは知っている。ぼくが保育園の父母会の会長を2年していたとき、会議の効率的すすめ方の手法も知らず井戸端的お喋りに徹する小うるさいオバチャンたちのただ中にあって、完全に孤立していたぼくを強力にサポートしてくれたのが副会長の彼女だった。あっ、彼女もそう言えば「Mさん」だ。偶然にも嘘みたいな事実。
ルグラン音楽のみならず、ゴマキの(不良)兄貴が当時流行のエレキバンドを組んでいることもあって、スプートニクスやアストロノーツ、それにベンチャーズの名曲も劇中で演奏される。こりゃ権利問題が大変だね。
ぼくとしては「東京オリンピック」の翌年からの、“祭りは終わった!”国民総虚脱状態の中で、そのストレスを日本国民は表層文化的にどのように発散しようとしていたかを問うてみたかったのだ。「エレキブーム」はその代表的表れだったと思う。次なる“お祭り”は「大阪万国博覧会」であった。そして「ビートルズ≦エレキギター=ロック・ミュージック」と「学生運動=全学連」の「流行現象」がきっちりと祭りの間隙をつないでいる。
そこで起こっていたのは“革命”ではない。血を血で洗う壮絶な“革命ごっこ”だった。文化的にも政治的にもね。







































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