アラビアの幸せ、あるいは・・・
《風の蹠(あしうら)を持つ男 2》
“ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、誰にも言わせない”
こんなカッコいい書き出しで始まるのが哲学者ポール・ ニザンの『アデン・アラビア』だ。
「アラビアの幸せ」と呼ばれるアデンの町。アラビア半島の最南端、イエメンのアデン。ここは死火山の火口の中にできた街・・・。
アラビア半島の南の果てにあるアデンの町で、ランボーはフランス人が経営する貿易会社バルデー商会と契約しアデン代理店の職員になった。
この近くはモカ・マタリで有名なコーヒーの産地として知られている。紅海をはさんだエチオピア(アビシニア)も優れたコーヒー豆の産地だ。豆の仲買選別をするのがランボーの仕事だった。
美貌の若き詩人─いや彼は詩を捨ててここまで来た男だ!─は一介の商人となった。まだ26歳になる前の若造である。見積書、取引報告書、売買契約書などの商用文書以外のためにペンをとることは、それから、二度と無かったのである。
アデンは港町である。当時はリバプール、ニューヨークに次ぐ世界三大港の一つで、あのあたり、現在のイエメンの国土はイギリスの植民地だった。少し前の香港のような自由貿易港。イスラム文化の面影がそっくり残っているコーヒー貿易の中心地、それがアデンだった。
ポール・ニザンはこうも書いている。
“(・・・)アデンはたくさんの綱の結び目なのだ。このオリエントの絵のような風光を汲みつくし、どんな力がこれらの糸を引き、この結び目を強く締めつけているかを理解するには、何ケ月もが必要ではない。
アデンとは多数の航路が交叉する場所であり、これらの路には灯台や大砲をそびえ立たせた小島が一定の距離を置いて並んでいる。つまり、アデンとは世界中に旧ロンドンの商人たちの利益を維持するための長い鎖で、また綱の目のひとつなのである。”
『アデン アラビア』(篠田浩一郎訳 晶文社)
当時アデンの町は活気が溢れていた。
商魂が熱く燃え盛っていた。
白壁にたくさんのアーチ窓がついた建物が並ぶ美しい町並みは、巨大な死火山の噴火口の中につくられていた。町の三方は火山岩の絶壁に囲まれており、残りの一方が紺碧の海のほうに開かれている。そこに港があった。もう一つのコーヒーの産地であり、奴隷売買の市場があるアビシニア(エチオピア)は紅海のちょうど対岸にある〔数年後にランボーは頻繁に紅海を行き来することになる〕。
浅底鍋のような火口の地形のさらなる凹み、クレーター地区と呼ばれるところにアデンの繁華街があった。ランボーが住んでいたのはこの地区だった。バルデー商会もそこにあった。中央の広場にはラクダの市場があって、ラクダたちはおとなしく並んで座り、のんびりと自分たちが買われていくのを待っていた。砂漠を渡る隊商にとってラクダは唯一不可欠の交通手段である。市場で充分に体を休めたラクダたちは、疲れ果ててたどり着いた砂まみれのラクダと交換され、熱砂の向こうに旅立っていくのだった。
現在でもアデンを訪れる観光客は、このクレーター地区に案内され「あそこがランボーの住んでいた家です」と説明される。それはかつてバルデー商会があった三階建ての建物だ。十年ほど前に全面的に改装されて、今ではこじんまりしたホテル&レストランとして使われている。「ランボー・ハウス(MAISON RIMBAUD/看板の綴りが少し違う^^)」というのはホテル部分をさす。
コロニアル風な内装で壁は白と涼しげな水色のツートン。ただし記念館として整備されているわけではなく、玄関を入って突き当たりの壁のあたりに肖像画とわずか数点の展示物が飾られているだけだ。ホテルとして小部屋に仕切ったのは随分あとのことだったのか、ランボーが現地の愛人と暮らしていたと伝えられている106号室は、世界中のランボー・ファンからの予約で年中一杯だという。
とはいえバスで連れられてここに来るような団体観光客の大半は、『酔いどれ船』や『地獄の一季節』や『イリュミナシオン』を書いた百年以上も前の詩人になぞほとんど興味はない。
天才詩人ランボー。花の都パリから遠く離れてこんな灼熱地獄のアラビアの港町に何が面白くて来たのだろうかと、白い肌を赤く火照らせた恋人たちが、顔を見合わせて“ワカンネェナァ”と首をすくめる。
─チョー変人ね、ランボーって。それよりも聞いて聞いて、この町には凄いものがあるの。
─何??
─昔むかしの巨大な船のドック跡。ノアの方舟がそこで造られたんですって!!(笑)。
─ふ~ん。神話以上の話だね。確かもっと北の方には、伝説の「シバの女王」の月の宮殿(紀元前10世紀頃)があったんじゃないの?? あれはちゃんとしたホンモノの遺跡だけどね。
アデンはさながら地獄の釜の底。
丸盆のかたちをしたこの火口の町にたっぷりと湿気を帯びた海風が吹いてくる。町を囲む岩壁の上からすさまじい轟音とともに熱風が吹き落ちてくる。どろりと重たい熱い大気の塊。その暑気に吸い取られるように身体中から汗が噴出してくる。胸、腹、背中、頭のてっぺんから。髪の毛が額に顔にベッタリはりつく。40℃は当たり前、50℃を超える日もある。そのすさまじい暑さは夜になっても少しも衰えることがない。毎日が熱帯夜。海からの熱風で燃えるオリエントな夜…。
“9月20日付け 家族宛ての書簡
あなたがたにはこの土地は想像すらつかないでしょう。
ここには木の一本もありません。枯れ木も草の芽一つもなく、真水一滴すらないのです。アデンは死火山の噴火口で、 底には海の砂がつまっています。だから見るもの触れるものといったら、まったくもって、どんな小さな植物も生えようがない溶岩と砂ばかりなのです。あたり一面には不毛の砂漠が広がるばかり。僕たちはこの火口の穴の底で、まるで石灰焼場に入れられたようにして焼かれているのです。
パンのために働くことをよほど余儀なくされているのでなければ、とてもこんな地獄で職につけたものではありません。” (拙訳)
ここから本論となる。
だがしかし・・・・
ぼくのこの小論は、太陽を求めて書き綴っていた“輝くばかりの詩”を捨てて、灼熱の太陽の真下での“腐りきった死”を選んだアルチュール・ランボーの《謎》を自分なりにたどってみたくて、二年前の夏の眠れぬ夜に一気に書き上げたものだった。力まかせ・書きなぐりの小論であっても、一応の乱暴な「結論」は出してはいる。
けれど、以下にその本論・結論部分はペーストしない。
みなさん、考えてみて。
って言っても、誰も考えちゃくれまいが^^。読者の中に仏文の学部生がいて、これから年末に向けて卒論を書こうとしているのなら、《ランボーの詩と死》という大テーマに挑んでいただきたい。ぼくが外部の指導教官になってやろう。そして、必ず、西條八十の『アルチュール・ランボオ研究』を精読することをおすすめする。
素晴らしくうまい訳文だ。詩人の、繊細な言葉のニュアンスをつかみとった、特上質の日本語になっている。
八十のこの『ランボオ研究』は、「ランボオ詩研究」と「アフリカ時代」に大きく分かれていて、はっきりと、孤高の詩人/流行歌作詞家の自分が論及していく世界に透けて見えている。
ランボーについては、一昨年の夏の終わりに、わが国でもようやく全訳全集が刊行された。ぼくが上で紹介した未翻訳書簡も含めて、ランボー全テクストが夥しい注釈と最新の研究成果を踏まえて日本語に移された。ようやく今ごろですよ。
しかしその「翻訳」がベストなものか、これは疑問である。翻訳者は「裏切り者」の宿命を背負っているからね^^。克服できない問題です。やっぱり原語で読まないとね。自分の言葉でその世界を理解しないと。
でも/だからこそ、ぼくとしては、西條八十個人完訳「ランボオ全集」が読みたい。どうしても読んでみたい。
最後にここで、
ランボーの詩の中でもひときわ有名な一節をご紹介しておこう。
単語、文法ともに非常に基礎的で簡単な仏語なのだが、誰が訳してもうまくいかない。あらためて眺めてみると、超有名人の仕事だというのに、ピンとこない訳しか活字化されていない。さぁて貴方ならどう日本語にするだろうか?
L'Eternité(永遠/「レテルニテ」と発音)
原文
Elle est retrouvée.
Quoi ? ─ L'Eternité.
C'est la mer allée 〔←melléeと解釈する研究もある。
Avec le soleil. それで下の(3)(4)は訳が少し違う〕
(1) 堀内大學 訳
もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った
海だ。
(2) 中原中也 訳
また見付かつた
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまった海のことさあ
太陽もろとも去つてしまつた。
(3) 小林秀雄 訳
また見つかった。
何が、永遠が、
太陽と溶け合う海が。
(4) 粟津則雄 訳
見つかったぞ!
何がだ? 永遠。
太陽にとろけた
海。
(5) エディ・ターナー 《超訳》
見っけ!
な~に?──永遠さ。
太陽でいっちまった海。
※ 最後のぼくのやつは性的な解釈をしてもらいたい。
早熟な天才少年ランボーの詩は多分に
スペルマの匂いに満ちているから。
海には女=母の情景が重なっている。
特別に今回、加える
(6) 西條八十 訳
また見つかったぞ。
何が? ──永遠が。
それは太陽と共に
去って行った海。
ここからゲストたち(mixi仲間)のご登場。一晩の猶予しかありませんでしたが、各人お見事な訳を返してくださいました。突然の宿題に即応してくださって、いまさらながらに深謝いたします。
わかったよ。
何が? 永遠とはなにかさ。
それはイッちゃった海だ
太陽と一緒にね。
※la mer(海) = la mere(母=女)
※allée = gone(英)性的にいってしまった
仏語であの時、女性が je vien!(= I come!)っていうのは知ってるけど、男性の I go!= 仏語??(Je vais?) は良くわからない。
基本的にはどの訳も同じ事を言おうとはしていると思うけど、一般人には確かに判りにくいね。ターナーさんのが一番好いと思うけど、私の訳は直接的で誌的ではないね。 〔当時の原文ママ/2008.1.10註 〕
(8)「あなた」(マユさん)のコメントと訳
おほん、私ならこう訳します。
その前に、ターナー師が書いてたじゃない、翻訳家とは裏切り者だって。これひとつの真理だと思うのね。決してクローンは生まれない。陰と陽、月と太陽の関係になれたとしても。
もうひとつ、この前、ヴァレリーの「風立ちぬ」を引用してたでしょ。堀辰雄はあえて「いざ生きめやも」と誤訳したと私は解釈しています。堀が愛した奈良時代の古語・「やも」は反語の意です。ふつうなら「いざ生きむ」なのに、「め」「やも」だなんて。
あそこには堀の“言の葉の美学”があるのでしょう。“生きようとしないでいいのか、いいや、風と共に身を起こしてみなければならない”と残響を長く残していると私は読むのです。女の静かで強かな意志ですね。その肌は透けるように白く髪もほつれ気味でいささか儚くもあります。堀の美学そのものです。堀辰雄、福永武彦、中村慎一郎ら軽井澤・追分組の文学の本質そのもの(中村はちょっと違うかな。もっと助兵衛か^^)。
だとすれば(なんて理由はないにしても)、retrouverの動詞はかなり強い意味で用いられているのでは。再会、再発見なんて弱々しいものじゃないはずです。一期一会の心境。とうとう見つかった! と「誤訳」ぎりぎりのラインにボールを落とすわけ。
とうとう見つかった!
何が? ─永遠さ。
太陽と熔けて一緒にいっちまった
海が。
何を?・・・永遠
それは海
太陽とともに消えていった海」
やっぱり最後。学生時代から一夜漬け勝負の悪癖が出てしまいました。これではまるで少しだけ言葉を変えてみた盗作・・・お恥ずかしい・・・ "...Je est un autre..."と言うランボーの詩をこの私が訳すなんてとんでもないことです!でもお蔭様で久しぶりにランボーとヴェルレーヌの詩集を広げました。
ここの"retrouver"の"re"は、マユさんご指摘の通り、「再び」プラス"trouver"の強調でしょうね。「見つけて捕まえた」くらいのニュアンスかなと思いました。それとどうしても"é"の音の強さが出せないのが歯がゆいばかりです。俳句のリズムや音が翻訳では褪せてしまうように、ここの限界はかなりきつい・・・なぁ~んて偉そうですねぇ~。ジョルジュ・ペレックの"La Disparition"と同様、翻訳不可能であります・・・
話の次元がか~な~り変わりますが、現代学生百人一首ってご存じですか?その中にこんなのがあります。「買ってでもしろという苦労ならボクは一杯親に売ってる」 これを友人のアメリカ人翻訳家が英訳しました。
They say, "Hardship is so good
you should even buy it."
If so,
I have been selling plenty
to my parents.
やっぱり原語で味わえれば最高ですね。
今夜、犬の散歩中、どこかの家のお風呂から石鹸のいい匂いとともに、「イ~チ、ニィ~・・・・・」と数える子供の声・・・なんだかとってもいい気分になりました。指折り数えるってことホントに少なくなってしまったことに気づきました。私も「Always三丁目~」好きなんです。
と、こんな風に、
翻訳ゲームに参加してくださったみなさまお疲れさまでした。
そして、ここまでこの拙論にお付き合いいただいた読者の皆様に感謝いたします。
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