松園のこと
父の家に行くたびに驚かされるのは、上村松園のコレクションだ。
確実に作品点数が増えている。
父の松園収集は80歳をとうにすぎてますますお盛んで、玄関を入ればもうそこは、『上村松園個人美術館』の様相を呈している。
ジヴェルニーにあるモネの自宅・アトリエを訪ねるとその浮世絵のコレクションに圧倒される。家中の壁面が浮世絵で埋め尽くされている。うんざりするほどの量の浮世絵に囲まれて生活していたクロード・モネ。それと同じとはいえないまでも、父はかなり若い頃から松園の世界の中で生きてきた。松園の絵に“(日本)女性の理想美”を観ていたと思われる。
それはまぎれもなく子であるぼくの精神世界に影響を与えている。
認知症の母をヘルパーの手もほとんど借りずに黙々と我流の介護をしながら、家のあちこちに飾られている額装の松園を眺めて生活している父。
訪ねて来る人もほとんど無く、仏壇がある以外、がらんと空っぽの20畳ほどの居間に座り、畳を伝わって流れて込む那須の冷気に暖房も使わず、天井からの灯りさえ落としたほの暗い部屋にいて、松園の画集をひろげて独り松園の美の世界を愉しんでいる父。物言わぬ老僧のごとき父の姿。
ときたま母の介護に帰れば、かつては壮絶に綺麗だった和服美人の母が傍らに寄り添うように座っている。いまでも微笑みだけは忘れていない。しかし・・・。
夕餉にほとんど無言のうちに一献傾けていると、ポツリポツリではあれ、とうぜん松園の話が出てくる。
ぼくは子どもの頃からひたすら聞き役であり、出来損ないの生徒でしかない。
松園については、こちらから偉そうに、何も語れないのだ。
借金の利息分(にしては少なすぎるが気持ち)として持参して行ったボルドーワインを抜く。
母の介護だなんて全くの口実であり、行けば必ず夜が更けて、いよいよこうした話の展開となる。自分でもいやになってくるが・・・仕方がない。
誠に申し訳ない。今月もまたあとこれだけ足りない、と指を数本立てる。
おまえのために、また松園が買えなくなるんだぞ。しっかりしてくれ。道楽で介護の仕事なんて、してないでくれ。一体おまえは何を考えているんだ。家族はそれでいいのか?
Kさん、悲しそうじゃない。どうしたの? ・・・・・・能天気にも母が微笑みをよこす。
おまえはなんにも分かっていないんだから。黙ってなさい。
いつものシーンの繰り返しだ。確かに、しょうもない道楽息子だと自分で思う。
隔世遺伝なのか? 90になっても花街で遊び続け、江戸以来のすべての財産を消尽しつくして棺桶に入った極道ジイサンのために、その死後も、父は肩代わりで借金の返済をしていた。そしてまた現在も。。。自分の父親と愚劣な息子のために一生涯苦労がたえない父。。。
先日、(ぼく個人的事情として大変オトリコミの最中に^^;)『美の巨人たち』で松園の「青眉」がとり上げられていた。
嬉しかったね、この眼のつけどころには。
父の額装のコレクションにはこの絵はない。話には聞いていたが映像で観ただけでも震えがきた。
これか。この絵か。『青眉』って。
母への追慕の愛がこめられた傑作の一枚だ。
なんという気品。なんという凛々しさ。上村松園のすべてのタブローには、哀しくも美しい日本女性の気高さが宿っている。
『青眉』はしかも、“市井の日本女性の美”へと松園の視線が転換した画期的な意味のある作品だったのだ。
前回、施設のご利用者さんの一人、F子さんの死について触れた。明日(すでに今日)が告別式だ。
彼女の死で想い出すのが、Kさんのこと。2年前に94歳で亡くなられた方だ。りっぱなことではKさんもたいした人だった。もちろん重度の認知症だったし“正気の沙汰とは思えない”日常生活を共にしていた。彼女にはたくさんのことを学ばせていただいた。
mixi日記で何度か書いているので詳しいことは繰り返さない。
ぼくは入浴のたびに首筋を噛まれ、電車の中で恥ずかしい思いをしていた。っツーカ、夏場にマフラーを巻くわけにもいかない、みたいな^^。腕を噛まれたときは、痛~っ!と引いたら入れ歯がささったまま外れたのにはびっくり(笑)。トイレ介助をしているとジダンばりの頭突きを胸元にいきなり喰らったこともある。突然のビンタはしょっちゅう。すべて、空手的には瞬時に「受けて」「払って」、すかさず「突く」!(突く!のは嘘だ・笑)
Kさんは文筆家であり仏教学者であり、実際には女住職でもあった人だ。
今回、F子さんの死をきっかけとして、Kさんのことも懐かしく偲んでいる。
Kさんと上村松園の出逢いのエピソードを想い出すのである。そうなんだ、そういう時代の人だったんだね。一緒に空気、すっていたんだね。幸せだったね、Kさん。。。
“秋晴れの一日、私は岡崎の美術館に画の展覧会をみて、その帰り三条あたりでスパッと映画でも楽しんで来ようと、家を出た。(・・・)
公会堂の前を通り、細かい砂利を快く踏みながら、切符を求めて美術館に入ろうとする時、入口に車がとまって軽やかに降りて来られた小柄な老婦人。
落着いたお召物の上に黒の単羽織を召し、前髪をとらぬ総髪に大き目の銀杏返しふうの髷をつけ、細い真白なたけなががキリリと結ばれている。思わず見とれる私の前をスーッと入っていかれた。引きつけられるようにそのあとに従った。ゆっくりと丁寧に鑑賞される。時折使われる扇子のなんとも床しい香り、後になり先になり、とうとう出口まで離れなかった。その時の絵は全部覚えてないけれど、その方の姿は、眼をつむれば今も鮮やかである。砂利道を再び軽やかにしかも、しっかりとした足どりで去って行かれるお姿をいつまでも見送っていた。” ─ K.S 『夕茜』より ─
上村松園。Kさん。 この美しい魂たちの連鎖ゲームは、次には鎌倉に飛んでゆくことになるだろう。
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