ジョイマン・マン&ウーマン・オッカーマン
いましがた、なんともお馬鹿な検索をしてしまった。
「男と女 ドーヴィル 思念魔亭日乗」って(笑)。
自分のブログを調べてどうする^^。
ある人から言われたのだ。
ドーヴィルのこと、書いてねって。
ドーヴィル・・・想い出の街、あの浜辺。。。
ご存知、クロード・ルルーシュ『男と女』(66年)の舞台。
ノルマンディーの海岸の避暑地だ。
ぼくはこの映画が大好きだ。
20回くらい観ている(しかもビデオでなく劇場で^^)。セリフもほとんどフランス語で覚えているほど。
そしてそれがために、実際にドーヴィルに4,5回出掛けている。
辻邦生は『春の風 駆けて』(《パリの時》と総題された全三巻の日記・中央公論社)でこんな風に書いている。
4月15日 (・・・)T君の目的地ドーヴィルに着いたのは、そろそろ夕暮れの感じられる時間だった。重厚な、前世紀風の、黄褐色の三階建の別荘が、松並木のあいだに、森閑と静まり返っている。広い通り。海岸に出て、長い木造の脱衣場そばで車を停める。T君はカメラでしきりと『男と女』のなかの構図を狙っている。
「ここで、こうカメラがパンして、こんな具合に移動で迫ってゆくんです」
あたかもその場に居合わせた人のように詳しく撮影情景を説明してくれる。一回二回見ただけでは、これほど詳しくカメラの動きを覚えていられないだろう。何という情熱かと思う。
脱衣場の先は砂浜が低く下がっていて、その先に波が静かに打ち寄せている。鴎が声を出して飛んでいる。沖のほうはぼんやり曇って落日のせいだろう、いちめんに濁った淡い橙いろに染まっている。・・・・・・・
まてよ、と思った。
一度書いているんだよね。ここで。
ドーヴィルのこの話を。
でも自分でブログのどこに書いたのか忘れてしまって、該当記事が見つけられない。まいったタヌキ。
そんな記憶の切断が、人との電話でもよくある。
ぼくはお笑い系の話のネタに不思議と強い^^。
とっても評価しているコメディアン/ピン芸人を語っていたとき、しかしその場では「彼」の名前がどうしても思い出せなかった。ど忘れか、認知症が入ってきたか?
レッド・カーペット通のひみチャンなら咄嗟に苦もなく出てくるであろうあの天才的な若者の名前・・・夜勤が明けようとしている5時すぎに、婆さんのトイレ介助をしている最中に、ハッと思い出した。
きた~~~っ!って思わず叫んでしまったよ、織田裕二の物真似で有名なあの彼のごとく(笑)。
《ジョイマンの高木くん》だ。そうだ、彼だ。
翌日、これがために電話しようと思った。
“あのさぁ、身体くねくねしてさ、駄洒落みたいな韻を三回踏む男ってさ、ジョイマンじゃな~い? 高木だよ、タ・カ・ギ。小島よしおと早稲田同期の奴。教育学部だからクミコさんの後輩だぜ”って、馬鹿みたいに^^。
しかし馬鹿であってはならない。
哲学者でもあるぼくはジャック・デリダ的RUPTURE(切断/破棄/急変)をすかさず行った。メールならいいかと^^。
“おはよう! 朝だよ。 ようやく明け方になって思い出した! ジョイマンの高木くんだ。ついでに、はるな愛ってキャラはいかが?”(原文ママ)
な~んだ、電話と少しも変わっちゃいないぜ(爆)。
余計にひどい(笑)。
デリダ大先生に失礼な!
「はるな愛」って、誰だよ?
ぼくが銀座『青江』のママに“永遠の女性美”を見出したのは10歳のときだった・・・とマジな顔して過去回想。
その10年後には、カルーセル麻紀主演の『俺は田舎のプレスリー』に、真に映画的感動をおぼえた。これは凄い傑作映画だった。
新宿二丁目的ジョークと美学には滅法弱いこのぼく・・・。二丁目では随分愉しませてもらったものだ。ブスな女たちよりもずっとニューハーフに魅せられる。
いいじゃないか、比較すれば並みの女性よりずっと綺麗だし。ニューハーフの中でも、はるな愛には芸がある。もしかするとそれは、芸術かも知りない・・・。
さて、キーワード検索。
「男と女 ドーヴィル 思念魔亭日乗」
ググって(ググルって)みると、凄い、ぼくの記事がトップに二つ出てくる。
どちらの内容も面白い^^;って自分で書いてどうする。
このブログ、本にしようかなぁ(笑)。
前者では片岡義男・小説序論としてもユニークだ。後者「真冬のクレマチス」のほうは、もっと《美(ピ)ヤン・フェ》・良く書かれているか(笑)。
辻さんのこと、『花のレクイエム』、ぼくの声の美しさの秘密(嘘・嘘^^)・・・。hahaha。
しかし捜していた文章はこの二つではなかった。
どこで書いた文章だろうか? 結局、今もわかんないまま。
ぼくはある人のブログにいつも感心している。
てらいのない文章。素敵だ。
いつでも時間(とき)を“まとっている”って感じがする。
これには舌を巻く。とても敵わないと感じる。
ところで、「時間(とき)をまとう」って表現は、実はぼくの創案ではない。
敬愛する黒川伊保子の『感じることば』(筑摩書房)から引いてきたものだ。
彼女の言語センスにはすっかり負けてしまうわけで、おっぱいが綺麗に大きなところも魅力的で^^、この伊保子先生と重なって思えてしまうから困る。いや、ちっとも困りゃしないさ(笑)。
伊保子先生が絽の着物を着るシーンの描写。こいつがぐっとくる。(今ではすっかり重度認知症の)ぼくの母親も和服が好きだった。とても和服が似合う女性だった。
(20世紀最高の画家の一人)故バルテュスの夫人の、節子さんの和服姿は絶品だ。
世界一和服が似合う女性と言えよう。
この節子さんの展覧会に、皆様(ON=不定代名詞なんであなたにも彼にも彼女にもなる)は観に出掛けたでしょうか?『節子の暮らし展 和の心』(朝日新聞社主催 熊本鶴屋百貨店/そごう横浜/西武池袋 05~06年)。
フェルメール展までを含めて、この10年来の展覧会の、ベスト10のベスト3のひとつだ。手元にはararaさんがくれた展覧会のカタログがあるので、是非声をかけて欲しい。貸し出します。ほんとに綺麗ですよぉ。。。〔Panさんって、とっても節子さん似ですよね、いつもそう思っちゃうよ^^〕
“先日、食事の前に一時間ほど手が空いたので、夕暮れの風に涼をもらいながら絽の着物を着てみることにした。長襦袢に薄物の襟をかけ、化粧をし直して、髪を上げる。袖を通して着丈を測り、紐を重ねて最後の帯揚げを整えるまで、手早い方だと思うけれど、四十五分はかかる。
その間、少しずつ、私の内側に霧のように満ちてくるものがある。情緒と言ったら美しすぎる。官能と呼ぶには大袈裟すぎる。そんな何かだ。帯を結ぶ頃には、その思いの霧は、身体の内側で結露して雫になる。
時間(とき)をまとう。帯の衣擦れを聞きながら、ふと、そんなことばが浮かんだ。時間が結んだ、情の雫を胸に、大切なひとに逢う。”
─黒川伊保子「物語の扉」、『感じることば』所収─
ぼくも和服が大好きだ。似合う男だとも思っている。もっと似合うのは純白の道衣!?
女性の和服姿、大好きだよ~っ! [ちゃんと個人情報ファイル化しといてくれよ^^]
さぁて、『男と女』の話に戻ろう。
mixiの過去記事をベースに再構成してみる。お約束だもんね。
あの作品を観たのは確か小6のときだったと思う。 ビデオなどない時代だもの、一度観ての鮮烈な記憶 が10年以上も張りつめて維持・持続された。
あのときしっかりと“映画(シネマ)とは?”、“パリ”、“ドーヴィルの海岸”、“男と女の愛とは?”を意識した。なんちゅーか人生の宿命・偶然で必然の運命というものを感じたのだった。凄い衝撃だったなぁ^^。
もちろんフランス語など解かるはずがなく、字幕をひたすら追っかけていた。
なかに大人じゃないと理解できない怪しげなベッド上の対話がある。それが疑問で不可解で、大学生になって観直したとき、ようやく“そういう ことだったのね^^;”と納得できた。
その『男と女』にも、一箇所誤訳があって、小6のアタマでも変で仕方なかった。こんな訳がありかと。これも後年フランス語が解るようになったとき、字幕の山崎剛太郎さんの大いなる誤訳であることが判った。
ちっ!、小6のときにそれを新聞か何かで指摘していたら“天才映画少年出現!”だったのに・・・惜しかった!!
ここで「誤訳」というのは、彫刻家ジャコメッティが自分のアトリエが火事になったとき(レンブラントの)作品より猫を救ったという話。
字幕では“芸術よりも人生vie”となっていて、小6のぼくはオカシイ!と憤った。あれは命・生命vieでなくちゃ筋が通らんと学校の先生に文句を言っていたのだ。国語の作文の時間にも書いちゃったぜ。しかし担任の先生はあの映画を観てなかった。。。ったく、バカ!
何故あんなにも小6のぼくが『男と女』が好きだったのだろうか?
理由ははっきりしている。
自動車レースが出てくるからだ。さまざまな車の運転シーンがぼくを魅了したのだった。
当時の少年T君はF1に凝りに凝っていて、車の雑誌から写真を切り抜いてスクラップ帖をつくっては一人悦に入っていたものだ。
ドライバーで好きなのは、新鋭ジャッキー・スチュアートと、ベテランのグラハム・ ヒルだった。グラハムは生粋の英国紳士って感じで鼻の下のヒゲも決まっていたし、『グランプリ』という映画では実名の自分役で三船敏郎と共演している。
ぼくはF1グランプリの世界的な名コース(鳥瞰図)を調べて、それそっくりに巨大な絵を模造紙に描き出して、F1グランプリ・ゲームをつくって遊んでいた。模造紙を貼り合せた畳二枚くらいの双六状の盤で、駒としてフォーミュラカーの模型を動かしていたのだ。
学校から帰って来ると部屋に閉じこもって一人で楽しんでいた。
グラハムは、その後、不幸にも飛行機事故で亡くなってしまった...。
で、モンテカルロ・ラリーのレーサーが、あの『男と女』の主人公J=L・トランティニャンなわけだから、レース・シーンが実写で出てくるあの映画にはすぐに惹かれた。
少年Tはトランティニャンになりきっていた。
相手役の(目玉の)アヌーク・エーメは、“摺り込み”“トラウマ”の女性として、ぼくの一生に影をおとしたというか、女性観に大きく影響を及ぼしたのだった。
今でももちろん大好きな女優である。
“ヌーヴェル・ヴァーグの真珠”と絶賛された作品、ジャック・ドゥミの長編処女作『ローラ』のアヌークの美しさったらありゃしない。
『男と女』は、読者のほとんど誰もが観たことがないと思うけれど、20年後に『男と女2』が撮られている。
あの二人がまさしく20年後に再会し(つまりはやっぱりうまく行かなかった!)、二人のあの愛の物語が、ある映画企画として一本の映画になってしまうという、なんとも微妙にショッパイ作品である。もちろん監督は同じくクロード・ルルーシュだ。
途中でしらけ鳥が飛んで、サン・ラザール駅でのラストシーンの抱擁で終わる『男と女』。、果たして二人の愛の行末は......と宙ぶらりんで終わっていたその結末が『2』で明らかにされる。
さらにの謎のシーンで『2』は終わるのだ。リアルタイムの20年後、二人のあの愛はどうなっちまうのか?
というところで時間切れ。
『男と女』の話、ドーヴィルの話、これじゃ何にもできていないか。
そうそう、そうだった。
Panさんて、あのピエール・バルーとお友だちなんだよ、ご本人と『男の女』の話をしちゃってる。すごいでしょ?
彼、いま日本に住んでいるんだ。シャバダバダ。。。
日本、日本女性が大好きなんだって。
じゃ、アンヌ・ゴーチェ(アヌーク)はどうなった?
ドーヴィルのあのセピア色の砂浜はどうなった。
砂に書いたラヴ・レター、想い出のあとは・・・・・・。
話はさらに・・・次回に、続く!!
PS ; みなさん、『Femmes Ⅱ』は水曜日以降の発送になります。
時間がかかってしまってすみません。
サラ・マクラクラン、シンプリー・レッド、特にこの二人(1人+1グループ)をじっくりと聴いてみてください^^。
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コメント
ターナー先生
全開状態で突っ走っているって感じですね。
心地よい疾走感が文章に漲っています。
ひみこ姐さんは複雑な心境でしょうが、私は爽快です。姐さん、すみません。生意気書いて。
でもいいじゃないですか、ジョイマンとマン&ウーマンの脚韻の踏み方。それにオカマ。可愛いオカマ。実はニューハーフ。だってオカマは、気持ち悪いもん。綺麗じゃない。みな猿顔で。
オッカーマン、見事です。母親とひっかけたところなど、これは先生にしかできやしないもの。
『男と女』はビデオで一度観たきり。なんで今頃?という気がしないではありません。
後編を読み終えたら、長いコメントを加えます。誰も書かなくても、私は、書きますよ。ご安心あれ!!
投稿: エリカ | 2008年11月 3日 (月) 00時54分
前回記事ではコメントも百花繚乱の賑わい。皆様それぞれの持ち味が伝わってきて微笑ましい限りです。これもターナーさんの文章にどれだけ皆が心動かされているかの証でしょう。『吾亦紅』もターナー調にかかっては別物になってしまうほど美しさを増します。引用も私の文章ではないみたい・・・
今回はトランティニアンになりきって車飛ばしていらっしゃいますね。その先には何が/誰が待っているのでしょう?
でもちょっとお待ちください・・・ピエール・バルーと友達とはちょっと飛躍しすぎ・・・彼はランチタイムに時々日仏学院のレストランにやって来ます。以前、たまたま席が隣りになって、私がいっしょに食事をしていたフランス人が「お隣りさん、ピエール・バルーだよ」と教えてくれたので、かねてから疑問だった『男と女』ラストシーンの駅がどこなのか訊いてみただけなのです。すると、ターナーさん、ピエールさんによればあれはサン・ラザールではなく乗り換えのエヴルー(Evreux)の駅だとのこと。確かにホテルでの別れ際、「乗り換えは?」というやりとりありましたよね?ただ乗り換え駅にしては抱擁のシーンのターミナルが大きいような気もするし、でも、トランティニアンが車を降りたときに映る駅の構えと彼が駆け上る階段は小さいとも思うし・・・。ピエールさんよりターナーさんの方が合っていると思えてしまうのがスゴイことです!
前回から課題の宿題の進行状況、いかがでしょうか?少しずつこなしていきます。
投稿: Pan | 2008年11月 3日 (月) 14時11分
Panさん江
何度もしつこく言いますが(意地になってる^^;)、
ラストシーンはサン・ラザールの駅です。
間違いない。
実際にぼくはトランティニャンになりきって
何度も汗かいて階段を駆け上がっている
のですから。
あのホームから逆に汽車にも乗っている。
同じように人も抱いている^^;って、誰? (やってみたいじゃん実際に)。
エヴルーは小さな乗り換え駅です。
ピエールは何を根拠に言ったのかまったく理解できません。
彼らはすぐにサン・ラザール駅周辺のホテルに
直行している。
車でモンマルトルのアンヌの部屋に行った
のかも知れない。
こっちの方が現実的(笑)。
その晩は幸せだった。。。だがしかし・・・
『2』なのですよ。
投稿: ターナー | 2008年11月 3日 (月) 22時33分