« かつて少年はボウイに憧れ・・・ | トップページ | 一人ぼっちの雨の花見 »

2008年3月31日 (月)

サンジェルマン・デ・プレにて

 独白です。どんどんオシャベリします。

 ちょうど今の時節だと、桜が満開で、お花見大好きおじさんは一人だってトートバッグに酒壜つっこんで花見に出掛けちゃうわけだけど。
  ケーブルTVのデジタル回線切り替え&インターネット光対応モデム交換の作業立会いの予定を入れて、午前中は雨を理由に大人しくウチに居ました。これが大人の行為かは疑問ですが。
 第一、雨好き人間なのにね。傘をさしての桜見物なんて最高じゃないですか。やっぱり出掛けなくちゃ。
Photo_5
 HDDに(ハイビジョン番組でも)録画可能なチューナーに変えたので、すこぶる使い勝手がいい。
4月2日のNHK(変則的時間/22:45~)の『SONGS』で「竹内まりや」の特集があるから早速予約しなくちゃ。この番組のために交換したみたい^^。〔みんなも観てね^^〕

 
 「エリカ」さんが書いてくださったパリのギャルソンの話。たまたま施設で深夜にTVを観ていて、チャンネルを変えた途端にちょうど始まり出しました。つまり幸運にもぼくも観られたってわけ^^。「運命の絆」を感じますね。

5  二年前だったかなぁ。
 あの話が一瞬マスコミを賑わしましたね。
 
サンジェルマン・デ・プレの交差点の角にある「カフェ・ド・フロール」のギャルソンに、日本人の若者が正式採用されたってビッグ・ニュース。
 これは、実は、パリ/フランスにとって、大袈裟でなく大事件でした。
 
「カフェ・ド・フロール」、この世界的にも超有名な老舗カフェの、創業145年の歴史の中で初めてのことだったのですから。それまでは“右利きのフランス人のギャルソン”と決まっていたのです。
 
山下哲也というこの日本人青年。採用時は三十になるかならないかという年齢でした。2_3
 東京からの、いわば“殴りこみ”的決死の求職活動。無給でもいいからとの直談判の末のカミカゼ行為。けれど「フロール」側は最初採用に心動かしませんでした。無給だとしても日本人なんて要らない。この伝統の店でのギャルソン職は、フランス人だけにしかできない、フランス人だけが体現(パフォーミング)できる、フランス/パリの“文化・芸術・哲学”行為なのだからと、そんな理由だったと思われます。1_2

 「フロール」のギャルソンは固定給ではありません。自分がサーヴィスするテーブルの売り上げの15%と客からのチップ、それだけです。自分のテリトリーはしっかり決められています。そこだけを見ている、気配っているわけで。
 山下哲也は「哲学している」そうです。常連のフランス人が尋ねていました、“あなたの名前、日本語ではどういう意味なの?”。“そうですね、「哲学する人」でしょうか”、“やっぱり。あなたの雰囲気、この店にまさにぴったりだもの。”

 “「フロール」でお茶する・食事する”ってことは、「文化」なんですね。それはそこでオシャベリして過ごすってことが文学する、芸術する、哲学するってことにつながっているのです。通りの向かいには「カフェ・ドゥマゴ」があります。セレブな人達はこっちの方でよく見かけるけど、「フロール」に文学・哲学系が多いのはサルトル以来の伝統でしょうかね。
Photo_8  山下さんはセルジュ・ゲンズブールが大好きで、ゲンズブールは自宅近くの「フロール」の常連客でした。娘のシャルロットもね。いまでは、このシャルロットが山下さんのテーブルのご常連様。

 

 「カフェ・ド・フルール」にはジュリエット・グレコもよく来ています。

 そこで思い出してしまうのが「あなた」のこと。「あなた」のmixi日記のグレコ小論。3
 渋谷文化村でのグレコを聴いた「あなた」の熱い吐息・・・。80歳を過ぎた高齢のグレコを想い生のステージは“もう聴けないのではないか”とため息をついた・・・ようにぼくは読んだのですが、そうではなかったのですね。あの夜、「あなた」はしっかりと見つめていた、自分の死を。。。

 きょうのような雨の日が好きだった「あなた」が、イ・ヨンエを吹き替えする「生田智子」によく似た美しい声で朗読していると想って、「あなた」の文章を引用してみたい。
 それに続けて、ぼくのmixi日記のコメントからも、ちょこっと^^。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1_3

 私はグレコになりたい! 

 シャンソンを聴きまくりました。
  ピアフ、レオ・フェレ、アズナヴール、ブレル、バルバラ、グレコ。
  部屋ではピアノを弾きながら彼らのシャンソンを歌っていました。
  暇さえあれば銀巴里に出掛けていました。
 グレコのレコード(CD)はほとんど全部集め、東京日仏学院でフランス語を学び、ボリス・ヴィアンとレイモン・クノーを読み耽り、エリュアールの詩を諳んじ、サルトルの小説や戯曲から哲学書の『存在と無』まで原書で読みました。
 あの国の言葉で話し、歌い、考えること。それを自分に重く課していた青春時代。

 グレコが出ているコクトーの映画『オルフェ』をはじめ、彼女が自分自身の役で出てくる『悲しみよこんにちは』等々の映画、数限りないフランス映画を東京で観、今でも東京でパリで観続けています。

 五区や六区の古本屋を歩いて、グレコに関する書籍や雑誌を集め尽くしました。ポスターも。私の部屋はグレコ・コレクションでいっぱいです。
 パリに行った回数は数え切れません。行けば必ずサンジェルマン・デ・プレ界隈に宿をとり、あの広場の一角にある書店『HUNE』に顔を出してご主人とフランスの文学動向を語り合い、夜になればシャンソニエに出掛けてステージの歌手と一緒に唄います。仲間たちとワインをあおり、栓を抜いた数ではシャンパンの方が多いでしょうか、口角泡を飛ばして(?)グレコを語り合い、グレコを歌ってきた私。

2  ああ、グレコになりたい!
 渋谷でグレコを聴いて以来、その気持ちはやむことなくむしろ強まっています。記憶の煉瓦の壁にGrecoの名前を彫りつけてしまったみたい。日々に忘れるどころかグレコを想わぬ日はありません。これは熱い憧れ? それとも恋? 狂おしいほどの愛なの?

 最高でした。あの晩のステージ。これまで観た・聴いたグレコのうちで最も感動した夜でした。

 ジュリエット・グレコの、おそらく最後の日本公演。もちろん来年きていただけるのなら幸せだし、嬉しい裏切りは大歓迎です。誰もがそう思いながら、でも、もう聴けないのではないか......と、アズナヴールのときも同じで、悲壮な面持ちでいたのは否定できません。

 今回の公演は、昨年のシャトレ座でのステージの再現でした。渋谷の夜では、全20曲、歌い続けました。
 いきなりの「Non,ムッシュー あたしは20歳じゃない」から始まって、そう、グレコはすでにオントシ80を過ぎているのですね。容貌も歌唱力も、全然そうは思えません。

 黒づくめでその身を飾るもの一切なしのグレコ(“だって、歌詞の言葉が宝石だから”)は、夫で作曲家・編曲家であるジュラール・ジュアネストとアコーディオンのドミ二ク・スュセティの2人だけをバックにして、一気に20曲を唄い継いでいったのでした。
 
 戦後のパリ。サンジェルマン・デ・プレ広場。 カフェ・ド・フロール。3_3
 50年代にサルトルの実存主義を代弁する“ミューズ”としてデビューしたのが美少女ジュリエット・グレコです。
 当時にしてみればかなり前衛的な詞をシャンソンという形でレコーディングするというスタイルから、グレコのキャリアは始まりました。その類い稀なる美貌で、『TIME』誌にとり上げられるや否や、世界中に大反響を呼び起こし、なんとハリウッド映画デビューまで実現してしまった“ドリーム・ガール”、それがジュリエット・グレコだったのです。
 ココ・シャネルがじきじきに仮縫いまでした最後のモデル。
 マイルス・デイヴィスをして「俺が本当に心から愛した女性はジュリエット・グレコだけだ」と言わしめたほどの魅力の持ち主。

 AVEC LE TEMPS。アヴェック・ル・タン。
 グレコは、世を疎い隠遁することもなく、時代と共に、しかし時代の流れに棹さすようにして、自分を貫き通して生きてきました。
 レオ・フェレの『AVEC LE TEMPS 時のながれに』を唄うグレコ。あの晩はとくにその素晴らしい歌唱力に圧倒されました。奇蹟をみるようでした。ふつう、どんな歌手でも、70、いや60を過ぎれば...息づかいも声の伸びも艶も衰えるのが自然です。なのに、そんな翳りは微塵も感じさせませんでした。
 AVEC LE TEMPS。
 “時とともに・・・時とともに、 すべては行ってしまう”と、彼女は呟くように歌いはじめます。決して旋律や歌詞の激しい感情表現に溺れることなく、グレコは訥々と切々と呟くように歌い続けます。気負わず、過度に演じることなく。それでも、重く心に響いてくるグレコの歌声...。

4  “時とともに、ひとはもう愛さなくなる”。 
 この寂寥感。おぞましくも、胸に迫ってくるこの寂しさ。それでも決して投げやりに放棄しようとはしない、明日をみつめるグレコ。
 つらく苦しいほどの追憶でも、なぜか甘美なものに色調を変えていく追想でもなく、グレコは過去を偲ぶのではなくて未来に語りかけます。自らを、その愛を、サルトル流に未来にむけて「投企する」のです。
 アンガージュマンのシャンソン美学。
 
 舞台にはピアノ以外何もありません。
 黒い衣装のグレコがすっと立っているだけ。ライトの明かり。
 手だけが、腕でなくて手のひらだけが、指だけが、動いて私たちに何かを訴えるだけ。

JOLIE MOME
UTILE
UN PETIT POISSON、UN PETIT OISEAU
DÉSHABILLEZ-MOI
MATHILDE

 すべてが、どれも良かった中で、これ以上に秀でた歌唱を知らないというのが上の5曲でした。Photo_2 
 前に紹介した新CD『シャンソンの時』(これが近年稀にみぬ傑作として国内外で高い評価を受けています。彼女の最高傑作かも)で唄っているジュリアン・クレールの『Utile 私は役に立ちたい』では涙がこぼれてしまいました。ほんの最初の数曲で涙・涙ですから、そのあとの時の流れの中でどれほどの涙を流したか...ご想像におまかせします。素晴らしかった!

 そして、アンコールの2曲。
 NE ME QUITTE PAS
 LES FEUILLES MORTES
 『行かないで』と『枯葉』の絶唱...言葉が何も出てきませんでした.........。
 素晴らし...すぎる。

 ああ、グレコになりたい。
 グレコのように歌いたい。愛したい。生きてゆきたい!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4_2  「カフェ・ド・フロール」で、サルトルやボーヴォワールと一緒に「あなた」が愛読していたボリス・ヴィアン夫婦が写った写真があります。
 奥の二人がそう。

 「あなた」はこの日記に真っ先にコメントをしてくれたシャンソン好きのマイミクのために長文の返信をしたためています。それは長すぎてここには引用はしませんが、その冒頭にこんな文章を掲げていました。ジュリエット・グレコの自伝から。Photo_3

ボリス・ヴィアンは美しかった。それは極めて青白い肌
の色と彼の夢を見ているような様子からくるロマンチッ
クな美しさだった。それらはすべて、ひどい不安を隠し
てもいた。残酷な微笑の裏に、気取りがそのしかめっつ
らを隠していた。彼は背が高いので、頭を横に傾けるよ
うにして相手の言うのを、笑うのを、泣くのを聴いた。
ボリスはその表情を暗くする時と同じ重々しさで、彼の
白すぎる手のひらに載せたトランペットを眺めた。
      ─ジュリエット・グレコ『グレコ 恋はいのち』─
 (・・・・・・)

 巴里の話、フランス映画のこと、シャンソンについて、大好きな人とゆっくりおしゃべりしていたい。それだけでいいのです。書くことは生きていることなんですから。

 (・・・・・・)
 ボリス・ヴィアンに似た、背が高くて肌が白く彫りの深いシルエットがとっても素敵な、それでも表情に少し淋しそうな翳りがあって、あたかもジュリアン・グラックの小説『陰鬱なる美青年』風な「先生」とサンジェルマン大通りの「フロール」でお茶していたことがあります。その方は、私の交換日記のお相手(笑)ターナー師の最愛の師でした。
 街を歩く少女の手に鈴蘭の花束が揺れる美しき五月の巴里の夕暮れどき。
 いかにも、私たちのもう一人の「先生」辻邦生さんが満面に笑みを浮かべて、“やぁ”と手を挙げながら私たちに合流してきそうな、そんな今頃の時間、幻想的な雰囲気すら漂い出す逢魔ヶどきでした。(・・・・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そしてぼくからの、今日の贈る言葉。 
  昨年のコメントの全文引用デス^^;。 mixi日記の日付は5月はじめでした。
 冒頭の“ジュジュブ”は、ジュリエット・グレコの幼少の頃からの愛称です。

 「あなた」へ

 “ジュジュブ”はとっても本が好きな女の子でした。
 サルトル、ボーヴォワール、カミュ、それにメルロ・ポンティやモーリス・ブランショまで、サンジェルマン・デ・プレの「カフェ・ド・フロール」に集まっていた若き文学者たち、哲学者たちの書いたものはことごとく読んでいました。ボリス・ヴィアン、レイモン・クノー、なんという輝かしい名前たち。そしてもう一人、ポール・エリュアール。Photo_9 
 

 この痛みは消えてしまったわけじゃない。
 まるで一時しのぎの恋。
 すねるようにして背をむけただけのこと。
 One Spring Day、一日だけの生ぬくい気まぐれ。
 「あなた」に一息つかせてあげるから。
 ひとかけらの微笑みを無造作に口元にはりつける。
 
 ほとんど寝ずの夜勤から戻って、
 浴槽にラベンダーの入浴剤を撒き散らす。
 仰向けになって浸かる、紫にくぐもる湯気の中、
 ながいことゆらゆらと浮いている、
 アンニュイな41℃の“時間(とき)”に。

 貴女の大好きなポール・エリュアールの詩を
 小さな泡をいっぱい吐き出すようにして、ぼくは低く口ずさむ。
 さながらあの春の日に、天使のようにあどけない、
 短くて栗色の巻き毛のフランソワーズ・サガンが 呟いていた(であろう)
 エリュアールの詩を。
 
 『直接の生命』

悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
天井のすじの中にもお前は刻みこまれている
わたしの愛する目の中にもお前は刻みこまれている
お前はみじめさとはどこかちがう
なぜなら
いちばん 貧しい唇さえも
ほほ笑みの中に
お前を現わす
悲しみよ こんにちは
欲情をそそる肉体同士の愛
愛のつよさ
からだのない怪物のように
誘惑がわきあがる
希望に裏切られた顔
悲しみ 美しい顔よ

|

« かつて少年はボウイに憧れ・・・ | トップページ | 一人ぼっちの雨の花見 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ターナー先生・・・と呼ばせていただきますね。「さん」づけじゃ、失礼で。

観ていらっしゃったのですね。山下さんのギャルソン物語。さすがに先生は二年前からご存知でしたか。わたしビックリしちゃって、感動して、どうしてもパリに行ってカフェ・ド・フロールに入りたいと思ってます。いま一番行きたい場所です(それにターナー先生のオウチ)。
先生がご一緒してくださると最高ですよね。パリにお出かけしませんか?

山下さんよりも増して、「あなた」って女性の素晴らしさ。圧倒されてしまいました。グレコへの愛の言葉。素晴らしいわ。本当に素敵な女性であることが文章から十二分にうかがえます。文は人ですよね、「あなた」が実際にいま東京にいらっしゃるなら弟子入りしたい気持ちです。ぜんぶ見習っちゃう。学校なんか行かなくても「あなた」がすべてを教えてくれそう。
ターナー先生、何度も訊ねて本当に恐縮ですけど「あなた」って亡くなったのですか?いまいらっしゃらないの? 「ひみこ」さんが「マー」と書いてらっしゃる方でしょう、真実のところをお教えください。本当なら悲しすぎます。あんまりですもの。
ここのところの数本の記事、すべてに書き込みをしたい気持ち、「ひみこ」さんと同じです。
話題の量が多すぎます。ついて行けません。一週間か十日ほど何も書かないでいてください。消化できないで困っているのです。頭の中の整理ができません。

いろいろと勉強して、またすぐに書かせていただきます。「マー」さまがお元気なことを信じながら。

投稿: エリカ | 2008年4月 4日 (金) 00時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« かつて少年はボウイに憧れ・・・ | トップページ | 一人ぼっちの雨の花見 »