フェルメール講義 Ⅱ
■フェルメール/画家・絵画
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer 1632─75年)は、レンブラントと並ぶ17世紀オランダ絵画最高の画家である。
その作品の精妙な描写、透明感のある色彩の美しさは、さきほどダリの賛辞を紹介したが、ほかにもルノワールやゴッホが、同じく、「世界一の画家」と公言してはばからなかった。
17世紀のオランダは経済的・文化的な最隆盛期にあった。したがって芸術活動も花開いていた。
フェルメールが生まれ、生涯ほとんど離れることのなかったデルフトには、その時代、ほかにも数多くの画家たちが活躍していた。彼らはデルフト派と呼ばれ、市民生活をテーマにした絵画を描いて高く評価されていたのだった。
フェルメールの絵は、世界に30数点しかない。真贋不明の作品を加えても40点にも満たない。
これはどうしたわけか? などと書き出すと長くなるので、やめる(最近、いつもこれダ)。
以前、ルーヴルに歩いて5分の所に生活していて、あそこで観たのは1点のみ。『レースを編む女』だけだった。実はルーヴルはそれしか所蔵していない。
ニューヨークなら「メトロポリタン美術館・メット」に5点。すぐ近所の「フリッツ・コレクション」に3点ある。世界で一番多く、しかもイチドキにフェルメールの作品が観られる街がNYCになる。
ロンドンには2, 3点が点在するだけだし、オランダ本国では「アムステルダム王立美術館」に3点、最も有名な『デルフト眺望』と『真珠の耳飾りの少女』の2点は「マウリッツはハイス美術館」にある。
この近くにあるカフェには、壁面すべてにフェルメールの複製作品が所狭しと飾られていて、世のフェルメール・オタクは、こぞってここに詣でることで知られている。「マウリッツハイス」の「ハイス」とは「館」のこと。「ハイス・テン・ボス」とは「森の館」。例の「ハウステンボス」のことである。
■フェルメール/発音
ところで、英語圏の美術館でフェルメールを鑑賞する際には注意が必要だ。
英語式に発音されると誰のことやら判らない。金大中とキム・デジュンが別人に聞こえるように。
フェルメールは、英語読みで「ヴァーメ(ミ)ア」。
メットに出掛けたおり、全部観るには一週間はかかると言われて236ものギャラリーを泣きそうになって彷徨していたら、やはり途方に暮れたらしい英語圏人から「ヴァーメアの絵はどこにあるの?」と尋ねられて困惑したことを思い出す。
「ヴァーメア? はて? 誰のこと?? そんな画家いたかなぁ」
ぼくが怪訝な顔をしたものだから、日本人のこの馬鹿者はあの有名なヴァーメアも知らないのか...と呆れて頸をすくめて行ってしまった。トホホ。
これをフランス語に置き換えると、例えば「ゴッホ」はフランスでは「ゴーグ」と発音する。ゴッホって言ったって確かに判らない。でもオランダ語ならむしろこの音に近い。
「g」の発音は日本語では表記不可能だが、空手の「息吹(いぶき)」のような感じで腹式呼吸で吐き出すように「ホッホ」と発音すると、うまい!と誉めてもらえる。覚えておくように。何の話だっけ?
■フェルメール/流行現象
日本にフェルメールの一大ブームが訪れたのが2000年のことだった。最近の話だ。
大阪で、日蘭交流400周年の記念事業として画期的な展覧会が実現したためだ。
日本の場合、何事においてもオバちゃん層への感染力が凄まじく早い。ルノワールやモネに飽きたオバちゃん層が、ひとたび舌を噛みそうなフェルメールの名前を覚えるや、猫も杓子も、『青いターパンの少女』の話で持ちきりとなった。
“あ~た、あのターバンの娘(こ)の絵、素敵よねぇ”、“フェルメールって、光の魔術師よね~ぇ”、“本当よ、ねぇ~っ”て。
有田焼が関係しているデルフトの土地柄も日本人オバちゃんの好みであり、大挙してのオランダ観光がフェルメールのお蔭で盛んになった。
超目玉は『青いターバンの少女』。
ほかには『天秤を持つ女』、『地理学者』、『リュートを調弦する女』、『聖プラクセデス』(※)。
日本はもちろんアジアで初めての企画だった。まさに“夢の展覧会”と、雑誌『ブルータス』でもフェルメール特集を組んだほどだった。
(※); この『聖プラクセデス』は、現在、フェルメールの真作かどうか疑問視されている。研究資料によれば、正式なリストからは外されている。
たった4年でも、最新のフェルメール研究成果に従ってシビアな鑑定が下されている。
この謎めいたところがたまらない魅力でもある。
■フェルメール/人物画
フェルメールの描いた人物画のサイズを調べてみると、そのほとんどが縦横50cm程度の小品ばかり。現物を見るともっと小さく見える。しかし、よく見てみると、そのどれにも“フェルメールの光”が左の窓から射している。
この光がつくり出す色彩の魔力、構図の魅力、その筆致の見事さがぼくらの眼を奪う。
これらの絵がアトリエの情景を鏡に映ったように精緻な正確さで再現されていることにぼくらは驚くのではない。
一見写真のスナップショット然と人物と室内を写実していながら、そのタブローは冷たく凍えた静止画ではないのだ。それほど細やかな描写とは思えないが、生暖かい呼吸が感じられる筆致の写実主義絵画だ。
フェルメールの眼は精度の高い光学レンズというより、その水晶体は生きて揺れて動いている。対象を写すのではなくて対象を見つめる意識が、絵を眺めるものに乗り移ってしまい心酔わせるのだ。
手触り感のあるリアルさ、とでもいおうか、水やガラスの反射の様態・その質感を実に精密に描きこむCG技術がいかに発達しようとも、あるいはハイパーリアルなハンドワークのワザがいかに奇跡的という水準で画面に反映されていようとも、17世紀に描かれたフェルメールの絵のこのリアルさにはとうてい及ばない。
繰り返すけれど、リアルさとは、写実の如き“現実の写し”ではない。
「フェルメールのリアル」には手触り感と“詩情(ポエジー)”がついてまわっているのである。
フェルメールの絵にはドラマチックなストーリーはない。反対にどれもが、ドラマにならないほどの、瑣末でありふれた日常風景にすぎない。
少なくとも無理に言葉を繋ごうとするなら、フェルメールの描く人物の絵には、窓辺の一瞬の“永遠”が、深遠な静けさのうちに無垢のまま止められている。あたたかく凝結している。
押井守監督の映画『イノセンス』ではないけれど、モデルの“ゴースト”がそっくりそのままタブローの人物に吸い取られ、その表情に映し出されている、そんな気がしてくるのである。
平面なはずのタブローには深みがあって、空気が見えるようだ。
空気というのが正しのか、いや、湿り気に近い大気の気配と言い換えるべきだろうか。乾いた風でなく、さっきまで運河の上を漂っていたデルフト特有の青味がかった大気が、窓の隙間から室内に入り込んできて、ひたひたとアトリエを満たしているような感じ。
幽かに仄かに水分を帯びた大気と光。それらに包まれている慎ましやかで魅惑的なタブロー・・・そこに描かれている女たち。
■フェルメール/青
美術界では“フェルメール・ブルー”という言い方がある。フェルメールが使った“青”の絵の具はこの世で最も美しいブルーだと言われているのだ。ウルトラマリン・ブルー=ラピス・ラズリ(石)の“青”。
大変に特殊で高価な原材料と“その時代の(空気の)湿度”が調合されて初めて生まれたフェルメールの“青”。
石を擂り潰すだけにしても精製工程が全く謎のままだから、現在でもこの“青”は彼以外の誰にも作れない。化学的理屈だけでは無理なのだ。
フェルメール鑑賞ポイントの第一点は、どの作品にも存在するこの“青”をじっくりと鑑ることにある。それこそがフェルメールの“青”に溺れるという至福感を存分に味わうことにほかならない。
ぼくらの兄貴分の小林康夫さん(東大大学院教授)が『青の美術史』(ポーラ美術研究所)という本を書いている。
彼は、“青という色、このキーワードで、古代エジプトから現代美術までの西洋芸術総体の歴史=物語(イストワール)を、数千年にわたって西欧文化を横串的に貫いてきた“青”の秘密を饒舌に語っている。
“青はわれわれを夢へと誘います。つまり、青にはわれわれのさまざまな夢が託されています。青を通じて、われわれの奥深いところにある夢に触れることができるかもしれません。青の旅は、われわれの夢の旅でもあるのです。”と康夫さんは語り出す。
“色でありながら、色を超えたものです。色のシステムのなかに入っていながら、その彼方、色の「海」の彼方を示す色でもあるのです。そして言うまでもなく、それこそが青の根源的な魅力です。”
青に魅せられた芸術家は多い。いや青に魅せられるのは芸術家の必須条件だとさえ言いたくなってくる。
“ヘルダーリンといい、マラルメといい、詩人は本質的に青に対する感度が高いとのかもしれないとすら思います。
もしそうだとしたら、それは、青が、詩がそうであるように、感覚的なものと知的なものとの合一の精神を暗示する色であるからかもしれません。”
青は芸術家の魂をとらえる。なぜか?
それは、青がモノの色でないことからではないのか、と青をめぐるこの旅は続いていく。
近づきがたい色。天空の青。光と空間との作用によって生まれる青。ラピス・ラズリ[「天空の石」の意]の青。青金石。瑠璃。ウルトラマリン・ブルー。
海の向こうのオリエンタルな色。青。イスラムの聖なる色、青。トルコ石の青。聖母マリアの着衣の青・・・・・・。
14世紀に青の画家ジョットオがいた。シャルトル大聖堂薔薇窓の青。シャルダン青Blue Chardin。性格、生命、現在の感情を伝える青。絵画に表現されたさまざまな空の青。
「ヴィーナスの誕生」の平板な薄い青。ティツィアーノの官能を約束する青。フラゴナールのロココ的な空間の泡立つ青。スペイン絵画の紺碧の空。フランドルの物悲しい薄青み。光が暗黒を覆うときに現れるロマンティック・ブルー。生と死を繋ぐ青。蒼空。「欲望」を表現するセルリアン・ブルー。浮世絵のプルシャン・ブルー。セザンヌの深さと奥行きを示す青。マチスの青、ピカソ「青の時代」・・・・・・フェルメールの青Bleu de Vermeer。
“ブルーは目に見える闇の色”と言ったデレク・ジャーマン監督の青一色の映画。青にとり憑かれたアーティスト、イヴ・クライン。そして、ガガーリンが人類として最初に宇宙から地球を見たとき、今まで遠かった青は、地球の青として一番ぼくらに近い色であったことがわかる。まさに青色革命が起きたのだった。
ぼくらが青に惹かれるのは何故だろうか。青の先にあるのが闇だからかも知れない。青の一寸先の玄の暗闇。漆黒の闇はすなわち“時”であり、その先には魅惑的な“死”があるからにほかならない。
フェルメールの光、その光に内在する“青”に触れたとき、同時代人ゲーテの「色彩論」を思い出す。
それまでの古典的なニュートンの物理学的色彩論に対して、ゲーテは“人間としての色彩の見え方”を問題にした。
ゲーテには、ひとつに光と闇から色彩が生まれるというギリシャ的色彩観があった。さらには人間の眼のRGB(レッド・グリーン・ブルー)の三つの視覚細胞が色を創り出すことも指摘した。
しかしニュートンの色彩論が全盛のこの時代、ゲーテの主張は受け入れられることなく終わってしまったのだ。このゲーテの人間主体の「色彩論」はフェルメールの光と色彩の謎を解く鍵になるのではないだろうか?
再読しなければなるまい。
《講義は、いよいよ次回が本論、長い長い、映画の話になるよ! ひえ~っ^^;》
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コメント
ターナーちゃん(と今夜は呼ばせて!)
今夜のあんた、絶対に変よ。
この前は大変失礼いたしました。繰り返すけど何も悪意はなかったし変な感情なんてなかったの。ただあたし表現がキツイ女だからいつもその表面的な痛さ?で誤解されちゃいます。で、ターナーちゃんから叱られて、出入り差し止めにされちゃう。性格って書いちゃまた怒られるのかな?あたしはあたしの愛情をこめて手を差し出すのに、あんたがその手を叩くのよ。分かってる?
このところのブログがズタズタにされているわ。どうして?
あたしのせいなの、これも?
ターナーちゃん、しっかりしてよ。大丈夫なの? なんだかとっても変です。悲しくなってくるわ。
投稿: ひみこ | 2008年11月 7日 (金) 21時52分
書き続けなさい
描き続けなさい
残してあるから
>> ・・・ぼくは11月の湘南の海を眺めに、南に向かって電車に乗っていた。
季節はちょっと早いけど、竹内まりや「Winter Lovers」を聴きながら。サラ・マクラクランの「ANGEL」と「I LOVE YOU」を聴きながら。
>>《セレンディピティ》、《シンクロニシティ》の快楽。つまりは《ユング心理学効果》。《偶然の必然》、《前世からの運命/宿命の邂逅》・・・シネマ的には『ある日どこかで』感覚。“ぼくらはついに、お互いの手をのばす。が、指と指は決して絡み合わない”ネット世界のヴァーチャルな、《幻燈的幻覚に満ちた(ファンタスマゴリックな)愛》。
>>まさに流麗華美なる水茎の跡・・・で、毛筆で繊細にさらさらとしたためられるとそれだけで心が動揺してしまう
>>「朗読者」のターナーはいい声だったでしょ? ボードレール詠むと結構いかしてんだぜぇ、な~んてさ^^。
書き続けなさい
投稿: k | 2008年11月10日 (月) 19時19分
kさん? 多分こっちサイドじゃないですよね、でも唱和してしまいます、書き続けなさい!描き続けなさい、って。
ターナーさんは描く人だと思う。撮る人というかな。
映画人ね。いつでもどこにでも映画&映像がつきまとっている感じです。
会社時代からずっと頼もしい部長でした。カッコよかった。夜は仕事の話題は全くゼロで映画とか絵とか音楽の話ばかり。
『眠れる森』の解読、毎週ずっとしてくれましたよね。仕事そっちのけで。
毎日、ここに来るのが楽しみでした。だってあの頃から変わらぬターナー部長がいる。
先生、先生って慕われている。
いまもさっぱりわからないけど、パリ時代の恩師ドゥルーズ哲学の話、もっと聞かせてください。クリムトが大・大・大好きでウィーンに行った話とかも。マーク・ロスコの話も。部長の退職祝?、ロスコの画集を選んだのは私ですよ。
一心不乱で夢中になっちゃう部長、まったく変わっていないのには笑っちゃいます。
ずっと読んでいるんですよ、「あなた」のことも。今回のことも。映画ですね(笑)。
書きなさい、描きなさい、私の憧れの部長様。
投稿: 眠り美姫 | 2008年11月10日 (月) 21時54分