オフィーリアが流れていく
まず最初に、二冊の新刊本のご
紹介。
マチュ・ピチュ関連の最新本がコレだ。
ちょうど書店の店頭に出回ったところ。「完全ガイド」というだけあって、ご当地情報はかなり詳しい。それなりに求められているんだね、専門知識が。
世界遺産で人気No.1? 聞きしに勝る大変な遺跡なんだなぁ、あそこって。
ひみちゃんは出発前に入手できていたかどうか。
ともかく内容充実、お薦めの一冊。
そしてゲバラ本の新刊。キューバでは今年の三月に出されたばかり。
まったくの偶然で、こちらは図書館の新刊本の棚に発見した!
奥さん(二人目)のことは、このブログを書いてきた期間内では資料情報の確認が大してできていなかった。だからこの本の著者アレイダ・マルチは、ゲバラが出逢いがしらに結婚しちゃった最初の妻のことだと思った。
ところがパラパラめくってみたら、違っていた。ゲバラの四人の子供の母たる女性だった。
前にこのブログで書いたサン=テグジュぺリの場合と、感じがよく似ている。いかにも南米・ラテンの女。
しかし・・・それにしても、彼女はなぜ半世紀にわたって沈黙を続けてきたのか?
まだ未読だ。これから以下のプログを仕上げて、その後でゆっくりと読むことにしたい。
過去回想文章シリーズ第二弾!
てなわけじゃないが、八年前に書かれた文章がある。
『横たわるという快楽』と題されたもので、夏目漱石(の小説『草枕』)と(それを一生涯座右の書として擦り切れるまで読んでいた)グレン・グールドをめぐる内容で、この二人の意外に深い不思議な友愛関係をつないでいるのがジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』(絵)だったという話だ。
ははぁん、と思い出される方々も多いだろう。
なぁんだターナーさん、むかしの自分の文章じゃないか、と。
大脳皮質部に増えてきた「βタンパク」のシミの多さが影響しているのではない(って、「認知症」特有の症状現象じゃないぜってことさ^^)。
このところ過去の文章にあえて言及・引用しているのは、若い(=新しい)読者のためだ。結構いいネタには、すでに過去の文章で触れているからだ。
パソコンがクラッシュして、バックアップをとっておらず、もう読めなくなってしまった稀代の名文も多いと思うが(^^;)、マジでたまに思い出すことがある。いい線行ってたよなぁ、あの文章って。
自分で書くのも変だね。
でも例えば映画エッセイでいうと・・・『めぐりあう時間たち』(映画/小説)をめぐって、ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」の絵の意味をそれに重ねて読み解いていった文章とか、『エデンより彼方に』の紅いコートと白いコブシの花、ブラッド・メルドーのピアノについての文章とか、自分でもぜひとも再読したい気持ちが強いのに、(たぶん永遠に)手元になくて読めないんだから悲しいものだ。〔 誰か印刷・コピーして持っていませんか?〕
だから、ラベルもない汚いCD-ROMの保存文書の一部に発見した「過去記事」を、懐かしさと共に“使いまわし”しても、バチが当たることはあるまい。
渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで先月末からはじまった《ジョン・エヴァレット・ミレイ》展。
まってました!と胸躍らせている方が沢山いらっしゃると思う。
そうです、「オフィーリア」のホンモノが間近に観られるのです。
これまで日本には来ていなかった「傑作」の何作品かも観られる。
この夏、福岡でまず始まったのがこの《ミレイ展》だ。
マチュ・ピチュの話と共に、インカの旅の疲れが癒えたらゆっくりとひみちゃんには語っていただきたい。
ぼくはかつてこう書き出した。
このところ、持病の高血圧に悩まされ、横たわる日々が続いている。
このままある日突然、脳溢血状態におちいって昏睡し、鼾をかいて眠るように死んでしまうのではないか。そんな一抹の不安を感じて、昼間覚醒している限りは、身体的にもその気力があるならば、読書三昧で過ごそうとそう決意して本を探し出した。
ぼくは、それこそ余命のカウントダウンが始まればマルセル・プルーストを選ぼうと決めている。けれど仰向けの姿勢であの重たい全集本の一冊を支えることができるものなのか。実に心もとない。
今回はプルーストは諦めた。須賀敦子全集、これもプルースト以上に重たい。
文庫本の形で、日本文学では最も好きな一冊、おそらくぼくが日本文学ベスト3の一冊に選ぶ小説といったら・・・あれになる、と書棚から捜して、ベッドに横たわったままの姿勢で読み出した。
その小説はこうはじまる。
山路を登りながらに、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
この小説のライトモチーフとなっている一枚の名画がある。「仰向けに横たわること(あるいは死をめぐって)」でも言っておきたい今回のテーマにふさわしい、このうえなく美しい、水で死にゆく美女を描いた作品だ。
18世紀中葉イギリス絵画史に興ったラファエル前派。
ホルマン・ハント、ロセッティら7人の若き画家たちは、当時の画壇の流れに抗して、ラファエル以前のイタリアや北ヨーロッパのプリミティブな表現、とりわけ自然の綿密な観察と描写を追求した。
その一人ジョン・エヴェット・ミレイ(「落穂拾い」のフランス人のミレーじゃない)の代表作『オフィーリア』、あの絵を思い出してほしい。
目をみひらき、末期の恋歌を唄っているかのごとく半ばあけられた口元。祈るように左右にひろげられた両の手。細かい装飾が施された着衣のまま、仰向けになってハムレットの恋人・オフィーリアの白い屍体が静かに水面を流れていく。
克明に描かれた岸辺の草花、水草、横たわる古木。彼女の身体を飾るようにして周辺には野薔薇だろうか、紅い花の枝も何本か漂っている。
世界で最も美しい水屍体を描いたこのミレーの『オフィーリア』の本物をはじめて眺めたのは20年も前のこと。細かい霧雨が降りこめる晩秋のロンドン、テイト・ギャラリーだった。
このときは、オランダの女流映画監シャンタル・アッカーマン(アケルマン)の全作品フェスティバルがあると知り、映画を観るためだけに、まさしくそれだけのために、数日泊まりがけを覚悟でロンドンに出掛けたぼくだったが、テイトにだけは足をのばした。
アッカーマン監督の映画会では、例えばキッチンのテーブルで一時間かけてジャガイモの皮をむく、アラン・レネの『去年マリエンバードで』やトリュフォー映画で有名な仏女優デルフィーヌ・セーリグの姿に目を奪われていた。
が、それにしても、辛い映像体験でもあった。マゾ的に堪えていたものの・・・若かったのね、お馬鹿なワタシの姿。。。
(・・・)テイト・ギャラリーで必見なのはウィリアム・ブレイクとターナーの圧倒的なコレクション。加えて、ラファエル前派の代表作が挙げられよう。
このミレイの『オフィーリア』のためだけに、ここを訪れる客もあるはずだ。
その昔、ロンドン生活者の夏目漱石がこの絵に深く心を揺り動かされたことは、『草枕』を一読すれば明らかだ。
(・・・・・・)
ANA585便に乗って、フジ子ヘミングの弾くリスト「ピアノ協奏曲第1番」「ラ・カンパネラ」(2000年7月・紀尾井ホール/ライブ。未CD化?)をスカイオーディオで聴きながら松山空港に降りた。
機内では島田雅彦の「グールドのデタッチメント」なる小文を読み終えたところだった。
グールドは自らのビアノ演奏行為を「デタッチメント」という一語で語ってみせた。離脱・離反・距離をおくこと・身をはなすこと。ぼくの訳語なら「超然とした精神姿勢」とでもなるか。数多くの演奏家が、目を閉じて上半身を震わせるように思い入れたっぷりにショパンをモーツァルトを弾く。
「案外、そういう演奏は単調である。結局、自分の感情をスコアを通じて表現してみせるだけで、最悪、ショパンやモーツアルトの曲は演奏者の感情のBGMに成り下がってしまう」と冷ややかに島田は書く。
グールドの演奏とは、スコアへの対しかたとは、まさにデタッチメント、夏目漱石が「不人情」でなく「非人情」と表現したこの態度によってなされていた。
グールドの生涯の愛読書・座右の書物が、漱石の『草枕』だったことは有名だ。
グールドは4冊の『草枕』を持っていたという。日本語の原書?もあった。聖書と共に枕元に宝物のように大切に置いていたアラン・ターニーの英訳本では、漱石の「非人情」は「detachment」と訳されている。
“『草枕』が書かれたのは日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います”(グレン・グールド)
(・・・・・・)
母の死により、30年以上ぶりに人知れず帰国したフジ子こと大月不二子は、かの衝撃の再デビュー前まで、下北沢界隈では変わり者の婆さんとして知られていた。日本人離れした容姿、派手な衣裳。下北沢商店街でチープなアメリカン雑貨や煎餅を買い求める姿が見うけられた。
劇団の稽古場として場所を提供する古ぼけた洋館でピアノを教えながら、たくさんの黒猫たちと一緒に住む奇妙な老嬢、フジ子。
フジ子にはこんなコメントがある。
「あの世から聞こえて来るような美しいバッハを弾くグールド、私が自分流に弾き続けたのはグールドのおかげです」
『フジコ あるピアニストの軌跡』を99年NHK・ETV特集で観た冬の夜の冷たい衝撃を思い出す。上野・芸大奏楽堂でのリサイタルで弾いたリスト「ラ・カンパネラ」以上に、深夜、自宅のピアノにむかってくわえ煙草で「バラ色の人生」をハミングしながら弾くフジ子の姿が印象深かった。涙が出そうなほど、素敵なシーンだった。
すべてが奇妙な因縁で、前回のメールの話題が「坊ちゃんの湯」のある道後温泉・松山の地に寄りつどう。グレン・グールド、フジ子ヘミング、そして夏目漱石。偶然では決してなく、そうなるべく縒り束ねられた運命の必然の糸。
「この胃の痛みさえなければ、もう一度、人に生まれかわってもいい」と言い残して50才で死んだ漱石をなぞるようにして、『草枕』のdetachmentを自らの創造行為のパラダイムとしていたグールドも50才で冥界に入った。ヤバイと感じつつ、幸い僕に残された時間は、まだ少しありそうだ。あと数年、その頃、50代のオヤジ。しかし、一体自分が何を残せるのかは、いまのところ皆目みえない。 ───
と、文章は結ばれるのだが、「皆目みえない」ことは今でも見えていないのが甚だ悔しい。見えているはずだったんだけどね^^;。マイッタタヌキは目でわかる。。。
あの頃、ミレイの「オフィーリア」がやけに眼について仕方なかった。(そうでしたよね?)
一番印象的だったのは、韓国映画『カル』だった。→語りだすと止まりそうもないほどさまざまな話題性を提供してくれる作品で、機会を見つけて一度《「カル」を解剖する!?》という文章を書かねばならないと思っている。これまでに、すでに何度か関連文章を書いてはいるけどね^^。犯人のターナー氏なりの特定はまだだったかも??
「オフィーリア」の絵では、タブロー表面に詳細に描きこまれている植物を読み解かねばならないだろう。
柳は“悲しみ”、イラクサは“痛み”、忘れな草は“忘れないで”。
パンジーは“物思い、”ひな菊は“純潔”、そしてケシは“死”を象徴している。。。
ひえ~っ、やっちまった。
ここから後半戦、このロンドン行に一緒に出かけた「あなた」との思い出を、アビー・ロードやらボウイのとき以上にいろいろと涙ながらに書き綴っていたら、あまりのオノロケぶりに対して罰があたったのか?!、Google検索をしていた折に、この書きかけのブログの残り半分を・・・消してしまった。
かろうじて、途中まで保存していたので、ここまでが助かったわけで。
これを潮時といたしましょう。
続きはまた別の機会に。そんなの、読みたくないか?(^^;)
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コメント
ターナー先生
ち、ち、ちょっと待ってください^^。
私、プルーストも読んでいなければ須賀敦子なんて女性の存在も知りませんでした。
8年前ですか・・・ちょっとやそっとでは追いつけませんね。読書量が違いすぎますね。
グールドと『草枕』、これも知りませんでした。『草枕』と「オフィーリア」の関係も。文中に出てくるのですか。
さらには『カル』と「オフィーリア」の関係。
今回、一番ドキッとしたのはこの『カル』の話が出てきたことです。先生の口から・・・『カル』ですか。
あの作品では、ダヴィッド・ヘラルドの『カンビュセス王の裁判』が冒頭の画面に出てきますよね。こちらの絵にばかり気をとられていたようです。「オフィーリア」・・・シム・ウナの部屋で見たような見ていないような。記憶があいまいです。
でも『カル』はシム・ウナの代表作だと思っています。神秘的な雰囲気がよく出ていました。また彼女の友人役ヨム・ジョンアも素敵でしたよね。ヨムは『H』『箪笥』と観てきて、『サッド・ムービー』で泣かされました。いい女優さんになりました。
「オフィーリア」フェチ(?)の先生には不本意かも知れませんが、この最後の『カル』の話題にとても興味がそそられます。
私は劇場で一度観ただけです。先生はDVDをお持ちなのでしょうか?この一枚だけは、こちらからオネダリしちゃおうかな。
確か法医学の専門家(?)のひみこ姐さんもお好きな一作だと思います。先生、姐さんにも一枚差し上げて、しかるのちに姐さんには、ぜひとも専門的コメントをお願いしたいところです。ミイラの専門家(だからインカ帝国なんでしょ?)に『カル』の事件はぴったりウッテツケ。私も解剖学にはちょっとウルサイ女ですからね(笑)。
なんだかワクワクしてきちゃいました。この種の話題だけにはついて行けそう^^。先生、姐さん、お手合わせのほど、宜しくお願いいたします。
投稿: エリカ | 2008年9月 5日 (金) 23時05分
上の「photo_23.jpg」のオフィーリアがとても気になります。
検索しても見つからないのですが、作者はどなたなのでしょうか?
投稿: しおぴょん | 2009年2月15日 (日) 00時54分
しおぴょん さま
いらっしゃいませ。
せっかくのお問い合わせですが、画像元の
サイトに入れず詳細は不明です。
ごめんなさい。
2009.2.16の記事にも「オフィーリア」めいた
画像をのっけておきました。たまたまですが。
この映画は観て損はありません。
ぼくのような“オフィーリア・フェチ”の監督が
かなり意識して撮っています。楽しい!
投稿: ターナー | 2009年2月16日 (月) 13時09分