« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月30日 (月)

ベックの練習問題 第五問(最終問題)

5.フェルマーの最終定理を解く!?

  その前に。。。

 お昼過ぎの早い時間に、“さくら湯”に浸かっていた。
 浴槽に入るのは久しぶり(もちろんシャワーは浴びていたよ^^)。
 季節がら、桜の香りに満ちたお風呂は情趣たっぷりで気持ちがいい。たちのぼる湯気までが薄桃色に霞み、ミルキーピンクのお湯がゆらゆら春爛漫という感じ。Oh、乙女チック!〔馬鹿かよって言われるのがオチだな^^;〕。2009y03m30d_131617968
 
 湯のおもてに“生”の桜の花びらが浮いているわけではない。桜の香りがする入浴剤を混ぜただけの薬湯だ。その箱の説明書きにはご丁寧なことにも英語で「With no petals in it」と書かれている。笑えるね。
 しかしこの商品、巷ではそうは目にしていないはず。某漢方製薬会社の商品で、「モモ葉エキス」がたっぷり入っているシロモノ。桜の匂いの元はこのモモ葉エキスにあり、と^^。ちょっと変か。

 コルセットで締めつけているせいか、腰~お腹のあたりに桜色の帯状のみみず腫れができている。肌に直接でなくともかぶれてくる。緊縛の日々もそろそろ限界に達している。

 湯上りにビールをうぐうぐやりながら、AMAZONから届いたばかりの『美の巨人たち』関係CDを三枚続けて聴いていた。
 この前、エンディング・テーマ曲を歌っている平賀マリカに触れたが、この番組では毎年のように、いや半年に一度かな、オープニングとエンディングの曲が変わっている。中で使われるBGMもね。
 平賀さんのは今年1月からで、番組が始まって以来の永年のファンとしては、もっともっと馴染み深い曲が沢山ある。この機会にそれらを集めたCDを仕込んでみたわけだ。

2009y03m29d_191736625_2  2009y03m29d_191714187  おおむね好評だったこの前のぼくの平賀《ボッサ》CD。
 実は同時に、小野リサの《ボサノヴァ》も“無為”をテーマにセレクトし直してCDにしてみた。
 これが実にいいんだぜ^^。

 “One Fine Spring Dayの、な~んもやんないでボーッとしている無為なとき”に流しておくにピッタリの・・・《ボサノヴァ》。
 《ボサノヴァ》って、ぼくにはそんな時のための音楽のように思えるのだ。
 CDは一枚80分が基本単位だ。結構な曲数になる。これまでつくったものとダブらないように小野リサの曲を選んでいく。ちょっとした難問だったかな^^。

 そしていま、仕込みの下準備が終わった“The Best of 『美の巨人たち』”CD制作。
 ここからどんな世界が生まれてくるのか。この編集/画像デザイン&ヴィジュアル化への執念。なんとまぁ、自分でも呆れてしまう。次から次へと、まるで“(日々の)生活の癖”のよう(笑)。2009y03m29d_191811031 2009y03m29d_191855218   
 
 

  中学時代からの無二の親友にOという男がいる。
 某研究所の主任研究員で、某大学医学部大学院の客員教授でもある。日本を代表する「ケミカルバイオロジー」系の有能なサイエンティストだ。
 このたび3月27日に福岡で催された学会の総会で、このO博士は2009年度●●賞を授賞した。この数年のあいだ、彼はいくつもの名だたる賞をもらってきたが、今回のが極めつけと思える。学者として一生に一度とれるかどうかの大賞だ。建築の世界で言えば、日本建築学会作品賞。ネットの資料でこの30年を振り返ってみると、三回受賞しているのが前川國男で、二回が(マーちゃんが論文まで書いた)伊東豊雄と(ぼくが一緒に仕事をしていた)山本理顕の二人だ。一度とってしまえば超一流の証しとなる! 今年度●●賞の受賞者であるO博士。いわば我が国における科学部門の“ノーベル賞”相当の栄誉賞をとってしまったわけで、あとはない。ノーベル賞を残すのみ。
 彼が少年のときから口にしていた“偉い学者になってノーベル賞をとる!”という夢に、現実的に最も近づいたことになる。
 世界的にもトップレベルの研究成果が認められたわけだから(それはぼくたちの健康問題に還元されてくるのだよ。20歳は長生きできる!)、さて来年こそは!の期待が高まってくる。
 ともかく、心からおめでとう! やったね!!

 その栄誉の知らせと共に、四月中旬に東京會舘で行われる祝賀パーティーの招待状が弟子たちから届けられたのだが・・・会費がひどく高い。滅茶苦茶だ。これじゃ政治家のパー券とおんなじ。庶民には出席できるわけがない。あっ、そうか庶民なんて、最初からてんで相手にしてねぇのか。お偉い先生がたが公費でフレンチ料理を立ち喰いし、シャンパンとワインを飲みほうけるのだから。
 時をあらためよう。彼と二人、ぼくの誕生祝いも兼ねて懐かしの早稲田の「源兵衛」で、一人3000円会費で、飲むことにしよう。ぼくが奢ってやる。ここ最近の、「智恵子抄」の話でも彼にしてやったほうが、よっぽど気がきいている。


2009y03m28d_130052765  遠い記憶・・・。彼と中学時代に挑んでいたのが「フェルマーの最終定理」の証明だった。

 中2からの担任が数学の先生で、数学科を出たての血気盛んな人だったので、ぼくらは放課後や日曜祭日、剣道の稽古もそこそこに、いろんな高等数学問題を個人指導で教え込まれていた。高校の「数ⅡB」の教科書はこの中2の夏休みで完璧に終わっていた。
 日ごろ夢中になって解いていたのが「大学への数学」(略して大数)という月刊数学雑誌の問題だった。成績優秀者は模範解答が誌面に掲載される。
 それがぼくら憧れの「ノーベル賞」だった。いつか「大数」に名前が載ることを夢見て、ぼくらは西陽が紅く射しこむ教室の窓辺に並んで座り必死に鉛筆を走らせていた。傍らではいつもH先生が見守っていてくれた。〔たぶん先生は自分では解けなかったのだと、思うよ(笑)〕

2009y03m28d_130126953  中1の秋だったか、ヒマで仕方がなかった「技術」の時間のときに、彼が問いかけてきた“事件”が今でも忘れられない。

 おい、三角形の内角の和は?
 180度だろ。
 いや違うんだな^^。
 これを見て、と彼は小さなゴム風船に三角形を描いてそれを膨らました。ほうら、な、この角度の総和って何度だ? これを非ユークリッド幾何学っていうんだよ。これが本来の数学なんだ。俺たちがいくら満点取っても中間や期末の問題なんて屁みたいなものさ。ちっとも数学じゃない。

 たぶん誰か先輩に吹き込まれたか本に書いてあったんだろうが、ぼくにしてみればこれはショックだった。
 早速図書館に出掛けて、片っ端から「大数学者」「数学の偉人たち」といった本を読みまくった。この(非じゃなくて本来的な)ユークリッドの話から、デカルト、ニュートン、ライプニッツの三大数学者やガウス、ガロア、オイラー、カントール、ヒルベルトといった天才たち。その中に、当然、フェルマーの名前もあった。

 「フェルマーの最終定理」、これを証明すること!
 卒業までのぼくらの最終課題はこうして決められた。
 ドストエフスキー全集と森鴎外全集を全部読み終えたと豪語しているぼくに敵はいなかった。アハハ。彼はからっきし文学が苦手で、ぼくの提案事項にはすべて従っていた。
 ようし分った。「フェルマーの最終定理」の証明には懸賞金がかかっている。この一年かけてなんとか証明して、二人して大金持ちになろう!と、そのためにまず高校の「数Ⅲ」の教科書までは出来るだけ早く終わらせようと誓い合ったのだった。H先生も、お前たちなら必ず出来る!と言ってくれた。

 「フェルマーの最終定理」とは、3以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。

 「ウィキペディア」に詳しい解説がある。興味のある方はご参照されたい。2009y03m28d_130330484_4
 解説の末尾でこう付言されていることに注目されたい。ここが重要なところだ。
“現在も未解決の問題の大多数は、難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の結果は中学生程度の知識さえあれば理解できる内容であるため、予想の段階では数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志した者もいた。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。その意味でも、数学界にとっては若い才能を持った者が数学への扉を叩く動機となる貴重な問題であったといえよう。”

続きを読む "ベックの練習問題 第五問(最終問題)"

| | コメント (3)

2009年3月27日 (金)

ベックの練習問題 第五問(最終)を前にして

 二日前の早朝から動けなくなっている。
 正確には深夜に前のブログをアップした、その直後からだ。2009y03m27d_100229171
 さながら張り詰めたチェロの弦が闇夜を切り裂くような重く鈍い音をたてて、ビュ~ン~バシ!っと腰のあたりで引きちぎれたかのごとく。しかしその時点では腰にはそれほど自覚症状はなかった。脚はむずむずとしていたのだが。
 切れた!のは寝ている間だったのか。
 そう言えば、とっても奇妙な夢を見ていたことは確かだ。あまりにシュールな夢だった。。。
 

 智恵子の狂気と重なったかのごとく。。。

 
 椎間板ヘルニアの再発。痛みと痺れが腰から下を襲っている。平気を装ってみても、額にはあぶら汗がタラタラ。

 これまで(もちろん)冗談半分で、自分をフランツ・カフカの小説『変身』の主人公グレゴール・ザムザにたとえたことがある。
 ベッド上の芋虫。
 ある朝めざめたら芋虫になっていた彼。。。

 さて中野へ行く時間になる・・・と起きようとしたら腹筋も背筋も即座に動いてくれない。とくに腰から下が動かないのだ。痛い。痺れている。身体が動かせない。まるで芋虫のように─それよりも酷いな─必死の思いで身をよじってベッドから脚を下ろそうとしたがそれもままならなかった。
 十回、ニ十回と気合を入れてもがいた挙句、かろうじて寝返りが打てた。そのまま・・・ベットの下にドッシーン。床に積み上げている本の山が音をたてて崩れた。
 なんということだ!

  またコルセットで、ぎりぎりぎゅうぎゅうと緊縛されちまうのだろう・・・と床に腹ばいになって漠然と想った。
2009y03m27d_130729078  今回は、フカキョンの画像でも冒頭にのっけてやるか、と余裕あるふりしてそのときひょうきんにも考えた。いつもの調子で。
 大好評の新作映画『ヤッターマン』の「ドロンジョ」役の深田恭子。あのボンデージ衣装の写真で遊んでやろう、一度はそう冷笑したのだった。
 ある噂を耳にしていた。フカキョンは映画でのあのスタイルが似合うようにと12kgのダイエットに成功したのだという。《朝バナナ・ダイエット》で。朝バナナか。
 ちょうどネットで本人がそれを否定しているのでガセと判ったのだが、「12kg減量」の数値は魅力的に聴こえていた。朝バナナか、ちょっと気になるダイエット法だ。
 なぜかその根拠は自分でも判らないが、ぼくの中でこの「12kg減量」は長年の理想的な数値目標であるからだ。とくに女性、ふくよかなその相手に惚れている場合にはことさら、この「12kg減量」を平気で口にしている。“12kgダイエットしたら、さぞかし絶世の美女になるだろう!”と。たぶん「セクハラ」と訴えられたら確実に敗訴するはず^^。読者の中には、少なくとも、御三人、心当たりがあるはずだ。
  でもね、実際に「12kg減量」に成功したら、十中八九、その魅力を感じなくなっちゃいそう。そんな予感がする。今のままがいいみたい。ほっそりとした美形はあくまで想像上・芸術的な次元での女神の姿であって(そうかなぁ・そうでもないなぁ^^;)、「現実」的な存在では決してないはずだから。〔まったく説得力がない。理由になってない!〕

2009y03m27d_100034468  「12kg減量」はやめよう。ぶっちゃけ、ふくよかな体型好みなのだ、
正直にそう言っておこう(笑)。
 女性はすべからくね。ふくふく、ポニョの審美学。
 ブーツに隙間のあるような脚をした女性の後ろを歩いていると、エスカレーターの二段背後に立って、思いっきりその貧弱なお尻に蹴りを入れたくなる。激しい嫌悪の念が衝動的に湧き上がる。そんな事件が起こり容疑者の親爺は逃走したというなら、犯人はぼくに決まっているからね^^;。警察にチクってください。世のため、全女性のために(爆)。

 二日間寝込んでいて、しかし仰向けになって寝ていても何していても痛くて少しもラチがあかないんだけれども、やることがないんだから眠っていても仕方がない。漫然と音楽を聴き、手当たり次第に読書を続けている。あぶら・あせ・あせしてさ。

 ひみチャン、絶対に新潮文庫の『智恵子抄』などを借りてきて読まないように。
 図書館でさがすなら、龍星閣から出された高村光太郎『智恵子抄』、これに尽きる。これ以外はホンモノの『智恵子抄』ではありません。2009y03m27d_095947421_3
 一歩譲って、注釈を含めて清く・正しく・美しく(?)、そして深く『智恵子抄』を味わいたいと思うなら、大島龍彦/大島裕子 編著の「『智恵子抄』の世界」(新典社 04年)を切にお薦めしたいと思う。エリカさんには病院の帰りに雨の中なんとか郵便局に立ち寄って、済まないけど読み古しの少し汚れたこの本を発送した。平賀マリカのCDとともに。だってあの人は、“智恵子の分身(=生まれ変わり)”みたいなんだから。千絵子には智恵子をしっかり読んでもらいたいからね。

 明日も明後日にしても、この身体がどう持ち直して来るのか、まったく見えてこない。
 口述筆記でもしてもらわねば《ベックの練習問題 第五問最終問題 フェルマーの最終定理を解く!?》がアップできない・・・かもね。だよね。

 ここまででもう精一杯。キーを叩くのが、この姿勢では、続けられない。あぶら・あせ・あせ。

 前回の終わりにいかにもすぐ書くみたいに“乞う、ご期待!”と予告しておいて、このブザマさ。情けね~~っ!


 長講釈実況中継の時間ではありますが、当分のあいだ、そのまま、お待ちください。。。
 ずっと、ずっと、ずっと、待っててちょうだい。

| | コメント (3)

2009年3月25日 (水)

ベックの練習問題 第四問  

 4. ジェフ・ベックに問う、“癒しの音楽”とは何かと?

2009y03m22d_113258908   いま平賀マリカを聴いている。
 平賀マリカ、彼女をご存知だろうか?  毎週土曜日の22時から放映中のテレビ東京の美術番組『美の巨人たち』のエンディング・テーマ「ライク・ア・ラヴァー」を歌っているあの彼女だ。

 恋人のように
 朝の太陽がゆっくり昇り、日の光に口づけされて目覚める
 優しく、弄(もてあそ)ぶようにうとうととした
 あなたの笑顔
 ああ、私も朝の太陽になれたらどんなにいいかしら
     ─Like A Lover─
 
 “現在わが国でもっとも乗りに乗っているシンガーが平賀マリカだろう”と、昨年11月に出された彼女の『バトゥカーダ~ジャズン・ボッサ~平賀マリカ』のライナーノーツでジャズ評論家/整形外科医の小川隆夫はこう書き出している。
 続けて彼は書く。
 “2007年度には『クロース・トゥ・バカラック』によって「スイングジャーナル」誌主催のジャズ・ディスク大賞で「ジャズ・ボーカル賞」に輝き、今年(2008年)5月には(・・・中略・・・)『モア・ロマンス』を発表。その印象も覚めやらぬ半年後に登場したのがボサノヴァをテーマにしたこの最新作だ。
 平賀のヴォーカルが高く評価されているのは、華麗なイメージの中に優しさやロマンチックな表現が込められているからだ。(・・・中略・・・)「洗練」という言葉が彼女にはとてもよく似合う。そのことを肌で感じさせてくたのがこれら2作であり、それ以前に発表された作品だ。
 そしてその「洗練」にさらなる磨きをかけてみせたのが今回の『バトゥカーダ~ジャズン・ボッサ~』ではないだろうか。”

 以下、小川氏の長い解説が続く。

 ここで《ジャズン・ボッサ》と呼ばれているジャズシンガーによるボサノヴァの系譜は以前から結構永いものがある。
 ボサノヴァというジャンルの音楽がブラジルに誕生してちょうど50周年。まだ50年でしかない。この誕生のときからしてジャズとは因縁が深く、あえて《ジャズン》と形容しなくても、チャーリー・バードやスタン・ゲッツといったジャズメンが好んで取り上げて演奏してきたし、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらの名唱が数多く残されている。

2009y01m15d_140705121  日本でボサノヴァと言えば小野リサがすぐに思い浮かぶほど彼女の功績ははかり知れないものがある。
 だからこそいま、小野リサをきちんと聴き直さねばならないと思うのだが、ボサノヴァは彼女一人のものではもちろん決してない。

 ぼくはぼくなりに《ボッサ・ジャズ》ならぬ《ボッサ・カズ》と銘打って、三年前からか、すぐれた「ボサノヴァ」音楽の歌・演奏を独自に編集してCDをつくってきた。2009y01m19d_011623714
 その「ボッサ・カズ」ミュージック・レーベルの筆頭ミュージシャンがジャズ・ピアニスト木住野佳子(きしのよしこ)である。
 彼女のピアノは「ボサノヴァ」を弾くときに極端にのびやかになる。呼吸が深くなる。彼女自身の“音楽という快楽”がぼくらの胸に波動として活き活きと伝わってくるのだ。
 ある意味で、彼女とともにいっちまう! へへへ(最近この意味深な笑みがしっかり伝染しちまった。困ったものですよ、ひみこさん)。

 
  ところで、このアルバム『バトゥカーダ~ジャズン・ボッサ~』は、2008年度「スイング・ジャーナル」選定の「ゴールドディスク」に選ばれた。

2009y03m22d_113654643_2   平賀マリカは小川氏のインタヴューにこんな風に答えている。

“(・・・)今回の作品は、いわゆるボサノバ=癒し系という図式とは違うような気がします。緊張感のある曲、癒される曲、楽しい曲、個性的な曲・・・。ギルさん(※)の多彩なアレンジがちりばめられています。個人的に大好きなのは「ブリッジズ」。歌いながら、ここまで、こんなに遠くまで来てよかった、とつくづく思った曲です。”
〔※アレンジとキーボード担当のギル・ゴールドスタインのこと〕

 さて、ぼくとしては小川氏の冒頭の発言にたてついて、「乗りに乗っている」のは、昨年12月に新作CD『INORI』を発表し、今年1月には三度の「THE PREYER 2009」コンサート・東京公演を「スイートベイジル」を会場に大成功させている「姿月あさと」だと軽く反論しておきながら^^、へへへ、それでもしかし、この素敵なアルバムを編集しなおして、この新たなお仲間による新しい《ボッサ・カズ》CDをまとめてみたいと思っている。

2009y03m24d_231622693 2009y03m24d_231724630  というか、もう、制作し終えた。仕事が早いんですよ。
 『The Very Best of  Marica HIRAGA』とでも言うべき一枚だ。2009y03m23d_165329013_2


 ボサノヴァは時代を超えていつでも新しい。

 ぼくらの耳をゆっくりと癒し、じっくりと魅了する。さながら春の渚に寄せては返す、たおやかな波の階調音楽なのである。
 人はそれを“海潮音”と呼ぶ・・・って、違うか?
 

続きを読む "ベックの練習問題 第四問  "

| | コメント (1)

2009年3月23日 (月)

ベックの練習問題 第三問

 3. ベックを聴きながら『智恵子抄』を再読すること!

 これは三回目にしてこれまでに最大の試練である^^。2009y03m13d_205805281_3
 ドM男が自らに仕掛けた過酷な罠だ。まぎれもなく、痛い。痛すぎる。。。
 しかし、文章で勝負してゆこう。いまはただキーを叩くのみ。書くのみだ。少々長い記事になるが、我慢して読んでもらいたい。

 
 まず、『智恵子抄』の中の、おそらく知名度ではナンバー1の「あどけない話」を、以下、気持ち新たに全文引用してみる。黙読でなく声に出して詠んでみてもらいたい。

  「あどけない話」

 智恵子は東京に空が無いという、
 ほんとうの空が見たいという。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言う、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとうの空だという。
 あどけない空の話である。

 
2009y03m23d_073314109  智恵子のふるさと、福島県二本松町(現在は市)の空を想おう。
 阿多多羅山というのは「安達太良山」のことだ。阿武隈川の上に広がる蒼い空。澄んだ空気。それが智恵子にとっての“ほんとうの空”だった。

 高村光太郎。
 彼が日本の詩に新しい道を拓いた詩人であることは間違いない。もちろんすぐれた彫刻家であり、評論家であり、翻訳家でもあった。が、このわが国の「現代詩の偉大なる父」は、太平洋戦争時には、何を血迷ったか、戦争賛美詩を数多く書いたことで知られる。戦争を賛美し従軍を鼓舞した。もちろん彼なりの理由は沢山ある。それを解明する多くの「高村光太郎論」も書かれている。
 ぼくは彼を批判するつもりでこの問題を解こうとしているのではない。その逆だ。ベックと共に、その仕事のすべてを許してみたい気持ちにかられている。彼(ら)の芸術活動にこれっぽっちの“偽善”“蒙昧”もなかったと。

 ぼくらは吉本隆明の評伝『高村光太郎』をすで知っている。高校時代に読んだのは光太郎の詩集ではなく、吉本の評伝の光太郎のほうだった。2009y03m23d_072916250

 若き日の(戦時中は大学生だった)吉本は、光太郎の戦争賛美詩を心躍らせて読み耽り、学徒兵として自らの死を賭(と)して米国軍と戦おうとしていた青年だった。
 しかし日本は敗戦する。光太郎の詩を恥じる。そして辛らつに批判し戦争責任を問いただした。「まったを知らず」、「われらの死生」、「必死の時」、「危急の日に」、「琉球決戦」、「栗林大将に献ず」・・・・・・あれほど敬愛していた光太郎の忠君愛国の詩篇たち。それらは一体何だったのか・・・。光太郎の詩的世界の全否定。戦後の吉本の詩の再出発は光太郎批判から始まる。それは詩人・吉本隆明の誕生/出発でもあった。

 思い出してみよう。昭和17年に結成された「日本文学報国会」には文学者のほとんどが会員になって戦争に協力することを誓った。その「詩部会」の会長が、ほかならぬ高村光太郎だったことを。
 頂点で指導的立場にいた彼が、まさかの敗戦のときを迎える。あらゆる価値観が崩れ去った瞬間。
 彼はすこしも悪びることなく赤裸々に反省の辞を表明しその責任を彼なりのやりかたで取ろうとした。

 まずはそのことをたどってみたい。ひとつにベック的!だ。

 昭和20年4月13日の空襲で、本郷区駒込林町25番地の光太郎のアトリエは無残にもすべて燃え尽きた。最愛の妻・智恵子との思い出の生活の場所が、あまたの彫刻作品、原稿と共に灰燼と化したのだった。
 光太郎は岩手県花巻町(現在は市)の宮澤清六(賢治の弟)のもとに身寄せる。が、北方の町─グレン・グールドにとってもこの“北”の意味は大きい─花巻ですら20年当時には米軍の空襲が激しく、炎上する清六宅から佐藤宅へと逃げ移ったのだった。
 そこで敗戦の報に接した。
 8月17日、高村光太郎は「一億の号泣」を発表する。ここから彼の自己責任糾弾が開始された。即刻“終身刑”の自己申し渡しが行われたのだった。2009y03m23d_071807265

 光太郎は、花巻郊外の大田村山口に、ちっぽけな鉱山小屋を移築して身を潜めてしまう。それから七年間の永きにわたって、表の世界に出てこようとはしなかった。
 巷間では戦争協力の知識人・文学者たちは「戦犯」とされることを恐れて逃げまどっていた。ツテを求めて右往左往していた。自分は悪くない、環境が情況がそうさせたのだと言い逃れ、その哀しい自己弁護の文章が飛び交っていたのだ。

 光太郎は違う。自分の責任を自覚し、自分の罪を認め、それを(詩人たるもの作品としての)詩にして発表し続けた(ex; 「脱卻の歌」─詩集『典型』所収─)

 そうして自らは湿地帯に建つ掘立小屋で、七年間も極貧の自給自足生活を続けていたのだった。小屋一帯はいつもじめじめと湿っていて、長い冬は粉雪にさらされ、朝起きると吹き込んで来た雪で布団も顔も真っ白になった。日々の中心は百姓仕事。ろくに洗いもせず野菜を食べていたせいか蛔虫がおなか一杯わいていた。大きいのは口から出てきて、光太郎はそれをまじまじと見てからまたぐいと飲み込んでいたという。

 自分で自分を島流しの刑に処したような毎日だった。。。
 
 戦時中は戦争賛美に徹し、戦後はころっと平和主義者、そんな「転向」はなはだしい文学者は数多い。吉本の批判はかなり手厳しい。だが光太郎に対しては、辛らつながらも根底には敬愛の念が持続的に行間に感じられる。ま正直に自らの責任を認め、それを牢獄(「水牢」と形容している)に入ったよりも酷い生活で身に課していた、刑に服していた高村光太郎。彼には親愛の情すら感じていたのではないだろうか、吉本隆明よ。

 花巻での七年間で、頑強な身体の持ち主だった光太郎も、さすがにぼろぼろずたずたになった。
 昭和27年になって、光太郎は東京に還る。青森県から依頼されて十和田湖畔にたてる裸婦像制作のためにである。

2009y03m13d_205113906  ぼくはこの像こそが「智恵子への愛」の最終形であり、死を賭した光太郎最後の贖罪だったと思っている。
 裸婦像は中野区桃園町の仮住まい、画家・中西利雄のアトリエで制作された。モデルはいたが、形になっていったのはまぎれもない智恵子の姿そのままだった。

 この鏡に向かい合ったような二人の裸婦像は、ともに「智恵子」である。ぼくはそう信じて疑わない。
 この像は十和田湖畔休屋御前浜に立ちつづけて今にいたる。完成は昭和28年。それから三年後、昭和31年4月2日早朝、像を制作していたその中野のアトリエで、光太郎は激しく喀血し、そのまま息をひきとった。
 高村光太郎は芸術界のモンスターだった。大正~昭和の時代を通底して、美術/文学世界を新しい世界へと牽引し続けた怪物的存在だった。モンスターたる芸術的巨木ここに倒る。享年74歳。

 その彼が一生を懸けて愛し尽くしたのが・・・智恵子なのである。
 

続きを読む "ベックの練習問題 第三問"

| | コメント (3)

2009年3月19日 (木)

ベックの練習問題 第二問

2.ジェフ・ベックの《眼》から『ノルウェイの森』を読むと?

 体調が、相変わらず、すぐれない。まったくダメだ。〔そのくせワインは昼間っから飲んでるけどね^^;〕
 このままだと、また当分の間、まともな記事が書けないかも。
 しかし我がクラスのブログ“受講生”(^^)の足が遠のいていることもヒシヒシと感じている。非常勤講師としては・・・ヒジョーにまずい感じ。。。

2009y03m19d_222635890  困ったときのmixi頼み。三年前の過去記事でお茶を濁す。突然、引用されちゃう「パセリ」さん、「あなた(=マーちゃん)」、フランスの「Yuc」さん、プライバシーも肖像権も著作権もへったくれもなく、ゴメンね。
 これでニ・三日かせがせていただきます。へへへ。

  先日の朝日新聞の記事で、村上春樹『ノルウェイの森』が中国の若者たちに相当に読まれていることを知った。
 中国ばかりじゃない。世界的に支持されている。それも今に始まった話ではない。もしかすると、読んでないのは日本のわれわれ世代の人間だけ?  いやそんなことはない。あの作品は圧倒的に“団塊世代”に共感を抱かれているわけだから。
 ムラカミはオオエ以上の作家だ。ノーベル文学賞がなぜもらえないのか、ぼくにはさっぱり理解できない。次回は必ず! そう思ってるでしょ?? あなただって。^^


 
 地下鉄で隣り合わせた若い女性が、ぶ厚い小説を読んでいた。一瞬確認できたタイトルは『Rừng Nauy』と読めた。
 が、開かれたページを懸命にチラリチラリと覗いてみるのだが、そこには心覚えのない活字(記号)の横列が並んでいるだけで、さっぱり判読できない。一体、これは何という小説、そもそも何語の本なのだろう。

 彼女の長髪で爽やか系の横顔は東南アジアって感じ。ミャンマー・カンボジア・タイ・ラオス・ヴェトナム・マレーシア、このあたりの国籍の女性だと思える。フィリピン、インドネシアといった島国の女ではない。さて、この不思議な活字は何語か? この小説は何か、彼女が降りた「小川町」までいろいろと想像をめぐらせて心密かに楽しんでいた。
 痩身でちょっと素敵なファッションの、知的な感じの女性だったから気になったというのが本音だろう(笑)。

 Mưa đã tạnh khi trời hửng sáng. Naoko đang nằm ngủ  quay lưng về phía tôi.
 (お使いのPCによっては文字化けしているかも知れないが)例えば、こんな感じの文章だったとする。
 手掛かりは「Naoko」だけ。もちろんあとはタイトルの音の響き。ナントカのRừng。
 日本の小説で、英語、仏語、独語、伊語、西語のほかに、すぐにそれと分る中国語、韓国語、アラビア語以外の言葉で、アジアの小国でも翻訳されているかなり有名な作品...ナオコの名前...といえば...あれしかない。
 村上春樹『ノルウェイの森』。

2009y03m19d_214936968  忘れないようにと彼女の脇にいながら臆することなく手帳にいろいろメモして家に戻ってきた。
 ネットで確認してみたら、ヴェトナム語の翻訳本だった(表紙の写真左。下のほうのは仏訳本。共に女性の写真を用いている。こうして比較すると面白いね)。
  
 さらに関連ブログをたどっていくと・・・、
語り手の“僕”「Watanabe」(英語からの重訳がそうさせたのか)がWant to beという意味の「なりたい人」と訳されているので、この人物は何者だという議論がヴェトナムの読者の間で交わされているという笑い話のような記事が見つかった。ホントか??

  これは日本人読者にも該当する一種の“笑い話”で、『Norwegian Wood』の「Wood」をいわゆる「森」と解釈して疑わない人たちが多い。2009y03m19d_214951515 
 
  フランス語のタイトルを『不可能なバラード』と訳して変だと思わない人の言葉のセンスを大いに疑おう。ひと頃の映画のタイトル(インチキ邦題)はなんでも「青春の...」とか「哀しみの...」とか「愛とナントカの...」とか余計な文字が加わっていたものだが、抒情性をもたせたいのなら、思い切りのいい意訳が必要なのだ。事態が「不可能」なことだとすれば、「見果てぬ」とかにかえてやればいい。
 『ノルウェイの森』はイタリアとスペインでは『東京ブルース』(初版)、ドイツでは『Naoko(直子)の微笑み』となっている、確か...ね。

 人様よりは(外国)語学力にたけていると自認しているぼくだが、ヴェトナム語はまったく理解できない。広く外国語を知る人が口を揃えて言うには、ヴェトナム語ほど美しい響きを持つことばはほかにない、らしい。
 若い女性たちが語らう声は、まるで、小鳥たちの囀りに聴こえてくると何人もの識者が書いているから本当なのだろう。
2009y03m19d_223120515  その話はかつて映画『夏至』の論評でも確か触れたと思う。
 あの映画の、水の青ないし碧の光線といった色調も素敵だし、午後の洪水のようなスコールもいかにもヴェトナムの美しい風景だが、まさしく“女たちの囀り”、これこそがもっともぼくらの心をとらえてはなさなかったではないか!!
 声に魅せられた。それをぼくは“魅縛された”と思わず書いてしまったのだった。

 したがって、ヴェトナムの大学の国文学科の授業で、必修単位として「発音・発声」「朗読」「朗誦」が課せられるというのは、うなづける。
 音を学ぶ。声を継承する。「オリジナル」にして「伝統」の、その魅力を大切に保存継承すること、再学習すること、これはいまの日本語(日本文化)が学び直すべき大きな・緊急の課題でもある。

  《声と現象》、この問題は国家的レベルのものであり、解決策は急務とされるものなのだ。
 そして《女》と《声》 と《現象》、こちらの問題はぼくらの人生を狂わす。女はすべからく《声の存在》である。

 ヴェトナム語の文字(アルファベット)は29種類ある。
 問題なのは声調が6声あるということ。語形変化はなく、基本文法事項もフランス語に比べれば破格に簡単とされるのだが、しかし、この「声」「発音」がやっかい極まりないのだ。
 
 このMixiの身内(マイミク)で飛び切り語学力に優れているのは、上海で“フランス語と上海語が完璧なヴェトナム人の高級娼婦”と有名な上海蟹屋の主人からHな熱い視線を浴びている「マーちゃん」が「代表格」となるが、韓国語(ほぼ母国語同然)とポルトガル、スペイン、イタリア語も自由に操る彼女にしてもヴェトナム語はとても難しいと言っていた記憶がある。
 この「マーちゃん」の「マー」は、声調の違いで、「お化け」になり「頬」となり「墓」にもなってしまう。
 もちろん「しかし」という意味でも使われる。まぁ中国語もそうだけどね。ヴェトナム語には、中国語からの外来語である漢越語が圧倒的に多いという言語組成の背景がある。中国語をやればやったで、マーが母であり馬であり...とこれまた、まぁ、大変なのだ。
 

続きを読む "ベックの練習問題 第二問"

| | コメント (2)

2009年3月16日 (月)

ベックの練習問題 第一問

 これから二、三回にわたって「ベックの練習問題」を解いてみたい。

 今回は指ならしの第一問。
 《1. ベックを通して1973年の世相を考えること》
 これをスラスラとアドリブで弾けなければ“ジェフ・ベックになる!”残りの人生計画は最初から頓挫することになる。2009y03m16d_102139418
 いまヘッドフォンからは強烈なベックのチョーキングが聴こえている。
 さっきはジェニファー・バトゥンと共演しているライヴシーンをYouTubeで観て涙していた。

 ギターバトルじゃ決して勝てはしないけど負けちゃいけない。俺もギンギンに弾かなくっちゃ(なんか古くさい表現だなぁ^^;)と決意させた映像、それがこれだ。下に貼り付ける。

  なんてカッコいいんだろう、ジェフ・ベック。ぜひとも眺めて欲しい。そしてまたここに戻ってきて!

http://www.youtube.com/watch?v=5vOsTLyh1uE&feature=related

 それにしてもジェニファーも凄い。ベックとサシでバトルしてる。“ベック? あたしにとって彼は神様の神様よ”って発言していたがナンノナンノ南野陽子、彼女だって天才ギタリストだぜ。ツーハンド・タッピング奏法で彼女の右に出るものはいない。『熊蜂の飛行』を聴いてみて。信じられない超絶テクニックにあいた口が塞がらないはず。彼女、57年生まれなんだよ。ターナー氏好みのナイス・バディ!!

 これがジェニファーのツーハンド・タッピングの至芸!
 http://www.youtube.com/watch?v=VNQK9RpOloc&feature=related

 おまけ;マイケル・ジャクソン・ワールドツアーでのジェニファー。ゴキゲンな映像だね。
  http://www.youtube.com/watch?v=AQO2fi-UJxo&NR=1

2009y03m16d_102356527_3 
 さて、ぼくらが現役でジェフ・ベックに夢中になっていた時代に、お茶の間のテレビからは妙ちくりんなラヴソングがしょっちゅう流れていた。
 連合赤軍派が浅間山でテルアビブで大騒ぎしていた時代。ウーマン・リブという言葉が市民権を得た時代でもある。

 それは少しも可愛くない太った少女がピアノで静かに弾き語りを始め、やがては鬼気迫る熱唱へと昂じていく統合失調症気味の『A・・』という曲だった。
 あとにも先にもあんなでたらめな日本語の歌詞は聴いたことがない。
 歌詞に従ってそのイメージをスケッチしてみればすぐ分る。なんとも気持ちの悪い「家」の情景が浮かび上がってくるはずだ。
 しかもこの歌にはある仕掛けがしてあって、“すべてが狂女の執念と妄想の図”であったというオチが隠されている。いや、隠してはいない。歌い出しの一行からそれを示しているのだが、日本国民は誰一人としてそのことに気づかなかったのである。
 気づかないふりをしていた? 知識人の一人か二人はその事実をそれとなく指摘したはずだ。しかしその声はぼくら大衆の耳には届かなかった。
 故意に無視したのかも知れない。なぜならぼくらは日本国民であり、この『A・・』がお能の精神世界に裏打ちされていることを遺伝子的に直観していたから。日本人は歌の歌詞などどうでもいい。と言ったら、阿久悠さんに失礼か^^。すみません。でも外国人なら認めないだろう、あんな歌。あんな歌詞。日本人は何の疑問もためらいもなく、40年経った今でも、平気の平左で懐かしく笑顔を浮かべて、カラオケで歌ってしまうのである。

2009y03m16d_142150668_2   最近、ひょんなことから「お能」と「謡曲」に目覚めてしまい、自分の生き方・感じ方を「お能」の側から光をあてて再考してみると、面白い事実に気づかされる。

 わが人生、まるで「お能」の狂気と幻想のストーリーをなぞっているかのようだ。
 もっとも「夢幻能」と「現在能」のごった煮といういい加減なものではあるのだが。

 日ごろ自分を「修行僧」と称しているこのぼくはもちろん旅の僧(ワキ)だ。その精神性は高潔で(アハハ)、イケメンのいい男なのだ^^;。違うか!?  仮面劇なんだからどうでもいいんだよ(笑)。

  主人公(シテ)は「あなた」であり、もろもろの「M」になる。
 
 お決まりの「運命的出逢い」がある。
 ジェフ・ベックを聴いていたあの頃のガールフレンドは「A子ちゃん」だから「M」とは違うが、絶世の美女との出逢いには違いはない。彼女も加えておこう。
 ぼくの「お能」の基本は四番目物と呼ばれる「雑能」だから季節的には秋が多い。桜の季節に似つかわしい狂恋の謡(うた)でもうなりたい気持ち。適当なのが見当たらないのが口惜しいが、ともかく一発で「あなた」の謡(うた)とその舞いに魅せられる。それを宿命と実感してしまう。
 しかし女はなにやら様子がおかしい。哀しげで苦しげ。なにか人に言われぬ恨みがありそうで。
 
 何の話だったっけ? 
 

続きを読む "ベックの練習問題 第一問"

| | コメント (3)

2009年3月13日 (金)

アイ・ベック・ユア・パードン

2009y02m02d_201505855  誠に申し訳ございません。

 体調絶不調につき、ブログ執筆は当分お休みいたします。


 病の床で考えた・・・
 一体、これから先、ぼくには何ができるのだろうかと?

 The Rest of My Life is ・・・・・・

 ひとつに、ポルトガル語をきっちりと修めてから、ファドの歌手になる。
 ひとつに、(上村)松園や(伊東)深水らの「美人画」の系譜を研究しながら、新しい「美人画」の境地を拓く。テーマは、ただひたすら和服の美人画を肉浮世絵風に描き極める。
 ひとつに、那須野ヶ原に隠棲して窯場を持ち、(登り窯での)陶芸に余生を送る。二十歳の頃の雅号は“夢舟斎”だったことを想い出す。ムッシュウであり無秀才男。。。

 みんな日光の手前、いまいちだなぁ、と。なんだか、明日にも実現可能そうで。へへへ。
 
 最後のひとつ、これがいいんじゃないかと。ベッドに仰向けに寝たきりになって、白い天井を眺めながら、真面目に考えている。

 ジェフ・ベックになること。
 基本的に、今ですらすでにグレた親爺になっているのだから、突如死期を悟ったがごとく改心して、“ゲージツカ”になっちゃ具合が悪かろう。もっと徹底してグレねば俺らしからんと。
 ジェフ・ベックになろう。レスポールを抱きかかえて。ストラト抱えちゃ、いかにもクラプトンの物真似だ。
 
 ジェフ・ベックを弾き出した。ピックなし。三本指が基本。

 いよいよ封印を解く日が来たのだ。(ロッケンロール)孤高のギター侍、ここに見参!!

 いつになるのか次回は、ベックの話から一気に突っ走りたいと思っている。。。のだが、全く元気が出てこない。。。マイッタタヌキは、一斉のSay、!!!

| | コメント (1)

2009年3月 9日 (月)

男時、女時

 世阿弥の『風姿花伝』にこうある。
 “時の間(ま)にも、男時(おどき)、女時(めどき)とてあるべし。いかにするとも、能によき時あれば、必ず悪き事、又あるべし。これ力無き因果なり”(第五章 別紙口伝)2009y03m09d_195320856

 かんたんに現代口語訳すれば、“時の流れの中には男時=ついているときと、女時=ついていないときがあるもので、万事うまくいくときがあると思うと、どう努力しようともうまくいかないときがあるものだ。このあたりは人間の力ではどうにもならない、因果というものである”と。

 那須野ヶ原の“御用邸”から車を飛ばして北へ向かい、福島と山形の境にある某温泉場の宿に落ち着いて、まずひと風呂浴び、湯上りに冷たいビールをうぐうぐとやり、久しぶりに気持ちよく“今夜の「白洲ドラマ」が楽しみだ”と携帯メールを一本打ってから、さて、宿自慢の豪華夕食を存分に愉しもうという夕暮れどき。

2009y03m09d_195806731  部屋だしの高膳と椅子が手際よく設えられて、次々とお料理が運ばれ、食前酒の桜花ワインで乾杯して、先付のたいらぎ貝酢味噌がけ・葉山葵・筍あたりにまず箸をのばしたタイミングをちょうど見計らったかのごとく、(美人)女将(おかみ)が二度目の挨拶に七代目の若旦那を連れて部屋に現れた。
 ぼくらはもう20年来の常客。いまでは決め事・儀式と化している乾杯時のパフォーマンスの「謡い」を聴くためにである。

 慶事の謡曲といえば「高砂」に、まぁ、決まってはいるのだが。浴衣に丹前の衣装ではあれ^^正座して姿勢を正し、このときだけは場の部屋の空気がシャンとする。宝生流一門の謡曲の会のごとき雰囲気か。。。2009y03m09d_200330043


 日本には『プロが選んだ日本のホテル・旅館100選』(旅行新聞新社主催)という、「ミシュラン」の星評価みたいな“権威付け機関”があって、毎年1月に本年度のランキングが発表される。「総合」≧「おもてなし」+「料理」+「施設」+「企画」という内容の評価項目になっている。
 毎年総合第一位は加賀屋(石川県和倉温泉)に決まっている。って、ちょっと嫌味な言い方かな。
 稲取銀水荘(静岡県稲取温泉)、日本の宿古窯(山形県かみのやま温泉)、白玉の湯泉慶・華鳳(新潟県月岡温泉)、水明館(岐阜県下呂温泉)、このあたりがベスト5の常連で、各部門評価でチクチクッと加賀屋を脅かしているという図式が毎年続いている。

 それにしたって30年くらい連続第一位・日本一の名旅館という加賀屋のパワーはすさまじいものがある。本になるくらいの価値がある・・・というか、もう本になっている。
 細井勝『加賀屋の流儀  極上のおもてなしとは』(PHP)。

 ちょこっと中身を読んでもらいたい。
 http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4569654541/ref=sib_dp_pt#reader-page

 B・Oの「105円均一」棚を丹念に見ていくとこういう本も見つかるのだ。(笑)


 “観光”という言葉を考えてみよう。
 光を観るとはどういう意味なのか、あなたは考えたことがあるか? 行く先々の土地の光を観ることとは?
 「観光には“三物”がある」といわれる。
 風物、産物、そして人物。
 旅先には風光明媚な風物があり、その土地がはぐくんできた豊かな産物がある。それが土地の光として輝いていることはたやすく理解できるだろう。
 残りもうひとつの、人物の意味。人の光とは?
 旅人であるぼくらは、旅のさなかにあっていつも心愉しく幸福感に満ちているとは限らない。いやむしろ、身体はあちこちと病み疲れ、心も草臥れている場合のほうが多いだろう。言い知れぬ寂寞感、孤独感を旅の宿で、ゆっくりと湯につかって解きほどく。
 そこで(その土地の)人と出逢うのだ。
 旅する人の旅情・心情と響きあう(その土地の)人の心。もっと具体的には旅籠の人たちとの出逢い、もてなす一期一会の心づかい。この優しさ、あったかさが何事にもかえられないものなのだ。そこにぼくら三つ目の光を観ることになるのである。

続きを読む "男時、女時"

| | コメント (4)

2009年3月 5日 (木)

私は巻貝にでもなりたい

  ひみチャン、ゴメン。以下の記事は『チェンジリング』の話の続編じゃない。2009y03m01d_150653218
 最近、不本意な出来事がたて続いていてね。どうもぼくが想う反対の方向に話が行ってしまう。そんなの関係ないじゃん、と憤ってみても仕方がないんだけど。。。
 判んないよね、女心って。
 だから遠のくことにした。こっちから接近すると曲解されるだけだから。この年で女性不信か、ハハハ。どうしょうもないな。そういや、あなた、ひみチャンだって大誤解してるんだぜ。困ったもんだ。。。



 今日は「啓蟄(けいちつ)」です・・・とホワイトボードに大きくこの二文字を書いて、説明がはじまる。
 すでに何度か記事にしていることではあるけど、ぼくが週に2度顔を出している中野のデイサービス施設では、もちろんM&Mと一緒の職場だということも愉しみの一つなのだが(とリップサービスをしておいて^^;)、ぼくにとってはカルチャーセンターで教えている楽しみというか充足感がとっても感じられるところだ。だから、かれこれ4年越しになるのか、仕事が続けられていると言えるだろう。
 (そもそも自分の本来的拠点である)もう一つの施設と比較すれば、ご利用者様とのこのコミュニケーション交流の満足度は雲泥の差で、かたや何を語っても“虚しく”“幻影的で”“非論理的な”“シュールな”世界と比較すること自体が間違っているわけで(介護施設とはいえ同じ土俵ではまったくない)、一人二人若干手のかかる人がいらっしゃるにしても、デイでの陽気なお年寄りたちとの交流には心満たされるものがある。

 自分本位に書けば、その日の「レクチャー」に喜びを感じているのだろう。
 “きょうの出来事”についてはものの本が何冊か出ている。時間がないならそれを読み上げれば充分である。
 ぼくは決してそうはしない。ネットで徹底的に調べて、最新情報として、自分の言葉で語っている。聞き手(ご利用者様)の個人情報・情況をからめながら。この点が大切だと思う。
広く一般的ではない。対象は限られているのだ。その場合の“あなた(がた)”を強く意識して(ぼくの)言葉は紡がれなければならない。

 自分に対する「試験問題」への解答を出すこと。お年寄りにも解りやすく語ること。できれば笑いをとって面白おかしく語ること。これは「試練」であり、「自己鍛錬」なのだ。

2009y03m05d_173118703_2   この前、「鶯」について語ろうとネットを調べていたら驚愕の事実に出くわした。
 この写真を見て。
 ぼくはこれが「鶯」だと、勝手ながら、50数年間思い続けていたのだ。だって学校では教えてくれなかったもんなぁ。
 キャプションには「メジロ」とある。自分が通っていた学校がある場所も「目白」だった。なのに「メジロ」って鳥には全く無関心であり知識も情報もなかったことに唖然とする。

 “梅の小枝に鶯が~♪”って、なんの疑問もためらいもなく「歌の時間」でリードしていた。『鶯』って曲。“春は名のみ~の風の寒さや~♪”と大きな声で『早春賦』を歌っていた。
 その歌の世界では、山から谷から、春が来たからと鶯が里に飛んでくる。
 その姿は“鶯色”の可愛い小鳥で、きったねぇ茶色がかった鳥じゃなかったのに。
 梅の木に飛んできて、ホッホッホケキョー、ホーホケキョーと鳴いている綺麗な小鳥のはずだったのに。

 

続きを読む "私は巻貝にでもなりたい"

| | コメント (1)

2009年3月 2日 (月)

男惚れ・白洲次郎!

  君は先週末のNHKドラマスペシャル『白洲次郎』を観たか!?2009y03m02d_171840203

 テーブルに着くや否や、開口一番、ぼくは相手の顔をしげしげと見つめてこう言った。
 あれを観ていないとするなら、ターナーの生ライヴ・トークを聴く資格はないぜ、と意地悪く冷笑した。
 これからぼくらはこの店が本日供せられる全種類の生牡蠣を片っ端から喰う。ぼくのお気に入りの白ワインを2本は飲む。いいかい、腰をすえて三時間かけて、牡蠣料理とワインを堪能しよう。
 それはまずぼく自身へのこの三年間のご褒美でもあるんだ。君のためじゃない。ゴメンよ、まずはぼくのためだ。そのための前菜的話題がドラマ『白洲次郎』なんだ。


 彼の奥さんである白洲正子の本のほうはよく読んでいる。
2009y03m03d_195021296  それは正月のブログでも触れている。旧姓樺山正子さんは知らない仲でない。彼女は鹿児島の樺山伯爵の娘なのだが、この樺山家をある縁があって昔から知っているのだ。一族の一人ととりわけ懇意にさせていただいていた。兄弟のような交友関係があった。だから、正子さんは“伯母さん”という親近感を抱いてきた。オバサンでなくてね^^。
   仏文だ、ランボーだ、文芸評論だ、という文学的過去を持つ者ならすべからく20歳くらいの時代に「小林秀雄」を通過する。彼を読んでいない奴はモグリと呼ぼう。彼のランボー体験はいささか芝居がかっていて、神田の古本屋街を歩いていたらいきなり仏人青年に殴りつけられた!と書いている。その名はアルチュール・ランボーだと。
 何?アル中の乱暴者だと!? ぼくらはそうして小林さんにならって、10代の頃のボサボサ髪の肖像画が表紙の「黄表紙」本のランボー詩集を小脇にかかえて『酔いどれ船』やら『イルミナシオン』の中の詩の一節を口にしながら、大学構内=桜の森を闊歩していたのだった。その小林さんの娘と白洲さんの息子は一緒になっている。樺山先輩を含めて、みんなで桜の花びら舞うキャンパスを歩いていたわけだ。

2009y03m02d_171940296  ぼくは傍らの彼女(並ぶように座る半円形の予約席なので)にこう言った、いいかいキャスティングってのがホント大切なんだ。差別的発言だとは知りつつも、英語もロクに話せない、貧乏人の倅の若手芸能人になんか、白洲次郎は演じられないんだ。生まれついての華も匂いもない奴に何が演じられるものか、と。(だから、今回のキャスティングはグーッ!と親指を立てた^^)
 彼女はちょっと眉間に皺を寄せて、それって私にだからいいけど他の人には問題発言ですよね、と軽く諫めた。ターナーさんはそれでよくても、許せない!っていう人は半分います、って。だけど半分は真実で、素性がバレちゃうものですよね、確かに、とも言い添えてくれた。
 ごちゃごちゃ書く気はない。きょうの話題はこれじゃないのだから。
 予告編というのを観ていただきたい。

 http://www.nhk.or.jp/drama/shirasujirou/pr.html

 正子役の中谷美紀もなかなかいい。2009y03m02d_172055406
 こんな写真はいかがかな?
 決して「美人」のくくりではなかった(というのがぼくの審美眼)白洲正子がこの写真に美しく重なっているではないか!!
 

 今週末が第二回目の放映だ。
 ぼくはその夜は某温泉に居る。定宿のお決まりの部屋。露天風呂つき。数年前から100インチのテレビも備えられている。ヒロさんとマサコさんが泊まった部屋だ。ちょっといやらしい話だね、ゴメンよ。
 ただね、白洲次郎もあの時代に叫んでいた、“ノーブレス・オブリージュってもんがあるだろう!それを果たさなくちゃ”と。

2009y03m03d_194454750_7     ぼくは、最低最悪の職場環境の中で、いま、それを行使しているつもりだ。三年間、ぼくは“千日修行”と称して、ひたすら重度認知症のローバーズと生活を共にしている。ほかに中野のデイ施設では毎度20名弱の方々のお相手をしている。家族をうっちゃらかしにして。土日もなく。家族三人を無視してきたことは認める。ひどいオヤジだと思うよ。
 ただ、ぼくも楽をしていたわけではもちろんなくて、死にそうになりながら働き、ブログを書き続けてきた。夜に、チェーン店の安居酒屋にすら、行ったことはないこの三年間。バアサンたちより先にぼくのほうが、マジ、逝きそうな感じだ。こんな生活、考えてもみなかったもんなぁ。

 ノーブレス・オブリージュ、どこが?と言っておこう。馬鹿らしい。

 でもね、白洲次郎のカッコよさは、これなんだね。
 企業ではさんざん悪いことやっていたわけで、会社の利益になっても日本のためにはならないと、ぼくは我慢できずに飛び出した。会社員時代に、交際経費請求の伝票がぼくにはどうしても切れなかった。だから、すべて自腹だった。だってぼくと話して楽しく飲んでいるのに、会社名義で落とすことなどぼくにはできっこない。出張経費もそうだった。ぼくが申請したのは札幌以北と福岡以南だったなぁ。カミサンからいつも叱られていた。馬鹿じゃない!と。出張するたびに三万、五万とかかり、ぼくの月の小遣いではまかなえなくなった(笑)。これはノーブレス・オブリージュとはお門違い。そりゃ分るけど、なんというか、会社の経費を平気で浪費する同僚たちに我慢できなかったのね。俺だけは違うって意地になっていた。当然、外出の際の交通費はすべて自腹だったもんね。給料に含まれるという解釈で。
 言いたいことは何か。お金に綺麗でありたい、と。
 中川・前外相なんて、絞め殺してやりたい。正拳突きでボコボコにしたい!と。
 だから、白洲ドラマの中で、“だったら、あんたこそが会社を辞めるじゃないか”と言われたときには、ガビーン!というか、そうなんだ、だから俺は辞めたんだよ、耐え切れずに・・・と思わずうなづいてしまった。
 今日の隣の相手にも、しみじみと言われちまった。ターナーさんて、純粋な人なんですねって(子どもみたい、と言いたかったのか?)。 でも純粋であってもなくても、それで人に好かれる要因にはならない。好かれてりゃ、こんなみじめな情況じゃないじゃないか。ったくもうってか(笑)。
l

続きを読む "男惚れ・白洲次郎!"

| | コメント (3)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »