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2008年12月

2008年12月31日 (水)

水星の騎士の香り

 遠い日の記憶。
 それは19歳のときだったか、それともちょうど20歳のころか?

2008y12m31d_053335843  天才的な資質といっていいほどの、きらめく感性を持った少年詩人に、ぼくは恋をした。
 たった一篇の彼の詩がぼくの心を激しく揺さぶった。“恋”と呼んでみたい“憧れ”の気持ちを彼に抱いたのだった。
  彼は15歳だった。年下の少年である。
 男が男に恋をするとき・・・・・・。
 希臘的審美眼からすれば、詩人は美少年であらねばならない。エーゲ海の青を映した瞳、栗色の巻き毛、筋肉質でしかもほっそりとしなやかな白い肢体。薄い唇から漏れる言葉以前に、彼のアポロン的顔貌に魅せられるはずなのだ。
 
 雷に打たれたような衝撃、出逢いの刹那、そんな激しい感情体験を得たわけではなかった。手にしていたのは小冊子のみで、しかもそこに少年詩人の写真などはなかった。彼が美少年かどうかなんて、全く判らなかった。純粋に、透明なまでにテクストと対峙した瞬間の、エクリチュールの美。幼さとあどけなさと純化された願望を訴えてくるテクスト。ぼくは少年(の詩篇)に魅せられ、彼の文学空間にとり込まれたことを自覚した。つまりは・・・彼に恋をしてしまったのである。

 それをきっかけにして、少年がやがて創りはじめていく作品世界の扉を次々に開いていった。読書欲は持続的にクレッシェンド的に高まる一方で、つまりは彼に恋焦がれていったのである。恐ろしいほどの魅力に富んだ作家との幸福な出逢いだった、といま想いかえす。2008y12m31d_053551812

 話を戻す。当時ぼくはこの彼の詩篇が載った小冊子を常にバッグの中に持って歩いていた。午後三時すぎ、あるいは四時前という、夕暮れには間があるぼんやりとした中途半端な時間に何故かかならずその小冊子そっと取り出し、喫茶店の片隅で読み耽るのが常だった。すでにしてほとんどそらんじていたのだが。
 映画的情景のごとく想い出す。
 御茶ノ水駅から水道橋、いな、アテネ・フランセに向かってのびるマロニエ通りの、左側にある『レモン』か、アテネのすぐ手前右側にある『マロニエ』。冬の陽光が斜めに優しくさしてくる窓辺の席。客の半分以上がアテネの学生たちで占められ、会話にフランス語が飛び交う雰囲気のそんな店で、ぼくは15歳の詩人が書いた詩篇を繰り返し読んでいた。
 宙を見上げて、その香気の世界に夢見がちに入り込んでいたのだった。
 きつい革の匂い・・・を夢想していた。
 
 1937年、その年、15歳だった天才少年詩人。

 彼への“憧れ”、それがぼくの“二十歳の恋”だったのか。
 当時、アテネ・フランセのホールで上映されていたフランソワ・トリュフォーの作品からの影響など、ほとんどなかったと思うのだが、このカギ括弧表現はまさにトリュフォー的!

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2008年12月25日 (木)

グレコを想うクリスマスの夜

 うっすら雪の積もった北の御用邸から再びローバーズのもとに。

 イヴは彼女たちと徘徊のお付き合いで過ごし、夜勤が明けて帰路につけば・・・そうか、今日はクリスマス。実感ないね^^。
 自分には哀しいかな全く縁がない。
 けれど世の慣例にしたがい、愛しい人にはデコメを送ろう。2008y12m25d_191649765  

 ヴェリー・メリー・クリスマス!!  「あなた」に。
 ハッピー・クリスマス!!  「すべてのみんな」に。

 このブログの常連さんになってしまった映画『大停電の夜に』のようなドラマが起こらないかと毎年期待しているのに、とりわけ今年は何もなく、家に帰って来たら誰もいない。それぞれのクリスマスを楽しんでいる。みんな遅くなるって、紙切れ一枚と犬のランが待っていた。餌をお願いします、と。 ったくもう・・・ぐれてやるぜ!!

2008y12m26d_002914831  とはいえ、ぼくには、哲学者・中島義道『ぐれる!』(新潮新書)って愛読書がある。
 これは愉快痛快大都会(?)の啓蒙の書で〔文科省〔旧・文部省〕の会議に出ていたときには「啓蒙」という言葉は使えなかった。教育の場ではご法度。禁句。差別用語だからね。かわりに「啓発」とすると〕、ドライ・シェリーのように美味い文章で満ちている。

 得意の引用の巻!

 “・・・・・・私は、ものわかりのいい中年がむかむかするほど嫌いなのです。その濁った目が、その干からびた唇が、その艶のない頬や首のたるみが、その肩を揺する笑い方が、そのねっとりと温和な口調が、そのどっしりと安定した腰が、その成熟した・寛大な・清濁併せ呑む表情が、殴り倒したいほど厭なのです。
 ぐれるとは、こうならないこと、こうなることを警戒すること、こうなってしまう自分を恥じることです。つまり、ものわかりのいい温厚な中年になることを拒否すること。あえて青っぽい未成年に留まること、人生の理不尽を凝視してため息をついている・発育不全の・気持ちの悪い人間に留まることです。”〔3章 さまざまなぐれ方〕

 そうだ、その通りだ! 恋せよ中年・老年たちよ。破滅に向かえ、人生!!、違うか?

 こんな前段があって、引き続いて、「温かい家庭」はいらない という文章が綴られている。

 “多くの男女はゆったりと寛げる家庭を望みますが、私は(いまとなっては)全然望まない。というより、そうした場はむしろ「ぐれの美学」にとって害となる確信しています。私は人生の細部にわたるまで美学を導入してしまった。四六時中、傍らに妻子がいると、その美学がかき乱されるから迷惑なのです。” 
だとさ。

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2008年12月21日 (日)

バルでひとり、カッコつけていたら・・・

7_4     最初に。以下、今回用いられる無断転載の写真の数々は本文とほとんど関係ありませんので悪しからず。まったくテキトーなものばかり。くれぐれも深読みなさらぬように。へへへ。


 昨夜は中野のデイの忘年会。
 立ち上げのときから関わっているのに、毎年、出たためしがなかった。
 いつもはここの日勤が終われば夜勤のために電車でそそくさと移動している。それが昨日は夜勤を代わってもらったのだ。

 ひと月前に尋ねられた、今年もダメですか?と。
 二次会でカラオケに行くなら出てもいいよと笑って(本気の冗談で^^)答えた。

 さぁ、それからが大変。噂はヘルパー仲間に伝わり、いつもは欠席のママたちがこぞって参加するという。(と、Hママが言ってました^^。あのぅ・・・M&Mさん、貴方だけなんですからね、ぼくが参加するのを知りながらつれなくも「欠席」にした人は~~; アハッ。嘘だよ。理由知ってるよ。残念でしたよねぇ、って一応フォローしておこう。すぐに怒ってコメしそうだから(笑)。
2008y11m16d_153236954  ターナーがまりやをマジで唄うらしい。デイで毎回唄ってる唱歌や戦後の歌謡曲じゃなくて(とHママが言ってました)^^。 〔確かに「雨の慕情」なんてフリをつけて唄っちゃってる。あれはまりやの世界の対極だぜ。まいったね^^;〕
 クミコのリサイタルじゃないけど、そいつぁ絶対に聴きのがせない、と(爆)。

 それはどうでもいい話。 吉田サラダのノリで、「違うか?」^^

 わが家では、同夜、恒例のクリスマスパーティー。二十年近く続いてる年間重要行事。
 しかも今回はオーストラリアからの特別ゲストも来る。
 生グランドピアノ、生ギターで賛美歌を唄う会でもある。敬虔なカトリック信者たちなんで。「違うか?」

 思い悩んだ末、キムタク的茶髪ロンゲでなくなっているいま、おばちゃんヘルパーたちとカラオケでまりや!の道を選んだ。なんだか論理的一貫性がまったく感じられないなぁ。^^

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2008年12月19日 (金)

クリスマスの夜に抜くワイン

  まず書き出しの一行は・・・
 マンU vs. ガンバOの今夜の試合の話だろう。これしかない。これ以外なら、お前アホかと言われても仕方ない。こんな夜にパリのことなんて書けっこないぜ。
 5-3。ガンバの負け。それでも実にいい試合だった。
 よくぞ3点とれた!と心からガンバを褒めてあげたい。マンUがなめてかかっていたというような意地悪は決して言わない。
 確かに6-0と予想していたが、ガンバは頑張った。大変な快挙である。2008y12m18d_221922921

 と書き出して、しかし、
 サッカーはフランスとポルトガルにしか興味がない。日本(ましてや国内のチーム)なんかに用はない。選手に“華”など全くないし技術的・美学的レベルが世界と違いすぎる、とブログで公然と書いている。そう、これがぼくの生きる姿勢なのだ。誰に何と言われようと、かまいやしない。
 http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/20_e787.html#more
 “フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンド・コウトらの黄金世代はすでに過ぎ去った。が、ぼくらにはクリスティアーノ・ロナウド、クアレスマ、ジョアン・モウチーニョ、ミゲル・ヴェローゾ、ナニらがいる。”とそのとき書いた。ワールドカップでの戦績は振るわずとも、ポルトガルは、いまぼくの中で、フランスを完全に抜いている。
 そのC.ロナウドがマンUで活躍する雄姿が今夜観られた歓び!
 こんな夜には、ともかく祝杯だ。酒だ、酒だ、酒もって来い!!


2008y12m19d_011820437  音楽版「思念魔亭日乗」CD・1012月、皆様のお手元にとどいたようで(挙手した人にはすべからく。そうでなけりゃ、届くわけないよ^^)。出来はまずまずでしたか、一安心です。
 (無反応な方・・・イエローカードだよ。携帯にでも連絡ください^^)

 服部克久さんの『想い出のクリスマス』が思いのほか皆様には大好評。これは嬉しかった。笑みが自然と溢れてくる。ぼくは服部先生が大好きなんですよ。
 ※でもほとんどの人が「思い出」と誤記してる^^。ご注意!
 夏場にここで書いている通り、親父さんの良一先生は最も敬愛する大作曲家だ。
 その息子の克久さんも才能豊かで惚れ惚れするような音楽センスの持ち主。ぼくは随分と彼の作品をPCに貯め込んでいる。みんな、いい曲ばかり。今度ぜひ80分CD一枚にまとめてみたいと思っている。
 http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_8176.html#more

 実はあるアクシデントがあって、三枚目(?/意味わかる?)の上記「日乗CD」をつくるはめになってしまった。
 恥ずかしい誤作業のせい。でもこれって怪我の功名と解釈した方が良さそうだ。プラス思考で行こう!っと。

 この作り直しの機会に、ぼくはちゃっかりと服部克久『クリスマス・セレナーデ』を収録してしまった。実にラッキーだった!
 しかも今回、「三枚目ならではの事情」があって^^;、ジャズ・ピアニストの辛島文雄を特にフィーチャリングしている。

 辛島文雄にぜひとも聴き入って欲しい。ソロで三曲収録した。特にラストの「Flower Market」、この一曲のためにこの一枚があると言って過言ではないのだ。

 「花市場」、「フラワー・マーケット」と書いて、ここのところ謎めいた魅力の主を暗に匂わせていたのは・・・この彼、辛島文雄のことだった。〔Panさん以外は、おそらく、初めて聴くピアノではないだろうか?〕

 辛島さんの話はまた後日。皆様が「三枚目」CDを一日中流しているはずのクリスマスの頃にたっぷりと語りたい。その頃、しかし、東京にいるのだろうか?

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2008年12月17日 (水)

オードリーちがい?この落差って・・・

 午前中、施設のローバーズとテレビを観ていたら『ちい散歩』で「井荻」をやっていた。2008y12m17d_011455234_2
 地井武男が首都圏近郊の沿線の駅に降りて駅を中心に散策を楽しむ番組。きょうは西武新宿線「井荻」駅。隣り町だ。ここにはグループ系列施設もある。ヘルパー講座を受講したときここで「実習」を経験したのだった。駅前のスーパーに買い物に行き、その日の昼食は、小海老・烏賊・浅利・帆立と生のシーフード(冷凍の袋じゃない!)を買い求めて「海鮮かき揚げ丼」をつくり、豚汁に冷奴、ブロッコリーのサラダだったかな、12人分をつくった記憶がある。こんなうまいもの食ったことがない!と大感激された^^。
 午後は漫談で老人たちを笑わせ、戦争の頃の話をしてホロリと泣かせ、戦後の歌謡曲をメドレーで歌ってきかせた。先生、上手!最高!!なんて煽てられて、ここに勤めてみてもマッいいか!なんて思ってしまった。介護の、ひとつの理想形が、そこに感じられたからだ。大規模介護施設やデイサービス施設にはない“家庭的あったかさ”があった。
2008y12m17d_011711406  その気持ちは今でも変わっていない。
 その「井荻」の南口、「街の駅・ポンテ」という「街情報ステーション」を番組では紹介していた。地井さんが尋ねる、どうしてポンテっていうの? その場の担当者は“さてぇ?”と首をかしげる。「道の駅」なら全国各地に一杯ある。街の駅って何? ポンテって?

 それが前回の《橋物語》につながるのだ。

 「ポンテ」、イタリア語の「橋」。フランス語ならば「ポン」。「ポン・デ・ザール」は「芸術橋」、「ポン・ヌフ」なら「新橋」。パリで一番古い橋ね^^。
 地域の人々の交流の場所・心と心をつなぐところ。明日に架ける橋。

 なるほどねぇ、「井荻」界隈、いろいろ面白スポット、公園、お店が分かったよ、ムッター^^;。

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2008年12月15日 (月)

“橋”という象徴=記号

 一ヶ月前に、ぼくは地獄の三丁目にいた。
 一度一気に天国にまでのぼりつめ、それからまた地獄の二丁目に叩き落された。
 そこには「はるな愛」2008y12m15d_040024406 が居てくれたんで、ちょっとだけ救われた^^。アヤアヤ、それって、新宿二丁目のことかよ!? とセルフつっこみ(笑)。

 ランボーは死んで『地獄の一季節』という傑作を遺した。“地獄とは・・・他人のことだ”というテーマで小説を書いた作家もいる。
 と書き出すと、すかさず“なんと大袈裟な!、アハ。いかにも貴方らしい自虐ギャグね^^”と満点大笑する声が聞こえてくる。あるいはまた、あの伝説の歌姫・ちあきなおみの『愛のために死す』のかすれた歌声が耳元で響く。〔深刻ぶってもう。だっていまPCのスピーカーから流れているんだから当たり前じゃない、って声もね〕
 ※ このブログをアップして、必死になって書庫を捜したら、見つけたよ、ピエール・デュシェヌ『愛のために死す』(二見書房・昭和50年5月の初版もの)。なんとすっかり忘れていたが、冒頭でフランソワーズ・サガンの小説等の翻訳でおなじみの朝吹登水子さんが「読者のために」って長い長い解説を書いている。なるほど・なるほど。結末、嘘言っちゃったなぁ。。。
 
 ともかく一ヶ月前に、ぼくは地獄の底のほうにいて、もうこんなブログなんて書くのは止めた!と自棄(やけ)になって騒いでいた。なんとも・・・いやはや^^;・・・お恥ずかしい次第で。
 まるで坊やだね。あはっ^^。
 そのときに、いろいろと叱咤激励してくれた読者の皆様がたには本当に深く感謝しています。ありがとね。

 そのときに・・・・・・
 ここへのコメントではなくて、絵葉書をよこしてブログの再開を願ってくださった方がいらした。
 彼女は葉書に“今後も読み逃げだけでコメントは控える”ことを詫びながらも、“蔭ながら応援させていただきます”と達筆な筆づかいで書いてくれた。そして“皆様のご希望通り是非再開なさって”と決めの一言がそこにあった。2008y12m11d_140807578

 絵葉書の写真、それは古いパリの写真シリーズで、「アレクサンドル三世橋」だった。
 思い出深い橋だ。映画とか美術展に直結した思い出が沢山ある。

 もともとぼくは何でも深読みするタチだ。読みすぎて意味がひっくり返ったりもする^^;。誤読じゃないんだ。裏の裏まで読んじゃうのだ。
 一人で傷つき歎き悲しみ、精神的リストカットを何度も試みている。
 けれど深読みはテクスト・クリティックを職とする者なら当然の姿勢だろう。行間からさらにその隙間の奥へと入り、紙の裏側まで見通すくらいの読みが出来なくちゃ話にならない。そのためには冗談はあさっての方においといて、深い教養と学識、そして学際・国際的人生経験が必要なのだ、な~んちゃって親爺(爆)。

 映像ならば、もっと徹底したい。そりゃそうだ。画面一杯に見えている映像には、その細部にまで、語るべき言辞・情報がつまっている。
 “橋”とくれば、何と何をつないで架っているのか、どんな意味を掛けているのか、まさにこのイメージがひとつのメッセージとなっていることに、ウーンと腕組みしてしまう。

 
 余談ながら、絵葉書には細かい心遣いが感じられた。性格的にはかなりアバウトな人だと思うが(^^)、やるときはピシッとやる。貼られていたのはラグビーの切手だった。これが一番の気配りの徴し。嬉しかった。“橋”と連動している。心をつなぐパスをするのがブロガーの務め。あったかい情報/知性の楕円の球を、大きく回りこんでトライ!する快感。

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2008年12月 8日 (月)

辰野金吾に想うこと 2

  あるいは アール・ヌーヴォーの光への軌跡

  1をアップして、早々にネタバレ・コメントが入るとは計算外だった。
(って、あれはひどいよなぁ、ミレイユ・ダルク似のひみチャンよ。知ってるもんフフフ・・・くらいでとどめてくれなきゃ。猪木ビンタもんだぜ、ありゃ)
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 意地悪だ。この後半を非常に書きにくくしたつもりなのだろう(笑)。
 ひみこ流の“しっぺ返し”か。 オーコワッ!!
 けれど平気だぜ。いくらでも切り返せるわい。

 ミステリー文学での“倒叙法”の活用例を思えば、「犯人」が判っていたってどうってことはない。
 最初から「わたしが殺しました」という告白で始まってもかまわないのだ。まぁ筆の力・さばき方いかんだけどさ^^;。

 犯人が知れていても、ぐいぐいと読ませるミステリーの代表作では・・・
クロフツ『ロンドン発1230分』とかフランシス・アイルズ『殺意』あたりか。お手本のような傑作だろう。
2008y12m08d_072135750  わが国では宮部みゆき、桐野夏生、高村薫といった、なぜか女流作家たちが、この手法を駆使して見事に傑作をものにしている。

 だいたい「あなた」なんて二人称を用いていることが、このブログに違和感・異質感をもたらしている元凶(^^;)なのだ。罪つくり。
 「あなた」って誰? 読者は、言葉は悪いが“覗き見趣味”的にワクワクと行間をたどることになる。ターナー氏は逆にそれを狙っているのか?なんてさ(含み笑)。

 「あなたは・・・」という二人称表現。ヌーヴォー・ロマン(新小説)の旗手のひとり、ミシェル・ビュトールが『心変わり(モディフィカシオン)』という小説で使った手法だ。ちょうど50年も昔の作品。でも新鮮さは少しも衰えちゃいない。
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 読み手のぼくらは冒頭からいきなり「あなた」と呼ばれる。「あなた」という主人公になる。
 ぼくらは「あなた」になっちまう。が、もちろん「あなた」はぼくじゃない。
 この微妙なズレ。ブレ。しかしそれは不快ではない。むしろ心地よい。
 パリからローマに向かって走る三等列車の窓にあたって流れる雨のしずく。「あなた」はそれを眺めている。「あなた」は逢引するためにこの列車に乗っている。車窓から見える景色は雨でかすんでいる。愛の歓喜が脳裏によみがえる。穏やかなパリの日々も。過去の記憶、現在の意識が、雨滴で滲む。曖昧に二重化されて、半透明なガラスの上をあてどもなく流れていく。時間はトランプのように細かく切られ、記憶はばらばらなまま引き出され、「あなた」の記憶は読者であるぼくらの意識と一体になる。。。
 明学仏文の名物教授だった清水徹先生が50年ぶりに自ら全面改訳したビュトールの傑作『心変わり』。機会があればぜひともお読みいただきたいと思う。ターナーの一押し小説だ。
(
清水先生とお会いするのは今ではもっぱら葬儀のときばかりなり。どんどんと昔の教授=恩師たちが亡くなっている。心淋しい限りでございます)

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2008年12月 7日 (日)

辰野金吾に想うこと 1

  土曜の夜はテレビの前から離れられない。
 外出などもってのほか。言語道断なのだ(って、厭味な奴だね、このぼくも^^; HEHEHE)。
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  なぜなら、
 22時から1.『美の巨人たち』(テレビ東京)が始まるし、23時には2.『ミューズの微笑み』(NHK教育)が放映されるからだ。
 録画しておくだと?  再放送で観るだと?  馬鹿野郎!猪木ビンタが飛ぶぞぉっ。
 同時性かつ共時性が問題なのだ。一緒の時間に、同質の大気の中で観てなきゃ話にならん。一緒に感じる、魂を震えさせる。しかるのちに親しく微笑み合って語り合う。これが番組をレクチュール(読む)することの快感原則なのである。内容の確認だけが視聴の本質では決してない。
 と、ひとまず声を大にして言っておこう(笑)。
 この種の嗜好と文化教養はアミティエ(友愛)の“共通言語”でもある。
2008y12m07d_143438406  興味も関心もないのなら、読者諸氏よ、このブログからとっとと出ていきやがれ(って、妙に気が立ってるなぁ、もう^^;)。
 笑いでもって読み飛ばそう。

 前後して二つ、三つ興味深い番組が続いている。たまに「K1」スペシャルがあったり、「お笑い系」も加わるものだから、(みんなからエーッ嘘でしょ!とせせら笑われるけど)「格闘」と「お笑い」フェチのぼくなど、大いに困ってしまう。もう金縛り状態でテレビの前にころがっているのだ。美術系番組の緊縛的視聴オヤジ。2008y12m07d_194736828
 しかもご当人は、土曜夜勤なのさ~(と沖縄弁で)。どうやって観てんの?

 つまりは施設のリビングのテレビが夕方から深夜までつけっ放しになっているという、ただそれだけのこと。大して深い意味はない(笑)。
 それにしても写真のストラップが気になるよね。下北の某ショップのオリジナルだ。愛好者ご用達。眼を閉じて無我の境地にいるのが可愛い^^。 ペットのことだよ、ペット!

 夜になると、単刀直入、さぁ寝よう! ベッドへ行こう!と手を引っ張る■さん、お風呂に入るのだと、こちらが目を離すとすぐに裸になってしまう○さん、30分おきに便所・便所と騒ぐ×さん、食べたばかりなのに御飯まだですか?を連呼し、食べたい!と言い続け、やがて喰わせろ!と暴れ出す△さん、等々のローバーズ(平均年齢90を超える老婆たち集団)の魔の手をかいくぐり、明日の食事の仕込みをしたりトイレ介助やたまに救急車騒ぎを処理しながら、ぼくはチラリチラリとテレビを観続ける。
 なんと楽チンなどと思う事なかれ若人よ。胃も腰も痛いし、昨日はなんと血圧が205─140の数値で、朝から中野のデイでもふらふらしていた。眼圧が高くてメン玉が飛び出しそうな感じだった。介護・介助される側ですよ、これはもう。。。^^;

  正直、集中しては観ていられない。一番いいところで「お父ちゃん!」と“オシッコール”が叫ばれる。シャワー洗浄で手間取ると、番組がほぼ終わってしまったり。 芸術(美術)と現実、話のテーマの落差が甚だしいもんね。

 昨夜は、1. 辰野金吾 建築「旧松本健次郎邸」 2. 熊谷守一美術館 だった。
 介助作業ではいやはやマイッタ・・・状態で、リビング~トイレをあたふたと往復し、シャワー、着替え、寝具大物の洗濯、ベッドまわりの拭き掃除に大汗をかいていた。ストレスと疲労は深夜に向けて溜まる一方だった。2008y12m07d_195646562_2

 向田邦子も愛した熊谷守一(『ミューズの微笑み』)については残念ながら話を割愛する。
 有楽町線・要町下車の彼の美術館は娘さんの榧(かや)さんが運営なさっている。
 〔「あなた」への付言: 番組プロデューサー、たぶんあの人が天野静子女史だと思う、の年カッコウと漂わせる雰囲気が貴女によ~く似てた。なんで貴女が映ってんの? と思ったほど^^;。
2008y12m07d_142515015  中原中也の特番に解説と朗読で出ていた町田康が10年前のぼくに似ていたように(笑)。
 似てねぇか? やっぱしワイエス父かなぁ。Photo
 ありゃソックリ・傑作でしたよ、ひみこチャン。本人が認めます。肖像画に公式認定したいほど。しかも右手にパレット持っているし。それってことは...。でしょ? 同じじゃないですか。鏡ってこともありか??  うむうむ。
 でもさ、町田氏だって、中也をぼそぼそと語っている姿、なんだか自分みたいだったぜ。エヘッ^^〕
 

  

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2008年12月 4日 (木)

「あなた」しか見えない

 ひとりの男がいる。
 中年というよりはすでに初老の男。2008y12m04d_123503484_2
 筋肉質の、骨格がしっかりとした身体つきで、決して肥満体型ではないが体重は90kgちかい。その声と顔つき(ちょっとコワモテ系か^^)は信じがたく若い。職場では実年齢より10歳下くらいに思われている。40といっても通用する。多分、茶色のかなり長い髪のせいだ。白髪がない。同年代の友人たちとくらべて、こんなに颯爽としている者はいないと、彼自身は密かな自己愛にひたっている。 しかしそれはどうかなぁ^^;。
 世の中の景気の悪さを歎くこともなく、暮れのボーナスも話題にせず、お金にはまったく無関心・無頓着な生活を送っている。「年末ジャンボ宝くじ」にも興味はない。買ったためしもない。金銭感覚・金銭欲に、いい意味でも悪い意味でも、欠如している。リッチで優雅な生活は彼の興味と関心の対極なのだろう。
 お洒落とは無縁の格好。着たきりスズメ。
彼は言っている、自分はいわば托鉢の修行僧なのだと。確かに濃紺の作務衣が一番よく似合う。

2008y12m04d_123528546  日に三冊は読書し、週に二回、火曜と金曜の夜には図書館に通う。居酒屋などで人と一緒に飲むことはまずない。自室にこもり深夜きっちり一本の赤ワイン(それ以上の量の酒)を消費して過ごしている。
 「竹内まりや」を革ジャンのポケットにつっこんだ携帯からイヤフォンで聴いている。この数日は、キース・ジャレットとブラッド・メルドーのピアノに浸りきってご満悦至極だ。
 空手の稽古からは随分と遠のいてしまった。型のほとんどを忘れてしまったようだ。

 彼は「あなた」と、ずっと恋愛関係にある。
 四六時中、「あなた」のことを想っている。頭を離れたことがない。しかも二人の「あなた」だ。
 
三人の奇妙な精神的同棲生活が彼の中で始まっている。もちろん彼特有の激しい思い込みにすぎないわけだが。2008y12m04d_123554703
 
 一人の「あなた」はすでに死んでしまってこの世にいない。彼女との悲喜こもごもの想い出、映画のような情景とスナップショット、そして彼女の歌声、ふくみ笑いする声の記憶
しか残っていない。もう一人の「あなた」は彼の思念の世界に生きている。ディジタル世界の純粋にヴァーチャルな存在で、実体はほとんどない。文字と写真と、わずかにたまに交わす、ディジタルな“肉々しく”甘く匂いたつ「声」。この「声」だけを除いて、すべてはブログ上、想像力の天上界にある。現実的な関係にたち至ることはほとんどないし、むしろ禁欲世界の住人/お姫様と呼ぶにふさわしい女性である。

 ありがたいことに男のまわりには、彼を気遣う生身の女性たちが何人かいる。まぁ、ブログの読者なんだが^^。
 男は性格破綻の人間だ。何をしでかすかわからない。女たちは彼を心配し、心優しい言葉で男を包み込む。
 だから、そうした環境にぬくぬくと甘えて、照れることも臆することもなく平然と自分の恋愛的愚行を彼女たちに語り出す男の態度には、一種の反感がもたれて当然だろう。
 馬鹿だよあいつは。なんで他人にそんなことを語るのか。常識じゃ考えられない。
 男は自分の立場が次第に危ういものになっていることに気づいていない。そうかな。少し違うか。
 男は愚か者ではないはずなのに。どうして自らの立場が理解できず、ここまで平然と、自分勝手に振る舞えるのか。甘えていられるのか。
 分かってもらえるはずさとまるで駄々っ子。けれど現実はそんな“スウィート・ムーヴィー”じゃない。しっぺ返しがかならずやって来るだろう。

 いずれにせよ、男にとって「あなた」は一人きり。“あなたしか見えない”のである。

 死んじまった、すでにゴーストの「あなた」と、ネット上のヴァーチャルな幻影の「あなた」。
 男の精神は、健全な理性(
と呼べるようなものがあったとしての話^^)がかなり混濁・錯乱しており、二人のイマージュが重なり合わさった同一体としての“「あなた」しか見えない”のである。
 
 
 
 
「葉山さんに語るアイディアは、もう頭のなかにあるのかしら」2008y12m04d_123640109_2
 美貴子がきいた。

 「依頼をしてくれたときの彼女の話では、とにかく徹底した夢物語を、ということだった」
 「夢のような恋愛小説?」
 「そうだね。現在の世界が、具体的に写実的に描いてあるけれど、実際にはありっこなくて、だからこそ心の底に大切な夢としていつまでも持ち続けていたいような、そんな夢の物語」
 「それを小説で書くのは、たいへんだと私は思うわ」
 「たとえば、の話さ。小説としての魅力的なアイディアなら、なんでもいい。しかし、出来ることなら、恋愛小説」
 「かなり変わった恋愛がいいような気がするわ」
 「僕もそれは考えた。ひとりの男性がいるんだよ。魅力は充分にあるのだけれど、ちょっと変わった男だ。その彼が、ふたりの女性を相手に、同時に恋愛をしている。ふたりの女性を相手の恋愛関係が、同時に進行している」2008y12m04d_123758593
 「スリリングですね」
 「その恋愛を、交互に描いていく」
 「とっさにフランス映画を思うのは、よくないことかしら。音楽はジョルジュ・ドリュリューで」
 「それが好みなら、それでもいい。とにかく、彼にとってふたとおりの恋愛が、同時に進行していく。その恋愛について読んでいくと、やがてわかってくることがある」
 「じつは彼にとって、恋愛相手であるふたりの女性のあいだに、差異はまったくない。現実には。もちろん、ふたりのまるで異なった女性なのだけれど。そのふたりとの恋愛関係を進行させている彼にとって、ふたりは完全に同一人物なのさ」
 「そうなのさ」
 野村の口調を真似て、美貴子が言った。

 「ふたりではあっても、彼にとっては、ひとりだ。ふたりで、ひとり。ひとりの女性が、彼にとってはふたりに分かれている。わかってもらえるだろうか」 

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2008年12月 1日 (月)

PanさんのCDコレクション 参

 ぼくのファンならどなたもご存知、なんでも三回繰り返す主義者のターナーでございます。
 と、口調はなんだか綾小路きみまろ。彼って凄いですよね。内緒の話なんですが、ぼくは激惚れしています(笑)。

 きみまろさんについては、そのうちにまとめて語りたい。語らせていただく価値が充分にある。
 「人間なんておしめで始まっておしめで終わる」ってのが彼の哲学だ。その通りだと思う。ぼくが「介護」の道を選んだのは、きみまろさんのお導きだったとさえ思って感謝している。

 きみまろさんの本、『有効期限の過ぎた亭主・賞味期限の切れた女房』、『こんな女房に誰がした?』(共にPHP文庫)はぼくの座右の書と呼んでいい。一度、ご精読されたい。

  座右の書か。。。そもそもぼくにとって最初の本って、何だったんだろう?

 奇妙な記憶が鮮明にある。
 小学校1年生のお正月。その年、父方の祖母はまだ健在で(二年後の4月に脳溢血で亡くなるのだが)まだ52歳と若かった。お年玉のかわりに本を買ってあげるとK書店に連れて行ってくれた。児童書のコーナーで、ぼくが選んだのは『ジュール・ヴェルヌ全集』だった。二人で持ち運びできないほどの冊数だった。版元も翻訳者が誰かもいまは知らない。絵本ではなく、活字がびっしりと多かった。でも抄訳の児童書だったわけだけどね。
 幼稚園時代まで読書した記憶は全くない。絵本は数多く眺めていたろうが、本と向き合っていた時間は実際になかったと思われる。その正月(3日すぎ)から、ヴェルヌ全集を夢中になって読んで過ごした。「月世界旅行」、「海底二万里」、「八十日間世界一周」、「十五少年漂流記」、「地底探検」・・・。
 このヴェルヌの故郷がフランス・ブルターニュ地方の町ナントだった。敬愛するジャック・ドゥミ監督も同郷の人。長編処女作『ローラ』はここで撮られた。2008y12m01d_111738281_2

 辻邦生は日記(『パリの時』/中央公論社)にこう書いている。

“T君の懇願でナントに向かう。ナントは連載中の『フーシェ革命暦』の大事な舞台なので前に何回か取材をかねて出かけたことがある。十八世紀から十九世紀初頭にかけて栄えた、ロワール河の舟航を利用した貿易港、かつての栄光を偲ばせる壮麗な町並みや、堂々たる邸宅があり、都会(まち)全体に華やかな感じが漂う。東のナンシーも憂愁を帯びた華麗さを湛え、ぼくの好きな都会(まち)だが、ナントは宮廷風の憂愁感のかわりに商人風(ブルジョワ)の豪華趣味が感じられる。2008y12m01d_111323468
 (・・・・・・)
 たまたま駐車したのは、その町に見覚えがあったからだが、それがT君の目ざすパッサージュ・ポムリのすぐそばだったのにも驚いた。パッサージュ・ポムリはかなりきつい勾配になったナントの山の手の、その斜面を利用した石の階段の歩廊
(ガルリー)で、両側はショーウィンドーの大きな商店になっていて、頭上を鉄骨、ガラス張りの屋根で覆ってある。パリにも道路をガラス屋根で覆った歩廊(ガルリー)状の細い道(パッサージュ)はあちこちにあるが、このパッサージュ・ポムリは五十段ほどの石の階段があって、見事な石爛にブロンズの裸婦像が配され、それぞれ街燈を支えている。T君がこのパッサージュ・ポムリを見たがったのは、彼の偏愛するジャック・ドゥミ監督の『ローラ』のなかにここが出てくるからだ。(・・・・・・)”

 こうして先生とぼくは、彼が以前から懇意にしている古本屋に顔を出して老主人にご挨拶し、ナントの旧市内をひとまわり歩いた。
“港に近いレストランで食事をする。下はカフェ、奥はビリヤードになっている。二階の食堂の壁には水色の地にいかや蛸やひらめや貝などが水族館のように描かれている。壁画に敬意を払ってソール・ムニエールを食べる。”
2008y12m01d_112241343_2  ナントは辛口の白ワイン「ミュスカデ」で有名な町だ。
 “おかかえ運転手”の辻さんの同意を得て(あの独特の、満面に笑みをたたえたお顔の素敵だったこと!)ぼくは最高のやつを軽く一本空けた。「もっといいぜ。君ならいけちゃうじゃないか」、辻さんがグラスのむこうで微笑んでいた。
 ワイングラスと、よく拭き取られたピカピカなガラス窓の彼方にはナントの海が光っていた。(実際はロワール河だ!)
 なんと綺麗な光景だったろう。

  前の夜、二人は島に泊まっていた。美ケ島(Belle Ile)。島で一番のホテルにメゾネット形式の部屋をとり、断崖の上に建つホテルから真っ青な大西洋を眺めながら、ぼくの誕生日を祝っていた。カルヴァドスの古酒を二人で舐めるように飲み、夜更けまでドゥミの映画談義に興じていたのだった。と日記には書いておこう^^;。 素敵すぎ~っ!

 ナントの街。時間は午後の最も輝かしく若いとき。
 ぼくは辻邦生とさしで向かい合って、ミュスカデを飲んでいたんだぜ。
 なんとも美味しい時間だった!

 ぺルマ
ナント!! 永遠に止まったままの、辻さんとの至福の時間(とき)よ。
 CDは、想い出のすべてをその銀盤に氷結させている。
 ジャケットはその心を永遠にあたため、煌めかせる。

 音楽! なんて君は美しく活き活きとした“生きもの”なんだろう。
 いま、キース・ジャレットを聴いている。『Time on My Hands』。
 なんと素晴らしい曲か!両の手のひらに、こぼれんばかりの真珠が輝き溢れている。浄福のとき。辻邦生なら、そう言って微笑むはずだ。
 

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PanさんのCDコレクション 弐

 別卵性精神的シンクロニシティック双生児のぼくらは、片割れが風邪で倒れると遠く異郷の地にあっても、もう一方も当然風邪をひく。(理屈、SOくるかぁ?)
 複雑系のカオス〔因果〕理論【北京で一匹の蝶々がヒラヒラ舞うとフロリダにハリケーンが襲来するっツー説】よりも相互関係が神秘神学的、霊的にソートーに深いのである。(SOなの?) ジャン・コクトーが監督した傑作映画『双頭の鷲』、みたいな^^;。
 最近は「あなた」との区別さえつかなくなってきて(認知症・要介護度4くらい?)、なんだか毎日のように話をしていないと心が落ち着かない。気が苛立ってくる。(SOなんだよ)

 夜勤を終えて家に戻って来て、吉田喜重の『さらば夏の光』のDVDを40年ぶりくらいに懐かしく涙ながらに観ていた。〔こういう姿を“ローザンヌ的”という。残酷に美しくも老残。〕
 Mの中のM、ぼくの永遠のマドンナ、岡田茉莉子の主演作品だ。

2008y12m01d_005410109_2  観ていて途中から悪寒が走りした。確かにとっても疲れてはいた。熱はいつも高い。37℃がぼくの常温
 血圧は昨日デイの看護師のハルミさんに強制的に測らされたら、上が190あった。これもいつもながら高い。下は138だ。手首に剃刀をあてると噴泉のごとく紅の霧が湧き立つ()
 サブ~~~ッワインをガブガブ飲んでもちっともおさまらず、今度はどっと眠気がしてきた。

 (どうせ無理だとは思っていたが^^;)何を考えていたのか当分連絡はしないと言った舌の先も乾かぬうちに、双子の片割れに話しかけたくなってメールを一本入れてから、おもむろにベッドに倒れこんだ。即、昏睡状態。『コーマ』って映画が昔あったよなぁ^^。


 それからどれだけ眠っていたのか。。。

 真夜中すぎに、寝汗をびっしょりとかいて溺れそうになっている夢で目覚めて、続きを書き出した。はやいところまとめておかないと先に進めないもんね。

 美の巨人たち。きょうの一枚は・・・あ、嘘ね^^。

Photo_4  2005年制作のCDがこれだ。
 なんで長渕がいるのか不思議だろ?
Panさんて、意外なタイプがお好き。旦那は典型的ナイスガイなのにね。当時ぼくは媚びてみたわけだな^^;。剛と陽水、素敵じゃないかとね。クラプトンは、まんま、バラード。これが一番好きかも(笑)。
 今井美樹は例のやつだ。ワイエス画像の変形タイプね。
一般向けの普及盤。

 よ~く観ると「My Foolish Heart」が早速登場している。この曲は最近も別テイクで収録している^^。
 そう言えばこの前のブログでぼくがまとめた『大停電の夜に』の「アナザー・ストリート」。結構受けが良くて(そういうことはコメしてくれないんだけどさ。書いてよ!)、映画の奥行の深さが分かったって感激のファンレター(メール)があったよ。もう一度、詳しく、語りたくなっちゃうな。いい、必ず「アナザー・ストーリー」はあるんだからね。その無意識的記憶で作品は描かれているのだ。意識せよ!


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