水星の騎士の香り
遠い日の記憶。
それは19歳のときだったか、それともちょうど20歳のころか?
天才的な資質といっていいほどの、きらめく感性を持った少年詩人に、ぼくは恋をした。
たった一篇の彼の詩がぼくの心を激しく揺さぶった。“恋”と呼んでみたい“憧れ”の気持ちを彼に抱いたのだった。
彼は15歳だった。年下の少年である。
男が男に恋をするとき・・・・・・。
希臘的審美眼からすれば、詩人は美少年であらねばならない。エーゲ海の青を映した瞳、栗色の巻き毛、筋肉質でしかもほっそりとしなやかな白い肢体。薄い唇から漏れる言葉以前に、彼のアポロン的顔貌に魅せられるはずなのだ。
雷に打たれたような衝撃、出逢いの刹那、そんな激しい感情体験を得たわけではなかった。手にしていたのは小冊子のみで、しかもそこに少年詩人の写真などはなかった。彼が美少年かどうかなんて、全く判らなかった。純粋に、透明なまでにテクストと対峙した瞬間の、エクリチュールの美。幼さとあどけなさと純化された願望を訴えてくるテクスト。ぼくは少年(の詩篇)に魅せられ、彼の文学空間にとり込まれたことを自覚した。つまりは・・・彼に恋をしてしまったのである。
それをきっかけにして、少年がやがて創りはじめていく作品世界の扉を次々に開いていった。読書欲は持続的にクレッシェンド的に高まる一方で、つまりは彼に恋焦がれていったのである。恐ろしいほどの魅力に富んだ作家との幸福な出逢いだった、といま想いかえす。
話を戻す。当時ぼくはこの彼の詩篇が載った小冊子を常にバッグの中に持って歩いていた。午後三時すぎ、あるいは四時前という、夕暮れには間があるぼんやりとした中途半端な時間に何故かかならずその小冊子そっと取り出し、喫茶店の片隅で読み耽るのが常だった。すでにしてほとんどそらんじていたのだが。
映画的情景のごとく想い出す。
御茶ノ水駅から水道橋、いな、アテネ・フランセに向かってのびるマロニエ通りの、左側にある『レモン』か、アテネのすぐ手前右側にある『マロニエ』。冬の陽光が斜めに優しくさしてくる窓辺の席。客の半分以上がアテネの学生たちで占められ、会話にフランス語が飛び交う雰囲気のそんな店で、ぼくは15歳の詩人が書いた詩篇を繰り返し読んでいた。
宙を見上げて、その香気の世界に夢見がちに入り込んでいたのだった。
きつい革の匂い・・・を夢想していた。
1937年、その年、15歳だった天才少年詩人。
彼への“憧れ”、それがぼくの“二十歳の恋”だったのか。
当時、アテネ・フランセのホールで上映されていたフランソワ・トリュフォーの作品からの影響など、ほとんどなかったと思うのだが、このカギ括弧表現はまさにトリュフォー的!































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