・・・・・・かくして、お得意のパリではなくて、バリ色に染まりつづけたこの麦秋(初夏)から今日・大晦日までの特異な一年が終わりを告げる。
いな、告げねばならない。告げねば来年が正しく来そうにない(笑)。
最終回の今回は、バリ伝統舞踊の話から急転直下の離れワザで、極私的バリ(文化)論を一気に絞め殺す^^;いやいや締め括る。。。つもりだ。
この最終章に至ってはじめて、《Spleen/憂愁》というタイトルの隠された意味が判るだろう。いやはやぼくも、実に回りくどい手を使いながら、「あなた」のイメージを言語的に映像化してきたものである。
この一連の文章が、塔晶夫〔あるときは碧川潭(みどりかわふかし)〕の『虚無への供物』をリスペクトして書かれていたことを、ここで初めて暴露しておこうか(笑)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サンヒャン・ドゥダリは最も効果的な悪魔祓いの一つである・・・と既出のコヴァルビアスは『バリ島』(邦訳・91年 平凡社)で述べている。
こんな説明も加えている。
“共同体が悪魔や悪霊によって引き起こされた危険に脅かされた時、神々と人間との間の保護、非保護の関係を確立する手段として、呪的に穢された共同体の穢れを祓い、善と悪との呪的なバランスを回復させるためにサンヒャンは踊られる。・・・・・・”
サンヒャン・ドゥダリ・・・・・・神=天女が踊り子に憑依する、あるいは踊り子が入神状態になって倒れるまで踊る、バリ特有の宗教舞踊・・・それがこのサンヒャン・ドゥダリである。
これは観光客のための娯楽的/演劇的/芸能ダンスではない。それはみんな分かっている。
にもかかわらず、西洋文化の邪悪な眼を持つ観光客たち(そこにはぼくたち日本人/東アジア=韓国・中国・台湾からの旅行客たちを含めて)は、この偽装のトランス・ダンスこそがバリ伝統舞踊の本性と信じて疑わず、二人の美しき乙女たちが戯れに入神していく=逝くその瞬間を、ショーパブの客になったつもりで、固唾を飲んで眺めているのである。
ああ、なんてこったい。
しかしながら、あのときは・・・・・・
ぼくは初めて目の当たりにする、この宗教的色彩が濃厚な、禊と祓いの意味での、
ドゥルーズ哲学でいう「生成変化」する、この舞踊(神聖=真性トランス・ダンス)に
骨の髄から、すっかり身体的に、魅せられていた。
理性的な言の葉なぞ、一切どこかに失ってしまっていたのである。
あの夏、ウブドという小村の、
穏やかで蒼い宵闇と、丁子のつんとした独特の甘い香りの中で。。。
デンパサールからウブドに入っていく道筋は、まだ現在のようにきちんと整備されてはおらず、空港近くの都市部でわずかに開業している店でいかにも中古の薄汚れたレンタカーを借りて、緑濃い椰子とバナナのジャングルの中の細いデコボコ道を、もうもうと土煙をあげながらランドクルーザーを走らせるしか手はなかった。
プロのレーシング・ドライバーと同等の腕を持つ(A級ライセンスの)「あなた」は、オードリー・ヘップバーンみたいな黒いサングラスを掛けてにこやかに微笑み、田圃の畦道としか見えない、車一台分の幅しかない田舎道をかなりのスピードで車を運転していた。
三毛作の田植えなのか、腰をかがめて作業している人々が驚いた様子で立ち上がる姿がバックミラーに映っている。ぼくはシートベルトもせずに助手席に座って、島特産の丁子煙草─「グダンガラム」か「サンポルナ」だったかは忘れたが、葉巻のような甘いふくよかな香りがした─をくわえながら、彼らが農作業する点景のタブローを鏡越しに眺めていた。
1984年の、雨季に入るにはまだ早いバリ島の、夏八月・・・遠い遠い記憶だ。
「あなた」はすでに数年前からぼくなど足元にも及ばぬほどこのバリの伝統舞踊に深く深く魅了されていて、ぼくがフランスに留学している間には、ウブドの村で踊りの師匠から直接的に手ほどきを受けていたくらいだった(ウブドに長期滞在して本格的にバリ舞踊を稽古していくのはさらに5,6年後になる)。
それはバリが本格的に国際観光化していく、ちょうどプロローグの時期にあたる。
バリ島の人々の暮らしの隅々に神々への敬意と愛と祈りがこもっていた。
神々への捧げものこそが、彼らの幸福度・生活満足度指数を示していた。
いまのブータン以上に、バリの人々は幸せに満ち足りた日々を送っていたはずだ。
サンヒャン・ドゥダリは、観光化された現在のステージで見られるような踊りではなかった。
純粋に宗教舞踊であり、かつてこの島の村々が疫病や災害で苦しめられたとき、その厄災を祓い清めるために踊られたものである。
踊り手は厳密に厳粛に村の司祭によって選ばれていた。二人の少女。彼女たちは神々と交感できる能力を持つ、特別の資質・感性のある、初潮前の女の子に限られていた。
この舞踊─宗教儀式─は大人の女たちの祈りの言葉に静かに重なる(交合する)ようにして男性合唱の“祈り=呻き=歌声”で始まっていく。
甘く柔らかく、ゆったりと漂うような香の舞いだ。
ぼくたちは、そのエロティックな匂いが、あの煙草と同じものであることに、そのとき気がつくのだ。
そうか・・・あの丁子のほのかな香りは、汗ばんだ農作業する男たちの体臭でも戦(いくさ)で傷ついた血の匂いとも違った、純なる乙女の肌の匂いだったのだ。穢れなき少女たちの、やがてすぐ初めて神と通じることになる巫女たちの、その褐色の肌を浄める甘美な香りであると共に・・・神々をおのれの身裡(みうち)に誘い込む一種の媚薬の働きをしているかのようだ。
さらに香りは濃厚に・・・濃密に・・・他の香木の薫香と共に混ざり合う。
香りは何枚かの半透明の絹のベール、あるいは何層かの波のうねりとなって、ぼくら観客の身体をすっかり包み込んでしまう。
ひらひらと踊るよう揺れる香りのベールは戸外ステージの大気にはためき、地の熱気の中ほのかに吹く風に向きを変えて、あるいは少女たちが手にする扇に煽られながら、ぼくたちの鼻腔を優しく擽(くすぐ)って流れていく。
やがて少女の身体に神が降りてくる。神はその身体をかりて踊りの強度を高めていく。風にたゆたう木々となり、動物たちの動きを模したりする。大地の生命の気が渦巻いてくる。同時に、むせかえるような香りが高まっていく。
これはバリの地に生きとし生ける「生きもの(人・動植物)・精霊・神」の禊ぎと祓いと祈りの舞いなのである。
祈りと感謝、捧げものの代償行為であると同時に、新しい生・性・命をはじめる生成変化
の序の舞なのである。
けれども上村松園の描いた(お能の舞事のひとつ・始め=序の)『序の舞』とは、象徴する意味が違う。スタイルが違う。文化が違う。コンテクストが全く異なっている。
目線の配り方、足の払い、手指の動きの一つ一つが、「自然」を、「神」に憑かれた「いのち」を表わしているのだから。
しかしながら、踊り手は男ではない。
衣装・からだつきは違っても、踊り手はまぎれもなく「乙女」なのだ。
同じ乙女の序の舞であることに、ぼくらはどう目線を合わせていけばよいのか? いかに解釈の智恵を向ければよいのだろうか?
二人の少女は、ついにはトランス(ある意味では性的エクスタシー)の頂点に達する。
このブログで何度か書いている(仏人作家の言葉として)、宗教的恍惚=小さな死の体験が訪れる。その瞬間、夢の中を彷徨うように踊り続けていた少女たちは、瞼を閉じて静かに“逝く”。ステージ上で、二人は崩れて落ちてしまうのである。
こうしてサンヒャン・ドゥダリの踊りは終わるのだ。。。
説明が足りていないと思う。
このままだと誤解されてしまうだろう。
「あなた」は、サンヒャン・ドゥダリの舞を習うべくバリに行ったんじゃない。
あの舞の習得が目的でバリ舞踊を現地稽古してたんじゃないさ。当然のことだ。
あれは乙女の「序の舞」であり、習うべきスタイルを有してはいない。生成変化のさまを表現=模倣するだけのダンスだ。しかも入神の祭礼儀式の役割を担っている踊りなのだから。
土着の信仰=宗教舞踊はその土地に生きる者しか踊りえないものだ。しかもサンヒャンの踊り手は処女であらねばならない。踊れない。憑依性、処女性、土着性、これらの壁は日本人女性には、そう簡単に乗り越えられるものではない。
「あなた」はすべてを理解していてなお、人が神に憑かれてしまうというトランス・ダンスの魔力・神秘の正体が知りたかったのだ。ダンスがもたらす性的エクスタシー。入神=法悦=恍惚感! その死にまで至る快感に宗教的意味が果たしてあるのか??
ジョルジュ・バタイユの熱心な読者だった若き日の「あなた」は、西の基督教の礼拝堂内でなく東のこのバリ・ヒンドゥー教の「死の寺院(プラ・ダラム)」の寂れた広場で、《聖女テレジアの法悦》(by ベルリー二)と同じような愉悦を伝統舞踊の演舞中に自らの肉体を通して体感/恍惚化してみたいと切望したのだと、いま《年老いた肉体を無残にも醜く晒しただけの》ぼくは静かに想ったりする。
もう一つ理由があった。
神の憑代(よりしろ)はほかにも、なんと「あなた」の最も身近に存在していたのだ。
親友のH女史である。生きとし生ける純粋触媒=巫女!!
彼女は、ケチュア語で「老いたる峰」を意味する「マチュピチュ」のインカ遺跡にまで修行の旅で出掛けて来た女性である。もちろんヤマト伝来の本格日本神道にのっとって巫女活動を続けていた人だったわけだが、確かにH女史には人智を超えた憑依能力が生まれつき備わっていた。
神の言葉が彼女の薄く形のいい唇からよどみなく伝えられるさまは、凡人のぼくには辟易以外の何ものもなかった。津軽の遥か北の果てに住まうイタコでもあるまいし・・・と。
しかし神がかりとなった彼女の霊的超能力にはすさまじいものがあった。
生霊となって博多から東京湾にまで一瞬のうちに飛んで来られた。。。
知力では遥かにまさることを自覚しつつ、「あなた」は、H女史のこの「能力」「感性」「神=精霊が依る肉体」をひたすらに羨んだのだろう。
“わたしはすぺての知識を書物から読み取って学んだ、学び尽したと思う、詩聖マラルメのごとくすべての書物を読んだ、にもかかわらず、嗚呼、肉体は悲しいかな詩魂はこの身には降りて来ない。美を謳いあげる言語表現をわたしは手にできていない。 美しい!永遠!の意味でさえ、自分の言葉では十全に言い表わせないのだから・・・・・・”
そして「あなた」は決意して出掛けて行ったのだった、南の果てのバリ島に。
神々が降臨してくるバリのダンスを、命懸けで習得しよう、として。。。
話を少し変えてみる。
ここバリ島では・・・・・・
輪廻転生の考えかた一つ例に挙げても、生まれ変わる場所は、この島・この土地・ここの生物に限定されている。
どこかよその国の、よその時代の誰か(人間)に生まれ変われるなんて保障を、バリの人々はハナっから信じちゃいない。
バリ人はあくまでバリで、バリに生きる生物に生まれ変わる。
来世はバリの蛙や蘭の花の人生(?)かも知れない。それは十二分にありうることだ。
日々の祈りと供物に手を抜けば、決していまみたいな人間にはなれないだろう。そのことは充分に自覚している。しかも自分の前世・前々世が何処の何だったのかにも感づいて生きているし、今度こそ「徳」を重ねて、目標存在に生まれ変わりたいと北に向かって祈りと供物を捧げ続けている。そんな敬虔な宗教=生活を送っているわけだ。
これがバリ・ヒンドゥー的生き方である。
常に北に向かってこうべを下げ、柏(かしわ)手を合わせる生活態度なのである。不信心な日本人には、とても真似ができるものではない。
祈りの言葉・祝詞、音楽、花、お香など様々な供物と並んで、神々への捧げものとして最も重要な供物の一つが舞踊であると、ぼくは繰り返し、かつスタイルを変えながら説明してきた。
バリの舞踊は、つまりは宗教舞踊であり、能や歌舞伎の世界とは全く違う性格のものだ。
本来であればサンヒャン・ドゥダリの舞を糸口にして、はじめは「バリ伝統舞踊総論」としてまとめようとしていたこの拙論も、いろいろと脱線が多すぎて、その賭場口で終わってしまいそうだ。ま、ぼくのブログのことだから、それもいい。許していただこう。
それにしても最後に少しまとめておきたい。
バリ舞踊は、大きく三つに分けて考えることができる。
タリ・ワリ(Tari Wali)、タリ・ブバリ(Tari Bebali)、タリ・バリバリアン(Tari Balihbalihan)の三つだ。
最も宗教的色彩(役割)が色濃いのが、タリ・ワリで、その最たる序の舞がサンヒャン・ドゥダリなのだ。ほかには、ルジャン(女性による奉納舞・バリ舞踊の原型)やパリス・グデ(男性による勇壮な奉納舞)がある。
タリ・ブバリになると、儀式舞踊と呼ばれる芸術的色彩を帯びたもので、古典舞踊劇ガンプー、バリ王朝史を題材とする仮面舞踊劇トペン、さらには穢れ払いの意味が濃厚な舞踊劇チャロナランなどがこれに分類される。
チャロナランは、あまりに有名な魔女ランダと善魔なる怪獣(?)の聖獣バロンの闘いの舞である。
死者の霊を祭るための、村の南にひっそりと位置する寺院(プラ・ダラム)で催されるのがこのランダとバロンの壮絶な闘いをテーマとする舞踊劇で、観ていて一番劇的興奮に富むものだろう。善と悪の闘いの結末は・・・・・・悪が滅びると決まったものではないからだ。
ここにバリ的「三段論法」の見事さ!理性的理解不能の面白さ!が見てとれる。
西欧文明の敗北、ここにあり!の痛快な不可思議さが明確かつ曖昧に示されている(爆)。
さらにはタリ・バリバリアン。いかにもバリ的!なスタイルのバリ創作舞踊とも言ってよい舞踊で、鑑賞性・娯楽性に富むものだ。新しい時代のバリ舞踊である。観光用!と切り捨てることも可能だろう。宗教的意味合いはほとんど薄れてしまっている。バリのダンスとして代表的なレゴン、ソロでの男性舞踊パリス・トゥンガル、竹のガムランで伴奏される芸能舞ジョゲッ、20世紀になって生まれた演奏形態ゴン・クビャールの伴奏によるグビャール・スタイルの自由な創作ダンス。。。
これらについては、専門書もネット記事も多く、興味のある方はそちらのほうで詳しく調べてみると面白いと思う。
最近のコメント