2012年1月27日 (金)

お受験中! (^^;)V 

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  ターナー先生、柄にも年齢トシ甲斐もなく^^、只今、某国家試験のお受験中
      “活用なき学問は無学に等し”(福沢諭吉『学問のすすめ』第十二編)
    でして、一次試験が終わる今月末まで、もうしばらくブログはお休みです。
    そういうことなんですよ、事前予告なしで、誠にすみませんでした。

  休筆中ながらも、今日明日あたりで、アクセス数16万件突破しそう。
  有難いことです。
  すんませんね、毎度わざわざお越しいただきまして。
  心より感謝いたしております。

  今回の芥川賞受賞の田中某氏、とんでもねぇ発言をしているので殴ってやろうと
  思っていたところ、インタビューをよ~く聴いていたら、日本文学で好きな作家を
  谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫 の三人! と言っていたのにはビックリ!!
     なんだ俺とおんなじじゃねぇか!!! 
  まいったなぁ。。。似たもの同士(世をすねた引籠りムジナ・・・)デシタ(^^;)

  『スイッチガール!』観てますか??? 
  もう終わっちゃいますよ~っ!!(爆)

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2012年1月16日 (月)

新たなる年のМな女!

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 そろそろ書き出さないとなぁ。。。

 読者諸氏にとっては長い休暇と思われたろうが、年明けから精神の病でずっとブログが書けなかった、というのが本音である。

 今年も元旦から、例年通り一日たりとも正月休みのない勤務態勢が続き、さすがにマキシマム状態で気が滅入ってしまい、人間嫌いもいいとこの心理状態に陥っていることは確かである。
 これではいかんと思いつつ、しかし一向に指は動かない。動かす気がしない。ちょこっとその気になっても・・・やっぱり続かない。

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 今までなら、辛島文雄のピアノ・ソロ・アルバム『エトランゼ』(85年)なんぞを聴いていると、すぐにモリモリと元気が出て来たものだが(実はジャズ・ピアノなら、リッチー・バイラークよりブラッド・メルドーより、キース・ジャレットよりも、これが世界で一番好きなアルバムかも知れない^^; のだが!)、今回ばかりはそうはいかないみたいだ。重症だな。。。


 もう半分が過ぎてしまった今月、一月。必死の思いでこの年始からの出来事を振り返り、一回完結のショートショート、戯言記事を書いてみることにする。

 これはヘビーでハードで長大な『レディー・ガガ論』執筆の準備体操なのだ。
 酒飲んで、ふて腐れているわけにもいくまい。


  辛島文雄トリオの曲から一曲聴いていただこう。
  タイトルがぼくの心境か^^  名曲“I Fall in Love too Easily”。。。
  ●http://www.youtube.com/watch?v=97oEsFv6DzM&feature=watch_response

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 さて、新しい年の実質最初のブログ。

  まずはこの不思議な写真を眺めていただこうか。
〔バックは上の息子のステージ演奏用オリジナル特注サウスポー仕様のエレキギターと自前のライブ・ポスター作品^^。彼はいまでも大阪や名古屋や新宿、池袋、中野あたりのライブハウスで演奏活動を続けている、世に言うヴィジュアル系ロックバンドの(天才?)ギタリストなのだ。といっても、中学生の彼にコードの押さえ方からギター指導していたのは親父のこのぼくなのダ。〕

 実は、この右側手前に見える超小型のエレキギターが、今回の主役なのである。

 Oh! My Favorite Guitar !


 もっとも今回の記事は、カオス・シチリア・ターナー的!記事であることは言うまでもなく、主役と書きながら話はアッチャコッチャと分裂病的に跳びまくり飛びまくるはずだ。お許しあれ!!


 ♥ ♥ ♥

 昨年の夏くらいから、脳梅のニーチェじゃあるまいが、アタマがおかしくなっているようだ。
 「躁鬱病」が日に日にひどくなっている。情緒は絶えず不安定、人付き合いは極端に悪くなり、日々の感情環境の落差には甚だしいものがある。
 それに伴ってのこのブログ記事=ゼミも、変態性欲的!と人から言われ=笑われ続けているようだ。


 大晦日の朝だったか、同病者の大先輩のお一人、北杜夫さんの追悼特番がNHKで放映されて、予想通り番組に登場してきた旧制松本高校からの大親友の辻邦生からの若い日の手紙には、思わず大粒の涙がこぼれてしまった。〔思うに過多の「感情失禁」症状だろう。〕

 躁鬱病に苦しむ北さんに宛てた激励の私信。
 とはいえ文面は、暖かく励ましの言葉を綴っているという内容じゃなかったが。

 その生き方が一番お前らしくていい、と辻さんは言う。お前にしかできない、と。だから続けていていいんだ、無理して元気になろうとしなくってもいい、今のままでいいんだよ!って、あの独特の口調で淡々と語っていた。ま、励ましていたというか。言葉は正確じゃないが、そうぼくの耳には聴こえた。

 死にたい!と思っていたくらいつらい日々を過ごしていて、俺はこのままでは駄目になると落ち込んでいた北さんにとって、辻の手紙は心底有難かったと・・・後年、その頃を回想している老いた北さんの映像が画面に映っていた。
 施設で朝食介助をしながらテレビを観ていたぼくは、老婆の顔のところで食器と箸を宙に止めたまま、涙が止まらなかった。。。両手がふさがっていて、拭うことがかなわなかった。
 親友って、ほんと、いいもんですねって。

 ずっと以前にも、このブログで辻さんからいただいた葉書を無断で紹介している。

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 いままた、先生からの「年賀状」を一枚、ぜひともこの機会にご紹介してみたい。

 毎年いただいていたうちの、最後の年賀状だ。
 高輪のご自宅から出されている。
 先生一流のユーモアに満ちている。

 ぼくらは、直接先生とお逢いできないときでも、ずっとこんな風な葉書のやり取りを続けていた。
 
 そのときぼくは、まだまっとうな、エリート・サラリーマンだった(笑)。

 

 さてさて再び、ミニ・エレキギターの話に戻る。

 年末に本屋に平積みになっていた変な箱のような分厚い本で『大人の科学 Vol. 26』(学研)というのがあった。

 お年玉をもらう前の小学生のような気持ちで、自分に言い聞かせた。

 お年玉を沢山もらって正月三ヶ日が過ぎたら、絶対にあの『科学』を買いに本屋に走ろう。それまで残っているといいんだけど。神様、あの本が売り切れませんように!!

 小学生だった頃、学研の『○年の科学』に夢中になっていた。正確に言えば、月々の『○年の科学』の「付録」に魅せられていた。

  あの頃、クラスで成績の良い子どもたちはみんな、学研の『○年の科学』を定期購読していた。『○年の学習』という月刊誌もあったが、アレはどうでもよかった。『科学』の付録のほうが圧倒的に優れていた記憶がある。知的好奇心があの付録で極度に刺戟され続けていたはずだ。
 ぼくらの時代では、「学研のおばちゃん」はまだ存在せず、何故か知らないが担任が販売(?)配布していた。でもこれって凄いことじゃない? 先生が、校務処理の一環のごとく平然と雑誌を教室で手渡し、また代金の集金袋を回収していたのだから。

 その『○年の科学』の大人版が、この『大人の科学』なのだ。

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 正月に一度、このことを息子に話してみた。
 とっても面白そうな組立式のミニ・エレキギターを本屋で売っているんだけど興味ないか?と。布袋寅泰、渡辺香津美、押尾コータロー、野村義男なんかが絶賛してんだけどなぁ、と。つまりは息子に買わせようという魂胆があったのだが、息子はチャンチャラオカシイ!と鼻先でせせら笑っていた。

 なにを今更、オモチャのギターなんかに興味持ってんの?
 情けないねぇ・・・・・・と。

 親父の年齢なら、ようやく念願の名器が買える!って小踊りして、お茶の水/駿河台の楽器屋に飛んでいくんじゃないの?
 レスポールとかストラトキャスターとか、学生時代にはお金がなくて偽物しか買えなかった世代なんだから。第二の人生は、エレキギターで始まる!って。女房子供をそっちのけにして、エレキ小僧に戻っちゃう、そんなチョイ悪親父の一人なんだろ?、って。
 
 けれども、正月三ヶ日が過ぎて、ぼくは本屋に走った。
 チョイ悪親父は下倉にも黒澤にも行かず、楽器屋でなくて本屋に出掛けて『大人の科学』を買い求めたのであった、ジャンジャン!!

 鉱石ラジオを組み立てている気分で、このミニ・エレキギターを作っていた。
 男はいくつになっても好きなんだよ、こういう科学工作がね。
 天才ジョブスは、自宅ガレージで、マッキントッシュを手造りしちまった^^; 。凡人ターナーは、夜勤の日の真夜中に、0.3mmの導線200回くらいコイルにグリグリ手巻きして「ピックアップ」を完成させ、磁石を取り付け、乾電池二本を電源にして、内蔵のミニミニ・スピーカーから音を出すことに成功した。
 ジャーン! 往年のエレキ小僧 に大変身の巻!! (ナンか変ダな?)

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 ぼくらは加山雄三主演の『エレキの若大将』 に激しく心揺すぶられた世代だ。

 テケテケテケ・・・とベンチャーズを真似て、ビートルズの難解なコードを押さえるのに懸命になり、クラプトンには絶対に及べず(あちゃー!)、ジェフ・ベックを気取って指でスチール弦をはじいていたものだ。
   あまたのギターの神々の愛器を羨望の眼をもって眺めていた。
 フェンダーやギブソンの名器の数々。

 レット・ツェッペリン時代のジミー・ペイジならギブソン/レス・ポール ゴールドトップ1954。
 初期の頃のエリック・クラプトンも愛用していたなぁ。
 大魔神ジミー・ヘンドリックスはフェンダーの62系ストラトキャスター。超カッコいい!
 ジョージ・ハリスンならグレッチの6119テネシーン。 ジョン・レノンはリッケンパッカー 310C64 JGにとどめをさす。 
 ベンチャーズならモズライト。若き日の若大将やエレキの神様寺内タケシが抱いていたのもコレだったね。63系サンバースト。

 そしてついにターナー先生は、“ガッケンのふろくギター”を弾き鳴らすことになる。

 ちなみにこの愛器を、息子のアンプに接続してみた。ステージ用「マーシャル」の巨大アンプに。びっくりしたなモウ!わが豪邸!(!?)が倒壊してしまうかのごとき(??)地響き・大音響!! これには馬鹿にしきっていた息子もニンマリ。なかなか、やるじゃない!?このチビッコイの、って。父さんが夜なべしてコイルを巻いた手作り「ピックアップ」だかんね(笑)。

 みなさん、ちゃんと知ってます??  エレキギターってのは、「ピックアップが命」=心臓部なんだから。電磁誘導でスチール弦の振動を電気の波に変換して、あの音が出ているんだぜ。  
 音を拾う(つくる)のはマイクじゃない。鉄芯に導線を巻きつけたコイル=ピックアップなのだよ、役所くん。このコイルの上で磁性体が動くとコイルに電流が流れる。これが電磁誘導の原理だ。エレキギターではスチール弦が磁性体にあたる。弦の振動回数だけ電流に変化が起こる。振動が速くなると、すなわち音が高くなる。
 コイルの巻き数が大きくなると音も大きく出てくる。ただし音がこもる。ピッチ(線と線の間隔)も広いとすっきり澄んだ音になる。間隔が狭いと低音が強調される。
 巻き数・巻くピッチは企業秘密で、独自のノウハウがあるんですよ。

 コレがあれば、内でも外でも、いつでもどこでもエレキが弾ける、そりゃ結構なことだよ。
 ぼくは早速、バッグにこの愛器を入れて、神楽坂に向かった。なんで?? 赤城神社の境内でエレキを弾くためだ。いや嘘、ギンレイホールでチャン・イーモウの新作『サンザシの樹の下で』を観るためにね。

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 これは昨年の七月から観たくて仕方なかった映画だ。
 主人公の新人女優・・・よりも相手役の男優の青年に注目して欲しい。若い頃の中井貴一そっくりなのだよ、明智くん。
 
 これから観る人には気の毒だが、この監督の作品としては少しもいい出来ではない。いや、駄作の部類だろう。綺麗な映像演出は随所に感じられるが、実話の映画化とはいえハリウッド映画的ご都合主義に満ち満ちている。うんざりもいいとこだ。

 だがしかし、ラストシーン、連れの嗚咽は止まらなかった。
 作品の途中途中でも、彼女の肩が・胸が小刻みに揺れていたのを二の腕に感じていた。
 彼女は映画の後半、ずっと泣き続けていたのだった・・・。フツーの女性が観るとそうナンかなぁ・・・彼女の反応/感想では、いい映画を観させていただきました・有難うございました、と感激のあまり涙の弁だったから、あえてこれ以上作品を批判するのはやめにしよう。ぼくって、相当に人が悪いことになるからね。
   ぼくだって、躁鬱病だが人の子である。やっぱり泣いたさ、クソミソに偉そうに批判しててもね。

 映画を観終えて、よく利用している坂の途中のマクドで、ぼくはバッグからミニ・エレキを取り出して最大ヴォリュームにしてウサギのオメメになっている彼女に向かって弾いてみせた。ドヤ顔でさ。ドヤドヤカッコいいっしょ。俺ってジミー・ペイジみたいっしょ。。。(笑)

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 オモチャにしては素敵すぎるでしょう? 音もいい。ただの親爺だって、こんな芸当が簡単にできるんだよ。

 ま、人生、あんまり深刻にならんように。流す涙もほどほどに。

 俺的にはサ、『サンザシの樹~』、あれってテンデ・ダメな作品だと思うよ。
 この数年、ダメ続きだ、映画としては愚劣すぎる。山田洋次みたい。俺、大っ嫌い、山田洋次!
 小田和正と徳永英明と、この世の中で一番嫌いなマキハラ! あいつら以上に、山田も大嫌いだ。

 でも、チャン・イーモウ、過去から見ればターナー的には全体像は好きなんだよね、不思議と。日本で観られるほとんど全作品を、しかも何度も観ている。特に初期の作品はね。そんな中国人映画監督はほとんどいないもの。
 だから君も、DVDで、よ~く・しっかりと観てみて。抜群の映像演出センスがあった!・・・間違いない、ターナーが選ぶ中国人監督ベスト3の一人だ!
 でもサ、惜しむらくは・・・この数年の作品が・・・どうもダメ過ぎるんだなぁ・・・。情けないほど人間的に、ダメになっちゃったみたい。嘘と信じたいんだけど。。。傘の下でぬくぬく状態の権威主義というか、国策主義的映像作家に成り下がったというか。。。かつての彼の映像の魅力は全く感じられない。。。

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2011年12月31日 (土)

Spleen de Bali バリの憂愁 7

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  ・・・・・・かくして、お得意のパリではなくて、バリ色に染まりつづけたこの麦秋(初夏)から今日・大晦日までの特異な一年が終わりを告げる。
 いな、告げねばならない。告げねば来年が正しく来そうにない(笑)。



 最終回の今回は、バリ伝統舞踊の話から急転直下の離れワザで、極私的バリ(文化)論を一気に絞め殺す^^;いやいや締め括る。。。つもりだ。
  この最終章に至ってはじめて、《Spleen/憂愁》というタイトルの隠された意味が判るだろう。いやはやぼくも、実に回りくどい手を使いながら、「あなた」のイメージを言語的に映像化してきたものである。
 この一連の文章が、塔晶夫〔あるときは碧川潭(みどりかわふかし)〕の『虚無への供物』をリスペクトして書かれていたことを、ここで初めて暴露しておこうか(笑)。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 サンヒャン・ドゥダリは最も効果的な悪魔祓いの一つである・・・と既出のコヴァルビアスは『バリ島』(邦訳・91年 平凡社)で述べている。

  こんな説明も加えている。

 “共同体が悪魔や悪霊によって引き起こされた危険に脅かされた時、神々と人間との間の保護、非保護の関係を確立する手段として、呪的に穢された共同体の穢れを祓い、善と悪との呪的なバランスを回復させるためにサンヒャンは踊られる。・・・・・・”

  サンヒャン・ドゥダリ・・・・・・神=天女が踊り子に憑依する、あるいは踊り子が入神状態になって倒れるまで踊る、バリ特有の宗教舞踊・・・それがこのサンヒャン・ドゥダリである。

 これは観光客のための娯楽的/演劇的/芸能ダンスではない。それはみんな分かっている。
 にもかかわらず、西洋文化の邪悪な眼を持つ観光客たち(そこにはぼくたち日本人/東アジア=韓国・中国・台湾からの旅行客たちを含めて)は、この偽装のトランス・ダンスこそがバリ伝統舞踊の本性と信じて疑わず、二人の美しき乙女たちが戯れに入神していく=逝くその瞬間を、ショーパブの客になったつもりで、固唾を飲んで眺めているのである。
 ああ、なんてこったい。


 しかしながら、あのときは・・・・・・
 ぼくは初めて目の当たりにする、この宗教的色彩が濃厚な、禊と祓いの意味での、
 ドゥルーズ哲学でいう「生成変化」する、この舞踊(神聖=真性トランス・ダンス)
 骨の髄から、すっかり身体的に、魅せられていた。 
 理性的な言の葉なぞ、一切どこかに失ってしまっていたのである。

 あの夏、ウブドという小村の、
 穏やかで蒼い宵闇と、丁子のつんとした独特の甘い香りの中で。。。


 デンパサールからウブドに入っていく道筋は、まだ現在のようにきちんと整備されてはおらず、空港近くの都市部でわずかに開業している店でいかにも中古の薄汚れたレンタカーを借りて、緑濃い椰子とバナナのジャングルの中の細いデコボコ道を、もうもうと土煙をあげながらランドクルーザーを走らせるしか手はなかった。

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 プロのレーシング・ドライバーと同等の腕を持つ(A級ライセンスの)「あなた」は、オードリー・ヘップバーンみたいな黒いサングラスを掛けてにこやかに微笑み、田圃の畦道としか見えない、車一台分の幅しかない田舎道をかなりのスピードで車を運転していた。
 三毛作の田植えなのか、腰をかがめて作業している人々が驚いた様子で立ち上がる姿がバックミラーに映っている。ぼくはシートベルトもせずに助手席に座って、島特産の丁子煙草─「グダンガラム」か「サンポルナ」だったかは忘れたが、葉巻のような甘いふくよかな香りがした─をくわえながら、彼らが農作業する点景のタブローを鏡越しに眺めていた。

 1984年の、雨季に入るにはまだ早いバリ島の、夏八月・・・遠い遠い記憶だ。


 「あなた」はすでに数年前からぼくなど足元にも及ばぬほどこのバリの伝統舞踊に深く深く魅了されていて、ぼくがフランスに留学している間には、ウブドの村で踊りの師匠から直接的に手ほどきを受けていたくらいだった(ウブドに長期滞在して本格的にバリ舞踊を稽古していくのはさらに5,6年後になる)。 
 それはバリが本格的に国際観光化していく、ちょうどプロローグの時期にあたる。



 バリ島の人々の暮らしの隅々に神々への敬意と愛と祈りがこもっていた。
 神々への捧げものこそが、彼らの幸福度・生活満足度指数を示していた。

 いまのブータン以上に、バリの人々は幸せに満ち足りた日々を送っていたはずだ。

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 サンヒャン・ドゥダリは、観光化された現在のステージで見られるような踊りではなかった。

 純粋に宗教舞踊であり、かつてこの島の村々が疫病や災害で苦しめられたとき、その厄災を祓い清めるために踊られたものである。
 踊り手は厳密に厳粛に村の司祭によって選ばれていた。二人の少女。彼女たちは神々と交感できる能力を持つ、特別の資質・感性のある、初潮前の女の子に限られていた。

 この舞踊─宗教儀式─は大人の女たちの祈りの言葉に静かに重なる(交合する)ようにして男性合唱の“祈り=呻き=歌声”で始まっていく。
 甘く柔らかく、ゆったりと漂うような香の舞いだ。
 ぼくたちは、そのエロティックな匂いが、あの煙草と同じものであることに、そのとき気がつくのだ。


 そうか・・・あの丁子のほのかな香りは、汗ばんだ農作業する男たちの体臭でも戦(いくさ)で傷ついた血の匂いとも違った、純なる乙女の肌の匂いだったのだ。穢れなき少女たちの、やがてすぐ初めて神と通じることになる巫女たちの、その褐色の肌を浄める甘美な香りであると共に・・・神々をおのれの身裡(みうち)に誘い込む一種の媚薬の働きをしているかのようだ。

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 さらに香りは濃厚に・・・濃密に・・・他の香木の薫香と共に混ざり合う。
 香りは何枚かの半透明の絹のベール、あるいは何層かの波のうねりとなって、ぼくら観客の身体をすっかり包み込んでしまう。

 ひらひらと踊るよう揺れる香りのベールは戸外ステージの大気にはためき、地の熱気の中ほのかに吹く風に向きを変えて、あるいは少女たちが手にする扇に煽られながら、ぼくたちの鼻腔を優しく擽(くすぐ)って流れていく。

 やがて少女の身体に神が降りてくる。神はその身体をかりて踊りの強度を高めていく。風にたゆたう木々となり、動物たちの動きを模したりする。大地の生命の気が渦巻いてくる。同時に、むせかえるような香りが高まっていく。

 これはバリの地に生きとし生ける「生きもの(人・動植物)・精霊・神」の禊ぎと祓いと祈りの舞いなのである。

 祈りと感謝、捧げものの代償行為であると同時に、新しい生・性・命をはじめる生成変化
の序の舞なのである。

 けれども上村松園の描いた(お能の舞事のひとつ・始め=序の)『序の舞』とは、象徴する意味が違う。スタイルが違う。文化が違う。コンテクストが全く異なっている。

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 目線の配り方、足の払い、手指の動きの一つ一つが、「自然」を、「神」に憑かれた「いのち」を表わしているのだから。
 しかしながら、踊り手は男ではない。
 衣装・からだつきは違っても、踊り手はまぎれもなく「乙女」なのだ。
 同じ乙女の序の舞であることに、ぼくらはどう目線を合わせていけばよいのか? いかに解釈の智恵を向ければよいのだろうか?


 二人の少女は、ついにはトランス(ある意味では性的エクスタシー)の頂点に達する。
 このブログで何度か書いている(仏人作家の言葉として)、宗教的恍惚=小さな死の体験が訪れる。その瞬間、夢の中を彷徨うように踊り続けていた少女たちは、瞼を閉じて静かに“逝く”。ステージ上で、二人は崩れて落ちてしまうのである。

 こうしてサンヒャン・ドゥダリの踊りは終わるのだ。。。

 

  説明が足りていないと思う。
 このままだと誤解されてしまうだろう。


 「あなた」は、サンヒャン・ドゥダリの舞を習うべくバリに行ったんじゃない。
 あの舞の習得が目的でバリ舞踊を現地稽古してたんじゃないさ。当然のことだ。

 あれは乙女の「序の舞」であり、習うべきスタイルを有してはいない。生成変化のさまを表現=模倣するだけのダンスだ。しかも入神の祭礼儀式の役割を担っている踊りなのだから。

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 土着の信仰=宗教舞踊はその土地に生きる者しか踊りえないものだ。しかもサンヒャンの踊り手は処女であらねばならない。踊れない。憑依性、処女性、土着性、これらの壁は日本人女性には、そう簡単に乗り越えられるものではない。
 「あなた」はすべてを理解していてなお、人が神に憑かれてしまうというトランス・ダンスの魔力・神秘の正体が知りたかったのだ。ダンスがもたらす性的エクスタシー。入神=法悦=恍惚感! その死にまで至る快感に宗教的意味が果たしてあるのか?? 

   ジョルジュ・バタイユの熱心な読者だった若き日の「あなた」は、西の基督教の礼拝堂内でなく東のこのバリ・ヒンドゥー教の「死の寺院(プラ・ダラム)」の寂れた広場で、《聖女テレジアの法悦》(by ベルリー二)と同じような愉悦を伝統舞踊の演舞中に自らの肉体を通して体感/恍惚化してみたいと切望したのだと、いま《年老いた肉体を無残にも醜く晒しただけの》ぼくは静かに想ったりする。

 もう一つ理由があった。 
 神の憑代(よりしろ)はほかにも、なんと「あなた」の最も身近に存在していたのだ。
 親友のH女史である。生きとし生ける純粋触媒=巫女!!
 彼女は、ケチュア語で「老いたる峰」を意味する「マチュピチュ」のインカ遺跡にまで修行の旅で出掛けて来た女性である。もちろんヤマト伝来の本格日本神道にのっとって巫女活動を続けていた人だったわけだが、確かにH女史には人智を超えた憑依能力が生まれつき備わっていた。

 神の言葉が彼女の薄く形のいい唇からよどみなく伝えられるさまは、凡人のぼくには辟易以外の何ものもなかった。津軽の遥か北の果てに住まうイタコでもあるまいし・・・と。
 しかし神がかりとなった彼女の霊的超能力にはすさまじいものがあった。
 生霊となって博多から東京湾にまで一瞬のうちに飛んで来られた。。。

 知力では遥かにまさることを自覚しつつ、「あなた」は、H女史のこの「能力」「感性」「神=精霊が依る肉体」をひたすらに羨んだのだろう。

 “わたしはすぺての知識を書物から読み取って学んだ、学び尽したと思う、詩聖マラルメのごとくすべての書物を読んだ、にもかかわらず、嗚呼、肉体は悲しいかな詩魂はこの身には降りて来ない。美を謳いあげる言語表現をわたしは手にできていない。 美しい!永遠!の意味でさえ、自分の言葉では十全に言い表わせないのだから・・・・・・”

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 そして「あなた」は決意して出掛けて行ったのだった、南の果てのバリ島に。
 神々が降臨してくるバリのダンスを、命懸けで習得しよう、として。。。


 話を少し変えてみる。

 ここバリ島では・・・・・・
  輪廻転生の考えかた一つ例に挙げても、生まれ変わる場所は、この島・この土地・ここの生物に限定されている。
 どこかよその国の、よその時代の誰か(人間)に生まれ変われるなんて保障を、バリの人々はハナっから信じちゃいない。

 バリ人はあくまでバリで、バリに生きる生物に生まれ変わる。
 来世はバリの蛙や蘭の花の人生(?)かも知れない。それは十二分にありうることだ。
 日々の祈りと供物に手を抜けば、決していまみたいな人間にはなれないだろう。そのことは充分に自覚している。しかも自分の前世・前々世が何処の何だったのかにも感づいて生きているし、今度こそ「徳」を重ねて、目標存在に生まれ変わりたいと北に向かって祈りと供物を捧げ続けている。そんな敬虔な宗教=生活を送っているわけだ。

 これがバリ・ヒンドゥー的生き方である。
 常に北に向かってこうべを下げ、柏(かしわ)手を合わせる生活態度なのである。不信心な日本人には、とても真似ができるものではない。

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  祈りの言葉・祝詞、音楽、花、お香など様々な供物と並んで、神々への捧げものとして最も重要な供物の一つが舞踊であると、ぼくは繰り返し、かつスタイルを変えながら説明してきた。

 バリの舞踊は、つまりは宗教舞踊であり、能や歌舞伎の世界とは全く違う性格のものだ。

 本来であればサンヒャン・ドゥダリの舞を糸口にして、はじめは「バリ伝統舞踊総論」としてまとめようとしていたこの拙論も、いろいろと脱線が多すぎて、その賭場口で終わってしまいそうだ。ま、ぼくのブログのことだから、それもいい。許していただこう。

 それにしても最後に少しまとめておきたい。

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 バリ舞踊は、大きく三つに分けて考えることができる。
 タリ・ワリ(Tari Wali)、タリ・ブバリ(Tari Bebali)、タリ・バリバリアン(Tari Balihbalihan)の三つだ。

 最も宗教的色彩(役割)が色濃いのが、タリ・ワリで、その最たる序の舞がサンヒャン・ドゥダリなのだ。ほかには、ルジャン(女性による奉納舞・バリ舞踊の原型)やパリス・グデ(男性による勇壮な奉納舞)がある。

 タリ・ブバリになると、儀式舞踊と呼ばれる芸術的色彩を帯びたもので、古典舞踊劇ガンプー、バリ王朝史を題材とする仮面舞踊劇トペン、さらには穢れ払いの意味が濃厚な舞踊劇チャロナランなどがこれに分類される。
 チャロナランは、あまりに有名な魔女ランダと善魔なる怪獣(?)の聖獣バロンの闘いの舞である。
 死者の霊を祭るための、村の南にひっそりと位置する寺院(プラ・ダラム)で催されるのがこのランダとバロンの壮絶な闘いをテーマとする舞踊劇で、観ていて一番劇的興奮に富むものだろう。善と悪の闘いの結末は・・・・・・悪が滅びると決まったものではないからだ。
  ここにバリ的「三段論法」の見事さ!理性的理解不能の面白さ!が見てとれる。
 西欧文明の敗北、ここにあり!の痛快な不可思議さが明確かつ曖昧に示されている(爆)。
 
 さらにはタリ・バリバリアン。いかにもバリ的!なスタイルのバリ創作舞踊とも言ってよい舞踊で、鑑賞性・娯楽性に富むものだ。新しい時代のバリ舞踊である。観光用!と切り捨てることも可能だろう。宗教的意味合いはほとんど薄れてしまっている。バリのダンスとして代表的なレゴン、ソロでの男性舞踊パリス・トゥンガル、竹のガムランで伴奏される芸能舞ジョゲッ、20世紀になって生まれた演奏形態ゴン・クビャールの伴奏によるグビャール・スタイルの自由な創作ダンス。。。

 これらについては、専門書もネット記事も多く、興味のある方はそちらのほうで詳しく調べてみると面白いと思う。
 

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2011年12月21日 (水)

Spleen de Bali バリの憂愁 6

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 なんだかこのところのぼくの日常生活は、ジョニ・ミッチェルの唄につきまとわれているような気がしてならない。
 彼女の数々の名曲に生活自体が演出されているようでもある。
  70年代からの、遠い懐かしい日々の追憶が超高速で蘇ってくる。不思議な気持ちがする。確かにそう、そこには、ジョニ・ミッチェルの歌声が満ちていた。

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 神楽坂のカフェの陽だまりに座って通りを眺めていると、人もバイクも猫の影さえも長く伸びきって石畳に歪んで映っている坂の光景に、突然あの特徴的な彼女の歌声がかぶってくる。
 あまりに映画的なBGM演出ぶりに驚いてしまう。いかにも、という絶妙なタイミング。

 東京藝大までこの先真っ直ぐ道なりに一本という、15時過ぎなら「タン塩」串焼きとアツアツ熱燗が愉しめてしまう鶯谷の名物串焼き屋(各種一串70円!)でも、意外なことにも、ジョニ・ミッチェルの歌声を耳にしてしまう。下町の、いや場末の、おっちゃんたちの溜まり場である。そこでどうしてジョニの歌が流れてくるのか?

 冬の陽に反射して黄金色にきらめく銀杏並木を、廃墟と見まがう安田講堂の下の「中央食堂」をめざして昼メシどきの本郷構内を歩いていたときもそうだった。
 どこからか、カーステレオからにしては車がどこにも停まっていないのに、偶然に彼女の歌声が低く響いてきたのだった。
 本郷では、「銀杏・メトロ食堂」でも同じだから東大構内では、11時からビールが飲める。
 安田講堂地下の、あの宇宙ステーションのような中央食堂のホールで、定食のオカズを肴にして、美学の今道教授の講義が終わると「あなた」とビールを飲んでいた。
 仏文のK、美学美術史のOのほかに、通りひとつお隣りの農学部からも親友のOが白衣姿で合流して来て、ちょっとした宴会気分に浸っていたものだ。
 ぼくらは紅潮した顔で激論を交わしていた。さながら映画『ノルウェイの森』のワンシーンだ。
 専攻がなんであれ、政治、経済、文学、芸術、先端科学・・・すべてオールライト、日本を憂えて(・・・なんだかなぁ?)声高に論じ合っていた。ピカピカ輝いていた中央食堂の馬鹿高い天井に、世界同時革命!!の声が虚しく何度も繰り返し反響していた。
 ところが、いまどきの学生たちの覇気の無さといったらどうだろう!ビールを飲んでいる学生などいない。論じ合っている声も聞こえて来ない。まさに飼い慣らされた羊たちが黙々と草を食んでいるという光景しか見られないのである。

 バリでもパリでもなく、日本の学生たち・大学を憂うるターナー老翁か・・・・・・。

 なんでかなぁ、いつもこのぼくの耳に聞こえるのは、ジョニ・ミッチェル!!
 ターナー歩けばジョニに当たる。
 ほいじゃけん、ジョニー・アリディーとはチッ~ト違う、っトヨ。

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 いいなぁ、こういう屋外(自宅の庭)でのブランチ風景^^;。
  こんなシーン・この表情が見られるだけで、この作品が素敵な内容であることがすぐに推察されよう。単純すぎるが真実なのだ。
 いいかい、映画って、幸せメディアなんだよ。
 いいや媒体でなく、至福の世界そのものなのである。
 この世界では、結末はいつもハッピーエンドなんだ。不幸を描くなんて、映画のすることじゃない。ぼくはカタクナにそう思ってる。どれほど深刻な事情が秘められた、殺人事件すら絡んでいるようなシリアスなドラマ展開であったとしても、映画は、いつも純粋で美しく幸福感に満ちていなければならない、そうぼくは思っている。

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 そうそう、この前もこの映画については書いたばかりだ。
 ぼくの今年のお奨め映画ベスト5の一本『キッズ・オールライト』(すでにレンタルDVDがTSU・・・に沢山並んでいる!)を観ていたときも、バッタリと、思いがけなく、ジョニ・ミッチェルと出逢ってしまったわけだ。

 この作品では、ジョニ・ミッチェルの名盤『ブルー』がとりあげられている。
 大好き女優アネット・ベニングがワインに酔ってジョニの歌を熱唱するわけだ。へぇ~っ。


 ターナーの出没するところに必ずジョニあり!!
 欽ちゃん(コント55号)の昔のTV番組なら・・・・・・“なんでそーなるの!?”ダ^^;


 クリスマス直前のこの時期。

 12月になると、ともかく、体調もそんなに良くないこともあって、巷間の映画館に出掛けることなく、クリスマス映画のDVDを集中的に観て過ごすことになる。3回、5回、8回と毎年々の習慣として、同じ作品を繰り返し観てしまう。観ることを楽しみにしている。

 ぼくのブログの読者諸氏は、ずっと長年お付き合いしている、友だちの中でもとりわけのターナー・シンパがゼミの受講生という意識が強かったが、エンヤーコラヤッのドッコイショ、そんな事実は全くなかった。

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 この映画観るのはまったく初めて!と、エリカさんが聞いたら激怒してやまない発言を平気で口にしてしまう人さえ、現在、すぐそばにいるのである。
 天国のH姐さんなら、雲の階段をアレ~~ッ!て叫びながら、ずっこけて落っこちて来そうだなもし(笑)。


 クリスマス映画の名作はゴマンとある。
 20本くらいの特選リストなど、すぐに書ける。

 だが、ぼくはここで、
 『セレンディピティ』、『大停電の夜に』、『イルマーレ』、『ラブ・アクチュアリー』、この四本のタイトルを挙げるにとどめたい。

 ちょうど二年前の今頃、なんだかヒッチャキになって、『セレンディピティ』を除く三作品について集中的に駄文を書いていたものだ。

 ぼくの言わんとしていることは5年前、10年前、30年前だって、おんなじだ。変わりない。いまここで拙論を反復する気などないので、アッチの世界に飛んで欲しい。当時のブログを再読していただきたいと思うのだ^^。

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  いま、あえてつけ加えるとするなら、『セレン~』では、ノーベル文学賞作家ガルシア=マルケスの最高傑作と言われる『コレラの時代の愛』が、どうしてあのミーハーな恋愛劇の『セレン~』であれほど重たく取り上げられているか、その問題を各人考えてもらいたい。

 あの『コレラの時代の愛』の初版本の役割は、ヒッチコック映画における[アマルガム]の概念と同等の価値と思われるからである。

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 はしょって言ってしまえば、『コレラの時代の愛』のあの古本の一冊が、[アマルガム]として機能しているという事実だけで、『セレン~』はぼくにとって特権的な作品として光輝くことになる。ご都合主義もいいところのB級、C級恋愛映画などと侮るわけには決していかない。
(・・・って、わかんねぇよね^^;)
 しかも舞台となるニューヨークのホテルが、プラザでもマリオットでもシェラトンでもなくて、ヒルトン系の最高峰「ウォルドルフ・アストリア」だったではないか。そのホテルは『大停電の夜に』に、ガッツリつながっているのだよ、明智くん。

 長時間要すことだろう。先代の三平師匠のように頭を掻く、スミマセ~ン、奥さん。
 ちょうど二年前の今頃の記事でゴメンナサイ、ざっと目を通してみてくださいな。

 ●http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-bf6c.html

 ●http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-22d9.html#more

 ●http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-0c36.html#more

   しかるのちに、あらためて紹介したい。
 もう一本残している素敵なクリスマス映画が、リチャード・カーティス監督の『ラブ・アクチュアリー』(03年)だ。

  クリスマスの時期のロンドンを舞台にして、19人の男女が様々に織りなす愛のタペストリー=ラブ・ストーリーが「同時進行」で描かれていく極めつけの♥ハート・ウォーミング映画!!(なんだろうか?) なんだかそう、とっても似ている・・・『大停電の夜に』。 こういう形式を“グランド・ホテル映画”という。グレタ・ガルボの昔っからある伝統的な演出技法だ。クリスマスの頃に実にふさわしい。
 豪華キャスト!なことに、いまさらながら驚く。女優では大好きエマ・トンプソンがまず出てくると指摘しておきたい。ヒュー・グラント、コリン・ファース、リーアム・ニーソン、キーラ・ナイトレイ・・・凄い面々がオンパレード。いかにも“グランド・ホテル映画”だ。圧巻のキャスティング。

  ここでの重要なシーンに、またもやジョニ・ミッチェルが現れて来るのである。
  その曲を聴いていただきたい。『青春の光と影』。

●http://www.youtube.com/watch?v=tKQSlH-LLTQ&feature=related     (※エラーを起こしていて、貼り付けがうまく行きません。ゴメン)

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2011年12月 5日 (月)

Spleen de Bali バリの憂愁 5

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   師走の街。施設がある私鉄沿線の小さな町の、駅前の花屋の軒下に何気なく眼をやれば、そこには箱詰めの「デンファレ」の花束があった。
 一束ずつワンコインで買える。
  へぇ、貴重なランの花と思っていたら、意外と安いもんなんだね。

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デンファレ。東南アジアに広く生育するラン科の植物。正式には、デンドロビウム・ファレノプシス。

 デンドロビウムとは、ギリシャ語の「デンドロ(木)」と「ビウム(生ずる)」に由来し、野生のものは樹木に着生する。
   胡蝶蘭(ファレノプシス)系のランの花なので、茎の先端から長い穂状花序を伸ばすのが特徴的だ。

 バリではこの花を湯船に撒き散らして、花風呂にして入る。

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 魂の浄めのおまじないだ。
 おっと、それはホテル側からのゲスト=宿泊客への心ばかりのサービスの一環だけど^^。

 実際、花の香りはほとんどしない。が、この花が湯船一杯に広がって浮いていると、女性でなくともかなりいい気分になってくるものだ^^;。【花の香りなら入浴剤でいくらでも演出できるし、いっそ泡風呂ににしてしまうという手もある。白い泡の中の無数のピンク/赤紫の花びら!綺麗ですぞ。】

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 さて、柄にもなく気分はすでにクリスマス・モードに入っている。
 つーか無理にでも入らせていただきたい。

 “ティキッティージィ!!”、ドラミさんの亜美ママ的美声が響いてくるし、ケチャック・ダンスのラスト、クライマックスの情景が眼に浮かんでくる。

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 そこでは男たちが短剣(クリス)を握り・・・やがて胸に突き当てるのである。

 【ところでクリス松村っていう猿顔オネエ系の芸能人、G出身のお坊ちゃまなんだぜ、知ってた? Wikiで調べてミラ!  by 仲里依紗^^;】

 すべてがクリスマス的赤と緑と白の彩りの連想ゲームなのだ。読みにはご注意あれ。細心のレクチュールで文学・映画映像素をつないでいって欲しい。点と点を結んで線となれ!

 これは、ハンニバル・レクター博士の得意とする一種の知的ゲームである。なんちゃって。

 この前の拙講で、松田聖子と竹内まりやの『特別な恋人』を、あたかも突然を装って、紹介させていただいたが、これも一つのターナー流の「蜘蛛の戦略」であり、“サンヒャン・ドゥダリ”の舞いにひっかけている。
 “サンヒャン・ドゥダリ”、つまり処女のペアで踊られる、死者を弔い厄災を祓う“祈りの舞い”なのだよ、明智くん。

 ターナー先生も人が悪い!とマダム・ナジャに叱られそうだね。しかしながら、これこそが学生時代に豊崎流家元(光一師匠)から学び取ったエクリチュール(書字/書くということ)の戦略芸なのだ。あるいはエコール・ノルマルで講義を聴いていたジャック・デリダの「撒種」の基本的姿勢だ、わっかるかな・わかんねぇだろうなぁ  by  松鶴家千とせ (古っ!!)

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 あ、解答書いトクト、単純な話、
 「聖子」と「まりや」の聖処女二人のコラボ=サンヒャン・ドゥダリの舞いって意味さぁ^^; 
 沖縄のオバアよ、美ら風(ちゅらかじ)よ、わが魂を時を駆けて遠くへ遠くへ、バリの島まで運んでおくれよ~っ。

  ついに執念の大発見!!
 幻の初回プレス限定動画。って、大袈裟かな^^;
 今すぐにクリックして、画面中央の(下の)動画に入れよかし!
 涙が出てきちゃうほどの素敵さだ。 I LOVE 聖子♥
 ●http://musicpvfreedownload.blog64.fc2.com/blog-entry-9659.html
 

  ※ 「撒種」について ; “デリダは「撒種(デシミナシオン)と名付けられたものはエクリチュールの概念だ」と明記している。そしてそこで強調されるのは、今度はエクリチュールの「引用における抜き取りと接木の可能性」である。” ─東浩紀『存在論的、郵便的』第一章より─

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2011年11月30日 (水)

Spleen de Bali バリの憂愁 4

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 バリ島(=ウブドの村)での「あなた」の宿はいつも決まっていた。

 空港からタクシーを北に飛ばして真っ直ぐ宿に入ると、そこを長期的な拠点として、ウブドの村周辺をくまなくジャラン・ジャラン=散策するのが常だった。

 村はずれの宿から中心部に出てゆき、日中は音楽と踊りの稽古を受けて、夜の帷がおりるとあちこちの広場で始まり出す舞踊とガムラン音楽のパフォーマンス鑑賞にいそしんでいた。
 たまに車を借りて島の北東の山岳・丘陵地帯に出掛けては、寺院を経巡っていた。
 その途中には顔見知りのワルン(地元の大衆食堂)の数々があり、伝統工芸店・工房などが点在していた。心落ち着ける小さな祠&ガランとした広場の如き三種類の寺院(ジーンズ)、バリ特有の美しい棚田の風景が数多くあった。
 真っ赤な夕陽を段々状に一枚一枚映し出す、水を湛えた田圃の夕暮れどきの光景は、ことのほか絶景で、「あなた」の眼と心をすっかり魅了していた。

 バリ島には島独自のコスモロジー(宇宙=世界観)が生活に密着して根づいている。
 それに基づいて、島民の「場所=トポス」の意識/意味づけも濃密に明確化されている。
 神聖な方位は「北(より正しくは北西)」であり、浄化されている場所は、天であり山である(正の場所)。上から下へ、善から悪へ、例えば「水」は流れて落ちる。山は神聖な場所(カミの住まいたもう処)であり海は不浄の淀んだ溜まりである(負の場所)。
 山と海とのあいだ、棚田の田圃に暮らすのが人間たちだ。

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 バリ島の住民たちの伝統的な住居を見て、驚くなかれ若人よ。って昔の邦画のタイトルみたいだな^^。
 あまたのバリ島のガイドブックにも詳しいことなので、ことさら繰り返さないでおくが、バリ島の村々の一般的な住居(敷地)を俯瞰して眺めれば、金持ちでも貧乏人の家庭でも、大体が二百坪前後の四角い敷地を有していて(わぉ、広~い!)、中庭をはさんで分棟式の個々の建物の配置には、ある種の法則性があることにすぐに気づくはずだ。

  島の聖なる極(北/北東)のほうに向けて、いやより正確に言えば聖なる山「アグン山」(グヌン・アグン)の方に向かって、近い方から上下の序列的配置が厳密に決められている。
 当然ながら西部地域の村なら、北ではなく東が聖なる方向になる。東というより「アグン山」により近い場所が聖なるトポスの位置となる。

 このことは、すでに名前を挙げて紹介しているコバルビアス『バリ島』で、60年以上も前から図解付きで詳しく説明されている。
 どこの家庭の敷地でも、必ず北東の位置に、低い土塀で仕切られた「家の社(祠)」があるのだ。
 日々の「お供え」は、まずこの先祖の霊を祭った高床式の小堂にむけてなされている。
 そしてその「社(やしろ)」に並ぶようにして、敷地の北の位置には主人夫婦の寝所の棟が建てられている。

 詳しい説明はガイドブックに譲りたい。
 甚だ不親切とは感じつつも、ぼくには説明する余裕などないのだ。ゴメンナサイ。

 もうひとつ、バリ島の藝術文化・宗教・祭礼・日常生活を語る上でとても重要な事柄なのだが、バリ島ではそれぞれの村(desa)あるいはその小区(banjar)に、“三種類の寺院”があるということだ。それらは密接に繋がっており、三つでワンセット(=一組)となっていることだ。

 常に、バリ島では「三つ」で「一つの世界」の概念が支配している。

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 これも詳しい説明は抜きで、三種類の寺院とは・・・・・・

 村の先祖を祀る寺院、これをプーラ・プセ(pura puseh)という。
 共同体の繁栄を司る寺院、これをプーラ・デサ(pura desa)という。

 そして、もう一つは、死の寺院と一般には訳されているプーラ・ダレム(pura dalem)。露天の寺院とも呼ばれている。あるいはインドネシア言語学的には、《深層の寺院》と言うべきなのか。
 
 プーラ・プセとプーラ・デサは、一般住居の配置図同様に、村(小区)のくくりで一番「アグン山」に近い場所にある。しかし、プーラ・ダレムは南の端だ。「アグン山」から最も遠い処にひっそり閑散として囲われている。異様なまでに不気味に人ざれて静まりかえった場所に。。。

 ぼくが講義してみたいのは、ここで踊られるバリ伝統文化・バリヒンドゥ宗教・神話学を表象する舞踊のことであり、ここで奏でられるガムラン音楽であり、ケチャの合唱のことである。

 「あなた」のバリ探訪の目的も、ここの一点に集中していたと想像できる。

  ・・・と、ここで突然、竹内まりや/松田聖子(10年ぶりの「紅白」出場、おめでとう!)の話を。
 熱烈まりや様ファンのオジサン軍団に、年末のハッピーすぎる朗報!

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 竹内まりやプロデュース : 
 公式予告以来、ずっとずっと待ってました!!
  11月28日、ついに発売。
 松田聖子の新曲『特別な恋人』、『声だけ聞かせて』。
 作詞・作曲は竹内まりや。

 ご想像・ご期待通り、とっても素敵な曲です。
 『特別な恋人』、間違いなく、聖子チャンの代表曲になるでしょう。
 もちろん『声だけ聞かせて』も、捨てがたい。このコード進行とテンポは個人的にとても好きだ。

 Youtube動画を是非とものっけてやろうと思ったら,即刻削除されちまったぜ。
 ぼくは、公けには書けないないが(・・って、書いてんじゃん^^)、事前にネットでファイルでもらっていて、もう百っぺん以上聴いて感涙にむせんでおりました。とりわけ、歌詞がいいんだもんね^^。

 ターナー塾の皆さんは、きちんと正規版CDを購入するように!!

 「紅白」では、間違いなくこれを歌うから、しっかりと歌詞の内容を確認しておいて欲しい。【まっ、ターナー先生ったら、いつの間にか聖子チャンのファンになってしまったようで(笑)】

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   青春をふり返るたび   
   恋した季節がなつかしい      
   今もまだ情熱のかけら   
   私の中に残ってる
   
   あの日 
   あなたを知るまでは   
   ずっとひとりのつもりだった
   忘れかけてたときめきを   
   また感じてるわ

   年を重ねて めぐりあえた
   あなたは   
   本物の優しさ持っていた
   大人じゃなくちゃたどり着く
   ことのない
   そんなすてきな恋のかたち

     (・・・中略の「二番」が、素晴らしい!)


    新しい愛の歌 歌える時が来た

    Baby,let me be your love.
    Let me sing brand new love song for you.
    Let me live my life to share
    this special love with you.

    長い月日を 駆け抜けたそのあとに
    待っていた本当の安らぎ

     La La La La~
     La La La La~

     夢見続けた 大人だけが出会える
     そんな特別な恋人に そんな特別な恋人に

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2011年11月21日 (月)

Spleen de Bali バリの憂愁 3

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  雨のホテル夜話

 ある夜のテレビ番組の話から始めてみたい。

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 番組のタイトルは『ホテル・ノスタルジア』。

 金曜日の夜、22時から始まる30分間のこの番組(再放送なのか?)をぼくはまったく偶然に眼にした。

 直前までひどく汚い作業を黙々と続けていて、すっかり疲れ果て、夏でもないのに額から大汗を垂らしながらリビングに戻りテレビのチャンネルを何気に変えたとき、たまたまその番組が始まっていたのだった。

 施設に新しい住人(one of ローバーズ)が入って来て夜勤の形態が一変した。彼女は夜中になっても少しも寝ようとはしない。ひたすら出口を探して徘徊を続ける。深夜、孤独に絶叫する。夫を想い、子どもを哀惜する。彼女の頭の中では暴漢に撲殺されてしまったまだ幼い愛娘を。
 
 ガンジスの畔りをさすらう、乞食女の悲しいあの叫びのように。
 『インディア・ソング』。。。

 彼女の夜の行動の実態が、まだそのときはさっぱり判らず、こわごわと様子をうかがうようにして介護をしていた晩のこと。
 ぼくらはテーブルに並んで座り、TV画面を観始めた。

 赤坂育ちの、気風のいい粋な芸伎さんのような彼女には初めから好感を抱いていた。
 時期的に「お酉様」の頃。こうした江戸伝来の祭りの話は、ぼくの最も得意とするところだ。
 さっそく「氷川神社」そばで幼少の楽しい時代を過ごしたその老婆と、むこう山の上の「山王さま」(日枝神社)の祭りの話で盛り上がった。氷川町の坂の反対むこうには「乃木神社」がある。乃木大将は学習院の院長だった人だから、(ぼくはことさら乃木情報にプロ的に詳しいし^^;)余計に話がはずんだ。

  そういや辻さんだって、子どもの頃は同じ赤坂・氷川町に住んでいた人だ。赤坂小学校に通っていた。もしかすると二人は同じ町内会で、小学校では先輩後輩の仲だったかも知れない。彼女はクラスで一番頭が良かったと言っていたし、今でもプリティ=可愛い女性でもあるし、級長だった辻さんは学年の人気者だったはずだし、その意味でも二人が知り合いだった可能性は大ありだ。

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 その夜のぼくらは、ほかのローバーズが寝静まった頃、沈黙を続けながら「山の上ホテル」篇の画面をぼんやりと眺めていた。。。

 

 この番組は、ネット情報によれば、日本各地に現存する貴重な近代遺産「クラシックホテル」を週替わりで紹介していくという内容だ。

 ホテルの由来が伝わる品々や、今に語り継がれるエピソード、ホテル周辺の美しい景色や情景を織り交ぜながら、あたかもそこへ一泊旅行をしたかのような感覚を与えてくれる、というふれこみの番組である。


 “静かな映像でつづられたその一泊は、昭和、大正、明治へのタイムスリップ。
    また、ホテルに眠る意外な日本の歴史を知る。
   ホテルに導かれ、旅をする一人のフォトグラファーの視点から、観る人をまるで本当にホテルに滞在しているかのような感覚へと誘う、新発想のホテルストーリー”  だと解説されている。

    企画構成は、あの小山薫堂。ホテル話の第一人者^^;ダッショー!??

  この番組で紹介されているクラシックなホテルとは・・・・・・(以下、ネット情報をそのまま手を抜いて、コピペ^^)

 赤倉観光ホテル(新潟)
  日本初のスキーリゾートとして誕生、日本人の冬のレジャーをリードしてきた赤倉観光ホテル。ホテルには冬を楽しむ家族の記憶が刻まれている。

 札幌グランドホテル(北海道)
  北の迎賓館として作られ、国際料理という名のもとに地元の食材を活かして歴史を重ねてきた。今アイヌ文化に着目した新しい料理が誕生。

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 長楽館(京都)
  京都市東山区は、明治時代に建てられた洋風建築が多数現存している。そんな邸宅の一つ、日本の「たばこ王」が建てた“長楽館”。

 小田急山のホテル(箱根)
  箱根の芦の湖畔に岩崎男爵がスイスをイメージして建てた別荘を譲り受けオープンしたホテル。優美な富士山を背景に語られるホテルの運命は?

 柳川御花(福岡)
  江戸時代の藩主、立花家の殿様屋敷に建つホテル。西洋風の正面玄関と日本の職人技術が生きている和の内装。柳川御花の今と昔を伝える。

 イタリア軒(新潟)
 明治初期、北のベネツィアと呼ばれた新潟にイタリア人が開いたレストランが後にホテルとなる。昔を記憶するソースが教えてくれる。

 帝国ホテル(東京)
 日本の首都の迎賓館として、世界中からのゲストを迎えることを使命として創業。百獣の王“ライオン”が最高のもてなしを語る。

 川奈ホテル(静岡)
 日本のホテル王、大倉喜七郎男爵の思いが込められたホテル。英国の田園文化を知る男爵が、文化を育む場所として今も”本物”のたたずまいを残している。

Photo_2   舞子ホテル(兵庫)
 大正から昭和時代の海運王が開業した舞子ホテル。館内に飾られるフクロウが、海運業と創業者の栄枯盛衰を語ります。

 十和田ホテル(青森)
 「幻のオリンピック」のための建てられた和室のホテル。十和田湖の自然の中に佇む一見洋風、客室は和風のホテルの魅力、謎とは?

 ホテルオークラ東京(東京)
 昭和38年開業のホテルオークラは日本の伝統文化を伝えながら常に新しい発想で客をもてなしてきた。イチョウに秘めた思いとは?

 蒲郡プリンスホテル(愛知)
 温暖な気候、風光明媚な土地柄の蒲郡に建てられた蒲郡プリンスホテル。その外観にはホテル誕生にまつわる秘密があった・・・。

 宝塚ホテル(兵庫)
 大正モダンの雰囲気を感じさせる宝塚ホテル。華やかな空間とは裏腹に庶民的なホテルとして親しまれるのにはある理由があった!

 富士屋ホテル(神奈川)
 湯治場として名高い箱根に誕生した冨士屋ホテル。和洋折衷の名建築と「富士」を売りにしたジャポニズムに創業者の心を読み解く。

 上高地帝国ホテル(長野)
 日本初の本格的山岳リゾート。標高1500mで帝国ホテル至高のフレンチ。その秘密は、ミネラルいっぱいの水にあった?

 奈良ホテル(奈良)
 創業96年の西の迎賓館。戦災で消失した歴史の鍵は石炭がにぎっていた。庭園と五重の塔をながめながらの朝の茶粥がたまらない!

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 軽井沢万平ホテル(長野)
 外国人向けのホテルとして始まった軽井沢万平ホテル。今年で創業111年。ホテルという舞台をホテルマンが“演出”する。

 山の上ホテル(東京)
 山の上ホテルが文豪に愛された影にはオーナーの発想力があった。天ぷら美味の秘密、また、館内の空気にはある仕掛けが・・・

 沖縄第一ホテル(沖縄)
圧巻は琉球士族料理の朝食。オーナーの島袋さんが那覇の中心で薬草を育て伝統の工芸を集め、沖縄の心、ほんものの沖縄を伝える。

 雲仙観光ホテル(長崎)
 風光明媚な日本で最初の国立公園に建てられた雲仙観光ホテル。そこには、創業者の「究極のホテル」への理想像が隠されていた!

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 ホテルニューグランド(神奈川)
 港町ヨコハマの象徴として今も愛されているホテルは、昭和史の生き証人。食通たちを魅了した極上料理を生んだ、伝説のシェフを探せ!

 日光金谷ホテル(栃木)
 一人のカメラマンが日本各地のクラッシックホテルへ誘う時間紀行。
 「日光金谷ホテル」有名人・外国人が愛した風格ある客室、伝統のディナー、またホテル創設の歴史を旅する。

 ・・・・・・なんと、ため息が出てきそうな日本の名ホテルの数々。

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 小山薫堂の稀有な才能を素直に認められないへそ曲りのわたくしターナーではあるが^^、さすがにホテル話では彼の足元にも及ばないと思っている。脱帽する。
 つまりなんだね、実際に足で歩いて泊まっている・そのホテルに惚れているという強み、これが決め手になっている。

  軽井沢の「万平ホテル」などは、文学愛好者なら一度は泊まらずともそのロビーまでは、あるいはカフェテリアまでは、訪ねて行っていることだろう。
 このブログでお分かりの通り、ぼくなどは軽井沢文学者・文学部教授たちに深く薫陶を受けているから、芥川龍之介、堀辰雄、室生犀星、立原道造、福永武彦らの面影を偲ぶようにして、あのホテルには何度も出掛けた(・・・って書いても、泊まっちゃいない^^。)
 笑い話を思い出した。
 ある飲み会で同席したうら若き韓国女性を送って彼女の部屋の前まで行ったとき、彼女は「トマンナヨー」と小さく囁いた。やったぁ!と、ドアを押し開けて中に入ろうとすると、彼女は思いっきり絶叫しながら、追い出そうと殴りかかってきたのだった。 いったい何故!? ^^;。ハングルはこうした事件があると飛躍的に上達するのである。 

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 来日したジョン・レノンの夏の軽井沢での常宿が、あの「万平ホテル」だったことは有名だ。

 番組ではアルプス館側の128号室にキャメラが入り、まず最初に木枠の窓を開けて、海抜940余mの軽井沢の清涼な空気を部屋に存分に取り込んでいた。晩秋(暦では初冬だけど・・・)の今だと、ちょっと寒いわねぇ^^。

 ジョン・レノンの愛した「万平ホテル」の一室。
 とてもクラシックなインテリアだが古色蒼然という感じではない。趣きが違ってる。木のぬくもりが静かにのこっている。

 番組では、宿帳に残る「室生犀星」「堀辰雄」らの署名も、さり気なく紹介していた。味わい深いカットだった。これは良かったね。

 くだんの老婆は、ひどく重たい認知症の方ではあるが、決して狂女ではない。
 「万平ホテル」のカフェテラスの前の中庭に咲く、ピンクの小さい花を見逃さず、こう呟いて微笑んだ。

 “あ、綺麗だわねぇ、可愛いわ・・・なでしこの花・・・・・・”

 あれが撫子の花なのか。なでしこジャパンのナデシコ!! 
 とはいえぼくはその花がどういった植物なのか、恥ずかしながらそのときまで現物を見たことがなかったのである。

 

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2011年11月11日 (金)

Spleen de Bali バリの憂愁 2

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      3   藝術家の告白誦

 秋の日の、昼の光の消え去ろうとする黄昏時は
何と心に沁みることだろう。ああ、苦痛なまでに
沁み渡ることだろう! 思うに、茫洋とした中にも
身を切る鋭さを秘めた、或る種の甘美な感覚と
いうものがある。そして「無限」の切先ほどに研ぎ
すまされた切先は他にはない。
 限りない空に、また限りない海に、遠く視線を
さまよわせる者の感じる、あの至上の幸福! 
孤独、静寂、較べるものもない純潔な蒼空!
(・・・・・・)

    22  夕べの薄明

 陽が落ちる。大いなる安らぎが、一日の労働に
疲れ果てた哀れな魂の中に宿る。そして彼等の
想いは、今や、薄明のおだやかな、朧げな色彩
に色づけられる。
 その時、山の頂きから、夕べの透明な雲間を
洩れて、僕の家の寝台にまで伝わって来る大き
な呻き声、──調子の外れた叫び声の幾千の群
から成り、それを涯ない空間が、あたかも満ちて
来る潮の、吹き初めた風のそれのように、一つの
愴悽なハルモニアにつくりかえてしまった。 
(・・・・・・)

        シャルル・ボオドレエル『パリの憂愁』

(定本は、福永武彦訳『ボードレール全集』(人文書院))

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    「あなた」がバリに魅せられたのは、ガムラン音楽やサンヒャン・ドゥダリの舞いに惹かれたというよりは、一枚の(あるいは複数枚数の)ある画家の絵との直接的な出逢いがきっかけになっていたと、いま、ぼくは想う。

 その出逢いは、学生時代に文化人類学的興味から初めてバリ島に旅行に出掛けたときではなかった。
 その次に、大手建設会社の社長秘書を惜しまれて辞めてクラブの歌姫に転職した頃の─バリ再訪を果たしたときの─ウブド村でのことだった。


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 ピアノの弾きがたりを終え、ひとときの心地よい喧騒が潮のように静かに引いた赤坂のクラブの一隅で、「あなた」は長い髪を少し右に傾けてちょっと微笑んでから、ワイングラスの縁をゆっくりと指でさすりながら語り出した。


 ─ 今度また、バリに行くの。 ながい休みをいただいて。
 バリって言っても、ウブドね。あの村からほとんど離れないわ。
 踊りと音楽の師匠をこの前のとき見つけたの。本格的にやってみる。
 東京でも密かに勉強してるし。なかなかセンスあると思うよ、自分でも。

 前に行ったとき、ヴァルター・シュピースの絵を初めて生で何枚かみたの。

 素晴らしかったわ。

 アンリ・ルソーに雰囲気が似てる。ルソー、好きよ。でもシュピースのは全然違う。
 なんて言ったらいいかなぁ、ルソーのはあくまで都会の夢の中にぼんやりといて、シュピースのは現地のベッドの中で悪夢にうなされているみたいな、そんな生々しい力がタブローから漂って来るのよね。

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 ウブドの森を歩いているとね、大気の下のほうが樹木から染み出したグリーンでじっとり染められているようで、植物性の甘い香りで息する胸が苦しいほどなの。

 田園の緑もとっても濃いの。ただの田んぼ、されどバリの田んぼはちょっと違うわ。
 鮮やかな小さな花々で畦道が飾られているの。村の農道だってそう。
 赤い花が咲きみだれてる。
 深いグリーンと水のブルーの下地に赤い花が点描されている風景画、それがウブドね。

 雨季が近づくと一斉に咲くホウオウソウ。コンロンカ(美しい島)やイクソラ(アショカ王)はピンク系の花弁。すこし派手めの紅色のハナショウガ、それと「千の華」の意味のケンバンセリブ。別名「王様の槍」。円錐(槍の穂先)形に真っ赤な小さい花がたくさんつくの。

 はやくウブドのあの田舎道を歩きたい。
 みんなサンダル履きなのよ。大地のやわらかな感触がサンダル越しに足裏に伝わってくる。気持ちがいいのよ。

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 その夜、ずっとバリの話を語り続けていた「あなた」。
 幸せそうな美しい笑顔だった。まるでドゥダリのようだ、と、ある女性がぼくのブログのコメント欄に書いてくれた。まさにおっしゃる通り。

 「あなた」はぼくのドゥダリだった。

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 それなのに! それからしばらく後で、彼女の顔をまじまじと見つめたのは、築地の病室だった。

 すっかりやつれ果てたドゥダリが、そこに力なく横たわっていた。。。

 

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2011年11月 7日 (月)

Spleen de Bali バリの憂愁 1

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 これからの読書行為上の留意点 ;   以下の文章を読むにあたって、ぼくの思考の色彩がエイジアン・ブルー/グリーンに塗り込められていることを、事前にしっかりとご確認いただきたいと思う。

 ぼくの描くタブロー(絵)/文章は、この青/緑で常に支配されている。
 あとは、暖色系ではかなり鮮やかな橙色が加わるか?な。いつもそんな感じだ。もちろん、黒に限りなく近い紺色というのも書き落とせない。それに白か。
 青と黒の色彩原理主義者のぼくであれ、実際は、黒はほとんど用いない。黒と近似値の度合いの青なのである。深い深い漆黒に限りなく近い紺青。。。

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 アジア的!と呼びたい青と緑の配色、それは泰西絵画のタブローには決して見られないもの=反地中海的彩度であり、その青/緑の見事な彩りが堪能できるのは、若干の・・・と言っていいのか、わずか数本の、映画作品があるにすぎない。
 ひとつに、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(79年)と、その20年後に撮られたトラン・アン・ユンの『夏至』(00年)、この二本の作品が真っ先に想起されるだろう。

 “サイゴン・・・メルド(糞ったれ)!” とコッポラの『地獄の黙示録』の冒頭で、マーティン・シーンは汚いホテルのベッドに仰向けに寝そべって、低くガサツに呟く。オリジナル英語版なら、“シット!”だったか。。。
 あれは70年代最後の、映像の悪夢だった。ベトナム。。。けれどあれはベトナム戦争の映画なんかじゃない。戦争映画ですらなかった。
 イタリア人ヴィットリオ・ストラーノの撮影映像のなんとも素晴らしかったこと!!
 (戦場を舞台にした映画であれほど美しかった作品では、ほかにテレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』をおいてほかにはない。撮影監督(キャメラ)はジョン・トール。)

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  同じくベトナム。サイゴンでなくハイチを舞台とした『夏至』のキャメラは、台湾人リー・ピンビン(李 屏賓/英名マーク・リー)だった。

 ベトナムの日常生活の中の、審美的とは反対にむしろ汚らしいと見えるほどの古く汚れ剥がれた壁の青さが、あれほど感動的にしっとりと甘く美しく見えた画面は、ほかのどの映画作品にもないだろう。強いて挙げれば、同じこのマーク・リーがキャメラを廻している香港映画(『花様年華』)とか中国映画(『春の惑い』)、台湾映画(日本が舞台の『珈琲時光』)、あるいは日本映画(台湾が舞台の『トロッコ』)といった限られた作品しかない。

 とりわけ見事なのは『夏至』の映像であり、その話は認知症高齢者の日々の繰り言のように、このブログで何度も繰り返し書いているから、相当にうんざりされているはずだ。分かります判ります解かります。ゴメンナサイ^^;。

 そうは言っても、これが一本の映画作品なら、撮影監督はマーク・リーに任せてみたい気がしている。

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 映画はまず、早朝の情景、深い緑の森の中のホテル(コテージ)の一室、「あなた」の目覚めのシーンから始まる。


 それは1998年の11月。雨季に入って間もないバリ島でのことだった。

 今書き出したこの文章が映像作品として完成されるとするならば、その作品の「時制」は、かなり複雑な構造をなすものであり、
 1982,3年の時代、90年前後、98年、そして彼女の死の2年前、さらには語り手であるぼくのいる現在、と五つに分かれるはずだ。それらの時間/時制がモザイク状にあるいはジグソーパズルが少しずつ嵌め込まれていくように、バラバラに交錯しながら重なりあって描かれていくことだろう。

 “(「あなた」の)失われた時を求めて ─バリ島版─” といった具合に。。。

 バリといっても海バリでなく山バリ。ビーチリゾートにはまったく縁のない山バリの風景が画面に見えてくる。

 ある晴れた日の朝。ウブド村の北の森。
 それぞれが独立したコテージ風のホテルの一室。各コテージには専用のプールが付いている。
 いかにもバリ島的!な竹と木とのインテリア。部屋の中央には天蓋付きの大きなベッド。

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 薄物を一枚まとっただけの女性が、爪先立ってベッドから降りて、裸足のままゆっくりと窓辺に近寄っていく。

 アユン渓谷の底のほうを注意深く見下ろす。
 ある高貴な客人が訪れてくることに胸高鳴らせて。

 コテージを包み込む深く鬱蒼としたバナナと椰子の森から、ホーッ!ホーッ!と間歇的に響き渡る猿たちの叫び声。
 辺りの森の鳥たちの愛情溢れる囀りに混じって、崖下の水辺からは蛙たちの鳴き声が、遠く低く、継続的なリズムを刻んで聞こえてくる。

 ・・・あ、来た!
 クプクプバロン!!

 「あなた」は小さくつぶやく。
  

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 朝霧の中、“一頭”の蝶が谷底からの上昇気流に乗って姿を見せる。
 派手な模様の茶色い羽をした、一見蛾のように見える大きな蝶が、ひらひらと中空を舞うように飛んで来る。

 大きい! その羽の長さは20cmを楽に超えるだろう。

 バリ島でも、ここウブドの森一帯にしか生息していない、世界的にも非常に珍しい大型種の蝶、白昼ではめったに見られない蝶・クプクプバロン。
 鮮やかな緑がまだ白く靄ったままの朝ぼらけか、ワインレッドに翳りゆく夕暮れどきにしか、その姿を拝むことができない幻の蝶なのだ。


 早起きした甲斐があったわと、満足げに「あなた」は微笑む。 
 明け方の霧の空を飛翔する、バリ語では“大きな=バロンクプクプ=蝶”。いかにも“男爵”然としたその華麗なる空中舞踏ぶり。その舞い姿のなんと優美なことよ、風格があって実に見事なことよ!


 「あなた」は、ウブドの緑に染まった大気をゆっくりと深呼吸する。
 ウブドの青と緑の世界に浸りきっているという実感が胸に込み上げてくる。

 わたしの島、バリ。
 わたしの森と田園/棚田地帯、ウブド。。。

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2011年11月 2日 (水)

パリじゃなくて、バリね! その3

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 沢山のお悔やみの、いや違った^^;、労わり・励まし・叱責がこめられたお言葉、大変に有難うございます。おっしゃる通りで、ごもっともであります。


 さてこれから、みたび「バリ島」の話を続けるにあたって・・・・・・

 その前に忘れてならないのは・・・・・・先日亡くなられた、辻先生の無二の大親友、北杜夫さんに謹んで哀悼の意を表したいと思う。

 北さん、すっかりお忘れでしょうが、いつぞやは大変お世話になりました。

20111029141445394  どうか安らかにおやすみください。

 マンボウ先生とは、パリの辻先生のご自宅で、一度だけお会いしたことがある。
 そのときの御体調(=御機嫌)がすこぶる思わしくなかったために、明るい会話が全く交わせなかった。それがずっと残念でならなかった。・・・あの病気の恐いところだ。


 御本では、何度も辻さんと、あれほど楽しそうに対談なさっている北さんなのに。。。
 ぼくをあいだに挟んでの、陽気で愉しい文学・芸術鼎談は果たし得なかったが、苦い思い出も今となれば貴重なものである。口惜しいけど妙に懐かしく思われる。やっぱり、どんな状態であれ、ご本人ライヴ!の直接的談話が一番!だ。
 あとは・・・酒飲んで、ぼくの場合は、カラオケでハングル原語での「韓流歌謡」かなぁ。これを聴いて、ぼくの実力を判断してね!、なんちゃって(爆)。

 マンボウ先生のご冥福をお祈り申しあげます・・・・・・合掌。


 
そういえば、このブログへのアクセス数が先日15万を突破した。
 mixi時代は2年間で8千とか1万にとどまっていたので、この内容で・しかも非常に閉鎖的な雰囲気なのに、「15万アクセス」とは実に有難い数字だ。感謝している。
 もっともっとオッパーピーな身近な話題で日に日に更新できていれば、30万、50万、いやそれ以上だって楽勝なのだろう。
 しかし正直言って、ぼくとしては一回の講義あたり15~20
名の読者で充分だと思っている。このくらいの人数が静かにフムフムと聴いてくださっていると想定して書いているつもりだ。もっともっと文章の精度を高めようと、高血圧ながら、思っている^^;。

 皆様、今後とも御支援のほど、宜しくお願い申しあげます。

 もう一つある。
 この春、学生稼業を無事終えた上の息子がデザインを手がけたiPhoneのアプリ(有料)が、現在、某ジャンルでの人気&ヒット・ランキング第一位を独走中なのだ。

 これはこの秋の一大椿事である。親バカ的に単純に嬉しい。
 10月初旬のアプリ発売後、しばらく何百位だったのか水中深く(真っ暗な深海)に居て、先週末に突然ひと桁台にランクアップした。さらに一気にトップとなり、以来毎日、首位をキープしている。なんと、人気とヒットの2つのランキングで二冠なのだから驚いてしまう。

  ・・・こういう奴こそ、ラグビー日本代表を目指すべきじゃないか、とぼくは真面目に思ってしまうのだ。
 ラガーマン 、ロック・ギタリスト &  ITデザイナー。
 

 しかし息子はブルーのジャージィを着る気などサラサラなかった・・・フランスに行け! 帰化してフランス代表を目指すんだ、ジョー!!
(なんて、丹下健三ならぬ丹下段平の心境だ。馬鹿だねぇ。・・・ところで、君は映画版『あしたのジョー』を観たか!? 力石役の伊勢谷友介が好演してる! あいつ、カッコいいぞ、ナンチャッテ^^)
  

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