風のファランドール 《前半》
風のファランドール・・・と、あなたは、あの時そうつぶやいた。
ブロヴァンスならではの民族衣裳を身にまとったアルルの女たちが手をさしのばす。
そう、手をつなぐだけでいい。手を握らなくてもいい。指先を互いにつまむようにして、ただ触れるだけでいい。
さぁ手をつなごう。踊ろう、ぼくたちの、ファランドール。
思えばプロヴァンスにもケルトの風が吹いている。地中海からの暖かい微風はミストラルに拮抗するようにして次第に勢いを増し、フランスを北西方向に吹き上り、ブルターニュ半島の断崖に立つ石の塔を次々となぎ倒す。
ブルトン語で「長い石」を意味する海岸沿いに並ぶ巨石たち、メンヒル。英仏海峡を渡ればウェールズ語で「mean hir」と呼ばれる石たちこそ、古代において、大いなる天宙に向かって建てられた弔いの標しではなかったのか?
届いたばかりの封筒を切れば中には一枚のCD。
〔参考までに、こちらにもアクセスしてみてください〕→http://mephistolessiveur.info/automne/automne.htm
そこにはあなたへの弔意がこめられた16曲の音楽が収録されていた。
《・・・不在の他者がイリュージョンとして提供される、美しさだけがあたかも唯一の救いでもあるかのような、この終わりのない黄昏のなかで、きりりと締めた固い結び目から痛切に、清冽に、炎の波また波を越えて、鳴り響く・・・》弔鐘(グラ)──ジャック・デリダ。
(彼もすでに死んでしまってこの世にいないのだが)哲学者デリダは、映画『ゴースト・ダンス』で共演した女優パスカル・オジェについて、急死してしまった彼女と自分が同一画面に収まっていることを、死者と自分が一つの時間を共有していることの奇妙さを、後日その映像を見直してみて衝撃的だったと語っている・・・。パスカル・オジェの追憶。なんと素晴らしく魅力的な女優だったことか。彼女については、別の機会に長く書いてみたい。
また同時にぼくらは、アラン・ロブ=グリエの映画/小説『不滅の女』を思い出してみなければなるまい。不滅・・・もう死ぬのことのない、絶対美のイメージ=女のこと。亡霊(ゴースト)のこと。
ゴースト・ダンスの宵。亡霊たちが踊る月夜の晩。
高橋真梨子『月のダンス』。
そういえば、今日のPanさんからの封筒の住所、〈月草〉と読めて、なんて風流なところに住んでいるんだと一人で感心してしまった(笑)。もちろん冗談ですが。
All Saints/Toussaint、万聖節の大祝祭の前夜・ハロウィンの夜に、
ぼくらは風のファランドールを舞い踊る。
指をのばして。手をつなごう。踊り出そう。
CDは『青春の影』から始まった。あなたが好きだった曲だ。なんだか理由は分からないけど、出だしのフレーズですぐに涙声になってしまうの・・・と、潤んだ黒い瞳が照れたように笑っていた。これがCDの最初に捧げられているとは...ぼくは絶句した。。。〔別テイクで同曲が14曲目に入っているのにも感激しました。こういう細かさは、師匠のぼく譲りだな(笑)。〕
“きみの心に続く 長い一本道は、いつもぼくを勇気づけた。
とてもとても険しく、細い道だったけど、いまきみを迎えに行こう。
自分のおおきな夢を追うことが いまままでのぼくの仕事だったけど、
きみを幸せにする それこそが これからの ぼくの生きる しるし”
二曲目の『サボテンの花』は、ぼくがカラオケで何故か必ず唄う曲。チューリップ、好きですからね^^。あなたが褒めてくれたけど、ぼくは意外と高い声も出ちゃうのだ。そして三曲目は長渕剛『しあわせになろうよ』と続く。〔Panさんは、長渕のほかにスピッツ『空も飛べるはず』、KOKIA『ありがとう』を今回のベスト3と解説してくれたよ、ぼくの耳を経由して天国で聴いていて、厳しい批評家のあなたとしてはどうだろうか?〕
“出逢った頃の二人にもう一度戻ってみよう。そして二人で手をつなぎ、幸せになろうよ”、長渕は、そうぼくらに歌いかけてくる。
もう一度戻ろう。手をつなぐだけでいい。ただそれだけで、ほかに何も望まない。
でも、指数本のそんな仕草さえ、いまのぼくらにはできないのだ。。。
古代ケルトの民が敬虔な気持ちでとり行なっていた秋の収穫祭が、ブルターニュから海を渡りブリテン島の果てに追いやられたアイルランド人に伝わり、この移民たちが新大陸へと持ち込むことでアメリカ大陸にまで伝播された「ハロウィン」の儀式。それを前夜祭とする、本日11月1日の「万聖節」。
アイルランド・・・《リヴァーダンス》のダイナミックな統一感に満ちたタップの響き。手をつなぎ並び立つメンヒルたちの美しさ。見事なまでの立ち姿。タップ、ステップの躍動感と迫力。
ほくには、まだ十分には分かりかねていた。
郡上八幡に行くまでは。あの水の町の古い家並みの通り、清らなる水の流れる小径の狭間を、隘路を心もとなく迷いながら実際に歩くまでは。
あなたが好きだった・・・水の都・エクスとプロヴァンスの小さな村々、アイルランドの古都、そして奥美濃の小さな城下町・郡上八幡をつなぐ《もの》が何かが。ようやくこの旅で、多分これだったのではないかと“気づいた”。予感のような直観。それはもちろん、はじめからあったものだとしても、それが確信に変わったのが今回の旅だったように思える。
それは、(ゴースト・ダンス~)“踊り”ではあるまいか。
清冽な風と水の流れ。此処彼処(ここかしこ)で湧き上がる聖なる水、それをシンボライズしている土地独自の“踊り”。
(二度目の)そういえば、KOKIAなる歌手については、ぼくは今まで全く知らなかった。お恥ずかしい次第デス。いろいろ、たくさん彼女については調べまくり、勉強させていただきました。
声に不思議な魅力があるよね、コブシがまわっている^^。今回の話題に見合って、精霊的。ケル(セル)ティックっていうのか、こういう感じ、好きですね。
でも多分、あなたも知らなかったでしょ? いや、あなたのことだから、当然、聴いていたかなぁ。ともかくPanさんはこの曲一曲だけでも、生前のあなたに聴かせたかったんだろう。CDを作ろうとしていた矢先の訃報だった。
“もしももう一度、あなたに会えるなら、たった一言伝えたい・・・ありがとう”
http://www.youtube.com/watch?v=DAcPPta0Gkw
パリ公演の模様は、ここから↓
mms://streaming.campusnavi.com/campusnavi/KOKIA_2007_01.wmv
アイルランドでの歌/映像↓
mms://streaming.campusnavi.com/campusnavi/Ireland1.wmv
mms://streaming.campusnavi.com/campusnavi/Ireland2.wmv
この夏、あなたがmixi日記でCD紹介してくれた中国のサー・ディンディンに通底する“何か”を感じる。
(圧倒的大半の)未読の人たちのために、あなたのmixi日記の長い文章の一部を引用して貼り付ける。
“最近、部屋に居るときは(ほとんどずっと、その気がなくても体が動かないので居るのですが^^)必ず「サー・ディンディン」を聴いています。
〔ターナーさんに言っておくと、高橋真梨子・竹内まりや・森山良子らの日本の歌手だと、どうしても歌詞が“痛い!”ときがあるんです。^^ 言葉の小骨が、結構、心に刺さってくるの。ほんの小さな傷なんだけど、過去を想起しちゃって、つらい。弱気な私(微)〕
サー・ディンディン(薩頂頂)のデビューアルバム『アライヴ』。
中国から出現した世界メジャーレベルの、類まれなる音楽感性に満ちたこの若き女性ミュージシャンは、その容貌もさることながら、彼女が創り出す高音域の声と音楽は異様なほどまでに神秘的で魅力的です。
「中国」と言われて、確かにそうでもあるし、ですが中国の言葉が意味する世界を遥か遠くゴビ砂漠やヒマラヤ山脈のほうに飛び越えています。これまでに私たちが聴いたことがなかった、雄大な“内なるアジア”(それは海と対峙する大地であり私たちの肉/精神の髄に宿る遺伝子)を包み込むような音楽なのです。
一個の民族・民俗音楽には限定できない、しかも多国籍とも言いたくない、「アジア的無」国籍的な音楽と呼べばいいでしょうか。
今年で24歳の、まだ若い彼女。ディンディンは3歳のときから3年間、内モンゴルの祖母のもとで生活していたといいます。そのときにチベット仏教に興味を持ったそうで、後年、独学でチベット語とサンスクリット語を学んだと語っています。
聞き取れない言葉、言語の響きが彼女の音楽からはじけ飛んだり、ゆるやかに浮遊しています。旋律にからませて彼女が創り出した言語も含まれているのです。まるでエンヤのように。
毎日、太極拳と座禅(瞑想)を欠かさずに続けているといいます。彼女の身体から発しているオーラのような光、スピリチュアルな雰囲気はそこからも醸し出されているようです。(・・・)”
http://www.youtube.com/watch?v=5BLBkepCL4c
あなたは、すでにして、セルティックなところまで言及している。エンヤの名前を挙げて。
一貫しているあなたの姿勢が分かる。相変わらず凄いね。すさまじい。
プロヴァンス、ブルターニュ、アイルランド、ネイティヴ・アメリカンからさらにチベットまで。この続きが、ぜひとも聞きたかったと残念でたまらない。
どうでしょうか、KOKIA、あなたはお気に召したでしょうか?
京都や神戸まで平気で愛車深紅のフィアットを飛ばして出掛けていたあなた。
飛騨高山、もちろん郡上八幡までなど、わけなく一人でノンストップで疾走して行ったのだろう。それも東名から北陸道へと名古屋を経由して高速道を走ったのではなく、北から松本をまわって行ったと思えるフシがある。乗鞍を見やりながら。あなたは遠回りなど厭うことはなかった。奥飛騨温泉郷には必ず立ち寄る常宿があったことをぼくは知っている。
郡上八幡に着くやいなや、艶やかで長い漆黒の髪を束ねて浴衣に着替え、あなたは地元の顔見知りに目配せを送りながら踊りの列の中に加わる。そうして吉田川の上の空が白んでくるまで、一晩中、踊り続けたのだろう。
さて、本論に入らねばならないのだが、なんだかすっかり疲れてしまった。
ワインの量がハンパでない。徹夜で夜勤して明けてのちの、飲み疲れか。
郡上八幡についての「紀行ブログ」は書くなどない。高山でも面白いことがあったが、それも秘密にする。一部の人たちと、直接飲み喰いしながら“秘密の暴露話”の機会を持ちたいと思う。とりわけ高山の宿は、絶対!のオススメだ^^。
これを「前半」とすれば、サワリだけ触れておいて、あとは次回まわしにしよう。
雨も降らぬに袖しぼる”
─「かわさき」歌詞より─
こんな文句を代表歌詞とする「郡上おどり」。毎年7月中旬から9月上旬まで、三十数夜にわたって踊り続けられる。旧盆の8月13日から16日にかけては徹夜で踊り明かされ、老若男女の踊り手たちが無心になって町を踊り流していく光景はなんとも壮観である。とはいえぼくは写真やビデオ映像でしか知らない。この秋の初めに、あるTV局の旅番組で女優の高橋恵子とその娘がここに出掛け、明け方まで踊り流すというのを偶然に観た(彼女、いい女ですからねぇ^^。娘は普通の現代っ子。似ちゃいなかったな、残念!)。
今回は季節外れながら、しかししっかりと指導を受けてきた。町は、この踊りのために、ある。それをヒッシと実感した。
人口はたった一万数千の、この小さな城下町が、夏場のこの“郡上おどり”の期間には、毎日のように五倍以上(もっとか?)の踊り客で溢れかえるという。シンジラレナーイ! 一ヶ月以上続くんだよ、夜な夜な。ったくもう、あきれ返るよね^^。みんながほとんど常連さんで、踊りの師匠格だとか。そうだな、難しいったって空手の型を覚えることを考えれば楽ちん。ぼくだって、来年は指導的立場で踊り流せるだろう。
あなたの、プロヴァンス─アイルランド─郡上八幡のミステリーラインがここに「つながる」。
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コメント
ターナー先生
感動です。打ちのめされちゃいました。涙が止まりません。
爆発!ですね、彼女への愛で一杯ですね。
10冊それ以上の名著を読了した満足感にひたっています。こんなことアリなの? 『風のファランドール』、一冊の本にする価値がありますよ、少し加工すれば万人向けの“失われた愛を求めて─見出された愛”の旅の物語になってしまいそう。
おすすめのKOKIAのパリ公演を観ました。ここでも涙ぼろぼろ。もしPanさんが彼女に聴かせたかったのならヒトコト。彼女、知っていましたよ、KOKIAのこと。昨年二人で韓国を車で旅した道中で、あの歌をベトナム語で唄ってくれたもの。フランス人の耳には最も美しく聴こえるんですって。鳥のさえずりのように。でもあたしには日本語でも十分美しいさえずりに聴こえます。
マーが最後に日記に書いていたサー・ディンディンの歌も今回はじめて聴きました。先生のご指摘の通りだと思います。
書きたいことだらけで。胸がつまってしまって。これだけは言っておきたいの。ありがとう、ターナー先生。マーって幸せだ(現在形)と痛感いたします。先生、本当に、ありがとう。
投稿: ひみこ | 2007年11月 2日 (金) 19時11分
今晩は、ひみちゃん
貴女のような読者(ファンか^^)がいてとても幸せです。いまのぼくにはこうした励ましの言葉が一番の元気/生きる力の素になります。みんな無言のまま何も書き込んでくれないので、最近少々くさっていました。やりすぎているかなぁ...と反省もしています。ちょっと生々しいもんね(苦笑)。
「あなたのお姉さん」とはあえて書きません。彼女、予想通り、とっても素敵な人でした。車でいろいろと案内され、一緒にお酒(地酒only)を沢山飲みました。踊りを教えてくれたのも彼女です。
ひみちゃんにも、くれぐれもよろしくとおっしゃっていました。和服を脱いだ普段着姿は30代の(...にしか見えない)健康的なマダムで、誰かによく似てた。できれば後日コメントします。
これからも立ち読みでなく、数行でもいいから書き込んでくださいね。楽しみにしていますから。お願いいたします。
投稿: ターナー | 2007年11月 5日 (月) 00時00分
こちらがモタモタしておりましたのに、さっそくのジャケ写アップ、しかもターナー流の素晴らしいアレンジで、ありがとうございました。
「風」の歌なんか、彼女からは辛口批評が聞こえてきそうな気がしています。KOKIAはお気に召していただけると確信していましたが、以前すでにベトナム語で歌っていらしたとは・・・・・ "KOKIA in Paris"には涙が止まりませんでした。CDに収録されているものより断然素晴らしいです。ピアノ弾き語りでは感情の入れ方が違います。
参考までにと載せてくださった"Chansons d'Automne"のサイトにも行ってみました。ピアフが英語で歌う『枯葉』、大好きなパトリシア・カース、なつかしいダリダの『枯葉』、でもやはりモンタンのそれは最高です!なんだか20世紀という時代そのものが組み込まれているような感じさえしました。ターナーさんと彼女のお好きなビル・エヴァンス・トリオ、ダイアナ・クラール、キース・ジャレット・・・ゴールデンキャストですね。ゲンスブールらしさにも笑いがこぼれました。コールの『枯葉』は初めて聴いてとても好きになりました。
週初めの夜、秋の深まりを感じながら、少しゆったりしたところです。ピアフについてはまた次回、ゆっくりと書きます。
体力勝負を強いられている最近、なかなか守れないものの、一応、「その日のうちに寝る」を目標にしています。
投稿: Pan | 2007年11月 5日 (月) 23時47分
Panさん
三木宮彦の『ジャンヌを旅する』(未知谷・04年)という本、ご存知でしょうか? あまりの内容の凄さに驚きながら、この明け方に読み終えたところです。
同時並行的に、ラ・ピュセル研究の第一人者だったレジーヌ・ペルヌー女史の『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社)、それに最近突然お気に入りになって^^全著作を読破中の藤本ひとみの『ジャンヌ・ダルク暗殺』(講談社)も読み進めています。枕の両側には読みかけの本が十冊くらい積まれています^^。
『~旅する』については独立したブログ記事になりそう。でも、皆さん“ありゃ、またかよ”“関心なし!”でしょうから(多分ね・特にね)、Panさんにだけ、ここにメモ書きしておきます。
著者は映画評論家で、スウェーデン映画の巨匠ベルイマンの研究では名の知れた方でした。過去形なのは、一昨年末に、つまりこの旅を終えて本を上梓して一年半後に、胃癌のため亡くなられてしまったからです。
この旅は、パリ、シノン、オルレアン、ランス、コンピエーニュ、ルーアン、ドムレミと7章にわかれていて、それぞれ所縁の地を折り畳み「自転車」を持って(に乗って)旅するのです。これがなんとも凄い! 歩くようにゆっくりとした旅の雰囲気ながら、視野は広範囲で具体的に詳しく、温かい息づかいが感じられる描写です。時に息があがってハーハー(笑)。点でなく細い線でくねくねと続くのがとってもいい。長廻しのキャメラ・タッチ。さすが映画の人、映像=文章が素敵! 写真・地図・彼女への想い・資料記事で一杯です。
《もうひとつのツール・ド・フランス物語》、《ひたすらペダルをこぎ続けたジャンヌ・ダルク巡礼奮闘記》。
なんてったって書き出しの一行が、“あなたのフライトは今、シャルル・ド・ゴール空港に着陸する”ですよ、まるでぼくの文章だ(笑)。似ている...んですよ。
〔考えてみれば、「あなた」の二人称は、映画なんだね^^〕
巻末の「百年戦争とジャンヌ・ダルク」という小論もよく書けています。
ということで、書店には無いマイナーすぎる本だから区立図書館に走って、早速読んでみてください。ここ最近の絶対のおすすめ本!!デス。
最終段落(ラストシーン)の長い引用・・・・・・
“ ジャンヌの足跡の範囲は、実際に旅してみると意外に狭い。たいていの場合は今なら数時間で行けるお隣同士だ。そんな空間の中で戦い、死んでいった彼女が気の毒にさえ思える。しかし、そこに彼女が残した一歩の意味は限りなく深く、その巨大さは、われわれ以後の世界にまで達している。”
三木(饗場)さんに合掌。
投稿: ターナー | 2007年11月 6日 (火) 07時00分